よりよい未来の話をしよう

直木賞作家・今村翔吾さんに聞く「なぜ書店は消滅してはいけないの?」

先日X(旧Twitter)でとある投稿を目にした。歴史作家・今村翔吾さんの国内の書店減少に対する熱い思いをつづった投稿だ。

本記事執筆時点(2023年10月31日)で13,000を超えるいいねが付いていることからも、その反響の大きさが伝わる。また自身で書店を経営したり、直木賞受賞後に“全国の本屋にお礼を伝えたい”という思いから全国47都道府県の書店を行脚する「今井翔吾のまつり旅」を行ったり、本の未来を守るための一般社団法人「ホンミライ」を立ち上げたりと、対外的に活動してきた今村さんの言葉だからこそ届くものがあったのかもしれない。

そこで今回は今村さんに「なぜ書店は消滅してはいけないのか」を伺うことにした。書店や本が持つ魅力、コンテンツが溢れるこの時代だから本が持つ価値とは何なのか。またインタビュー後半では、今村さんが立ち上げた「ホンミライ」の具体的な活動についても伺った。

今村翔吾さん

本と出合うことは「人と人が出会うこと」

先日のXでの投稿を拝見しました。早速ですが書店は消滅してはいけないと考えている理由を伺いたいです。

まず歴史作家の目線から言わせてもらうと、多くの歴史の先人たちは“本が廃れる”ことはその国の“教育が廃れる”ことにつながることだと異口同音に言っています。教育水準を何で測るのか難しいことはあるにせよ、例えば識字率1つとってみても、本の発展があってこそ識字率が向上するはずで、その先に他の分野の学術が発展するのだと思います。

もう1つ理由があります。本は作り手の像がはっきり現れるコンテンツなので、本と出合うことは「人と人が出会うこと」に近いんです。人の未来や可能性は出会いの中にこそあると思っていて、その出会いによって人生は良くも悪くも大きく変わりますよね。

地方に住む人が東京の最前線にいるビジネスパーソンに出会うのは難しいけれど、その分身の本と出合って人生が変わることがあるって考えると、本は可能性を広げるツールになると思うんです。だからこそ若い世代を中心に、実際に本を手に取り読める環境、予期せぬ本に出合える環境は残さないといけないと感じていて、それが書店を残したい理由です。

本はネットで購入することもできますが、今村さんが言う「出会い」には、書店などのリアルな場でこそ起こりうる偶然性のようなものが必要なのでしょうか。

そうですね。例えば、自分の周りにいる友達との出会いのきっかけを振り返ってみても、偶然であることが大半だと思うんです。たまたま教室が一緒だったとか、たまたま趣味が一緒だったとか。

もちろんネットでも本は買えますが、ネットのように中身がわかっている本を買うのは、顔がわかっている芸能人に会いに行くという感覚に近いような気がします。それに対して、自分が予期していないときに一生を変えるきっかけに出会えるかもしれない、そういう偶然性があるのが書店のいいところだと思っています。

取材時の今村さん

各地の書店員が持つ戦意こそが希望

『塞王の楯』(2021、集英社)で直木賞受賞後に「今村翔吾のまつり旅」と称して全国の書店を118日119泊かけて行脚した際に、地方の本屋で希望を感じることもあったそうですが、どういった点に希望を感じたのでしょうか。

希望を語る前にマイナスの部分から話すと、本って原価率がすごく高い商材なんです。だから、全国の書店のほとんどが、他のものと併売しないと生きていけないぐらいまで追い込まれているのが現状です。

文具なんていうのは当たり前で、飲食店やカフェが併設されている場合もあれば、服屋と一緒になっているところやトルコ料理屋と一緒っていう書店もありました。

みんな書店を続けるために必死なんです。全国をまわり見た現実は想像していたよりもかなり厳しかったです。

ただ一方で、このように何をやってでも“書店を残そう”という各地の書店員が持つ戦意は衰えてないんです。これこそが希望です。逆に言うと、この戦意が完全にくじかれたときが書店の滅亡だと僕は思っています。

地方の本屋で働く人の中にも今村さんが先ほどおっしゃった、出会いの場としての本屋を残したいという気持ちがあるのでしょうか。

大なり小なりそういう気持ちはあると思います。

そういう気持ちを持つ理由は、かれらが本との出合いによって何かしらの影響を受けた実感があり、それが本の魅力だと知っているからだと思うんです。ただ、普段読書をしない人たちに本の魅力を伝えるのが難しい。

僕たちとしてもまずは本を読んでもらうことしかできないので、本を読む人が1人でも増えてくれればいいなと思っています。

「今村翔吾のまつり旅」と称し、全国行脚を決行

直木賞がM-1みたいになってもいいんじゃないか

本を読む人を増やすために、これまでどのようなことに取り組まれてきたのでしょうか。

この業界自体があまりにも暗いニュースが多くて、体感では99%ぐらいが暗いニュースです(笑)。だからこそまずは僕らが本や書店の未来を諦めていないと知ってもらうことが必要だと思っています。そのために自分が行動を起こしたり発信したりというのは意識的にしています。

エッセイ集『湖上の空』(2022年、小学館文庫)に書かれていた、直木賞受賞の時に人力車に乗って会場まで向かった話を思い出しました(笑)。

直木賞ってかれこれ100年ぐらいの歴史があるのに、僕の時までテレビ中継で直木賞受賞の瞬間にカメラが入っていたことがなかったそうなんです(笑)。これっていかにこの業界が外向けに発信をしてこなかったかを表していると思いました。

やっぱり賞ってお祭りで内も外も盛り上がってこそだと僕は思うので、もっといろんなところを巻き込んで気軽に楽しみたいです。

“賞はお祭り”だと聞いて、真っ先に“M-1グランプリ”が思い浮かびました。

僕は直木賞にももっと賛否両論あってもいいと考えています。M-1でも「どのネタが好きだった」とか「あれは漫才じゃない」とかいろいろな論争が起こりますけど、それって漫才やお笑いの裾野が広がっていて、普段は漫才を見ないけどM-1だけは見るって人がたくさんいるからだと思うのです。

本来、直木賞や芥川賞もそうあるべきだし、いずれそうなって欲しいなと僕は考えています。普段は本を読まないけど、受賞作品だけでも読んでみようとなれば、その1冊がきっかけで本が好きになる可能性もありますよね。

人力車に乗る今村さん

やっぱり本が好き

タイパやコスパが重視される今の社会において、本はどのような価値を発揮できるとお考えですか。

まず情報量という点においては確実に動画が優れていますよね。本は文字だけの世界ですが動画であれば映像や音もつけることができるわけです。ただ人間の脳みそはそこまで膨大な量のデータを処理できるようにはできていないんですよね。動画が入ってきても勝手にそぎ落としてるんです。

一方、本は人間が吸収できる情報量に対して、適切な量が守られているような気がする。だから同じ内容に触れる場合でも、本の方が漢方薬のように体に残り続ける感覚があるんですよね。

けれど広く物事を知ることに関しては本よりも動画が向いていると思うので要は使い分けだと思うのです。知識は人生のタイパ、コスパをあげてくれるものなので、うまく使い分けて共存していければと良いと思いますね。

知識を深める際に動画よりも本の方が有用なのはなぜなのでしょうか。

何百年何千年の本を作ってきた歴史のおかげかもしれないです。あとは知識を深める時にその歴史であったり、著者の思いであったり周辺の知識も含めて知った方が自分の血肉になると思うんですよね。

いずれ、この「知識を深める」という分野でも、動画に敗れて本が滅びるのかもしれないな、と本気で思っています。だけど逆を言えば、どれだけ月日が経とうと動画には決して抜かれない本だけの強みの可能性もある。そのジャッジが出るまでは僕らは未来に本を送り続けていく義務があると思い、行動しています。

歴史とはこういうものだとはわかってはいつつも、可能性がある限り諦めたくはないです。ただ理屈抜きに何よりも“やっぱり本が好き”という気持ちも大きいですけどね。

虎・ライオン・熊で鬼ヶ島にいく「桃太郎」って、面白い?

今村さんが代表理事を務める「ホンミライ」についても伺いたいです。設立から半年ほどが経つと思いますが、どのような活動をしてきたのでしょうか。

まずは自分のお膝元でもある滋賀県大津市の小学校、中学校に行って本の大切さや言葉の大切さを教えており、徐々に全国に広げているところです。

例えば小学校低学年向けには物語作りの面白さを伝えるために、桃太郎の話を自分たちで改変する授業をしています。犬・猿・キジを別の動物に変えてみようってみんなの意見を募るのです。すると、そこそこの確率で虎・ライオン・熊みたいなかなり強い動物で鬼ヶ島に行くことになるわけです(笑)。

そこでみんなに聞くのですよ、「鬼ヶ島行っても5秒で戦い終わって逆に話が盛り上がらなくない?」って感じで。すると動物をちょうどいい塩梅に弱くする。

そういうやり取りを重ねてみんなで新しい桃太郎を作った後に、先生の仕事はこういうことを頭の中で組み立てる仕事なんだよって話をする。するとみんなは物語作りに興味を持ってくれますし、それが本への興味につながるかもしれないですよね。

本について楽しく興味を持てそうです。言葉の大切さについてはどのように伝えられるのでしょうか?

授業中みんなから意見を募っている時に、悪気がなく差別用語とかを言っちゃう子がいるのです。それもあえて黒板に書いて、言葉の成り立ちやなぜ使ってはいけないのかを説明します。さらにそこで僕が本を書くうえで1番気をつけていることは誰も傷つけないようにすることだ、という話もします。

そこまで話すとそういう言葉は日常生活でも使わない方がいいって素直にわかってくれるんです。

授業風景

「アホやな」と思われても走り続ける

ホンミライのホームページで「本を通じて地域の発展にも貢献」という記載を見受けました。具体的にどのような貢献を考えているのでしょうか。

実は今、全国で書店がない市町村の数が450を超えています。そこでなんとかして書店や書店の機能を持つ施設を作り、書店がない市町村を減らしていきたいと考えています。

来る、2023年12月3日佐賀駅の構内に書店を出店するのもその思いが関係していて、再開発された駅に書店がないことに対して、若者やお年寄りの世代が書店を求める声をあげている話を佐賀新聞の記事で目にしたのがきっかけです。もともと私が佐賀県の新人賞を受賞して作家デビューした経緯もあり佐賀には思い入れが強いので、恩返しの意味も込めて出店することに決めました。

本当はすべての市町村に出店できるのが理想ですが、人口がひときわ少ない街に出店するのは正直かなり難しい。

そこで今考えているのが、ゴーストキッチンならぬ、ゴースト書店です。空き家を利用して住民たちがみんなで作っていくことを想定しています。あとは、図書館に書店機能を持ってもらうことですね。これらは今動き出したって段階ですが、数年のうちに形にしたいなと思っています。

地方の書店を行脚されたり自分で書店を経営されたりと常に走り続けている今村さんだからこそ見えてくるものがあるのではないかと思います。

いろいろ行動して「口に出して言い続けること」が改めて大切だと気づきました。口に出すことで手を差し伸べてくれる人がいたり、一緒にやりたいって人が集まってくれたりするのです。

口に出したことが実行できなかったら「あいつ口だけやな」って周りから言われるかもしれないですけど、逆に言えばデメリットってそれぐらいですよね(笑)。じゃあ周りから何を思われようが絶対行動に起こす方がいいのですよ。

歴史に名を残した人の多くは「あいつアホやな」って言われながらも走り続けることで何かを成し遂げた人たちです。それこそが歴史の作り方だし、歴史の変え方です。僕も歴史作家らしく最後の最後まで行動して示していきたいと思います。

きのしたブックセンターにて

書店で働く人はきっと今村さんのように熱い気持ちを持っているだろうし、何より本が好きなはずだ。たくさんの人の想いが詰まった空間、誰かの人生を変える出会いを提供する空間、それが書店だ。

まだ自分の人生を変えるような本と出合ったことがない、という人ほど書店に足を運んで欲しい。お目当ての本に近道でたどり着くのではなく、偶然隣り合わせになった人と会話が始まり一生涯の友人になったりするように、たまたま出合った本が自分にとっての「人生の1冊」になる可能性もある。

また自分が書店で本を買うことはその書店を守ることにもつながり、誰かの大切な出会いを守ることにもつながるはずだ。仕事がいつもより早く終わった日や次の休みの日、書店に足を運び、誰かの頭の中や心の内に触れてみてはどうだろうか。

 

取材・文:吉岡葵
編集:おのれい
写真:今村翔吾事務所提供