よりよい未来の話をしよう

はじめまして、佐藤玲です。【連載・佐藤玲のロンドン滞在記】

中学生の頃から芝居の世界に入り、現在映画やドラマ、舞台まで幅広い場で演技を続ける佐藤玲。今年2023年からは俳優としてだけでなくプロデュース業として作品づくりに関わったり、ワークショップを企画したりと、さらに演劇の輪を繋ぐ活動を広げている。芝居を通じた社会への貢献を目指しストイックに活動する彼女。その眼差しはいつもひたむきに過去・現在・未来を見据えているようにみえる。

そんな彼女は現在、ロンドンに短期留学中だという。『あしたメディア』では彼女にロンドンのレポートを寄せてもらうことにした。この連載では、彼女の真っ直ぐな目線を通して見えてきたロンドンの現状をもとに、その背景を紐解き、社会との繋がりや、日本との違いについても考えていく。この旅が人生のターニングポイントと語る彼女の等身大な姿も、同時にレポートする。

今回はその旅の前段として、彼女がなぜロンドンに留学するに至ったかをレポートしていただいた。彼女自身の過去、そして現在、未来とはー。

はじめまして、佐藤玲です。

佐藤玲です。

私は俳優業を営む傍ら、今年2023年プロデュース業を始めるために起業をしました。

そしてさらに、新しい挑戦をしたいと思い、この度海外留学することを決めました。これから数ヶ月の間、この滞在記を書き記しながら新しいことをたくさん吸収し、今後の人生のひとつのターニングポイントにするべく充実した時間にしていこうと思っています。

第1回目はまず、これまでの経緯を綴ります。滞在記…と言いながら、今回に関してはその要素は少ないかもしれません。佐藤玲という31歳の1人の女性として、飾らずにありのままをお話ししようと思っています。文章を書くのは初めてなので、読みづらいところもあるかと思います。でも下手な文章でもできるだけ思いが伝わるように書いていきたいなと意気込んでいるところです。

どうぞ皆さま根気強くお付き合いください。

よろしくお願いします!

家族のこと

今回のロンドン滞在の経緯を話すためには、家族の話題は避けて通れません。

私はシングルマザーの家庭に育ち、母と弟と3人で暮らしてきました(父との話はいずれまた。離婚していましたがきちんと父親業をしてくれていました)。私が9歳の時、母に舌のガンが見つかり、それ以後転移などもあり21年以上の闘病生活を送ってきました。そして2023年3月、母はちょっと早めに天国へ出かけました。雪見だいふくみたいに、白くてまるい人でした(怒られそう)。 

繰り返し入院するなかで、何度も復職する母の強さをずっと間近で見てきました。手術を受けると驚異的な早さで仕事に復帰し、私達を心配させないように、そして仕事で迷惑をかけないように痛みを押していました。いつもニコニコと、でもとても正義感の強い人でした。完治したと思われた数年間は幸いにも私自身仕事で生計を立てることができていたので母を家族旅行へ連れていくことのできた、とても穏やかな時間でもありました。

旅行中。母と弟の後ろ姿。

2022年7月末頃、お腹が痛いと言い始めた母は、何ヶ所も病院を回り9月29日、末期ガンという余命宣告を受けました。膵臓を中心とした多発性のものでした。濁す先生に凛とした面持ちで「先生、率直に言ってあとどのくらいですか?」と話す母。担当して下さったお医者さんは、言いよどみながらも、一般的な統計で言いますと抗がん剤治療がうまくいったとしても、13ヶ月が平均と言われていますと話して下さいました。

私はその日たまたまお仕事が休みで、母に付き添って病院へ向かいました。そのときのザワザワした気持ち、地に足のつかない嫌な感覚は忘れられません。それでも母を1人で行かせなくて良かったと思いながら、スタバのギフト券で私にコーヒーを買おうとするもうまくできない母をやや叱りながら会計を済ませ、元々対して好きでもないスタバを私と過ごすために入った母の顔を直視できないことに気づかれないように(たぶん気づいてる)さも覚悟できているかのように話しながら帰路につきました。

その日から今の今まで毎日泣いてしまいます。仕事が終わって家に帰り、寝る前やお風呂の中で1人になると、どうにもならないと分かっていながら涙が止まりません。まだまだ、どうしたら良いのか分からない毎日です。毎日色々なことが起こるこの世界そのものが不思議でたまらない、というような気持ちです。

海外への思い

学生時代から留学を夢見ていたものの、いま思えば無意識のうちにその選択肢を自ら消していたような気がします。そういうと母の病気のせいにしているようで申し訳ないのですが、本当に私には当たり前のように考えられなかったのです。 

そんななか、コロナより少し前から海外への思いはどんどん強くなり周囲への相談を始めていました。この頃の母は元気で、安心して海外へ行けると思っていました。海外での仕事なのか、旅行で満足なのかは定かでは無かったのですが、どこか、まだ見たことない場所へ行ってみたいという思いが強くありました。

まずは語学力留学を兼ねて、他の世界を知るのが良いのかもしれない。言葉が分かれば、もっと広い世界、たくさんの人の考えや世界で起こっている様々なことに対して今までに読むことのできなかった文献を読んだり、ニュースを見たり多角的な知見を得られる機会が増えるはずだと思いました。

そして2022年7月10日、母が体調を崩す少し前のこと。30歳の誕生日を迎えた時に「来年は留学へ行こう」と決めました。新しいステージを始めるぞ、と。

いつ仕事が無くなるか分からない不安定な職業柄、数ヶ月も仕事をしないということは自分レベルの俳優には致命的ということもあり、ものすごい不安を抱えながらではあったけれど、来年こそはきっと新しい世界を見て、もっと視野を広げるんだ、と心が動き始めていました。

俳優としての私だけではなく、佐藤玲という人間自身が成長するために今しかないと思いました。

ママと過ごす時間

そんな矢先の母の末期ガンの発覚。それは2022年9月29日、舞台のゲネプロの前日。10月1日から、いよいよ本番が始まるという時でした。

この事実をどう捉えたら良いのだろうと何度も問いながら舞台に立ちました。泣きながら帰路につき、家では母の心配と後悔を少しでも軽減させたくて、普段と同じように振る舞う。それが心の底から辛い。 

もっと母に甘えれば良かったな。寂しいからまだそばにいて欲しいと言えればよかったけど、これまでの苦しみをずっと隣で見てきたから、もうこれ以上頑張ってとは言えなくて、謎の責任感から、受け止めようと必死に強くいようとしてしまったように思います。これを読んでくれている方で、家族やお世話になった人とまだお話しできる機会があるなら、どうかその人に甘えて、頼って、感謝の気持ちを伝えて欲しいです。まぁ私も苦手なのですが。

公演初日。

急激に体調を崩してしまった母でしたが、車椅子で観に来てくれました。私の出番だけ客席の端で観劇してくれました。最期に観られて良かった、と言っていました。その日だけは母の為に舞台に立ったように思うけれど、今思えばいつもいつもその為だったような気もします。

悩みと決断

舞台作品は『ヴィンセント・イン・ブリクストン』。ニコラス・ライト作の戯曲で、1873年のイギリス・ブリクストンとロンドンで過ごす、若き日のヴィンセント・ファン・ゴッホのお話。史実を元に、こんな生活を送っていたのではないかと想像して創られたフィクションです。2003年、ロンドン、ロイヤル・ナショナル・シアターで初演を迎えトニー賞も獲った、人々の生活を垣間見る、とっても小さくて、とても大きな物語でした。

日頃、皆様の前に立って何かをすることを生業としている私ですが、もちろん辞めたいと思うことも多々ありました。それでもこの時ばかりは、自分自身から切り離される時間があることそのものが救いとなりました。見て下さる皆様の日頃の活力になるようなお芝居をやりたいと思っていますが、この時は私自身が演劇を通して皆様に助けていただいたと思う毎日でした。

このお芝居のおかげで辛い時間も、立っていられたように思います。

私は仕事柄、たくさんの物語の中で“人間”について考えながら過ごしてきました。そんな中で25歳頃から、自身が成長していないと思い悩んでいました。俳優としての自分の力量の無さを思い知らされる日々が長く続き、どんどんすり減っていたように思います。

でも、役者としてどうにもならなくても、たとえ役者として終わったとしても、私は佐藤玲自身という人生はまだ続けないといけない。 

今海外へ行くべきなのか。母の最後を看取ってからでも良いのではないか。いや、心に決めたからにはどんなに悲しくても、母の最期に会えなくても、私は今留学して新しいことをたくさん吸収しなければ、未来の私は無い気がする。

今、が大切なんだ。

これが、2022年の12月頃の思いでした。2023年9月に留学するつもりで、最後の話し合いを経て事務所を退社する決断をしました。

ちなみに、これまでのお芝居に対する略歴と事務所を立ち上げるに至った経緯に関しては、こちらで詳しくお話ししています。

演劇への思い

言語化できない、演劇への神秘的な畏怖がある。演劇の持つ何にも代え難い強い力に魅了されている中で、自ずと留学でも演劇に関わる場所を訪れたいという思いがありました。

15歳で初めて台詞を口にしたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』。最も印象深い、舞台作品『春琴』の演出家。日芸で受けたRADAのアレクサンダーテクニークへの感銘。一番気になっている劇作家、ダンカン・マクミラン。母が最期に観てくれた舞台。

全てに共通するイギリス。演劇の街、ロンドン。ここへ行ってみたい。 

こうして、イギリス行きを決めました。

自分にとってごく自然な、素直な選択だったように思います。たくさんの演劇を観ることで俳優としても刺激を受けられると思うし、舞台制作そのものへの理解や仕組みもたくさん吸収できると思いました。…とはいえ、通うのは基本的に語学学校になるのですが。

色々豪語したのに、基本は語学留学です。えへへ。

会社のモットーと、これから

“みなさんは、何を選びますか?”

これまでに得てきたたくさんの経験を束ね、新たな道を切り開き、先の分からない何かを選びとる瞬間。あなたは何を考えるでしょうか。 

急に自己啓発本のような触れ込みになってしまいましたが、先のわからないものへの想いは結局みんな同じで、不安、ですよね。怖いことだらけで、不安だらけで、誰かに任せたい、なんでも良いから決めてくれ!という気持ちになりませんか?私はもはや何でもいいから早く誰か決めてくれ!と、よくよく思います。

だから占いは、すごく好きです(笑)!なぜなら自分以外の人に話をすると頭の中が整理されるし、他の人の意見を聞くことで、自分自身の立ち位置?みたいなものが生まれて、自分が本当は何を望んでいるのか明確になる感じがあるから。

でも占いの結果で、A、と出たとして。Aの未来を選んでも、別の未来を選んでも、結局は自分で決めるしかありません。「Aを選んで失敗した!親がAって言ったから選んだのに!」と駄々をこねたとしても、自分の行動の責任は自分以外の他者は誰も負ってくれません。なぜならあなたの人生、誰も成り代わることができないからです。

そんなわけで私の会社のモットーは、みなさん1人ひとりの選択肢は無限に広がっていることを思い出してもらう活動をすることです。

ひと言でいうと【つなぐ】こと。

私はせっかくこんな仕事をしているので、みんなよりちょっとだけオープンにして成功も失敗も中途半端も全部お見せしたいなと思っています。私自身の活動や、お届けする作品など、様々なスタイルで皆さんにキッカケをお届けすることで、新しい発見や新しい感覚との出会いとの橋渡しをしていきます。そんな選択肢や可能性を皆さんへ「つなぐ」ことを、仕事でもここでも出来たらいいなと思います。

さて、そんな思いからこれから数回に渡って、ロンドンでの滞在を記録していきます。生きていく上で目に留まる全てのことから、回ごとにテーマを決めて書いていくつもりです。

この瞬間瞬間がいつも何かへの通過点だと思って、このコラムを通してみなさんと一緒に色んなことを感じ、考えていけたら嬉しいです。

これからどうぞよろしくお願いいたします。 

 

佐藤 玲
俳優・プロデューサー
1992年7月10日東京都生まれ。15歳より劇団で演劇を始める。日本大学芸術学部演劇学科在学時に故・蜷川幸雄氏の「さいたまネクスト・シアター」に入団し、演劇『日の浦姫物語』でデビュー。演劇『彼らもまた、わが息子』(桐山知也)などに出演。また出演ドラマとして『エール』(NHK)『架空OL日記』(読売テレビ)、出演映画に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也)『死刑にいたる病』(白石和彌)『チェリまほTHE MOVIE』(風間太樹)などがある。2023年3月 株式会社R Plays Companyを設立。初プロデュース作品『スターライドオーダー』(北野貴章)を上演。現在、出演ドラマ『30までにとうるさくて』(ABEMA)がNetflixで配信中。

 

文:佐藤玲
編集:conomi matsuura