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【連載 好きなことを、好きな場所で】東京から、介護を明るく変えていく

自分の好きなことを、好きな場所で仕事にしたいと思っても、なかなか一歩を踏み出すことが難しいと思う人もいるだろう。もちろん、職種や働き方によってはどうしてもできないときもある。しかし、働き方が多様化するいま、好きなことを好きな場所で仕事にするという選択肢は増えているはずだ。あしたメディアでは、様々な土地で好きなことを仕事にしている方々に、どのような思いや方法でそれを叶えたかを聞いてみることにした。

これまでの連載はこちら今回話を伺ったのは、介護福祉士として活動する上条百里奈さん。地元・長野県の老人保健施設で働いていたが、現場で働くだけでは介護業界の課題を解決できないと実感。そんな折にモデルとしてスカウトされた上条さんは、メディアに出て発信することで解決できるのではと上京を決意。モデルと介護福祉士という二足のわらじを履いて活動することとなる。さらなる課題解決に向け、現在は介護福祉士として働きながら、大学院に通ったり講演会に参加したりと、介護業界をより良くするために多岐にわたる活動を行う。

介護業界というと、一見大変そうなイメージを持ってしまうが、彼女は「介護は楽しい!」と笑う。介護業界のために邁進する彼女に、介護の仕事に就いたきっかけや、目指していることについて伺った。

上条百里奈さん

高齢者は、かっこいい

東京を拠点に活動する上条さん。そもそも介護の世界を知ったのは、地元・長野県で職業体験学習に参加したことからだった。

「介護に魅力を感じたきっかけは、高齢者ってなんて素敵なんだろう、と思ったことでした。かわいそうだから助けようというよりも、私の目にはかっこよく映ったんです。

中学生のとき、実習で要介護の高齢者の方を介助する機会がありました。施設の方から『みんな元気そうに見えるけれど、明日いなくなる人かもしれない。だから、大切に介助してあげてね』と言われて。そんな大切な瞬間を私に任せちゃっていいの?!と、とても緊張しました。頑張って食事のサポートをしたのですが、上手くタイミングが合わず半分くらいしか口に運ぶことができなくて。私がされる側だったら絶対嫌だな、とおばあちゃんの顔を見ると…満面の笑みだったんです。『美味しかったよ〜ありがとうね〜』と言われました。それがもう、嬉しい以上に衝撃だったんです。こんな大人がいるのか〜!と。

その施設にいるみなさんは足も腰もどこかしら痛くて、薬も飲まないといけない。不自由な部分があるのに、なんでこんなに大らかにいられるんだろうと、感動しました。当時、テストで良い点を取れないことや人間関係がうまくいかないことで悩んでいた私は、『あなた自身が存在していることが嬉しいんだよ、来てくれてありがとう』と伝えてくれる高齢者の存在にとても驚きました。

歳を取って不自由になる葛藤もあるなかで現実を受け入れ、向き合っている人がいる。その姿がとてもかっこよく見えました。そしてそんなかっこいい人たちを介助していたら、自分もかっこよくなれるかなと思いました。そんなポジティブな経験から介護に興味を持ちました」

現在も介護の現場で仕事をする上条さん

現場の課題に悶々とする日々

早くから介護の魅力を知った上条さん。その意思は揺らぐことなく、介護福祉士の資格を取り正社員として就職する。しかしいざ働くと、介護現場の課題も見えてきた。

「社会人1年目は、地元の老人保健施設で働いていました。現場で仕事をするうちに、だんだん社会が介護の現場を悪くしているのではないかと思うようになりました。メディアが捉える介護の姿と現実との間にギャップが見えてきて、現場の経験だけでは救えない問題があると感じたんです。もっとメディアにリアルな現場を知ってもらうにはどうすればいいんだろう、と思っていたときにモデルのスカウトを受け、メディアに近い仕事をしようと決意し、上京しました」

現場で気づいた課題を“伝える立場”になりたいと思うようになった上条さん。22歳のときに上京し、以来東京で活動を続けることとなる。

「上京してすぐは、モデルの活動をメインで行なっていました。モデルの仕事は、介護や福祉とはまた別の価値観を感じられます。優先順位も、求められることも全く違う。正直なところ、もしこれが介護より楽しいと思ったら、モデル一本で活動するのもありだなと考えることもありました。私の人生だし、自分の本当にやりたいことを優先したいなと。でもそう思うほどに、介護の現場にいないと自分らしくないなと感じたんです。

そこで、東京でも介護福祉士の仕事を再開しました。早番で介護の仕事をして、午後にモデルの撮影をして、夜は会食に行くという生活をしばらく続けていました。体力的には辛かったですが、精神的には充実していたと思います。自分の存在を認めてくれた介護の現場が身近にあることが、結果的に自分の心身ともに健康であることにも繋がっていました」

上京してから忙しく過ごしていた上条さん。東京の印象についても聞いてみた。

「来る前のイメージよりも、東京の人たちは優しいなと感じることが多いです。業界を問わず頑張っている同世代に沢山出会えるので、刺激を貰える場所だとも思います。上京したてのときは、おばあちゃん達から近所の情報を聞いていましたね!街の歴史から教えてくれます。(笑)」

こうして当初の志に立ち返り、メディアを通じて介護業界を変えることを目指した上条さん。講演会など発信する場が増えてきたが、その活動にもだんだん限界を感じるようになったという。

講演に登壇し話す上条さん

「26歳頃からは、ドラマの介護シーンの監修や講演の依頼が来るようになりました。でも人前で話すようになって、発信するだけではダメだということに気づきました。介護に限らず、社会課題について発信したい人は沢山いるので、そのなかで声を届けるのはなかなか難しい。伝えるだけではなくそこから現状を変えられる人になりたいと思いました。そんなときに、東京大学のシンクタンクである東京大学未来研究ビジョンセンターの研究チームに入れていただきました」

研究員として、学会発表に参加したときのお写真

続けることで見えてきた課題

ただ発信するだけでは介護の現状を変えられないと知った上条さん。別のアプローチとして、研究機関の立場から制度を変えようと模索することになる。そこでも彼女は、介護業界を改善したいという真っ直ぐな眼差しで現状を見つめる。

「研究のプロジェクトに入ったものの、私のような研究員はせっかくのデータを取り扱えず、先生達が綺麗に仕上げた情報に対して意見を言うことしかできず、もどかしさを感じました。

また、そこでは内閣府や大企業を交えた勉強会を定期的に開催していたのですが、ある発表を聞いたとき、『介護現場の実態と全然違う』と感じてしまったんです。研究者や政治家、現場の乖離(かいり)はどの業界でもあるかもしれませんが、ここでも『そんなことずっと昔からやっているのに!』と思うことや、『そのデータを切り取ったらそうなるだろうな…』と感じることなど、現場にいたからこそ抱く違和感がありました。

医療だと、医師として現場を経験していないと学会で発表しても信憑性がないと言われますが、介護業界はそもそも現場と学問を横断している人がほとんどいません。また医師は開業医になることで現場のデータを取りやすいのですが、介護職は開業が難しく、給与も低いため研究や学会にお金を支払うのも厳しい。そうなると、データや資料も少なくなります。介護現場と研究の場に、やはりギャップがあると感じました。

同時に、自分たちが抱いた違和感を社会に伝えるには、アカデミックな手法が必要だと知りました。SNSで介護の現状を発信するのも良いのですが、その実態を変えたいのであれば、制度を変える力のある人たちが納得し、伝わる形で発信しないと伝わらない。たとえば大学の研究者が執筆する論文は、制度や仕組みを考える際の参考情報になります。私もその情報を伝える一員になりたいと思い、2023年から国際医療福祉大学の大学院に通っています」

 

発信する立場にいても、伝えたい人に届けるためには手法が異なると実感した上条さん。東京にキャンパスのある大学院に進学したとのことだが、どのような勉強をしているのだろうか。

「そもそも、介護を専門に扱っている大学院は日本に1校しかないんです。社会福祉関係の大学院は沢山あるのですが、介護に特化しているのはいま通っている大学院だけです。

いまは、『要介護者も生活を整えるだけで元どおりの暮らしに戻れる』ということを学んでいます。知識と技術と環境があれば、病院で2年寝たきりのおじいちゃんが介護によって3ヶ月で歩けるようになったり、認知症で問題行動を起こすおばあちゃんの行動が変わったりすることもある。流動食ではなく、最後まで焼肉やトンカツを食べれるくらい、高齢者が元気な暮らしを送れるための介護について考えています」

現場の仕事を続けながら、大学院生として勉強や発表を行い、さらに合間でモデルや講演会のお仕事もこなす上条さん。大変ではないのだろうか。

「いまは大学院の修士課程にいるので、勉強が1番のウェイトを占めています。介護福祉士として現場に立つのは週1回だけですが、そこで感じた課題を研究の場に持ってきて、教育の場やメディアなど、社会に対して発信をします。そして発信して分かったことをまた現場に持ち帰るというこのトライアングルが、私にとって必要なことだと感じます。

今後、年齢やライフステージによってその比重を変えていくことはあるかもしれませんが、このトライアングルが欠かせません。たまに場所を変えて勉強したり、旅行をしたり、定期的にリフレッシュはしています」

東京ガールズコレクションでも介護の魅力について発信。利用者の方がステージを見に来てくれた。

目指すのは、皆が幸せな老後

キラキラと目を輝かせて、介護のことを話す上条さん。そうは言っても、介護はキツそうというイメージが少なからずあるのも事実だ。そう感じる場面はないのだろうか。

「耐えられないと思うこともありますよ。高齢者の方に唾や暴言を吐かれることもありました。だけど、もしかしたらそんな人にも理由があって、知識があればそれを解決することができるかもしれない。介護する高齢者がもっと快適に過ごせるように、うまくいかない理由を潰していきたいんです」

実際に学んでいることを伺うと、「どう介護するか」だけではなく、「介護されないためにどうすれば良いのか」ということに焦点が当てられていると感じる。上条さんの目指す介護業界、ひいては日本の社会というのは、どのようなものなのだろうか。

「介護職向けに発信している仲間は結構います。でも、介護職だけが頑張るのでは状況は変わらない。そのため、私は学生や介護を受ける前のシニア層に向けた講演も行い、介護をする側・される側、それぞれが人生の最後まで元気でいるためにどういった生活をしていくかということもお伝えしています。本人や家族だけでも解決できるような福祉力や介護予防が広がると、介護職の人たちももっと楽になれますし、何より人材不足が理由で葛藤することが減りますよね」

「そもそも、私が介護をする本来の目的は、目の前の方を幸せにしたいということ。

みんな生まれて、ひとつひとつ覚えてできるようになっていきます。でも、歳を取るにつれてだんだんできなくなっていく。そんな人生の最難関を生きているのが高齢者だと思っています。1番難しいことをしている方々はやっぱりかっこいいし、尊敬しかないです。介護のことをみんなにもっと知ってほしいし、学んでほしいと思います。

介護や高齢者に対してネガティブなイメージがあるのは、多分みんながそうなりたくないと思っているから。でもそんなイメージを持ったままでは悲しいです。高齢者も、最初は幸せになってほしいと願われて生まれてきたいつかの子どもたちなんです。高齢者は、全ての人の人生のクライマックス。だからこそ、高齢者の方々には最後まで幸せでいて欲しいと思っています」

世界規模で介護を話したい

上条さんの真っすぐな姿勢と、明るい笑顔を見ているだけでも、日本の介護に対するイメージが変わるような気がする。そんな彼女に、今後の展望について伺った。

「10月に、初めて自分で主催するイベントを実施しました。コロナ禍で頑張ってきた介護業界の現場の人たちを、お疲れ様!と讃えるイベントになりました」

「これからも自分が主催するイベントをやっていきたいですね。日本を超えて、世界の人たちと介護について現場目線で話せるような場を作りたいなと思います。日本の介護は、イギリスや北欧からスタートしていますが、日本独自の技術も発達しているので、もっと世界に伝えていきたいです。高齢者生理学を基礎として展開されている自立支援介護に国境は関係ないですし、それぞれの文化や歴史によって異なる様々なケアや、生活についての価値観に触れるのも楽しみです」

介護福祉士ではなくても、高齢者のお話を聞く傾聴ボランティアなど、一般の人たちが介護に関わる機会は意外とある。介護はみんなが直面しうる問題だが、知られていないことも多い。そのことについて、上条さんは最後にこう教えてくれた。

「介護は難しいし複雑で、ピンポイントに答えに繋がらないことが問題かなと思っています。でも実際は、介護の課題解決策は沢山あるので、諦めないで欲しいです。私や周りで介護をしている友達や知り合いがいれば聞いてみるのもいいかもしれません。あとはそうですね、私のInstagramを見ていただければ(笑)!」

社会と、自分の未来を明るくすること

彼女の話を聞いていると、介護をもっとポジティブに捉えていいのだ、楽しくする方法はあるのだと感じられる。高齢者はかっこいい、それを応援している自分もかっこいい!と冗談交じりに話す上条さん。彼女にとって、介護は自分らしさを感じられる仕事だという。好きを突き詰め、課題に対して真摯に向き合い、皆の将来が幸せになる方法を模索する彼女。柔らかな笑顔の奥にある真剣な眼差しは、間違いなく輝いていた。

今回は、東京という場を活かして、自分の好きなことに邁進する上条さんにお話を聞いてきた。介護業界を良くするための、上条さんの学びは止まらない。もっと多くの人に介護のことを広めていきたいという彼女の姿勢は、上京してきたときから変わっていない。引き続き、彼女はその想いを東京から全国に届けていくことだろう。

 

取材・文:conomi matsuura
編集:大沼芙実子
写真:上条百里奈さん提供