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『POC HOUSE』が作る温かい居場所とは。「聞こえる人」も「聞こえない人」にも同じ“当たり前”を。

耳が「聞こえる人」と「聞こえない人」とが関わる機会は圧倒的に少ない。

そう話す酒井 冴輝(さかい さえき)さんは、一般社団法人POCの代表理事。現在、東京都国立市にある『POC HOUSE(ポックハウス)』という施設を運営している。ここでは、聴覚障がいがある子どもと、そうでない子どもが一緒に遊ぶことができる。

彼は4人兄弟の長男であり、聴覚障がいのあるふたりの弟がいる。身近に耳の「聞こえない人」がいる彼だからこそ、彼らは障壁を抱えていると思うことが多かったのだという。彼は、障壁があると感じる理由として、「聞こえない人」と「聞こえる人」が関わる機会が少ないために、聞こえる人の多くは聞こえない人についてよく知らないからではないかと話す。

その障壁は双方の間に立ちはだかっているはずなのに、「聞こえない人」やその周りにいる人たちの方が感じる部分がかなり大きい。「聞こえる人」は、その障壁について、知る必要があるのだ。聴覚障がいを抱える子どもたちの課題から、酒井さんの活動について、話を伺った。

彼らの抱える障壁とは?

聴覚障がいは、音が全く聞こえない「全ろう」と、音が聞こえにくい「難聴」に大きく分けられ、その程度は人によって様々な段階がある。本記事では、このような全ろうや難聴である人について、「聞こえない人」と表現している。難聴者は、毎年1000人に1人の確率で生まれていると言われている。こういった全ろうや難聴のある聴覚障がい児は、通常は地域の小学校か聴覚特別支援学校(ろう学校)のどちらかに通うことが多い。

聴覚障がい児に寄り添った方法で学ぶことができる点では、特別支援学校に通うメリットは大きい。しかし、家の近くに特別支援学校がない場合も多く、選択肢が少ないためバスや車で時間をかけて通う生徒は少なくない。

住む地域にある小学校の特別学級に通うことで、移動時間の削減や、他の児童との交流の点でメリットが挙げられる。しかし、聴覚障がいを持つ生徒が少ないことから孤立してしまったり、教育が行き届いていない可能性があったりするというデメリットもある。日本でも現在インクルーシブ教育が進められているが、対応については地域差がみられるだろう。

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聴覚障がいのある人にとってどの学校に通うか判断することはとても難しい問題であると、酒井さんは話す。

当事者に近い立場だからこそ、見えてきた課題

酒井さんは弟たちと過ごすうちに、耳が聞こえない子どもたちをサポートする仕事をしたいと思うようになった。そこで、聴覚障がい特別支援学校の教師を目指し、大学の教育学部に入り教員免許を取得した。

しかし、「聞こえる人」と「聞こえない人」との障壁をなくすために、他にするべきことがあるのではと思うようになる。それは、学校生活以外の部分で聴覚障がいのある子どもをサポートし、「聞こえる人」と「聞こえない人」が一緒に楽しめる居場所を作るということだった。その経緯について、酒井さんはこう述べている。

「私の小学生時代の放課後の過ごし方というと、大半は友達の家に行ってゲームして遊んだり、公園に行ってサッカーや鬼ごっこしたり、たまに塾に行って勉強したりすることでした。でも、弟たちの小学生だった頃を振り返ってみると、学校が遠いために遊ぶ時間がなく真っ直ぐ帰るしかありませんでした。同じ学校で近くに住んでいる人は1人しかいなかったので、僕や妹の友達と一緒になって遊んでいました。習い事も手話が使える講師がいないので、制限される場面が多くありました。私たちが当然のように過ごしてきた放課後の居場所が、耳が聞こえない子には当然のように無かったんです。聴覚障がい者は圧倒的に“居場所”が少ないと気がつきました」

小学校時代を思い返すと、勉強したことよりも友達と遊んだことの方が記憶に残っている人も多いのではないだろうか。しかしそんな記憶が、聴覚障がいのある子どもにとっては、場所や制度が充実していないために、“当たり前”ではない場合がある。

こうして酒井さんは、教師として学校に勤めるのではなく、放課後にみんなが遊べる場所を作ろうと決意する。

POCという言葉に込める想い

もともと、『POC HOUSE』を作る前に酒井さんはある活動を行なっていた。それは、『POCチャンネル』というYouTubeチャンネルでの活動である。2020年からスタートし、不定期で投稿を続け、2023年10月現在は約6.4万人のチャンネル登録者がいる。このチャンネルでは弟で聴覚障がいを持つナツさんとマコさんも出演する。手話クイズや質問コーナーなど様々な企画を設けており、耳が聞こえる人もそうでない人も楽しめるチャンネルとなっている。

このPOCという名前は、 "Piece Of Cake" の頭文字から取っているという。直訳すると「ケーキひと切れ分」。ケーキひと切れ分は簡単に食べられることから、英語では「楽勝だぜ」「大したことないよ」などの意味で使われる言葉だが、チャンネルでは挨拶代わりに「POC!」という言葉を使っている。

酒井さんは名前の由来について、こう教えてくれた。「皆がどんな困難にも立ち向かう勇気や希望を持って欲しいという想いから名付けました。辛いときや悲しいとき、何か勝負するときや挑戦するときに、ぜひ心の中で『POC!』と叫んでみてください」。

酒井さんの新しい挑戦である居場所づくりのなかで、施設の名前にも、その「POC」という名前が採用された。

POC HOUSEの看板にもなっているロゴ

挑戦の先に、見えてきた景色

POC HOUSEの立ち上げを決意した酒井さん。最初は右も左もわからないまま、会社の設立からホームページの作成、設備を整えるまで、たくさんの支援者に支えられながらも全て手探りで取り組んだという。

2021年10月、酒井さんはPOC HOUSE設立のためのクラウドファンディングを立ち上げる。このクラウドファンディングでは、目標の150万円を突破し、結果的に287名の支援者から200万円以上の資金を集めることができた。

2022年2月には、一般社団法人POCを設立。耳の「聞こえる人」も「聞こえない人」も共に関わる居場所作りや学習支援事業、ろう文化や手話に対する理解促進に関する事業を行うことを目標にし、法人化した。

そして2022年8月、晴れてPOC HOUSEが開所した。

目指すのは、アットホームな居場所

POC HOUSEは、家のような場所だと酒井さんは話す。学童保育として、放課後や休日、長期休みの小学生を預かっている。目指すのは、耳の「聞こえる人」も「聞こえない人」も、ともに遊び、学び、成長できる新たな居場所づくり。POC HOUSEでは、その両者を分け隔てなく受け入れており、耳の聞こえる子ども達は、手話について学ぶことができる。

「室内では、ボードゲームやけん玉やこまなどの昔遊びや、読書にお絵描きなど、それぞれが好きな遊びができるようにしています。また、誕生日会や映画鑑賞会などのイベントもあります。季節ごとに、夏休みにはプール、冬休みにはクリスマス会などもやります。そして、POC HOUSEならではの手話学習時間もあります。学んだ手話を使って、手話で会話する楽しさを知ることができます」と酒井さん。

子ども達はうまく交流ができているのかという疑問に、酒井さんはこう答えてくれた。

「皆さんが想像する子どもたちと変わらず、ただひたすら好きな遊びをして騒いでいます。手話を使う子がいるなかで何か伝えたいときには、スタッフもサポートしますが、基本的に自分で相手に伝えようとする姿勢を大事にしています。

『自分がされて嫌なことは相手にしない』『自分がされて嬉しいことは相手にしよう』がPOC HOUSE唯一のルール。学校や家庭ではない第三の居場所として、それ以外はルールは設けず、子どもたちの自由なまま過ごしてもらうことを大切にしています」

現在POC HOUSEに通う子どもたちは、耳が聞こえない当事者だけでなく、耳が聞こえない両親を持つ子(CODA)や耳の聞こえない兄弟姉妹を持つ子(SODA)もいる。耳が聞こえる子をもつ親も、POC HOUSEの活動に共感し、学童保育の選択肢として選んでくれることもあるそうだ。

「『健聴の子(耳の聞こえる人)が、手話を話してくれて嬉しかった』という耳の聞こえない子がいたり、『次はいつ行くの?』と手話を学ぶのを楽しみにしている耳が聞こえる子がいたり、『耳の聞こえない兄弟を持ちながら手話をなかなか使ってない子どもが手話を覚えてくれるようになり、会話が増えました』と言ってくださる親御さんもいました」と酒井さん。

POC HOUSEは、耳の「聞こえる人」も「聞こえない人」も“当然のように遊べる居場所”となっているようだ。

もっと“当たり前”をつくるために

現在酒井さんは、POC HOUSEでの学童保育の活動に留まらず、より多くの人へ学び・知る機会を作っている。

聴覚障がい者は習い事の機会が少ないという課題解決としてできたのは『POC STUDY』という学習塾。POC HOUSEの学童保育の時間が終わった後、塾としてPOC STUDYを開講する。講師には手話のできるスタッフが多数在籍するほか、「学びが広がる空間」をコンセプトにし、耳の「聞こえる人」と「聞こえない人」のいずれも通うことができる場にした。

さらに、POC HOUSEは小学生対象だが、POC STUDYでは中学生や高校生も、国語・数学・英語の学習指導を受けることができる。遠方で通えない人などに対しては、オンラインで授業を行う。物理的にPOC HOUSEに通うことができない子どもたちにも、広く学びの場を提供しているのだ。

さらに、耳が「聞こえる人」に対しても『POC SIGN』という学びの場を提供する。動画教材として、手話講座に通うのが難しい人や、どうやって始めたらいいのかわからない人にも学びやすい動画を月額制で提供している。YouTubeやTikTokでの動画編集経験を活かし、手話を体系的に動画で学べるシステムを作ったら役に立つのではないかと考えたことがきっかけだ。POC チャンネルにも出演する、弟のナツさんとマコさんも撮影に協力している。2023年11月現在は、一部リニューアル中で、さらにわかりやすいサイトに改修する予定とのことだ。

障壁は、みんなでこわしていくもの

現在酒井さんは、一般社団法人POCの活動として、上記以外にも学校に出向いて手話について授業をしたり、メディア活動を行なったりして、障壁をなくすための活動を行なっている。

私たちも障壁を壊す一員になるためには、どうすれば良いのだろうか。酒井さんはこう教えてくれた。

「聞こえない人はこんな事に困っているんだ、こうやってサポートすればいいのかなど、聞こえる人にただ知って欲しいと思っています。そのために私たちも、このようにメディアを通じて情報を届けることが貢献に繋がると考えています。

個人的には、『聞こえる人』が歩み寄るだけではなく、『聞こえない人』も含めて、お互いに歩み寄ることが大切だと思っています。耳が『聞こえる人』も『聞こえない人』も対等なので、一方が歩み寄る必要はないと思いますし、ただ知ってもらえる機会が増えればいいですね」

世の中は、圧倒的に数の多い人たちに合わせて作られている部分が大きいため、数が比較的少ないとされている人たちの声は届きにくい。しかし、自分たちが当たり前だと感じていることが別の視点で見ると全く当たり前ではないことは往々にしてある。

もし自分が少数派ではないとしても、そのことに気づき、知るだけでも、世界は変わってみえるだろう。その積み重ねのなかで、世界は少しずつ変わっていくのでは無いか。

以前あしたメディアで取材した音楽イベント「Candlelight」も、きっかけのひとつになるだろう。このライブイベントでは、「手話通訳」と「手話付きパフォーマンス」がついており、耳の「聞こえる人」も「聞こえない人」も平等に楽しめる機会を提供している。主催者は、できるだけ両者がフラットになれる空間を目指しているという。

障壁を壊していく活動は、実際に様々な場所で少しずつ行われている。今何もできていないと感じていたとしても、その活動を知ることが壁を壊す第一歩となるかもしれない。

 

文:conomi matsuura
企画:たむらみゆ
写真:酒井 冴輝さん提供