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映画館という場所のロマンにベットする 映画『スイート・マイホーム』齊藤工監督インタビュー(後編)

映画監督・齊藤工が撮った新作映画『スイート・マイホーム』が劇場公開を開始してから、1ヶ月近くが経過した。本作は既に観た観客や批評家たちからも注高い評価を集めている。「あしたメディア」では、そんな齊藤工監督にロングインタビューを実施した。本記事は、その後編である。

本インタビューは、作品公開中に行われた、いわゆる後パブ(公開後の広報活動)だ。通常、映画宣伝において重要なのは、その作品の興行結果全体に直結する、公開初週末に集客するための前パブ(公開前の広報活動)だと言われている。その前パブは当然として、後パブも積極的に行う齊藤工監督の意図とは何か。聞き手は、齊藤工監督と映画情報番組で共演してきた、映画解説者の中井圭。取材時の空気感を余すことなく伝えるため、対談形式で記載する。

なお、このロングインタビュー後編は、公開開始から一定以上の時間が経過していることを踏まえ、本作の演出意図を具体的に紐解くため、齊藤工監督の許可を得て、結末に関わるネタバレを含む。よって、まだ作品を観ていない方は、ネタバレを含まない齊藤工監督ロングインタビュー前編まで読んで、まずは映画館に行くことをおすすめする。

齊藤工監督ロングインタビュー前編はこちら

 

『スイート・マイホーム』
スポーツインストラクターの清沢賢二は、家族との幸せな生活のために、一台のエアコンが家全体を温める“まほうの家”と謳われた新築住居を建てた。彼の住む寒冷地の長野県では理想的な新居だった。だが、この幸せな暮らしは、ある不可解な出来事をきっかけに身の毛立つ恐怖へと転じていく。

出演:窪田正孝

   蓮佛美沙子 奈緒
   中島歩 里々佳 吉田健悟 磯村アメリ
   松角洋平 岩谷健司 根岸季衣
   窪塚洋介
監督:齊藤工
原作:神津凛子「スイート・マイホーム」(講談社文庫)
脚本:倉持裕
音楽:南方裕里衣 
製作幹事・配給:日活 東京テアトル
制作プロダクション:日活 ジャンゴフィルム
企画協力:フラミンゴ
©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛子/講談社公式サイト:sweetmyhome.jp 公式Twitter:@sweetmyhome_jp
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※本文には、作品の結末に触れる内容が記載されています。

中井:本作は、色彩設定も印象的です。作品終盤に登場する、ある部屋の色彩が、白と黄色を基調にした明るい構成になっていて、意外性を感じました。個人的には、部屋の特性から、もう少し暗く恐ろしいタッチにするのかなと思っていました。

また、重要な登場人物のひとりが、別の部屋で亡くなるシーンがありますが、そこでもステンドグラスを想起するような美しい照明演出がなされていました。これらはおそらく、その人物の悲劇的な背景を含めた、齊藤さんの視点が表現されているように感じました。

齊藤:奈緒さんが演じた本田をいかに昇華するかが、この映画における終盤のテーマでした。魔女の継承が行われる展開において、どうやって本田を浄化するかを、(撮影を担当した)芦澤明子さんとも話し合いました。その結果、本田の表情で彼女自身の供養ができるのではないか、と奈緒さんにお伝えしたのと、照明による演出を行いました。具体的には、彼女が単に不幸せな状態ではなく、人生に彩りを持っていたことがわかる色彩設計にしました。悲劇によってモンスター化した女性をただ捉えるのではなく、できるだけ人としての美しさも併せて描きたかったんですよね。彼女なりの正義は、母としての美しさだと思うので。

終盤の、ある部屋のシーンですが、ぼくは当初もっと暗い色にしたかったんです。ただ、現場の状況なども踏まえて、実際に色合いをどうしようかと検討した際、美術の金勝浩一さんが候補のひとつとしてあの色を持ってきてくれました。そこで「あの部屋は、もしかしたらお母さんのお腹の中じゃないか。その途中の道筋が、産道になっているかも」と気付きました。原作を読み直したら、つじつまが合ったんです。それで、母の子宮という神聖な場所の象徴として、あの配色にしようと決めました。だから、劇中、あの場所に向かうことは、子宮に戻るという儀式です。蓮佛美沙子さん演じるひとみの終盤の行為も、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(2018)とか『ミッドサマー』(2019)のような、ある種の儀式として考えていました。

中井:まさに、この映画を観ながら、家が母胎としての機能を持っている、という印象を持ちました。そして、この映画は、恐ろしい存在によって周囲の人たちがとんでもない目に遭っていく悲惨な物語ではあるけれども、その根底には、女性性や母性に対する畏怖が描かれていると感じました。それで思い出したのは、齊藤さんと番組で「決して届かない存在としての女性性」という話をよくしていたことです。

この物語も、なぜこんな悲惨なことが起こるのかと言えば、子どもにまつわる不幸な出来事はありましたが、男性による不貞も大きな原因のひとつですよね。つまり、本作の女性たちは、加害者であると同時に、被害者でもあります。それらを鑑みたときに、単なる恐怖のエピソードとしてではなく、根本的には母性の物語として描いたことで、作品としてバランスが取れているようにも見えました。その点が、通常のホラーやサスペンス的なものとカテゴリーが違うし、人間をフェアに見ていると感じました。

あと、画面に陰影がはっきりあって、特に影をどう落とすのかに、きちんとイメージを持って作っているという印象がありますが、イメージはどのように共有していったのですか。

齊藤:陰影については、照明部の菰田(大輔)さんともしっかり打ち合わせをしましたが、そこでお伝えしたことは、「照明のスペシャリストとして、この脚本をどう読み解くか、まず自由にやってください」という話でした。

各部署にも同じことを伝えていて「やり過ぎていたら、ぼくがジャッジしますので」と言いました。そうすると、翼を広げて行く瞬間が生まれますし、それぞれでアイデアを現場に持ち込んでくれました。それがすごく良かったですね。

ぼくは、役者さんにも、出会ったことない自分に出会ってほしいんです。この作品が何かを与えられるとするならば、自発的に取り組んだ事柄の記録が残ること。ひとつでも、その人のキャリアに可能性を広げていく何かになってくれたら良いな、と思っています。それさえクリアできれば、作品が失敗することはないと思っていました。だから、なるべく各部署のアシスタントの方たちと気軽に話せる環境を作りました。

現場に対する苦情も伝えてもらいました。ぼくはその声を極力吸い取れる立場でいたいし、気軽に伝えられる関係性こそ、細かな演出以上に自分のできることだと思っています。なぜなら、この現場にいた人たちは、ぼくが指示するのを待つのではなく、作品にとって的確な描き方をわかっている素晴らしい職人たちなので。だから、監督の持つ(強権的な)雰囲気をなくすことを、現場では徹底していました。この映画を持って海外の映画祭に行ってきたときに、この職人たちの躍動を世界中の人たちに見せびらかしたかったし、「この役者さんたちすごいでしょ」という気持ちで、胸を張って登壇してきました。

中井:ぼくは、齊藤さんからずっと、今までの監督像に対するオルタナティブなものを感じています。そのうちのひとつが、宣伝活動だと考えています。ご一緒してきた番組でも、映画を作って終わりではなく、宣伝をどうやっていったら良いのだろうか、という話をよくされていました。その中で何度も話題に上がっていたのが、映画の宣伝活動が劇場公開日で終わること。

映画宣伝は公開初日を一旦のゴールとして設定しているけど、映画そのものはそこから始まっていく。だから、本当は初日以降の活動をどれだけできるかも重要だよね、という話をよくしていたのが記憶に残っています。(公開から1週間経った)今日の取材もそうだけど、この映画の宣伝担当の方に聞いたら、この後も齊藤さんがさらに稼働して宣伝を続けていくことを知って、さすがだなと思いました。

このインタビューも、通常だったら前パブ(劇場公開前の広報活動)対応ですが、今回このタイミングで取材することになって、この記事が出るのも公開後1ヶ月くらいになると思います。でも、その遅いタイミングでも、こうやって宣伝に動いている。(この取材日の前日である)昨日は沖縄で舞台挨拶して、今日は東京で取材を受けている状況も含めて、齊藤さんの宣伝活動に対する思いを教えてください。

齊藤:別作品のロケで沖縄に行った時に、近くの映画館を調べたら、桜坂劇場が『スイート・マイホーム』を上映してくれていたので、覗いてきたんです。すると、(桜坂劇場を運営している、映画監督の)中江裕司さんが出てきてくれて、話をしました。その時、中江さんに「自分が作った映画が、日本中で同時に公開することって怖くない?」と言われて。正直なところ、ぼくもその怖さがあるんですよ。

この映画も桜坂劇場で1日3回上映してくれていたんですが、ぼくが立ち寄った日の3回目の上映に、お客さんがまったくいなかったんです。受付の男の子が「『スイート・マイホーム』、始まります」ってアナウンスしていたんですが、ぼくと中江さんと劇場の方の3人、もう何とも言えない感情になりました。劇場側としては、せっかく監督本人が来てくれたのだから、お客さんがぼくの映画を観ていく様子を見せたかったと思うんです。そして、ぼく自身も、これは全国のローカルエリアに共通して言えることですが、沖縄に根付いた宣伝活動がちゃんとできていない。でも、その現実とは関係なく、公開日というXデーが全国同時にやってくるわけです。

それもあって、東京に戻る前なら時間的に何とかいけると思い、「桜坂劇場で舞台挨拶をさせてください」と打診しました。そして、舞台挨拶の前日、(那覇の)国際通りを歩き、そこにいたストリートミュージシャンの方にも「明日、もし良かったら映画館に観に来てくれませんか?」と、話しかけてチラシも配りました。そしたら、その方は舞台挨拶の回に来てくれました。

中井:自分で声をかけてチラシを配ったんですか?

齊藤:はい。ご飯屋さんでも、ひとりで沖縄料理食べてたんですけど、店員さんに「実は明日、近くの映画館でイベントあるんで来てください」と伝えてチラシを配りました。そしたら、その人も来てくれて。直近の桜坂劇場では、(大ヒットインド映画の)『RRR』しか、100人以上のお客さんが入らなかったらしいんですけど、舞台挨拶の日は、客入りが100人を超えました。登壇終了後には、現場で即席のサイン会をやりました。そのときに「本来こうあるべきだな」と改めて思ったんですよ。リアルの場としての映画館が活きたし、作品を劇場に預ける側として、これくらいの接近戦で寄り添って映画をお客さんに届けていくべきだなって。こういう時代だからこそ、なおのこと、そう思うんですよね。もちろん、映画界には、ぼくにも計り知れない様々なしきたりがあると思うんですけど、ぼくはやっぱりお客さんや映画館に手渡しで作品を届けていきたい。

あと、近年の映画を観ていると、明らかにアーカイブとして残すために作られた作品があります。後に配信などで観てもらう前提のカット割りやカメラアングルもそうですが、何より作り手のモチベーションや熱量が画に出ています。そういう現実が、映画館という場所が持つロマンのようなものをどんどん押しつぶしている、という動きを感じます。自分が作るものも、その動きに多少は影響を受けているとは思いますが、ぼくは映画館という場所のロマンに、すべてベットしようと思っています。宣伝活動に関しても、初週の結果が決める興行の寿命ではあると思うから、もちろん初日に向けての活動は大事だとは思うんです。でも、ぼくはそもそも寿命がないものを、つまりアーカイブを残すために、映画を作ったわけでは毛頭ありません。そういう意味で、後パブ(公開後の広報活動)こそ重要だと思います。大友啓史監督が『レジェンド&バタフライ』のニューヨークでの上映に立ち会っている背中や、(映画監督の)佐々部(清)さんが作品に向けてやってきたことを見ていると、公開後も作品を後押しする活動をしていきたいなって思いますし、作り手のモチベーションって、こうやって中井さんが感じてくれたように、伝わる人にはちゃんと伝わる気がするので、ここからが勝負だなと思ってます。

中井:本当にそうですね。ぼくらはやっぱり映画館育ちだし、大好きじゃないですか。ぼくも齊藤さんに誘ってもらって(俳優の渡辺真起子さん、井浦新さん、斎藤工さんたちが主体となって全国のミニシアターを支援する活動の)「ミニシアターパーク」を少し手伝わせてもらいましたし、映画館は残さなきゃいけないし、残していきたいと思っている。その一方で、時代の流れとしては、映画が今までの映画ではなくなりつつある状況を根本的に止めることは難しいんだろうな、とも思う。ただ、だからといって、トム・クルーズが『トップガン マーヴェリック』の劇中のセリフで言っていたみたいに、いつか終わるとしても「Not Today」だというのは、心に刻まないといけない。

齊藤さんが、俳優と監督の両方をやっていることを活用して、沖縄でチラシの手配りまでしてお客さんを集めたこともそうですし、(この取材日に行われていた)今日の六本木の登壇イベントだって、満席だったじゃないですか。「俳優の斎藤工」という、人から認知されお客さんを呼べる力を使って、映画の鮮度を保ちながらお客さんに届けることはすごく良いなと思ったし、あるべき姿だと思いました。

公開初日が終わったら宣伝的には一旦ひと区切り、という感覚も、宣伝活動に携わる人からすると当然だとは思うんですけど、ただ、それってすごく俯瞰した目線だとも思います。この映画の作り手たちにとっては、多くの映画の中の1本ではなく唯一のものだし、映画館にはこの映画が届くのを待ってる人たちもいる。映画館には一期一会があって、そこには人がいる。ぼくらもそこに足を運んで誰かと喋る状況もある。そういう直接的な熱の交換みたいなものが、映画館がなくならないためのアクションとしてすごく重要なんだろうなと思いましたし、そういう地道な活動を続ける齊藤さんから教わることが本当に多いなと思いました。

齊藤:桜坂劇場の待合室で舞台挨拶を待っているとき、隣のスクリーンで『RRR』の上映をやっていたんですが、エンディングの曲が流れてきて、これがテンション上がるんですよね。この後の『スイート・マイホーム』の舞台挨拶を待っているのだけど、映画館という場に生まれる映画の魔法みたいなものに気持ちが昂る自分がいて。ここで上映してもらっている映画って、幸せだなって思いました。だからこそ、映画館に作品を受け止めてくれる人がいないと、こんなに切ないことはないんです。時代がどんどんスムースになっていくんですけど、映画はアナログの芸術だということを映画館に行くたびに教えられる感じがするので、変わりゆく時代を跨いでいる人間としては、映画館のロマンを信じたい、というのは、これからも思い続けます。

沖縄の隙間時間に自作のチラシの手配りをするという極めて地道な宣伝活動を、誰に言われるまでもなくひとりで行う齊藤工監督。その根底には、この瞬間にも失われゆく映画館で自分の映画を観てほしいという、映画館育ちとしての矜持と憧憬が同居する。映画を作るまでが監督の仕事ではなく、観客に届くまで、そして映画館に溢れる人を見つめるまで。そこに、作り手としての自分の責任とロマンを求め、一見すると地味で型破りな行動を続ける彼の愚直な想いを、心から応援していたい。

 

取材・文:中井圭
写真:服部芽生