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【連載 好きなことを、好きな場所で】岐阜県飛騨市の森から、自然環境を変えていく

自分の好きなことを、好きな場所で仕事にしたいと思っても、なかなか一歩を踏み出すことが難しいと思う人もいるだろう。もちろん、職種や働き方によってはどうしてもできないときもある。しかし、もしかしたら自分がその方法を知らないだけかもしれない。働き方が多様化するいま、好きなことを好きな場所で仕事にするという選択肢は増えているはずだ。あしたメディアでは、様々な土地で好きなことを仕事にしている方々に、どのような思いや方法でそれを叶えたかを聞いてみることにした。

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第3回となる今回は、森林が豊かな山間部に位置する岐阜県飛騨市で働く松山由樹さん。大学卒業後、ゴムやプラスチックなど科学素材を研究する仕事に就いたが、自然の環境にとってプラスになる仕事に就きたいと転職を決意。埼玉県から岐阜県飛騨市に移住し、“株式会社飛騨の森でクマは踊る”に就職する。ユニークな名前の会社で、彼女は環境のためにどのような仕事をしているのだろうか。

松山由樹さん(撮影:表萌々花)

最初の興味は、フィールドワーク

京都生まれで、大学卒業まで京都に住んでいた松山さん。学生時代は“土”の研究をしていたが、そのきっかけはひょんなことからだった。

「土壌研究ができるゼミに入ったきっかけは、フィールドワークが好きだからという理由でした。大学時代は積極的に外国語を学んだり、海外の学生とも交流したりしていました。研究で海外や様々な土地に行くことができると聞いて、その研究に惹かれたんです。フィールドワークを通して自然について研究しているうちに、さらに自然環境で起こる出来事のひとつひとつが面白いなと思って惹かれていきました。自然界の土は、変わらないように見えても少しずつ変化しているんです。目に見える変化ではなくても、植物の養分になっていたり水を蓄えたりと色んな働きをしていることが面白くて」

実際のフィールドワークを通してどんどん自然の魅力に気づいていった松山さん。プライベートでも、山登りなど自然と触れ合えるアクティビティを趣味で行うようになっていた。

フィールドワーク中の松山さん

「主な研究は、東日本大震災で起こった福島原発事故による土壌への影響でした。原発事故によって大気中に放出された放射性セシウムが、土の中でどのような動きをするのかを調べて、野菜などに間違って養分として吸収されてしまう可能性などを調べました。基礎研究だったので、自然に大きな変化を与えているという感じではありませんでしたが、一層自然環境について考えるきっかけとなりました」

いまの仕事にも繋がる、環境に対する考えが大学時代に芽生えた松山さん。ただ、自分の研究内容としては環境へ良い影響を直接与えている実感がないもどかしさもあったという。また、いざ仕事で活かそうにも、就職先の少なさが課題にあった。

「卒業を控えた頃、土の研究を活かせる就職先がないという問題にぶち当たりました。大学で研究を続けるという選択肢もありましたが、それほどのスキルはないと自覚していたので、自分がやっていた基礎研究の部分を活かせる仕事を探しました」

そこで一般企業の研究職として、ゴムやプラスチックなどのマテリアルを対象に物性を調べる職についた松山さん。自然物質から一転、産業科学において作られる物質に触れる日々だった。

「その頃、海洋プラスチック問題が世の中で話題になっていました。自分のやっていることは、ゴムメーカーや自動車メーカーなどのクライアントから提供された素材が、世の中に出るための基準を満たしているかを調べる仕事でした。素材の品質評価を得意にしていた会社でしたが、環境問題に対して自分のできることを考えたときに、いまの自分だと問題を明らかにすることくらいしかできませんでした。もっと社会に影響を与える仕事がしたいと転職を決意し、漠然と環境改善に携わる仕事を探し始めました」

登山などで休みの日は自然と触れ合っていた

悩みながら導かれたいまの仕事

決意したらすぐに行動に移す松山さん。会社に辞める意思を伝え、転職活動をはじめた。しかしすぐにいまの会社に入ったわけではない。

「転職先として決めたのは、青年海外協力隊でした。アフリカに派遣されることになったのですが、コロナ禍に差し掛かったタイミングで渡航が一時中止になってしまいました。そのとき、どこか安心した自分がいたんです。明確な答えが出ないまま就職先を探していたので、渡航することに迷いがあったのかなといまは思います。待てば渡航できるチャンスはあったのですが、私としては早く状況を変えたくて。正直、しっくり来ていなかった自分もいたので青年海外協力隊の仕事は辞退し、次はもっと明確に自然を題材にした仕事がしたいと思い、林業に特化した仕事を探し始めました。そこで出会ったのがいまの会社、株式会社飛騨の森でクマは踊る、でした」

岐阜県にあるその会社は、実家のある京都府からも、働いていた埼玉県からも離れていたが、何回かその土地を訪れ、働くためのギャップを埋めていった。

「採用段階で何度か飛騨市を訪れるうちに飛騨の街に惹かれていきました。飛騨市に住んでいる人は、凄く思いが熱いんです。森林業が盛んで、木を切る人、作る人、それぞれに自分たちが木をどう活かせるかを考えて前向きに努力してる印象でした。幅広い年代の人がいて、それぞれの世代の方が活躍している気がします」

飛騨市は岐阜県の最北部に位置し、東には北アルプスと呼ばれる飛騨山脈が連なる自然豊かな街。埼玉県にいる頃から休日は車を走らせ登山に出かけていた松山さんにとって、山に囲まれた飛騨市は親しみやすい場所でもあった。

飛騨市の景色

「飛騨の森でクマは踊る、通称"ヒダクマ"は人口が22000人ほどの飛騨市に拠点を構えています。飛騨市は家具産業が盛んで、飛騨の匠という言葉が奈良時代からあるほど、大工さんの歴史がある街なんです。なんと土地の93.5%が森林で、そのうち7割がミズナラやブナなどの広葉樹。でも、飛騨の広葉樹は曲がっているなど安定供給に向かないためにほとんど使われず、地域にある家具メーカーさんは木材を輸入していました。地域資源を活かせていないことが飛騨市の課題でした。でも飛騨市には木を切る人もいるし、製材して板にする人もいるし、加工して家具にできる人もいる。その人達をきちんと繋げて飛騨の森林資源を活かそうとしたのが、会社ができたきっかけと聞きました」

飛騨市で伐採した広葉樹

木の形をそのまま活用して作られた家具(写真提供:株式会社船場)

その会社は松山さんの求めていた、林業で自然環境に寄与する会社、という条件としっかり合致していた。松山さんが持っていた自然を愛する姿勢と変化を恐れない性格にもマッチした。こうして、松山さんは新しい経歴を歩み始めた。

「飛騨の森でクマは踊る」のお仕事

その会社名は一度聞いたら耳に残る不思議な響きがある。通称“ヒダクマ”と呼ばれるその会社の活動について、具体的にどんなことをしているのか松山さんに教えてもらった。

「ヒダクマは、2015年に飛騨市と、森林資源の持続的な活用を支援する会社・株式会社トビムシと、クリエイティブカンパニーの株式会社ロフトワークの三社が合同で作った、広葉樹のまちづくりをテーマにした会社です。それぞれの会社が持つ知見や技術を活かし、飛騨市の広葉樹の森を育て、その資源を様々なアイデアで形にすることが目的です。

会社名については、色んな方々と関わっていく会社なので、漢字だけの堅いイメージや、横文字の取っつきにくいイメージにならないものを意識したそうです。結果『飛騨の森でクマは踊る』という、平仮名とカタカナ、漢字が混ざった小説のタイトルのような名前になりました。飛騨の森や自然を愛する地元の方々とも、この名前と活動を通じて良い関係を築けているのではないかと感じます」

飛騨の森とクマが描かれているロゴマーク

熊は飛騨市にとっても身近な動物だそうだ。地元の方々も初めは新しい会社に抵抗があったかもしれないが、現在は親しみを持って受け入れられていると思います、と松山さん。晴れて転職先を決めることができた松山さんだが、ヒダクマには当然これまでの経歴に合致する職種はなかった。

「300人ほどいた前職の会社から数十人のベンチャー企業に転職することに戸惑いもありましたが、自分で仕事を見つけていこうという社風のもと、様々な仕事を経験させてもらいました。入社してから、ヒダクマを構成する3つのチームを全て経験しました。

その3つのチーム名には全て“森”というワードが入っています。それぞれ、森へ(to the forest)チーム、森で(in the forest)チーム、森を(by the forest)チームと呼んでいます。メディアによる情報発信やワークショップの開催などを通して飛騨の森へ人々を呼び込む"森へ"チーム、飛騨市を訪れた人たちが楽しめる施設などを運営する"森で"チーム、広葉樹などの飛騨市の森林資源を活かしてかたちにする"森を"チームが、それぞれに連携して飛騨の森林資源の活用を推進する取り組みに繋げています」

「すべてのチームを経て、私はいま"森へ"チームに所属しています。メディア発信はもちろん、ワークショップなどのイベントを通して飛騨の魅力を伝えています。

広葉樹の活用を目的にしつつ、もっと広い目線で自然について皆に興味を持ってもらえるような場づくりをしています。とくにワークショップを積極的に実施していて、例えば"熊の目線で森へ入ること"をテーマに実際に熊が食べる植物などを見ながら熊との共生を考えるワークショップや、『野糞こそ人間が自然に与えられる栄養だ!』と唱えている糞土師という方と森を歩くワークショップなど、様々な視点からアプローチをしています」

会社名だけでなく、細部にわたる呼称までもユニークで、分かりやすさを心がけているヒダクマ。ワークショップも、一風変わった切り口で思わず参加してみたくなるものばかりだ。全く経歴と違う仕事に飛び込んだという松山さんだが、学生時代からフィールドワークを通じて自然へ飛び込み、深く観察する活動をしていた経験が活きているようだ。

「ヒダクマは大量生産・大量消費といういまの森林産業の構造を見直し、地元の自然や培ってきた技術を繋いでより健全に経済を回していくことが目的なんです」と話す松山さん。飛騨の森林活用について地道に伝えるという仕事を通じて、環境に良い影響を与えているようだ。

好きな仕事に就くことができたという印象を受けたが、実際の飛騨の暮らしは、フィットしているのだろうか。

「友人と畑を始めて、仕事の前に畑の様子を見たり、仕事終わりに焚き火をしたりしています。これまで住んでいた京都府や埼玉県ではできていなかったことが当たり前になっていますね。季節もダイレクトに感じられています。冬の間は全然晴れないし気持ちが落ち込むんですが、雪解けしたとき、ぱぁっと明るくなっていく景色に感動しました。

春は山菜を採りに出かけたり、夏は川に入ったり、季節の移ろいと共に生活しているなと日々体感します。不便があるとすれば、映画館がないことくらいですかね。映画を見たいときは1時間かけて富山県に出ています」

ヒダクマメンバーと植物採集に出かける様子

埼玉県にいたときも毎週のように山に出かけていた松山さんにとって、日常のなかで自然に触れる機会が多いことは、より自分の理想にあった暮らしのようだ。ヒダクマには、東京と岐阜の2拠点生活をして働いている人もいるそうだが、松山さんは、飛騨市に住んでいても色んな交流ができると話す。

「外国の大学生が学びに来たり、東京の大企業の人たちが視察に来たり、様々な人が飛騨市を訪れます。“森へ”チームの仕事は誘致したい人や企業を呼び込むことでもあるので、その交流を通じて飛騨市にいながら情報収集できています。環境への取り組みをしたいけどどうすればいいかわからないという企業が、飛騨市のチャレンジから学んでいかれることもあります」

飛騨でも山登りを続けている

学生時代から海外にも興味を持っていた松山さん。今度は飛騨市というローカルな場所から世界へ向けて、積極的に発信と交流を続けている。

飛騨から自然の大切さを届けていきたい

「ヒダクマができて8年経ち、様々な試行錯誤を経てノウハウも溜まってきました。別の地域から、地元の資源を活用していく方法について相談を受けることもあります。全てに応用が効くわけではありませんが、森はどこにでもあるので、ヒダクマの知識が協力できることはあるのではないかと思います。

また飛騨市で行なっているワークショップについても、1回で終わらせず持続して関心を持ってもらえるための取り組みが必要です。私が畑仕事や飛騨の森に入って自然の移ろいを意識するように、遠く離れた場所に住んでいる人にも自然について継続的に考えてもらえるにはどうしたらいいのかなと日々考えています。森は意識すると意外と身近にあるんです。様々な地域で放置されている森や里山に多くの人が目を向けたら、もっと自然環境も良く変わっていくと思います」

松山さんはいま、飛騨市だけではなく、森や自然に対して多くの人が目を向けてくれるような活動を日々模索している。ずっと持っていた"環境にインパクトを与えたい"という思いは、少しずつだが確実に形になっているようだ。自身の好きな自然に近い場所で、その自然環境が絶えず続いていくための仕事をしている松山さん。好きなことを仕事にすることは、好きなことを守っていくことにも繋がるのかもしれない。

 

取材・文:conomi matsuura
編集:大沼芙実子
写真:株式会社飛騨の森でクマは踊る、松山由樹さん提供