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マライ・メントライン|ドイツ社会の「環境意識」その実感と実質は?【連載 あえてSDGsを懐疑してみるのもまた一興】

前回の記事で私は、SDGsについて以下の観点を提示した。

・SDGsを真面目に考えるなら、そのためのアクションそれぞれにどの程度の実効性があるのか、把握しておきたい

・しかし社会全体の複雑化、情報あふれ化、経済生活システムの分業化が過度に進んだ状況下、たとえば「日本の住民の1/10がマイタンブラー持参な人になった場合、地球の寿命はどれくらい延びるのか?」的な計数的な疑問に答えるのは正直難しい

・ゆえに現状、SDGs的な活動については「論理的・計数的な根拠を抜きに信じざるをえないって、それ宗教ですよね?」的なツッコミに対し有効な返しを放つのが難しい状況で、これが大きな弱点になっていると思われる

そのへん、ドイツではどうなのか。何かしら実体のあることをやっているのか、それともハッタリ上等な感じなのか。

環境「意識高い系」国家として著名なだけのサムシングが、果たしてそこにあるのか?

「カーボン・ニュートラル学校」で体験する、環境施策のリアル

ドイツでは、とにかく環境施策が次々とダイナミックに施行されている。そして、良くも悪くも「ケチで疑り深い」お国柄を反映し、計数的な見積もり感覚は常に欠かせない。

これを象徴するのが「カーボン・ニュートラル学校(Klimaneutrale Schule)という公的プロジェクトだ。ドイツの各種学校への自由参加型のエコ教育支援プログラムであり、採用した学校では授業にて、まず「学校とはそもそも環境にやさしくない『気候キラー』なのだ!」という点から議論をスタートさせる。最初に「原罪」を背負わせておいて「そこから這い上がれ!」と指示を飛ばすのは、さすがキリスト教文化圏の流儀だなと思わずにいられない。

実際何をやるのかといえば、生徒とその親と教師による思考&議論である。

ステップは3段階に分かれる。

1)まず、学校のCO2排出量を計算する
2)「排出量を減らせる対象は何か?」を考える
3)どうにも減らせない対象は「何をバーターとするか?」を考える

「カーボンニュートラル学校」が提唱する3段階のステップ。左から、まず学校におけるCO2排出量を計算し、その上でどのようにCO2を減らすことができるかを検討し(中)、排出が避けられないものについてはどのように補償できるかを検討する(右)という流れを示している。
https://klimaneutrale-schule.de/

1)の最初でCO2排出量の計算をさせ可視化するのは、2)でその削減方策に頭を絞る際のモチベーション向上にもつながる頭のいいやり方だ。効果的なダイエットプログラムに似ていると言えるだろう。また、ある意味最も興味深いのが3)かもしれない。これは要するに排出量取引という「免罪符的」実情を子どもたちに教えることでもあり、ドイツの学校教育のリアリズム感が濃厚に窺(うかが)える。

プログラムのカギは、「具体的な数字を用いた思考」と「実践的な対策検討」

学校におけるCO2排出量の割合。全体のうち、電気が17%、暖房が27%、自家用車やバスなどの輸送が38%(そのうち10%が教師に、28%が生徒によるもの)、修学旅行が14%、給食が4%のCO2を排出していることと分かる。
https://klimaneutrale-schule.de/

このプログラムでの議論は、たとえば以下のように展開する。

初期作業 学校の年間CO2排出量の計算
ネタ出しと検討 校舎の断熱性は十分か?教師たち、生徒たちの登下校手段はどれくらいエコか? 再生可能エネルギーを学校で使えないか? 等
(部活として「気候部」を設置し、そこで集中的に検討を行う学校もある)
結論と対策案の策定 電力会社との交渉内容や、公共交通機関の活用レベル・規模の算出
次段階作業 全国的なワークショップで他の学校メンバーと議論し、自案をブラッシュアップ

また、議論内容の詳細例を挙げると以下のとおり。

  • 例1

【課題】学校には予算の制約があり、ソーラーパネルの設置も、断熱性を高める工事のためのお金もない。
【対策案】学校の周辺住民と一緒に「市民エネルギー協同組合(市民電力)」を組織して太陽光発電システムに投資することで、自力での発電だけでなく電気販売の可能性が生じる
 → その売り上げで、さらに学校のインフラ的な問題解決の可能性も広がる。

  • 例2

【課題】「通学」でのエネルギー消費が、学校のCO2排出総量の38%を占める。
【対策案】車を使いたがる教師や、親に送迎してもらう生徒たちが主因であるため、彼らに年間17ユーロの支払義務を課す。一方、公共交通機関を使用する人たちには年間4.80ユーロの支払義務を課す(公共交通機関を使用する人もタダというわけでないのがポイント)。

  • 例3

課題】CO2を排出しない食事は存在しない。
【対策案1】食にかかるCO2排出の大きな原因として食肉の生育・生産過程が挙げられるので、なるべくベジタリアン・ヴィーガン的な食事を心がける。
【対策案2】どうしても肉を食べたい場合は、その食事の代金について+50セントとする。

  • 例4

【課題】暖房機によるCO2排出量の多さ。
【対策案1】ON状態の暖房機器を減らす。
【対策案2】休憩時間などに一斉換気するようにして、常に「換気モード」を稼働しておくことをやめる。
【対策案3】とくに夕方や夜、使われている部屋以外は装置の電源をOFFにする。
【対策案4】ヒートポンプなどを導入する。

…と、以上、敢えて意地の悪いことを言えば「CO2排出量の算出に使う計算要素について、お前は適切で正しいと断言できるのか?」などいくらでもツッコむことは可能だ。

が、さすがにそこまで行くと陰謀論的な文脈に踏み込まざるを得ず、ツッコミに賛同するのがむしろ少数派になるだろう。(ちなみにこのあたりについては、ちゃんとした研究機関が協力しているので、それなりにまっとうな数値が使用されていると思われる。とはいえ、疑う人は現実自体の端々をも疑うのが現代なので以下略)

「その気にさせる」仕掛けを通じてアイデアが自分事になり、社会的要望へとつながっていく

重要なのは「ある程度の論理的蓋然性を有するモデルを用意して、考えさせ、その気にさせること」であり、その意味でこのプログラムはよくできている。「自分たちが愛着を持つ」学校のCO2排出量は…というトピックは、生徒たちの知的好奇心にかなり深く刺さる。そしてその環境的相殺をゴールとして設定するのは、1つの達成基準としてもなかなか有効だ。

結局このような教育的地盤をベースとして、よく「意識高い系」と揶揄(やゆ)されがちなドイツ社会の市井(しせい)での改善意識は醸成されるのだろう。

ここで大きいのは、アイデア出しの競争意識の広がりみたいなものだ。たとえば「使い捨て食器の天然素材化」にしても、誰かのアイデアを押し付けられる!のではなく「授業で自分が出したアイデアが」「授業で友人が言っていたアイデアが」ついに具体化したのか!という文脈で受け止めやすい。この差は地味ながら大きい。他人事と自分事の違いに直結するからだ。もっとも、「先に考えていたオレ偉い!」的なマウントしぐさも同時にあちこちで目立つことになるので、実感としては、めでたさも中くらいなりというところではあるのだが(笑)。

そんなわけでドイツでは、目立つトピックがらみでいろんなものが「社会的な要望として」法的に変革していきやすいのだ。目立てば勝ちという言い方もできるけど。

たとえば飲料容器のデポジット制度。ほかの国に比べると元々いろいろ極めていた感はあるが、2022年の容器包装廃棄物法の改定で、それまで対象外とされていた果汁・野菜ジュース、ワイン、カクテルなどのアルコール混合飲料の缶・ペットボトル(容量0.1~3.0リットル)もすべてがデポジット対象に変更となった。

ドイツに帰郷すると、もう空気感でそのあたりの激しい変化を味わうことができる。実際、行くたびに、リサイクル系のあれこれのルールなり容器なり回収システムの筐体(きょうたい)なりが、いろいろダイナミックに変化しているのだ。

日本社会における課題は、「やってみたい」という気にさせられる仕掛け

日本の生活感覚に慣れているとこの手の話は、たとえばレジ袋廃止の件にしても「消費者の現実を知らない、意識高い系の人たちが余計なことを言いやがったせいで…」と、民意と無関係な押し付け政策で自分たちは被害を受けているんだ!的な印象とともにある。しかもその施策の実効果の紹介レポートもろくになく(どこかにあるのかもしれないがまったく社会的に知られることもなく)、単発の施策とその嫌われストレスが延々と続いてしまう。

これでは関係者の誰にとっても残念だ。

やるなら「やってみたい」という気にさせなくては。

その点でドイツの手法にはそれなりに参考になる点があるのかもしれないが、いざルールだけを日本に持ってきても、それまた「押し付け暴力」の一種になりかねない。やはり内発的な仕掛けが重要であろう。

という感じで私の思考は続くのであった。

マライ・メントライン
1983年ドイツ北部の港町・キール生まれ。幼い頃より日本に興味を持ち、姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ドイツ・ボン大学では日本学を学び、卒業後の2008年から日本で生活を始める。NHK教育テレビの語学講座番組『テレビでドイツ語』に出演したことをきっかけに、翻訳や通訳などの仕事を始める。2015年末からドイツ公共放送の東京支局プロデューサーを務めるほか、テレビ番組へのコメンテーター出演、著述、番組制作と幅広く仕事を展開しており「職業はドイツ人」を自称する。近著に池上彰さん、増田ユリヤさんとの共著『本音で対論!いまどきの「ドイツ」と「日本」』(PHP研究所)がある。
Twitter:@marei_de_pon

 

寄稿:マライ・メントライン
編集:大沼芙実子