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受賞作品を中心に2023年のカンヌ映画祭を振り返る|矢田部吉彦コラム

『Anatomy of a fall』 Copyright 2023 Les Films Pelléas/Les Films de Pierre

2023年5月にカンヌ映画祭が華やかに開催され、日本映画の受賞のおかげで国内でも大いに報道された。日本映画以外にも注目作は多く、今年はどのような傾向があったのか、あるいは、今回のラインアップから現在の映画の潮流が読めるのか、おさらいしてみたい。やはりコンペの受賞作品から見ていくのが分かりやすい切り口なので、それらを振り返りながら、その他の重要作についても触れてみよう。

カンヌ映画祭 2023

パルムドール受賞作『Anatomy of a Fall』

パルムドール(=最高賞のこと)を受賞したのは、フランスのジュスティーヌ・トゥリエ監督による『Anatomy of a Fall』という作品。タイトルの意味は、「転落の解剖学」という感じだろうか。転落死した男性をめぐり、その転落の原因を「解剖」していく法廷ドラマである。

転落死をしたのは、フレンチアルプスの山間のヴィラで暮らす男性で、彼には成功した小説家である妻と、盲目の幼い息子がいる。その息子が、愛犬と出かけた散歩から戻ると、転落死をした父の遺体を見つけてしまう。事故か、自殺か、他殺か。その疑いは、妻にかけられる。妻は身柄を拘束され、やがて裁判が始まる。果たして、妻が殺したのか。それとも…。

証人の発言によって検察と弁護側の立場が激しく入れ替わり、ひとつの態度がキーとなったり、カミソリのようなひと言が決定打となったり、優れた「法廷もの」の緊迫したドラマ展開を存分に堪能できる。

やがて、妻の人格が焦点のひとつとなり、その性格が掘り下げられる。バイセクシュアルである妻は小説家として名声を得ており、女性との浮気の経験を認めている。しかしそれが殺人の動機に繋がるのかどうか。横柄さと率直さを併せ持ち、正体のなかなか掴みづらい妻の役をサンドラ・フラーが完璧に演じ切った。彼女の演技も確実に見どころのひとつになる。

『Anatomy of a Fall』 Copyright 2023 Les Films Pelléas/Les Films de Pierre

しかし、この作品が最高賞を受賞するに至った最大のポイントは、夫婦間におけるジェンダーの視点を法廷ドラマの中に組み込んだことだろう。

死んだ夫は、自身も作家志望であったが、作品を書き上げることが出来ないでいた。そして息子の世話を始め、家事の比重は夫の方が高かった。成功している妻への劣等感と、家事担当への不満がいかに夫に溜まっていったのか。家父長制が押し付けた「性別の役割」から現代人はいかに自由になれるのか、それとも依然としてその呪縛から逃れられないままなのか。1人の死を中心に映画は問いかけてくる。

法廷サスペンスの形をとった、見事なまでに現代の問題を扱う重要作である。文句なしの、パルムドールである。

グランプリ受賞作『The Zone of Interest』

カンヌのグランプリは「2等賞」を意味するので、カンヌに馴染みの無い人にはなかなかに分かりにくい。もっとも、「1等賞」と誤解されても構わない、というカンヌの意図があるのかもしれない(と、今はじめて思い至った)。ともかく、最高に近い賞であると思ってもらって間違いないはず。

受賞したのは、イギリスのジョナサン・グレイザー監督による『The Zone of Interest』。映画の場面写真を見ると、印象派の絵画に見るような、平和な昼下がりのピクニックの情景である。しかし、本作はホロコーストを語る内容であると知ると、ならば収容所に連行される前の人々の最後の平和な瞬間なのかと思わせる。それも間違いで、この写真は戦争真っ最中の時期を背景としており、映っているのは収容所の所長とその家族のごく普通の1日の場面なのだ。

『The Zone of Interest』 Copyright A24 Copyright Bac Films

アウシュヴィッツ強制収容所所長は、収容所に隣接した土地に家を構え、そこではごく「普通の」裕福なブルジョワの暮らしが営まれている。所長の妻はファッション雑誌をめくりながら友人たちとおしゃべりを楽しみ、家庭菜園にいそしむ。しかし、その広い庭の向こうには高い壁がそびえていて、時おり、壁の向こうから不穏な音が聞こえてくる…。

「地獄の隣は楽園だった」というコピーを付けたくなる。

アウシュヴィッツから壁ひとつ隔てた場所には、まるで戦争など起きていないかのような平凡で平和な暮らしがあったという、まさにハンナ・アーレントの言う「凡庸な悪」が実体を伴って描かれる。このインパクトは本当に強烈だ。映画を見終わると、胃がぐっと重くなったような、泥沼に沈んでいくかのような、得も言われぬ気分に襲われた。

アウシュヴィッツの実態を映画は表現し得ないという「表象不可能性」は、映画を巡る言説の中でも特に重要であり、常に思考を刺激する。非常に限られた視野の中で強制収容所内の圧迫感を描いた『サウルの息子』(2015)が、その革新的な手法で賞賛され、批評家の分析の対象となったのと同様に、収容所内部を全く見せずにその残忍性と異常性をあぶり出す『The Zone of Interest』の演出の画期性は歴史に残るだろう。

そして、この『The Zone of Interest』の収容所所長の妻を演じ、その恐ろしいまでの「凡庸な悪」を体現するのがサンドラ・フラー。いまだかつて、パルムドールとグランプリを受賞した2作いずれも主演した女優がいたであろうか。今年のカンヌはサンドラ・フラーが支配したと言っても過言ではない。

作品が良過ぎたが故に「作品に与える賞」に寄ってしまい、サンドラに個人賞が回ってこなかったのは不運というか悲運としか言いようがないのだけれども、賞を分散させようとする映画祭(と審査員)の意図は理解できるし、ここは辛いけれど致し方ない。とはいえ、『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016)でもカンヌで絶賛されながら賞を逃したサンドラ・フラー。不運であるが、世界的な俳優として君臨する時代が来たことを実感する。

審査員賞『Fallen Leaves』

フィンランドのアキ・カウリスマキ監督のカムバックは、今回のカンヌで最も祝福されたニュースのひとつに違いない。不愛想で暖かい人物像を個性的な色彩で包み、世界的に愛されるカウリスマキ監督は、一時期引退が報じられていたものの、鮮やかな新作を引っ提げてカンヌに戻ってきた。そして、批評家たちによる星取表で注目される業界誌「スクリーンインターナショナル」では、コンペの中で最高平均点を叩き出すほどの賞賛で迎えられたのだった。

『Fallen Leaves』 Copyright Sputnik Oy / Pandora Film, Foto: Malla Hukkanen

スーパーに勤め、単調で孤独な生活を送る女性と、飲酒が過ぎて職場でトラブルを続けて起こしてしまう男性との、すれ違いの恋の物語。携帯電話の普及によって、すれ違いの恋は描くのが難しくなってしまったけれども、そこはさすがカウリスマキ。どこか時代を超越したかのような世界観を構築し、巧みにすれ違いを演出する。苦味に甘さを程よく織り交ぜ、唯一無二の至福の空間が広がっていく。

しかし、カウリスマキならではの、滋味あふれるヒューマンドラマだけが本作の特徴ではない。登場人物たちが部屋で聴くラジオからは、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れてくる。人物たちは、苦渋の表情を浮かべ、ラジオを消す。2022年の本格侵攻後、世界的に有名な監督がその作品の中で明確にロシアを非難したのは、カウリスマキが初めてだろう。ロシアと国境を接するフィンランドは、現状に最も危機感を抱く国のひとつであることは言うまでもない。ソ連時代から、フィンランドの労働者や庶民の立場で人間を描き続けてきたカウリスマキの面目躍如である。

ベスト・ドキュメンタリー賞『Four Daughters』

コンペ部門や、「監督週間」部門などの各部門をまたいで、最優秀ドキュメンタリーに授与されるのが「ゴールデン・アイ」賞で、創設は2015年と、まだ歴史の浅い賞である。とはいえ、何事も遅すぎるということはなく、ドキュメンタリーにきちんと賞が与えられ、注目が集まるのは喜ばしい。

受賞したのは、コンペ部門の『Four Daughters』という作品。監督は、チュニジア出身でフランスを拠点に活動するカウテール・ベン・ハニア。前作『皮膚を売った男』(2020)が日本でも公開された、気鋭の女性の監督だ。

4人姉妹のうち上の2人が失踪した家族に何が起きたのかを紹介するドキュメンタリーなのだが、制作の過程をも作品の中に取り込む演出が面白い。メイキングがそのまま映画に取り込まれているといったらいいだろうか。

家族に起きたことを理解するため、再現ドラマの撮影が試みられる。母親と下の2人の姉妹は本人たちが演じ、失踪した2人の姉妹の役には、容姿が似ている俳優が起用される。そして、母親役にも、万一のために俳優がスタンバイする。母親は、撮影を通じて2人の娘が失踪した事実を生き直さねばならないのであり、耐えられなくなった時のために俳優が控え、ダブルキャストで臨んでいるのである。

『Four Daughters』 Copyright Tanit Films

2人の姉妹は何故失踪したのか。多感な思春期を経た彼女たちに、何が影響したのか。突如目覚めたかのように、あるいは反抗期の反動的な姿勢であるかのように、年長の娘たちはイスラム教の教義に従ってヴェールを深く被るようになる。そこには、世界を揺るがせた中東の戦争が関係しているだけでなく、母親の抑圧も影響したかもしれない。もちろん、母親はそれを認めようとはしないが、監督は人物たちに寄り添いながらも客観的な距離を保ち、一家を襲った悲劇を綴っていく。

再現ドラマを取り入れるドキュメンタリーのスタイルは珍しいものではないけれども、本人たちと役者たちが絡み、世界情勢に翻弄される家族の物語という大きなスケールを備え、並の作品とは一線を画している。イスラム文化における女性の抑圧の状況も含み、現在最も重要な「女性映画」の1本として世界を周る作品になるはずだ。

「ある視点」部門作品賞『How To Have Sex』

コンペ部門に次ぐ「第2コンペ」的位置付けの「ある視点」部門は、2年ほど前から方針を微修正し、若手の作品をより多く取り上げている印象がある。カンヌには他に長編2本目までの新人監督に出品資格がある「批評家週間」部門があるが、いまや映画祭全体で積極的に若手監督作品を応援しようという流れを感じる。そして「ある視点」部門で作品賞を受賞したのが、イギリスのモリー・マニング・ウォーカー監督による長編1作目『How To Have Sex』という作品だ。

16歳の少女タラが、親友2人と春休みでリゾート地を訪れ、大はしゃぎする姿が描かれる。タラは初めてのセックスを体験するのが目的でもあり(まさにタイトル通りの内容だ)、一種の通過儀礼の物語となっている。

日本の高校生からすると同じ地球上の同世代とは思えないくらい映画の中の欧米のティーンたちは奔放に振る舞うが(本作と同じ春休みを舞台にした『スプリング・ブレイカーズ』という2012年の傑作もある)、本作のイギリス少女たちが繰り広げる連夜の酒盛りパーティーとクラブ遊びも大変なものだ。エネルギーの続く限り、弾け続ける。そして、バカ騒ぎしながらも、我に返った一瞬のむなしさや疑問を映画は鮮やかに拾いながら、核心へと迫っていく。

『How to Have Sex』 Copyright Nikolopoulos Nikos

本作も女性の監督による作品だ。

遊び過ぎた女の子は痛い目に合う、という古典的で父権的な「教訓」はもはや無い。一方で、性被害への警戒はほのめかされる。そして、性被害を扱う近年の優れた作品がその現場を描写しない形で主題を浮き彫りにさせる手法を取るように、本作もあからさまな描写は避ける。激しいクラビングの後、ひとりはぐれたタラには、セックスの機会が訪れる。しかし本当に望んだ形であったかは分からない。出来事の核心は、その後のタラの表情や振る舞いから類推するしかない。

いかに泥酔していようが、ハイになっていようが、その状況を悪用する男性が悪いのであり、酔っている女性に罪がないことは言うまでもない。「自己責任」論はやはりおかしいことを示唆し、監督はメッセージを送って来る。合意上の行為と性被害の間には確実にラインが存在するのだということや、10代の女性のセックスに伴うリスクを(その欲望も肯定した上で)、29歳の監督は主人公に完璧に同化した形で伝えてくる。このリアルな感覚は新しい。本作が「ある視点」部門の作品賞を受賞したことは、大きな意味を持つだろう。

「批評家週間」部門作品賞『Tiger Stripes』

若手監督に特化した「批評家週間」部門の作品賞を受賞したのは、マレーシアの『Tiger Stripes』。アマンダ・ネル・ユー監督による長編1本目である。12歳の少女の体に訪れる奇妙な変化を軸に、女性の肉体とアイデンティティについて寓話の形で考察していく作品である。

『Tiger Stripes』 Copyright JOUR2FÊTE

主人公は無邪気にダンス動画を撮影する元気な少女なのだが、仲間に先駆けて生理を経験したことで、理不尽にも仲間から敬遠されてしまう。そして彼女の体に変化が訪れるが、それは第二次性徴のそれではなく、剛毛が生えたり、生爪が剥がれたり、どうも獣化しているようなのだ。やがて彼女をいじめようとした少女たちが叫び出すという状態が広がり、一種の集団ヒステリー状態となってしまう。学校を襲う呪いを祓おうと、専門家の男性が呼ばれるが…という物語。

学園ものであり、少しホラー風味があり、ユーモラスでもあり、タイプ分けがしにくい実にユニークな個性を誇る作品だ。学校のすぐ近くにある森には怪物が生息する気配も漂い、マレーシアの地方の土着的な神話を土台にしているだろうか。イスラム文化圏であり、少女たちの頭部を完全に包む制服が、窮屈さの象徴にも見えてくる。いくつかの抑圧を抱えながら、少女は虎になるのだ…。

確固たるメッセージを土台に、自由な発想で語られる物語の力が実感できる作品であり、マレーシアから新たな女性の才能が登場したことを歓びたくなる逸品である。

突出した個性を持つ『La chimera』

コンペ部門において、その突出した個性と世界観から、受賞を予想したのが『La chimera』という作品だった。監督は、イタリアの期待の新鋭(と呼ぶにはもはや堂々たるキャリアを築いているが)、アリーチェ・ロルヴァケル。残念ながら受賞はならなかったものの、少なからぬ人がカンヌ最高の作品との賛辞を送っている(カンヌの受賞を絶対視するのは危険なのだ)。

アリーチェの魅力は、フリースタイルなストーリーテリングにある。物語の骨格は、最初はあまりはっきりしていない。やがて徐々に流れが見えてくると思うと、フィクションからドキュメタンタリーのタッチに移行したり、時間や空間が飛んだり、聖書や神話の世界が顔を出したり、幾層もの次元を浮遊するように自由に映画が進行していく。スタイルが確立された監督たちが並ぶコンペの中で、最も個性的で野心的な映画作りをしているのが、現在のアリーチェ・ロルヴァケルであると言っても過言ではないはずだ。

男が列車で故郷の村に向かっている。どうやら刑期を終えて出所したという状況らしい。男は当初はひとりで過ごすものの、少しずつ過去の仲間と行動をともにしていく。仲間たちは、地中に埋もれた古代の墓を掘り出し、埋葬品を密売する墓泥棒集団だった。そして青年は、墓の存在を探し当てる才能の持ち主なのだった…。

こうやって書いてみると、普通に面白そうな物語に思えるのだけれど、必ずしもストーリーを追いかけることが作品の主眼ではない。主人公を取り巻く状況を捉える見事なショットの連続が、物語をいつの間にか構築していく。墓を掘る行為は、過去と時間を結ぶことに繋がり、やがて主人公の意識にも影響を及ぼしていく。その目に見えない部分を、アリーチェは繊細に掬い取る。

『La chimera』 Copyright 2023 - tempesta srl - ad vitam production - amka films productions - arte france cinema

おそらく1度見ただけでは理解しきれないレイヤーを持ちつつ、初見にしてその瑞々しさとユニークさで見る者をすぐに虜にしてしまう。そして映画が「若い」。それは未熟という意味ではなく、(前作の『幸福なラザロ』(2018)に続き)社会の枠外で自由に暮らす若い集団が時を動かす映画を作る。アリーチェは、イタリア映画界だけでなく、欧州映画界のトップランナーになりつつある。

「女性映画」の新たな秀作『Rosalie』

最後にもう1作品、「ある視点」部門に出品されて好評を博した『Rosalie』についても触れてみたい。監督は、フランスのステファニー・ディ・ジュスト。

19世紀に起きた実話であるらしく、多毛症で生まれた女性の物語である。主人公のロザリーは、生えてしまう顔の髭や体毛を丁寧に剃り、客の来ないカフェをひとりで経営する退役軍人と結婚する。普仏戦争が終わった直後であり、男も背中に深い傷を負っており、妻を必要としていた。しかし、初夜に妻の胸毛を見た夫は驚愕し、そして激怒し、ロザリーと距離を置いてしまう。しかしロザリーはやがて開き直り、体毛を剃らず「髭女」として夫が経営するカフェの宣伝塔となり、村人の尊敬を勝ち取っていく。しかし、一方でそんな彼女を快く思わない者も存在する…、という物語。

『Rosalie』 Copyright 2023 TRESOR FILMS - GAUMONT - LDRPII - AR TÉMIS PRODUCTIONS

19世紀の村を再現する美術や撮影が美しいことに加え、役者陣の名演も冴え、娯楽性を備えたアート系作品として日本のミニシアターにぴったりの作品だ。そして作品のメッセージはとても明確に現代的である。保護してくれた父から独立し、夫の無視を克服して「ありのままの姿」で生きることを選択したロザリーの勇気に寄せられる賞賛と、そのバックラッシュを描くことは、そのまま現代のフェミニズムやLGBTQ+を主題に持つ映画に結び付いていくだろう。

おわりに

本稿を書き始めたときには、カンヌの傾向や総括がどこに向かっていくのかまだ分からずにいたのだけれども、受賞作を中心に見ていくと、やはり今年も女性の監督や「女性映画」の存在感が際立っているという結論に行きつく。

もちろん、カンヌにはたくさんトピックがある。

オープニング作品が監督や出演者のハラスメント問題で揺れたり、同じくハラスメントの告発があった作品のコンペ部門入りを巡って悶着があったり、はたまた映画祭ディレクターが警官に暴言を吐く動画が流出したりなど、映画関係者の態度やモラルを巡る話題は豊富であった。一方で、華やかなハリウッドスターが来場し、例年通りゴージャスな盛り上がりを見せたことや、あるいは映画祭前半が雨続きだったり、なかなか取れないチケットシステムに不満の声が上がったりするなど、大小さまざまなネタには事欠かない。名匠監督のカムバックや、アジア映画の存在感や、それこそ日本映画の受賞についても、書きたいことはたくさんある。

それでも、やはり2023年で最も注目されたのは、パルムドールとグランプリの2作に主演したサンドラ・フラーであり、多くの女性の監督たちの活躍だ。

ベネチア(例年8月)、ベルリン(同2月)、カンヌという3つのメジャー映画祭の最高賞受賞者を見ていくと、2020年8月のベネチアから今回の2023年5月カンヌまでの9回の映画祭のうち、女性の監督による最高賞受賞は6回を数える。#MeToo以前には全く想像もできなかった回数であり、いかに世界の映画祭が意識を変えているかがうかがえる。女性の監督の作品を重視する映画祭の「傾向」について、そろそろ言及するのは(またかと言われそうなので)止めようかと思いつつ、やはりこの勢いが一時的なものでなく普通のことになるまでは触れ続けたいとも思う。

2023年のカンヌが、「コンペティション」と「ある視点」の2部門において女性の監督が作品賞を受賞し、ベスト・ドキュメンタリー賞も、そして「批評家週間」部門賞も女性監督作であったということは、やはり強調されてしかるべきなのだ。

カンヌ映画祭 2023 ー 午前7時半

田嶋島陽子著「新版 ヒロインはなぜ殺されるのか」(KADOKAWA)というフェミニズムの視点で映画を読み解く名著が2023年に復刊されたことに合わせたかのように、カンヌのパルムドール作品『Anatomy of a Fall』では、死ぬのは自立を試みた男性であった。果たして時代は変わっているのか。

本稿で紹介した作品のほとんどが、おそらく2024年の前半までには日本で公開されるはず。時代の動きが最も大きな形で反映されるカンヌ映画祭から届く作品に、注目してもらいたい。

 

矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)
仏・パリ生まれ。2001年より映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わる。東京国際映画祭に19年間在籍し、「日本映画・ある視点」、「日本映画スプラッシュ」、「ワールドフォーカス」、および「コンペティション」部門などのプログラミング・ディレクターを務めた。2022年3月にはウクライナ映画人支援上映会を企画するなど、現在はフリーランスとして活動中。

 

寄稿:矢田部吉彦
編集:おのれい