京都を本拠地として活動する人気劇団「ヨーロッパ企画」。これまで「サマータイムマシン・ブルース」(2001)や「九十九龍城」(2021)などの本公演が高い評価を受けている。その「ヨーロッパ企画」の代表でもあり中心的存在が、上田誠。すべての本公演の脚本・演出を担当し、最近では映画の原案や脚本など、活動範囲を拡大している。そんな彼の創作のルーツは何なのか。京都にこだわる理由とは。
「あしたメディア」では、演劇から映画へと広げていく上田誠の仕事との向き合い方から、原案と脚本を担当した最新映画『リバー、流れないでよ』(6/23公開)まで、映画解説者の中井圭が、彼のクリエイティブの秘訣を掘り下げるロングインタビューを敢行した。
演劇は、他者とチームで作るから面白い
上田さんと言えば、やはり演劇の印象が強いですが、そもそも演劇との接点について教えてください。
中学や高校ぐらいの頃から、何かを創作するのは好きでした。個人的にゲームや音楽を作っているうちに、周囲からも「あいつは作るやつだ」っていうイメージになっていましたね。そして、高校2年生の時に文化委員の友だちに「クラス劇の脚本と演出をやってくれないか」と言われて、「じゃあ、やってみよう」と思ったのが演劇との出会いです。それから、関西の劇団をちょこちょこ見るようになりました。
そして、やってみた演劇の評価がすごく良かった、ということですよね。
元々「何かを作る人」には、なりたかったんです。ただ、まさか劇を作ることになるとは思ってなかった。中学生や高校生だったら、その年代が特に好きなカルチャーってありますよね。たとえば、音楽とか。だから、「演劇か〜」って、最初は思いました(笑)。でも、実際に自分で脚本を書いてみたら、結構上手く書けたんですよ。そして、ありがたいことにお客さんの評価も良かった。「あれ?ちょっと思ってた人生設計と違うな」とは思いましたけど(笑)、やっていると楽しいんですよ。ぼくは、パソコンでのゲーム作りとかずっと1人遊びをやっていたのですが、演劇は人と作る。チームで作るのが面白くて、どんどん演劇にハマっていきました。
高校を卒業した後、同志社大学でも演劇を続けましたね。
逆に、演劇で大学を選びました。高校2年から3年の頃、関西の学生劇団を色々と見に行きました。京大、立命館大学、同志社大学とか面白くて。そして、気になった演劇サークルに入るために、同志社大学に入学しました。ただ、その後、勉強は全然しませんでした。結局、大学も卒業していません。ぼくは工学部だったので、研究室に入ってガッツリ研究をやらないといけない。でも、大学1回生から「ヨーロッパ企画」を始めて、めちゃめちゃ忙しくなってしまいました。
本当は、大学を卒業するイメージでいました。というのも、劇団は楽しかったんですけど、演劇を仕事にできるかはよくわかってなかった。だから、まずは大学を卒業して、よきところで構成作家になって東京に行くのかな、と勝手なイメージを持っていました。だけど、劇団のメンバーもやる気になってくれて、なし崩しで今の状態になっています。
当時、上田さん自身も不安感があったと思うのですが、上田さんのご両親からは「就職した方がいいよ」といったアドバイスはあったのでしょうか。
両親は「自分がなりたいものになったらいいよ」という感じでした。ぼくの演劇も見にも来てくれたし、劇団にお客さんも増えてきていたのも知っていましたから。きっと演劇の道を進むと分かっていたと思います。だけど、「劇団を率いる」というのは、また別です。劇団員にも、それぞれの人生があります。彼らを率いて演劇を続けるなんてと両親は思ったみたいで、止められました。ただ、ぼくの両親がやめろと言ったところで、劇団全体を止めることはできません。だから、ぼく自身は、両親の顔を立てる意味でも、経済的に回る状況で演劇を作っていく必要があると思いました。
無邪気に好きな演劇をやっておけばいい、という気持ちではなかった、と。
はい。「ヨーロッパ企画」は、実家のお菓子工場の空きスペースを間借りしてやっていたので、役者志望の若い人たちがふらふら出入りしているだけの状況だと、あまり印象が良くないかも、と思っていました。また、ぼく自身、実家の経営を肌で感じることもあって、工員をまとめながらお菓子を作っていく「工場」という感覚がルーツにあるかもしれないです。
これから生まれる文化が本物だったら残ることができる場所、京都で
ロケーションの話をしたいのですが、上田さんは今も京都にお住まいで、「ヨーロッパ企画」も本拠地が京都です。メディアの中心地はまだ東京だと思うのですが、それでも京都にこだわる理由を教えてください。
確かに「東京に行かなきゃいけないのかな」と考えていた時期もありました。でも、高校生の頃に「維新派」という野外劇をやる劇団を観たのは、影響が大きかったです。そもそもどういう仕組みで劇団が成り立ってるのかわからないほど壮大で。劇団で年に1回集まって、あとはもう「それぞれで生きて」みたいな雰囲気でした。その時に、こういう面白いものが東京じゃない場所から生まれるのか、と思いました。他にも、面白いと思う劇団が地方から生まれたり、お笑いも関西からどんどん生まれています。
東京は、マーケットはもちろん、物事のハブになる場所です。ただ、ターミナル駅は便利でも自分が住む場所は違うように、京都で演劇を作った方が自分なりの匂いが出るかもしれないという直感がありました。京都には実家の工場があったり、学校を改装した施設をアーティストに貸してくれたり、大学から次々新しい人たちが出てくるとか、やっぱり楽しいんですよ。それに、東京も結構近くて、2時間くらいで行けます。
あとは、小藪さん(小藪千豊)の影響もありました。25歳ぐらいのときに、小薮さんと一緒にコントライブをやったんです。ちょうど小藪さんが吉本新喜劇の座長になるかならないかの頃でした。小藪さんに「どうされるんですか?」って聞いたら、「東京にも仕事しに行くし、関西に戻ってきて新喜劇も出ようと思ってます」と返ってきました。ぼくは、東京か京都かのどちらかを選ばなければいけないと思っていたけど、どっちも選ばず両方で活動する方法があると気づきました。交通費の問題さえ解消できれば大丈夫です。そのことに気づいてからは、京都ではなく、両方を選びました。
京都の土地的な特性は、どういうところにあると考えていますか。
歴史のある街ですが、大学がたくさんあるから、新しい文化がどんどん出てくるのも面白いです。街自体が新しかったり、埋立地にできたニュータウンみたいな場所だったら、歴史がないぶん新しいものをどんどん作っていこうというマインドになると思うんです。でも、京都は歴史のある街だからこそ、いま残っているものは淘汰を生き抜いたもので、これから生まれる文化が本物だったら残ることができる場所、という感覚があります。
また、京都は、時間感覚がモザイク的に混在しているイメージがあります。たとえば、ぼくの家の近所には二条城がありますが、数百年前の佇まいのものが日常の風景の中にあって、過去と現在が同居している感覚です。時間が入り乱れてる京都が面白いし、その中で、任天堂さんみたいに、未来的なものが生まれるタイムスケールが面白い街だと思います。
機械を組んだり、からくりを作るように物語を作る
「ヨーロッパ企画」はこれまで、時間をモチーフにした作品を生み出してきました。新作映画の『リバー、流れないでよ』も、京都の貴船で2分間を繰り返す、時間SFです。個人的に、上田さんはなぜ時間を扱う作品を次々と作るのか、疑問に思っていました。その理由は、京都における新旧の時間的混在感が反映されているのでしょうか。
そうですね。京都の街中で何か映像を撮ろうとすると、必ず新旧が画面に映り込みます。それは面白いですし、使わない手はないと思います。でも、時間をモチーフにした作品を作るのは、ぼくの趣味かもしれないです。たとえば、ぼくが作っていたゲームの話で言うと、プログラミングはしっかり整合性が取れてないとエラーが起こります。そのきっちりとしたパズル感みたいなことが、すごく好きなんです。元々、物理が得意でしたし、法則みたいなものが好きでした。だから、脚本上に伏線を張って回収するのも、機械を組んだりからくりを作るように物語を作るのが好きなんです。その理屈をいかんなく発揮できる領域が、“時間モノ”というジャンルなのかもしれません。
『リバー、流れないでよ』
舞台は、京都・貴船の老舗料理旅館「ふじや」。仲居のミコトは、別館裏の貴船川のほとりに佇んでいたところを女将に呼ばれ仕事へと戻る。だが2分後、なぜか再び先ほどと同じく貴船川を前にしている。ミコトだけではない。番頭や仲居、料理人、宿泊客たちはみな異変を感じ始めていた。
出演:藤谷理子、永野宗典、角田貴志、酒井善史、諏訪雅、
石田剛太、中川晴樹、土佐和成、鳥越裕貴、早織、
久保史緒里(乃木坂46)(友情出演)、本上まなみ、近藤芳正
原案・脚本:上田誠
監督・編集:山口淳太
配給:トリウッド
友情配給:東宝ライツ事業部
©ヨーロッパ企画/トリウッド 2023
2023年6月23 日(金)より全国順次ロードショー
時間SFで特に好きなものはありますか。
ロバート・A・ハインラインのSF小説「夏への扉」(1957)が、オールタイムベストですね。あと広瀬正さんのSF短編集「タイムマシンのつくり方」(1973)も好きですね。理系的なSFだけでは物足りなくて、そこに情緒が漂っていて欲しいです。それらが溶け合うのが素敵なんです。「夏への扉」も、これは邦題ですけど、タイトルからして匂い立つ感じがあります。「サマータイムマシン・ブルース」は、「夏への扉」が猫をモチーフにしていたので、犬を扱うことにしました。
今回の『リバー、流れないでよ』を観たときにも思いましたが、たとえば、時間SF映画の傑作『恋はデジャ・ブ』(1993)も、結局ループは手段でしかなく、そこに人間的な匂いが存在するかどうかが重要でした。上田さんの作品群も共通していて、仕組みはしっかりしているけど、そこに人間的な匂いが存在し得るかどうかが優先されていると感じます。
そうですね。『恋はデジャ・ブ』もそうですけど、ループものって、世界を何回も重ねることで人生の可能性を探ると同時に、森見登美彦さんもおっしゃっていますが、不可能性を探ることでもあります。この『リバー、流れないでよ』は、2分間を繰り返す中で「自分にとってあり得た未来とはなんだろう」と思いを馳せることができます。タイムトラベル書店の藤岡みなみさんに言われてハッとしたんですが、タイムループは人生を立体視できると。何回目かでたどり着く2分間も、本当は1回目で行こうと思えば行ける、と考えられる。だから、時間SFは、人生をいろんな角度から見る装置かもしれないですね。
あと、タイムリープ(時間跳躍)を描く時にいつも悩むのは、マシンでいくのか、思考の力や心の働きでいくのか。時間モノって、念とか宗教的な力によってタイムリープする場合もあれば、仕掛けを使う場合もあります。どちらでも機能としては変わらないけど、人生観が違うような気がします。ぼくは、常々こういう物語がどうしたら観客に受け入れられるのかを意識しています。ぼくらがSF作品を世に放ったら自然と受け入れられる、とは全然思っていません。だから、時間SFでヒットした『君の名は。』(2016)とか『時をかける少女』(1983)などを考えると、作品のタイトルにマシンという言葉は入れない方がいいのかな、とか考えます。
いや、「サマータイムマシン・ブルース」、思いっきり“マシン”入っているじゃないですか(笑)。
めっちゃ入ってます。「サマータイムマシン・ブルース」、ぼくとしては好きなタイトルですけど、たとえば「昨日のぼくに会いに行く」みたいなタイトルの方が、お客さんに伝わる方かもしれない。お客さんに理解されるかどうかは、いつも怖いですね。先ほど、実家が工場だという話をしましたが、表現者だけの役割であれば自分の好きな表現を突き詰めると思うけど、やっぱりメンバーやスタッフと作品を作り続けられる環境にしなきゃいけない。それには、お客さんから評価と対価をいただかないといけません。どれだけ広げるのか。逆に広げないのかを考えるのは面白いところです。
ジャンルを絞って、我々しかやってない領域で戦う
今回の新作『リバー、流れないでよ』というタイトルと物語は、どういうイメージで作りましたか。
本作の前に作った長編映画『ドロステのはてで僕ら』(2020)が、タイトルも中身も超硬派でした。なので、次はコンセプトを保った上で、もっとデコレーションしても良いな、と考えました。作品としても、ぼく自身が人生に対する思いがあって、それを反映するためにこの物語にしました、みたいに語れると良いのですが、ぼくの考える順番としてそれは最後なんですよね。この映画の場合、主人公のミコトとタクの、限られた時間における悲しくも美しい逃避行が良い感じに描けたとは思っていますが、そもそも恋の逃避行を描こうという前提では物語を作れません。貴船という空間を使って何ができるのか、2分間のループで物語を作ろうと考えた結果、恋の逃避行に辿り着く。その結果、情緒も滲んでシステムとしても面白くなりました。
ロケ地の貴船の話が出ましたが、ぼくも昨年、貴船に行きました。その際に感じたのは、尋常じゃない湿度の高さでした。『リバー、流れないでよ』が、全体的に淡いソフトフォーカスの画作りになっているので、本作の山口淳太監督に理由を聞くと、「貴船の湿気を表現している」とおっしゃっていました。そういう遊び心も、この映画の魅力だなと思います。
山口は映画監督なので、画面演出を考えます。一方、ぼくは脚本家なので、作品の構造を考えて、仕組みを発明します。今回もそういう役割分担があり二人ですり合わせて、最終的には監督として山口が判断しています。ぼく自身は、0から0.8ぐらいを作るのが得意です。だから、ぼくが0.8まで生み出したものを、1や2、ときには10にするのに、色んな人の力を借りた方が上手くいきます。
上田さんの性格的に、物事をやり切ることよりも、立ち上げることがお好きなんでしょうか。
(京都に本社を持つ任天堂の)宮本茂さんと10年ぐらい前にお話したとき、新しく面白いものが作れたときに、それが世界へフィールドを広げてくれることがある、とおっしゃっていました。京都で作ったものが東京へ行き、さらに世界へ、ということがあるけど、そのときに上昇気流から降りて次のものを作ることが大事で、降りることを繰り返している気がする、とおっしゃってたんですね。宮本さんの仕事ぶりを見ているとわかる。最近も、これまでゲームを作られてきたけど、今度はなんと映画を、といった感じで、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(2023)が世界的に成功しています。ぼくもそういう人になりたいな、とすごく思います。
上田さんは映像作品やインターネット生配信など、演劇以外もたくさん取り組まれています。面白そうな匂いのすることをフットワーク軽く立ち上げている印象が繋がりますね。
いろんなジャンルに関わるのが好きで、たまたま劇作家を選んだという感覚があるので。どんどん仕掛けたことが統合されたら、何か新しいものになると思っています。今回の『リバー、流れないでよ』も、きっと映画の文脈だけでは生まれなかったと思うんです。演劇の文脈と重なっているから、新しいものになったと思います。ただ、ものづくりにおいて、ぼくは演劇に育てられたので、最後は演劇に帰結すると良いなという里心はあります。
映画と演劇の重なる部分について、具体的に教えてください。
映画がすごく好きで自身も映画俳優でもある知人と話をしていた時に「映画は、映画のことだけを考えてないと、本当に良い作品を作れないと思います」と、しみじみおっしゃっていました。その感覚、めちゃめちゃわかるんですよ。演劇でも同じです。他業種から演劇をされる方がコンスタントに素晴らしい演劇を作り続けることは、やっぱり難しい。だから、劇団として映画を作ることになったら、1点突破なら何かできるかもしれないと考えました。ジャンルを絞って、我々しかやってない領域を作る。すべての映画の中で素晴らしいものを作ろうなんておこがましいけど、時間モノとか長回しとか群像劇とか、これまで劇団で培ってきた方法と、ずっと活動してきた京都という地の利を使う。映画に持ち込めそうなもので、映画界ではあまり掘り下げられてこなかったことを掘る、という戦略です。劇団の映画ならではのものになってると思います。
2分間という可能性の中で、あらゆることをやっていく
活動してきた京都という点では、今回の舞台がなぜ貴船だったのかも知りたいです。貴船に行ってみて思ったのですが、物理的に市内からは遠い山奥で、湿度の高さがあるので撮影機材にも厳しい環境だと感じました。
秘境ですからね(笑)。でも、京都に住んでいるぼくらが遠かったら、東京の人にとっては物理的にも心理的にもさらに遠いですよね。ミコトを演じた藤谷理子さんが貴船出身なので、藤谷さんの所属する劇団が貴船で映画を撮るという意味で、間違いなくやりやすさはありましたね。あと、貴船の高低差が魅力的でした。たとえば『天空の城ラピュタ』(1986)も、物語が縦移動の中で作られていて、進行がわかりやすいですよね。映像の世界は、横移動より縦移動の方が良いんじゃないかと思っています。
縦移動なら、ヨーロッパ企画第40回公演「九十九龍城」(2021)も高低差を活かしていましたね。
そうですね。でも、演劇の場合は、観客が最初から空間全体を把握できます。だから、ドールハウスを開けた状態のような断面感が有効だと思っています。それに対して映画は、10mほど左に平行移動しても景色は大きく変わらないけど、10mも縦移動したら景色が全然違う。だから、映画で見せるなら縦だなと思いました。『リバー、流れないでよ』でも、キャラクターの位置関係と感情の動きを何となく合わせてますよ。映画の高揚感とミコトの落ち込んだ気持ちを、画面内の高低差とリンクさせています。
『リバー、流れないでよ』で、ループする時間が2分間という設定なのはなぜですか。
前回の『ドロステのはてで僕ら』も2分間のお話だったのですが、その時に2分って良いサイズだなと思いました。今回も2分間という可能性の中で、あらゆることをやっていく映画にしたのですが、これが3分間だと色々できすぎるんですよ。話に制約感がない。ぼくは脚本を書くとき、いつも尺感を気にしていて、できればワンシーン2分ぐらいに収められたら良いなと思っています。これが1分間だと、短すぎます。特に今回の『リバー、流れないでよ』は、2分経ったら元の場所に戻される設定なので、1分だとさすがに画的に同じ景色から抜けにくい。今回は、貴船神社とふじやで撮影させていただいたので、その2箇所を移動する時間を計ったら1分弱でした。だから、あと1分間で何ができるかを考えました。
くるりの「Smile」が『リバー、流れないでよ』の主題歌に使われています。上田さんが同志社にいらっしゃった頃、立命館にはくるりがいましたね。くるりといえば、京都のイメージが非常に強いです。
やっぱり京都だし、いつかご一緒したかったんです。くるりは京都の憧れの先輩ですし、音楽自体もクラシックのようにタイムスケールを長くとった引用元から作られてる感覚が、めっちゃ良いなって思っていました。そして今回、京都の貴船で川の映画にしようって考えた時に、「くるり、「リバー」って曲あるよな」と思いました(笑)。この映画のタイトル、『川、流れないでよ』でも良いんですけど、くるりを意識してリバーにしてますから。すると念願が叶いました。
最後に、今後、上田さんが表現していきたいことはありますか。
根本的に、発明したい気質があるから、新しいものを作りたいですよ。映画もやりたくて。ただ待っていてもなかなか難しいから、自分たちで作ろうと動いて、(配給の)トリウッドさんとの誘い合わせもあって、今回、映画を作ることができました。他にも、色んなジャンルで自分たちが作品を作ったら、そのジャンルの中にはないものが作れるかもしれないと最近思い始めています。映画では、この時間モノを推し進めたいです。TVドラマやお笑い、配信とかいろいろ面白い領域はあるけど、自分たちでもまだバチッと重なるものができていない気がするから、存在感のあるもの作れたらいいなと思っています。
今回の取材は、『リバー、流れないでよ』の配給も担当した、下北沢にある映画館トリウッドで行われた。本拠地である京都からの長距離移動の疲れも見せず、制限時間ギリギリまで軽妙なトークで盛り上げてくれた上田誠さん。彼がインタビュー中に述べていた、京都と東京のどちらかではなく両方を選べば良いというスタンスを証明する、濃密で軽快な取材となった。コロナ禍を経て、通信と交通手段の発達により、東京一極集中だった時代は緩やかに終わりを告げ、活動したい場所が選択可能な時代が到来した。京都から地の利を活かしたユニークなクリエイティブを日本中に発信し続ける上田さんの活動は、これからの時代の生き方における、ひとつのモデルケースだと言えるだろう。
取材・編集・文:中井圭(映画解説者)
撮影:服部芽生