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【連載 好きなことを、好きな場所で】楽しめる余白を大事にする、埼玉県小川町の暮らし

自分の好きなことを、好きな場所で仕事にしたいと思っても、なかなか一歩を踏み出すことが難しいと思う人もいるだろう。もちろん、職種や働き方によってはどうしてもできないときもある。しかし、もしかしたら自分がその方法を知らないだけかもしれない。働き方が多様化するいま、好きなことを好きな場所で仕事にするという選択肢は増えているはずだ。あしたメディアでは、様々な土地で好きなことを仕事にしている方々に、どのような思いや方法でそれを叶えたかを聞いてみることにした。

第1回はこちら

第2回目に話を伺ったのは、現在28歳のフォトグラファー、池田太朗さん。2022年に、フォトグラファーへの転身・新しい家族の誕生・そして東京から約1時間離れた埼玉県小川町への移住という、大きな変化を同時に経験した。取材をする前の時間には、畑仕事をしていたという池田さん。現在の生活を楽しんでいるようにみえる池田さんは、移住前は東京の編集プロダクションに勤めており「まさか小川町で暮らすことになるとは全く考えていなかった」と話す。一体どのようにしていまの暮らしに至ったのだろうか。これまで歩んで来た経歴から、お話を伺った。

池田太朗さん。小川町につくったオフィス〈UNE STUDIO〉での1枚。

はじめての仕事は、「焙煎士」

フォトグラファーになるまでに、様々な仕事を経験してきた池田さん。最初に始めた仕事は、なんと大学生のときに始めたコーヒーの焙煎だという。コーヒーが好きになり、豆を自分で焼いてみたいと思ったのがきっかけだ。

「焙煎をしたいと思ったのは、好きな喫茶店が自家焙煎をしていて、かっこよかったから。モテたいと思ったからです」と笑う池田さん。それでもコーヒーを飲んだり淹れたりするだけでなく、焙煎まで始める人はなかなかいないだろう。

「色んなお店に行って豆を買っては研究して、独学で焙煎を始めました。本屋さんや雑貨屋さんの一角をお借りして活動するうちに、イベントに呼んでいただいたり、豆を卸したりするようになりました」

趣味が高じて焙煎の活動もいよいよ本格的になってきた。

「そのまま卒業後も焙煎士として働くことも考えました。ですが、フリーで活躍している学生焙煎士として持ち上げられることも多く、自惚(うぬぼ)れてしまうのも危険だなと思っていました。コーヒーが好きで焙煎もずっと続けていきたいからこそ、卒業してすぐ仕事にしなくても良いのかなと」

他の仕事も経験してみたいという気持ちがあった池田さん。実際に、焙煎を仕事の中心には置かず、別の仕事を選んだが、池田さんはいまでも〈コーヒー坊や〉という屋号のもと焙煎を続けている。

様々なことに挑戦した20代前半

大学卒業後、興味のあった家具会社に就職した池田さん。しかしこの仕事は、すぐ辞めてしまった。

「新卒で就職した会社は、合わずに辞めてしまいました。次を決めずにしばらくふらふらしていたとき、東京の編集プロダクションで働く友達に『一緒に働かないか』と誘われ、東京に行くことになりました」

興味のあることには、積極的に飛び込んでいく池田さん。きっかけは偶然だったものの、編集プロダクションは関心のある仕事だった。

「編集プロダクションといっても、雑誌の編集だけではなく、動画撮影やイベント、企業のメディア制作など、領域は多岐にわたっていました。会いたい人に会いに行ける、この職種ならではの出会いは刺激的でした。忙しい日々でしたが、プライベートも充実させたくて近くに住む友達と集まってご飯を食べる時間を作ったり、遊びにでかけたりと東京の生活を楽しんでいました」

東京の自宅から見える景色 写真:Chihaya Kaminokawa

仕事にやりがいを感じ、暮らしも充実していた。しかしそんな生活が、あるときから少しずつ変わって行く。

「先輩が立て続けに会社を辞めてしまって人手が足りなくなり、いつの間にか業務内容が増え、何から何まで、自分が引き受けている状況になりました。またコロナ禍では、会社の収入減を改善するため新規事業をイチから立ち上げたりもしました。正直、燃え尽きそうな感じはありました」

池田さんはその頃、付き合っていた人と婚約していた。

「籍を入れる日は会社に休みをとって、役所に婚姻届を出しに行ったんです。でもそこでも仕事の電話が鳴り止まなくて…。婚姻届を出すとき片手にパソコンを持って電話をしながら対応しました。そこで、だんだんいまの自分の仕事スタイルに疑問を持つようになってきたんです。このままずっと忙しいのかな、と思いました」

パートナーと結婚記念に撮った1枚 写真:YUI SAKAI

仕事とプライベートのバランスを取ることが難しくなり、池田さんは会社を辞めることを決意する。次の仕事は決めずに、しばらくは前職の繋がりで誘われたカメラマンのアシスタントをしていた。

その頃、以前からの知り合いで、プランニングやコピーライティングの仕事をしている柳瀬さんと再会する。柳瀬さんは埼玉県小川町と東京都の二拠点生活ののち、小川町に移住しており、のちに池田さんが移住するきっかけとなる人だ。柳瀬さんの仕事について興味津々に聞くうちに、「一緒にやってみる?」と誘われた。そこから柳瀬さんのアシスタントとして働くことになり、企業のコピーを考えたり、コンセプトを作ったりした。

「もっとクリエイティブなスキルをちゃんと身に付けたいと思って、まずコピーライティングの勉強を始めました。でも、仕事をする中でだんだんと写真や映像の方に興味が向いていき、自分のやりたいことは写真だ、と気づきました」

もともと、趣味として写真を撮ることが好きだったという池田さん。アシスタントとして参加していた撮影の現場も楽しいと感じていた。飛び込んだ言葉の世界に魅了されつつも、写真の仕事への熱量が増していった。腹を括って進路を決め、写真や映像でフリーランスになる、と決意した矢先に妻の妊娠が分かった。

「そのとき、僕ら家族は東京にいました。住んでいる家にはエレベーターがなく、小さな子どもがいる生活ではなにかと不便なため引っ越しをしようと思いました。『これから自分たちがしたい暮らしってどんなものだろう?』と考え始め、東京よりも、自分たちに合う場所があるかもしれないと思ったんですよね。そこで、柳瀬さんの住む埼玉県小川町が候補に上がりました」

小川町の景色

柳瀬さんはすでにお子さんを育てており、家族で住むイメージがすぐに湧いたのも移住の後押しになった。

「編集プロダクションにいる頃に、柳瀬さんを訪ねて小川町に行っていたのですが、みんなが庭仕事をしている横でひとりだけパソコンを開いているという、完全に嫌なやつでした…。一緒に行った妻は小川町を気に入って、当時から前向きに移住を提案してくれました。でもそのときの自分は仕事が忙しくて、ここからは通えないと思っていました。仕事ばかりして小川町をゆっくり見る余裕もなかったです。でも、会社を辞めて柳瀬さんの近くで過ごすうちに小川町に通う頻度も増え、だんだんと街の過ごしやすさに気づいていきました。野菜が美味しいし家賃も安いし、友達も増えて、暮らしやすさを考えたときにやっぱり小川町がいいなと思い、移住を決めました」

小川町で知る、余白の楽しみ方

小川町に移住したのち、柳瀬さんをはじめとした数名で「UNE STUDIO(ウネスタジオ)」というクリエイティブスタジオを作り、池田さんはフォトグラファーとして参加した。オフィスの内装は家具などをDIYして、一から自分たちで作った。さらに数名の友人と「UNFARM(アンファーム)」と名付けた畑をシェアしている。仕事の合間に畑で汗を流し、都内から友人が遊びにくる際には、必ず足を運んでもらっているという。

「UNE STUDIO」の仲間たちとの1枚
小川町の友人と一緒に耕す「UNFARM」

「小川町の良さは、余白が常にあること。新しい何かを始められる、という余裕がある気がします。良いお店も増えてきていますが、沢山あるわけではないからこそ、そこで会う人と仲良くなることもあります。最近、小川町にいる友達とバスケをしたいという話になり、体育館を借りるためにバスケチームを作りました。義務感ではなく、“遊び”でやっているからこそ、人が繋がってくれるのかもしれないです」

池田さんの場合は、そこで実際に暮らしている知り合いがいたことが移住の大きなきっかけとなったが、小川町に来てからも友人ができたのだという。

「地元の人たちと交流が増えていくと、『小川町に来てくれてありがとうね』と言ってもらえることもあります。これまで移住した人がいても、みんなが集える場所はあまりなかったようですが、私たちの活動をきっかけに地域に交流が生まれたのかもしれません。でも私は“移住して何かするぞ!”と意気込んで来たわけではないんです。ただ引っ越して来ただけ。自分たちが楽しいと思えることをやっていて、周りに一緒に楽しんでくれる友人に恵まれたのだと思います」

余白があるからこそ、人との繋がりも生まれやすいのかもしれない。池田さんは自分の生活にゆとりができたことで周りの人との交流も増え、東京にいたとき以上に地域で声かけしながら助け合える場づくりができたという。

池田さんが撮影した小川町で暮らす人々

「ゆっくり食べる」ことが産む豊かさ

小川町の暮らしを伺うなかで、池田さんが「うちには家訓があるんです」と教えてくれた。それは「ゆっくり食べる」ということ。

「ゆっくり食べられる時間があるということは、その時間を確保する余裕があるということ。それは仕事のバランスもきちんと取れている状態ですし、友達も一緒に食べに来てくれるかもしれない。そんな時間を大切にしていきたいよね、と家族で話しています。きちんと咀嚼することで、健康にもなりますし。それが理想に近い形で実践できている小川町の暮らしは、いまの自分にちょうど合っていると思うんです」

東京で仕事をする機会のある池田さんは、週3回ほど、約1時間かけて東京まで通っている。はたから見ると長い時間かも知れないが、小川町での暮らしはそれ以上のゆとり時間を与えてくれているようだ。

変わり続けることと、変わらないこと、楽しむこと

20代後半で小川町に来るまでに、焙煎士、家具関係の仕事、編集プロダクション、コピーライター、そしてフォトグラファーと様々な仕事を経験してきた池田さん。これまでやってきたことを変えるには勇気がいるだろう。しかし変わったからといって、これまで歩んできた道がなくなることはない。池田さんは、目の前のことに真摯に取り組みつつも、状況に応じて柔軟に進路の選択をしているように思えた。

「小川町に来るまでは、どんなに大変でも、仕事を断ることができない自分がいました。でも、仕事と暮らしのバランスを大事にしているいまは、自分でしっかりとやりたいことを取捨選択できている気がします。これからずっと小川町にいるとも、この仕事を続けるとも分かりませんが、やりたいことの線引きははっきりできるようになってきたと思います」と話す。

自分が楽しいと思える場所で、好きな仕事を始めた池田さん。歩んで来たこれまでの道が、より素敵な場所へと導いているのだろう。そして何よりも、全てを“楽しむ”という姿勢が通底していた。楽しんでいる人には良い仕事が集まってくる、と聞いたことがあるが、池田さんに話を伺っているとそのことに実感を持てるような気がした。

取材・文:conomi matsuura
編集:大沼芙実子
写真:池田太朗さん提供