よりよい未来の話をしよう

AI時代に「問う力」を育てるためのヒントとは。ドミニク・チェンさんと考えてみた

普段、わたしたちは学業や仕事など多くの場面で、問いに対する答えを出すことを求められている。しかし、近年は「問われたことに対して正確に答える」という点において、生成系AIが人間の能力を凌駕しつつある。言いかえると、人間が付加価値を出してきた創造的な領域の一部が、より高い精度でAIに代替される可能性が出てきたとも言える。AIに成し得ず、人間に成し得ることとは何なのだろうか。

そんなとき、ふと思い出したのが2017年に出版されたドミニク・チェン氏と松岡正剛氏の共著『謎床: 思考が発酵する編集術(以下、『謎床』)』(晶文社)の一節だった。生成系AIが今日のような進歩を遂げる以前の言説だが、情報社会と対峙する上で、人間にはいかなる振る舞いが可能かを鋭く予見している。

「あらゆる情報が即時にインストールできる現代の環境において、いかに本質的な謎、つまり問いを生成できるかということは、人間を人間たらしめる最も重要な要件になると私は考えている」

この言葉を記したのは、情報学者のドミニク・チェンさん。情報学のほかにも哲学、デザイン、アートと幅広い分野を軽やかに飛び越えながら、「発酵」という概念を拡張し、人と人を取り巻く世界との関係性とテクノロジーにまつわる探究を続けている。近年のAIの進歩が私たちの創造性にもたらす変化、そして問う力を養うためのヒントについて、ドミニクさんにお話を伺った。

コンプライアンスに縛られたAIは、面白くない?

2022年12月、「人間のようにすらすらと問いに対する答えを述べられる」生成系AI・ChatGPTが話題となった。ドミニクさんが手がける「人と対話するぬか床ロボット:Nukabot(※1)」にも最近、GPTを使った機能が実装されたようだが、AI技術の進歩について「バージョンを重ねるにつれてGPTの回答がつまらなくなってきたかもしれない」とドミニクさんは語る。

「人工知能研究者の仲間たちと話をしていて、じつはGPT自体が面白くなくなってきているんじゃないかということを聞きました。『面白さ』とは、『何を言ってくるかわからない』というところなんですよね。GPTはバージョンが進むごとに、問いに対する正解を正確に言おうとする。これは、AIがコンプライアンスに縛られ始めているとも言えます。

ChatGPTに『こういう機能をPythonで組みたいから、コードを示して』というと、正確なコードを示してくれて、すごく便利じゃん!と感激したりするのですが、でもそれは本当に面白いのかというと、今までGoogle検索を使って正解を求めていたことを簡単に早くやってくれているだけにすぎない。もちろんそれ自体は凄いことだけれど、その経験によって自分自身のクリエイティビティや着想力が助けられているかというとまだ分からないなと思っています」

そこで、ドミニクさんはChatGPTを使ってとある実験をしてみたのだという。

「この前、ChatGPTに能の謡曲を作ってもらおうと思って試してみました。もともと能のお稽古の一環で新しい曲をつくっていたのですが、プロットが頭にあっても五七七調で謡をつくるのが自分ではまだまだ難しくて、それならChatGPTに書いてもらおう、と考えたんです。でも、全然ダメで書けなかったんですよ。

ぼくの考えた作品は、ある研究者が韓国の山奥に行って、そこに住んでる微生物たちの精霊と出会って話をして終わるというストーリーでした。このテーマをChatGPTに渡したら『生物多様性が今の地球には必要だから、微生物と人間が交流することに意味がある』みたいな、実にポリティカリーコレクトなサマライズをしてくれて(笑)。一瞬感心したんですけど、反面、これは誰でも言いそうだなとも思ったんです。誰でも言いそうなことをきちんと言えるということ自体は、AI研究の中では『常識』を獲得するという意味で大きなテーマのひとつではあるのですが、それが私たちの創造力にどう影響しているのかというのは分からない。それはスマートスピーカーに今日の天気を教えてとか、今流行ってる曲をかけてというのとあまり変わらないのではないでしょうか。

いま『Nukabot』の次の実験でGPTの挙動自体を発酵させていくようなアルゴリズムを組もうとしていています。どういうことかというと、人や環境との関わりによってGPTの挙動を少しずつ変化させていく、という実験です。具体的には『Nukabot』の中にある発酵微生物の状態によって『Nukabot』の喋る口調が変わるようにしています。たとえば微生物の調子が良いときはハキハキと喋って、腐りそうになるとちょっと声色が怪しくなっていく。そしてもうひとつは、周囲の人間が使う言葉に影響を受けて、話す内容が変わっていく。このように、GPTにある種の人格を付与するような、そういう簡易的な学習機構を入れてみようと思っています。AIをきちんと発酵させていくにはどうすればいいだろうか、ということを考えながら開発しているところです」

Nukabot(※1)

※1 参考:「人と対話するぬか床ロボット」。Nukabotには糖分やpH、乳酸菌などを測定するセンサーとスピーカーが内蔵されており、発酵具合のモニタリングや手入れの催促をすることが可能。人がぬか床の入ったロボットに話しかけることでインタラクティブに対話をすることができる。
https://chizaizukan.com/property/196/

AIに欲望を実装できるのか。パートナーとしてのAIのあり方

ドミニクさんは、冒頭に引用した『謎床』(2017)で「AIに欲望を実装できるのか」という問いを立てていた。しかし、当時世に出ていた技術の制約もあり、問いに対する明確な結論は保留されていた。出版から6年が経ったいま、「欲望」を「人が心を揺り動かされる内的な衝動」と捉えたときに、AIにそれを再現することは可能なのかお話を伺った。

「『AIに欲望を実装できるか』という点に関して、いまのAIのモデルだったら人間が持っている欲求や欲望というものを擬似的に演じさせることはいくらでもできるけど、コンピュータのアルゴリズム自体が自律的に欲望を持って動けるかという点に関しては、まだまだ課題や隔たりがあるだろうなと思っています。

ただ、さきほど能の曲をChatGPTに作らせようとして失敗したという話をしましたが、他方で『自分にとってこの筋書きはないな』という例を見せてくれたことによって、自分が本当に表現したいものや進むべき道が見えたところもあるんですよね。AIが『正解』を教えてくれようとして、『正解ではないもの』を教えてくれたという経験は決して悪いことではない。これを踏まえると、ChatGPTや生成系AIが自分の壁打ち相手としてチューニングされていけば、わたしたちのパートナーや共同研究者として発展していく可能性は十分あるのではないかなと思っています」

「欲望」を発酵させるには失敗も大切

冒頭で紹介した「問いを生成できるかということが、人間を人間たらしめる最も重要な要件になる」という言葉の通り、AIと人間がパートナーとして協働する未来においては「自分が何を問いたいか」を探っていくことが重要なのかもしれない。問いを生み出すためのヒントを探るために、ドミニクさんが早稲田大学文化構想学部で担当する「発酵メディア研究ゼミ」で採用しているアプローチについてお話を伺った。

「ぼくが教えているゼミの特徴は、個人的な問題意識を掘り下げて作品を制作するというところにあります。今の大学に着任する前には、個人的な問題意識からではなく、世の中にある社会課題から捉えていく、という逆のアプローチを採っていたこともありました。でも、SNSにおけるフィルターバブルやエコーチェンバーといった問題をどう解決したら良いのか、などという社会問題から捉えるスタイルでやってみたときに、どこか空回りする感覚が自分の中にあったんです。

それがなぜかを考えていくうちにたどり着いたのは、当事者意識がどれだけあるかによって思考の質や深さが変わってくる、ということでした。こうやって言うとすごく当たり前のように思われるかもしれないけれど、そのことに改めて教室で気がついたんです。自分のなかにある課題や問いを掘り下げていくうちに、どんどん個人的な悩みや生きづらさを抱えている話に行き着いた人たちが出てきて、誤解を恐れずに言うと、その人たちの話はすごく面白い。面白さとは、話を聞いているこちら側にも深く刺さってくるということ。たとえ当人の問題意識を知らない場合や、自分には同じような生きづらさがない場合でも、心が動かされて一緒に考えてみたいと思えるようになる。こうして、個人的な問題意識から掘り下げていくというゼミのスタイルに落ち着いていきました。人それぞれが長い時間をかけて自問自答してきたことや、もがきながら考えてきたことには力が宿るんですよね」

発酵メディア研究ゼミ展覧会「ままま展」の風景

また、自分自身をメタ的に見つめ直すという行為が「問い」を育てるためには重要である一方で、本当に自分が関心を持っているものや好きなものを見極めるためのヒントはあるのだろうか。

「『欲望』ないしは『人が心を揺り動かされる内的な衝動』について、自分がこれまで考えてきたことと結びつけて言うと、欲望自体が自分の中でどれだけ発酵させてきたものなのか、ということが重要だと思っています。欲望がいかに持続するかということです。10年、30年と考えてきたり調べたりしてきたことであれば、本人が気づいていなくても周りからみたら専門家のようになっていたりすることがある。無意識に興味を持ってしまうことについて、『もっとやってみなよ』と自分自身に言ってあげられるようなスタンスが『欲望』を発酵させるということなのかなとも思います。

ぼく自身の経験をお話しすると、興味を持ったことに対して試行錯誤を繰り返すなかで、失敗もたくさんしていたと思います。たとえば、今はCDをお店で買うことが減ってきたと思いますが、ぼくがまだ10代の頃は、なけなしのお小遣いを手にCDショップに行って当たりの音源を探すんですよ。でも最初は知識が全然ないからお店に貼ってあるPOPを必死で解読してから買って、いざ家に帰って聴いてみると思ったより良くなくて、『どうしよう、今月のお小遣いが全部なくなってしまった…』みたいなことがあったんです(笑)。

そういうときに何をするかというと、よくなかったもののいいところを必死で探そうとするんです。このアルバムは全体的に駄目だけど、この曲のこのパートはいいなみたいなことを見つけようとする。失敗をする中で自分の物の見方や解像度が鍛えられていくというのは、確実にあったと思うんですよね。

この話を踏まえると、どれだけ失敗をする自由があるかということが自分の欲望と向き合える時間を作り出すんだと思います。もちろん『全人類が自分のこだわりを見つけなければいけない』という考え方はある種の暴力性を孕(はら)んでいると思うのですが、もし自分が何が好きかわからないという悩みを持っているのであれば、失敗してみてその摩擦のなかで逆説的に自分にとっての良い/悪いという視点を持てるようになるのではないかなと思いますね」

(編集部撮影)取材中のドミニク・チェンさん

プロセス自体を楽しみ、独り占めしない方が面白い

近年、投入した時間へのリターンを効率的に得ようとする「タイパ」現象が話題にもなっている。一方で、「発酵を待つ」という姿勢とタイパは相入れないものなのではないかと尋ねたところ、「自分自身は『タイパ』現象の当事者とまだ話ができていないのだけれど…」と留保した上で次のような答えが返ってきた。

「まず、なぜタイパやコスパというものが重視されているのか理解したいと思っています。ぼく自身は、発酵させるとかプロセスを楽しむということを大切だと思っていて、学生たちともプロセスドリブンでいろんなことを考えていこうと話しています。これは、現代では贅沢なことだと思われているのかもしれないですね。タイムイズマネーだと考えたときに、ゆっくり時間をかけるという経済的な余裕自体が失われてきているのかもしれない。もしくは、時代的な集合意識のなかでそう思わされてきているのかもしれない。たとえばリスキリングなど『中高年になっても新しい能力を獲得すべし』というメッセージが飛んできているなかで、一分一秒も無駄にせず生きていかないと競争を生き残れない、といった危機意識のメッセージも、タイパやコスパを助長させている何かなのかもしれないというのがある種の仮説ですね」

最後に、クリエイティブ・コモンズ(※2)等のさまざまな活動で、なぜ場を閉じずにひらいて活動されているのか、ご自身が心を揺り動かされてきた原点は何だったのかお話を伺った。

「わたしはこれまでずっとプロセスを開示するという発想に惹かれてきました。とくに、学生時代に出会って感動したのが、『クリエイティブ・コモンズ』でした。これは、ある成果物を他の人も使えるようにすることで新しいプロセスが生まれる著作権の仕組みです。その大元にはオープンソースという考えがあるのですが、ソフトウェアのソースコードを全て開示して、みんなで参加しながらどんどんソースコードを改善していく。そういう自然な協働のプロセスが生まれること全般に、心が惹かれるんですよね。

あとは、フェアであることやフラットであることにこだわりがあるのかもしれません。たとえば大学だと先生と生徒という関係性があるけれど、『先生』と呼ばれることにすごく違和感があって、ゼミ生たちに『さん付けで呼んでほしい』とお願いしたんです。すると不思議なことに、それだけで気軽にコミュニケーションができるようになったと感じられます。もっとも、ぼくがそう感じているだけの可能性も否めませんが(笑)。それは従来の権威的な先生像からすると、けしからんと言う人もいるのかもしれないですが、自分の権威とかくだらないプライドをすべてひらいてしまった方がこちらも面白い。これは自分の子どもと向き合うときもそうだし、ありとあらゆる関係性の中で起こりうることだと思います。自分自身が完全にフェアかつフラットたりえていないということも認識しつつ、可能な限りはそうありたいなと思っています。自分だけではなく、同時にみんなが良くなることに興味があるという感じなので、これも『欲望』に近いのかもしれないですね」

テクノロジー、そして人と人を取り巻く世界との関係性にまつわる探究を続けているドミニクさん。AIが台頭する時代に『問う力』を育てるためには、トライアンドエラーを繰り返すこと、そして自身のなかで芽生えた問題意識から目を背けないことが重要だという言葉をいただいた。今回のインタビューで印象深かったのは、目的に向かうプロセス自体から生まれる豊かさを楽しみ、問いに対して解が出ることを焦らないというドミニクさんの生き様だった。「ゆっくりと時間をかけて、間違いをも許容する」という発酵のプロセス自体を楽しむ姿勢は、余裕が失われつつある社会で豊かに生きるヒントになるのかもしれない。

※2 参考:作品の利用と流通を図ろうとする活動及びその活動を行っている団体の名称。 2002年5月に米国スタンフォード大学の法学教授ローレンス・レッシグらによって創設されたプロジェクトが元になっている。ドミニクさんはクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)の立ち上げに携わり、現在も理事を務める。

 


写真:Rakutaro Ogiwara

ドミニク・チェン
1981年生まれ。フランス国籍、日仏英のトリリンガル。博士(学際情報学)。NTT Inter Communication Center[ICC]研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。人と微生物が会話できるぬか床発酵ロボット『Nukabot』の研究開発( Ferment Media Researchチーム)、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』の制作(遠藤拓己とのdividual名義)を行いながら、テクノロジーと人間、そして自然存在の関係性を研究している。

 

取材・文:Mizuki Takeuchi
編集:篠ゆりえ
画像:Rakutaro Ogiwaraほか