2012年夏に公開され、話題となった映画『桐島、部活やめるってよ』。高校のスクールカーストを切り出し、その各階層における内面の葛藤を群像劇スタイルで描いた作品だ。同作はじわじわと映画ファンの支持を集め、息の長い興行を記録した。原作者は、朝井リョウ。彼の小説は、若者の内心を単純化することなくヴィヴィッドに描き出し、若年層から絶大な支持を得ている。そんな彼の小説のひとつである「少女は卒業しない」が、このたび新たに映画化され、2月23日より全国公開となる。
「あしたメディア」では、今回、映画『少女は卒業しない』の中川駿監督にお話を伺った。中川監督のキャリアやものづくりの考えを聞くにつれ、新参者として映画に接し、当事者ではない自覚のもと若年層と対峙してきた、彼の柔軟な姿勢が浮かび上がる。
『少女は卒業しない』
直木賞作家・朝井リョウの同名連作短編小説を映画化。廃校が決まり、校舎の取り壊しを目前に控えたとある地方高校を舞台に、世界のすべてだった“学校”と“恋”にさよならを告げる4人の少女たちの卒業式までの2日間を描く。監督・脚本を手掛けたのは、短編映画『カランコエの花』が国内映画祭で13冠を受賞し話題を呼んだ中川駿。主人公・まなみには、本作が初主演となる河合優実。卒業を共に迎える少女たちは、小野莉奈、小宮山莉渚、中井友望が演じる。誰もが経験のある「卒業」と「恋の別れ」。後悔と希望を胸に迎える卒業式に、恋する喜びと切なさを心に刻む少女たち。二度と戻れない“あの頃”の感情を呼び起こす、新たな青春恋愛映画の金字塔が誕生した。
監督:中川駿
出演:河合優実、小野莉奈、小宮山莉渚、中井友望、
窪塚愛流、佐藤緋美、宇佐卓真 / 藤原季節
2023年2月23日(木・祝)より新宿シネマカリテ、渋谷シネクイントほか全国公開
中川さんは昔から映画が撮りたかったのでしょうか
いや、映画の道を志したのは、実は社会人になってからです。昔から人に認められたいという欲があって、どうやったら認めてもらえるかを考えていました。そして、イベント制作会社に就職しましたが、イベントがどれだけ成功しても褒められるのは主催者で、個人的な満足感を得られませんでした。どうしたものかと思っていた矢先に、リーマンショックが起きたんです。当時新人だったぼくが、辞める社員たちの送別用のムービーを作ることになりました。ひとまず独学で動画を作って流したら、「あのムービー、すごく良かったよ」って言ってもらえて。その快感に酔ってしまったんでしょうね。映像をもっと勉強したいなと思い、会社を辞めて専門学校を探していく中で、(映画制作や映画業界を目指す人材を育成する専門学校である)ニューシネマワークショップと出会いました。そこで映画の魅力を教えてもらいました。
中川監督はこれまで、尊厳死を描いた『尊く厳かな死』(2017年)や、セクシュアルマイノリティを題材にした『カランコエの花』(2018年)もそうですが、社会問題と向き合う映画を作ってこられました。社会課題に関心があるのでしょうか?
社会問題にこだわるというよりも、お客さんに価値を返すことをすごく考えています。たとえば、映画を1本観るには、チケット代1900円と2時間近くの時間を頂きます。2時間を使い1900円のお金を払って「楽しかった」だけだと、価値を返しきれないと考えています。単純に楽しむだけなら、もっと安くてコンパクトなものが世の中にはたくさんありますから。頂いた価値をちゃんと返せる内容にしたいという意識をいつも持っていて、ただ楽しむだけじゃなく学びがあるような、新しい価値観を提示する映画作りを心がけています。
価値を返すという発想が新鮮ですが、その正体はなんでしょうか
誤解を恐れず言うと、ぼくは映画を、愛するというよりも、どこか客観視しているのだと思います。「映画だから(無条件に)素晴らしいものだ」ではなく、真摯に作らないとお客さんに頂いた分の価値を返せない、という感覚があります。ぼくはアーティスティックな世界観を持ってるわけでもなければ、映像の撮影技法に対しての知識がそこまで多くあるわけじゃないけど、題材に対する勉強量だったり、向き合う姿勢、自分なりの新しい気づきなら負けない、という自負があります。そこでお客さんに価値を返したいです。
その上で『尊く厳かな死』や『カランコエの花』の題材を選択してきた理由を教えてください
『尊く厳かな死』は、尊厳死が題材です。ぼくの祖父の死がきっかけになっています。祖父はリビングウィル(生前の意思表明)の書類を作っていましたが、ある日、事故に遭って植物状態になってしまいました。確かにリビングウィルは残っているけれど、どういう真意で書かれたのかはもう聞く術がないから、当人の気持ちを推し量りながら家族が決断するしかない。身近で両親が決断している様子を見ていて、ものすごく胸に迫るものがありました。
それに、祖父はぼくに少し遺産を残していました。そのお金は、この題材での映画制作費として使おうと思ったのが制作のきっかけですね。家族の決断を目の当たりにした人間として、フィクションとして面白くしていくというより、そのまま描くことが大事なのかなと思って、ずっと重苦しいまま、真正面から描きました。
『カランコエの花』のときは、ちょっと違う動機がありました。『尊く厳かな死』を一生懸命作って世に出したのですが、映画祭などではあまり評価されなかったことが悔しくて。やるからにはちゃんと評価されたいと考えました。いろんな方に相談する中で、LGBTQ+をテーマとする映画祭があるということを知り、そこでこのテーマに着目したのがきっかけでした。それからLGBTQ+と映画の勉強を重ねていく中で、LGBTQ+当事者の方の苦悩を描いた作品はたくさんありましたが、当事者ではなく周囲の人間の立場を描いた作品があまりないことに気づいたのがきっかけで、当事者ではない自分が、周囲の人間の立場の映画を撮ろうと思いました。
『カランコエの花』の制作時、LGBTQ+のテーマが、世界レベルでは当然もう話題になっているけれども、日本国内の環境ではまだ大きな話題になっているわけではない、という印象もありました。しかし、直近で言うと首相秘書官の差別的発言などが世論を巻き込み大きく批判されています。今と当時では、社会環境的には変化していると感じていますか
LGBTQ+に限らず、女性のキャリアについてもそうですが、差別はよくないとか、これは差別だよみたいな認識は、当時と比べてすごく普及したなと思うんです。でも、一番感じるのは、社会ってすぐには変わらないんだな、ということです。アイデアは広まったけど、それが実際に社会の制度や会社のシステム、個々人の価値観みたいなところに反映されていくには、かなり時間がかかることを身にしみて感じています。そして、変わっていく過渡期に生きることの辛さ、みたいなことをすごく感じてますね。今は共通認識として差別しちゃいけないと世の中で言われてるのに、実態はまだ全然差別がある。その板挟みは、この時代ならではの、特殊な痛みなのかなっていうのをすごく感じますね。
先ほど出た「当事者ではない」というキーワードについては、新作『少女は卒業しない』においても、中川さんと本作で描かれる若者たちとでは世代的に少し乖離があります。そして中川さんは、当事者ではない自分が正解を持ってるわけじゃない、という考え方を以前から持っていることは知っています。その意味で、自分が作るものに対する疑問とか不安は意識されていましたか
ありますね。それは、ぼくの経歴にも由来する部分だと思っています。たとえば、ぼくは昔から映画の世界にいたわけではなく新参者だという感覚をずっと持っています。自分の感性をそこまで信じてないので、なるべくみんなで相談しながら作っていきたい、というスタンスはありますね。
それを踏まえて、この映画の4人の主要キャラクターにはどういう演出をしていましたか
最初の顔合わせのときに、ぼくのスタンスをはっきり話しました。ぼくは正解を持ってるわけじゃないし、高校生としてのリアルは実年齢の近いみなさんの方が持っていると思うので、ぼくのやり方が全然違うと感じたら遠慮なく言ってくれて良いし、自分がやりたいことがあったら提案してくれれば作品に取り込む、という話をしました。ただ、それだけ言われても話しにくいところもあると思うので、できるだけ話しやすい現場作りや空気感を心がけました。若い子たちが伸び伸びできるように、というのを常に意識しています。
この作品においての監督の役割は、判断すること以外には、邪魔をしないことでした。今回は、キャスティング段階でプロデュースチームと役のイメージを共有できていて、その上で提案してもらったメンバーを起用しています。その後、直接キャスト本人たちとも会いましたが、役のイメージとも合ってました。そこまで方向性が合っているのだったら、あとは多少の変化は全然構わないと考えていました。俳優たちに自由に演じてもらっても大きく外しはしないので、ぼくは物語の大筋から外れないかを注視する気持ちでした。
今回の朝井リョウさんの原作は短編の連作になっていて、それを1本の映画にしなければいけません。映画化において、4人の女の子の物語にした理由は?
まず、原作の忠実に組まれたパズルを外して、映画なりに組み替えてみようとしましたが、どうやっても無理でした。だからその考え方は捨てて、原作をぼくの中で吸収し、自分の解釈で作り直す方法をとりました。ぼくが原作を読んで感じたことは、この物語が絶対的な別れをどう受け止め、どう成長していくかの話だと。今回、割愛した3つのエピソードは、成長しているのが少女ではなくて相手側であったり、そもそも成長とはちょっとニュアンスの違う話でした。
朝井リョウ原作の映画化では、群像劇スタイルの代表作に『桐島、部活やめるってよ』があります。こちらは参考にしたのでしょうか
はい。ただ、いちばん参考にしたのは、原作の改変がどのくらい許されるのか、というところですね。『桐島、部活やめるってよ』は、原作と映画が全然違うので、そこに勇気をもらいました。
映画を作るにあたって、朝井さんとはお話されました?
朝井さんと直接コミュニケーションを取ったのは、撮影最終日の1日前くらいでした。企画の段階では、オンラインでのやり取りを何度かしたんですけど、間にプロデューサーや出版社の編集の方を経由していたので、直接のコミュニケーションは全然していませんでした。脚本を気に入ってくださっているという情報は聞いていたんですが、ご本人から直接伺ったわけじゃないのでドキドキしていたところ、現場ですごく褒めてくださいました。
完成した作品については、朝井さんの反応はいかがでしたか
朝井さんは、ご自身の小説の映画化のスタンスとして、小説をそのままやってほしいと思っていないそうです。小説は小説で、映画は映画として別のものとして考えていて。映画ならではの表現に昇華されるものを観たいというスタンスだったので、今回、ぼくの思い切った改変も協力してくださいましたし、完成した映画についても、いち観客として素直に楽しめたとおっしゃっていただけたのは、すごくありがたかったです。
本作では、大人になることが描かれていると感じました。そして、大人になることは捨てるべきものを捨てることができることなのかな、とこの映画を観ていて思いました
そうですね。おっしゃる通り、大人になることについては、ぼくも感じていたことです。それに加えるなら、この映画に描かれていることは「初めて触れる理不尽」なのかなと思います。小学校から中学校とか、中学校から高校って顔ぶれが似てるじゃないですか。そこまでは大きな変化じゃないんですけど、高校から大学の年代になると全く違う世界に行かなきゃいけない。自分の意思とは反してでも、前に進まなければならない。(高校の卒業は)その理不尽さに触れる初めての経験なのかなと思いました。その理不尽を経験し、渡り合い、自分の中で道を見つけて歩んでいくのは、大人になるひとつの過程だと思います。
脚本では、複数のエピソードが並走しています。4人にはそれぞれ自分のエピソードに集中してもらっていたのか、他のエピソードも勘案しながら演じてもらっていたのでしょうか
基本的に、それぞれ自分のパートに集中してもらっていました。その中で、作品を俯瞰して会話していたのは、まなみを演じた河合優実さんですね。と言うのも、彼女とは役柄などの話をしても、コミュニケーションがしっくりこなかったんです。なので、役の心情などの話ではなく、作品全体で見たときの目の前のシーンの意味合いや、後々こういうシーンとの繋がりとか、ぼくの手の内を明かして一緒に相談しながら作っていくスタンスに切り替えたら、コミュニケーションがハマった感覚がありました。
個人的に河合さんからは底知れないものを感じています。中川さんは現場で河合さんをどう見ていましたか
めちゃめちゃ地頭の良い人だなと思いました。会話で彼女をコントールしようとすると、全部見透かされてるんですよね。話してるこっちがだんだん恥ずかしくなってきちゃって、そういうのはやめようと思いました。このシーンはここから撮っているからここで表現してほしいとか、自分の手の内を全部明かすようにしましたね。
作品を観て、個人的にはカメラ位置が印象的でした。青春劇を撮るとき、彼らに見えている世界が小さい世界だと表現するために、カメラを俳優にできるだけ寄せる方法もあります。しかし本作は、中距離以上の距離感があるショット、あとハンディの印象が強く残ります
学校という空間を捉えたいと考えていました。廃校になるあの学校が舞台になっていることが重要なので。特に、中井友望さん演じる作田のエピソードは、図書室という空間が重要になってきます。学校で起きている出来事であり、その前提となる空間を捉えたいという思いもありました。それでカメラも広めの画角になっています。
ハンディについては、今回はそこまで多用はしていないのですが、ハンディの画はあまり作った感が出なくて、そのあたりに説得力が出ると思っています。だから、特に生っぽい印象を与えたいところで使っています。たとえば、物語が折り返しを迎えて若干不穏になっていくことを表現したい時、安定した画面ではなく、心理的に揺れてるところを見せるために(手ぶれのある)ハンディを使いました。
そして、学校の空間で面白いのは、実は音だと思っています。静かな空間でカツカツっていう(何かを書くような)音が聞こえたら授業中だろうし、ざわざわした声が入ってきたら休み時間。そこに吹奏楽の練習の音が入ってきたら放課後でしょう。時間によって音が全然違うのは、学校ならではだと思います。だから、環境音にはかなりこだわりました。
クライマックスに各エピソードが収斂していく脚本になっています。卒業ライブとその後という展開について、どういう考えでこの流れになったのか教えてください
原作にも卒業式後に卒業ライブというイベントがあったので、その要素をうまく使いつつ、最終的に、まなみの個人的な空間を作るというアイデアでした。
終盤のライブシーンでは、森崎(佐藤緋美)が歌を歌いますね。これは難しい選択だと思います。というのも、この脚本構成では、その歌が映画館にいる観客に響かなければ映画として成立しません。そこに対する不安感はなかったのでしょうか
ありました。不安感があったので、事前に歌を収録しておいて、当日現場で録音をあてる予定だったんです。でも、実際は、現場で佐藤くんに生で歌ってもらったものを、映画でも使っています。撮影当日、現場で歌えるかを聞いたら、全然良いですよと返事がありました。急遽、生で歌うことになったので、現場のスタッフもフロアにいる他のメンバーも緊張感がすごくて、良い空間ができました。その緊張感の中、物おじせずに伸びやかに歌ってくれて、すごく説得力のあるシーンになったので、そのまま一発録り一発OKで、本編に使っています。前もって生歌にすることを言わなかったことで、ちょっといろいろ(化学変化が)起きたかなと思います。
大事ですね。予定調和のものって、予定調和以上にならない。何か不確定なものが入ったほうが、映画的な魔法が起きやすい
その意味では、河合さんのシーンも予定調和を避けたところがありました。終盤、彼女がブレザーを抱きしめた後に、一言セリフを言うはずだったんですよ。脚本にはセリフが書いてあるんですけど、本読みの段階で、ぼくがこのセリフを気に入っていませんでした。現場に入って撮影が進んでいく中で何か見えてくるものもあるだろうから、相談しながら決めましょう、と河合さんとは話していました。そのシーンの撮影は、全日程の最終日でした。現場を重ねていく中でお互い感じるものがあり、いよいよ撮影の日になりました。当日は「ここはセリフじゃないよね」という話になり、セリフなしで顔上げてシーンが終わる、という話で撮影が進んでいました。そして、カメラを回していないリハのときに、その方法で演じてもらったら、河合さんの呼吸音が印象的だったんです。呼吸って生きてるものの特権じゃないですか。これから生きていくんだっていうことの表現にもなると思いました。だから、そのシーンでは強めに呼吸音を入れています。それはやはり劇場で感じてほしいですね。
この物語はある種、大人の通過儀礼のようなものがありますが、中川さんは、大人と子どもの境目をどう考えていますか
個人的には、自分の視界に死が入ってくるかどうかが境目ですね。最近、ぼくもやっぱり老いを感じるわけですよ。先日『THE FIRST SLAM DUNK』を観て、ちょっとショックでした。(バスケをやっても)ぼくはもう、あんな風には動けない。そして、死も視野に入ってきたというのもあります。ぼくは、5年前に母親を亡くして、そこからずっと喪失感を抱えていました。どうやったらこの喪失感から抜け出して前を向けるのかなって考えて、5年経ったときに気づいたのが、これはもう無理なんだな、ということでした。喪失感を払拭するのは無理で、抱えていくしかないという決心がつきました。そのタイミングで、成長できたという実感がありましたし、ひとつ大人になれたかなと思います。
この映画は、もちろん大人の手前にいる若い世代にも響くけど、彼らより年齢が上の、大人である世代により強く響くと思って観ていました
そうかもしれません。この映画には「あの頃ここが世界のすべてだった」っていうコピーがありますが、そのことに気づいているのは、きっと上の世代です。卒業をもう終えて、振り返ることができる年代だからこそ、気づくことができる目線なのではないかという気がしています。
最後に、今後どういう映画を撮りたいかを教えてください
最初にも言いましたが、やはり、ちゃんとお客さんに価値を返せるものですね。ぼくが安心して自信を持って出せる価値は、企画やテーマ、メッセージの部分だと思っています。そういう意識で、今後も映画作りは続けていきたいですし、それが社会派になることもあれば、全然違う場合もあると思います。
インタビューを終えた直後、中川監督は「全然ゆるい感じじゃなかった(笑)」とこぼして、表情を緩める。取材前、筆者は「今日は気楽にやりましょう」と話しかけていたが、中川監督の熱いスタンスに、いつの間にか言葉は熱を帯びていた。
作り手が「自分は若い人たちの気持ちを理解できてはいない」と素直に認めることは難しいが、その事実を真正面から受け止めて制作の現場に反映し、この取材の抽象度の高い質問に対しても、何度も考え丁寧に言葉を紡ぎ出した中川監督の姿勢は、きっと現場でも若い出演者たちの心に寄り添い、掴んでいたであろうことを伺わせた。そんな彼の新作『少女は卒業しない』が、若いキャストたちとのコラボレーションの結果、どのような作品に仕上がっているのか。是非、映画館で確認してほしい。
取材・編集・文:中井圭(映画解説者)
撮影:服部芽生