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AIに『チェンソーマン』は産み出せるのか?人工知能とクリエイティブの現在地

2013年、英国オックスフォード大学からある衝撃的な論文が公開された。マイケル・オズボーン准教授とカール・ベネディクト・フレイ博士が、米国において10~20年以内に労働人口の47%が機械に代替可能だと発表したのだ。ただし、それはあくまで「単純作業は駆逐される」一方で、「クリエイティブな領域は代替が難しい」という趣旨だった。具体的にここで言及されている「クリエイティブ」とは、創造的思考、他者との協調やコミュニケーション、非定型業務が要求されるような領域だ。

しかし、状況は一変した。いまや、上記のような「クリエイティブ」な領域の一部にもテクノロジーの触手が伸びているのだ。まずは、いくつかの事例をご覧いただきたい。

2022年、画像や文章を生成するAIが誕生した

2022年はさまざまな分野で「ジェネレーティブAI(生成系AI)」という言葉を耳にした年だった。ジェネレーティブAIとは、機械学習の一種で、ユーザーからの指示に応じてコンピュータがオリジナルのコンテンツを生成するアルゴリズムのことを指す。現在、この技術はテキストと画像分野において最も研究が進んでいるが、アニメーション、サウンドエフェクト、音楽、さらには個性豊かなバーチャルキャラクターの作成など、ほぼすべてのクリエイティブな領域において研究が進められている。(※1)たとえば、日本でもSNSを中心に盛り上がりを見せる「ChatGPT」にもこのアルゴリズムが用いられている。ChatGPTとは、米のAI研究機関OpenAIが公開する対話型チャットボットだ。2022年11月にOpenAIが一般公開した直後から、様々なジャンルの話題に的確に返答すると話題になった。このChatGPTを用いて論文や小説を執筆するユーザーまで現れた。不正行為を防ぐため、仏パリの大学や米ニューヨーク市、ワシントン州シアトルの公立学校の一部では、すでに提出課題などにおけるChatGPTの使用を禁止している。(※2)

またその他にも、「Midjourney」「Stable Diffusion」「Artbreeder」「DALL-E」といった、文章から画像を生成するAIも登場した。それぞれの画像は、水彩画風、デジタルアート風などスタイルもさまざまで、まるでプロのクリエイターが作成した絵かのごとく、緻密に描かれている。これまでも明確に枠組みやルールが決まっている分野(たとえば、会計や法律等)については、「AIが人間の仕事を奪う」という言説に納得感があった。しかし、一見代替が難しそうなクリエイティブな分野(絵画や小説等)においても、あたかも人工知能が創造性を発揮し始めたかのように思える。

※1 参考:Andreessen Horowitz "The Generative AI Revolution in Games" (2022年11月17日)https://a16z.com/2022/11/17/the-generative-ai-revolution-in-games/
※2 参考:ロイター「フランス名門大、チャットGPTの利用を禁止 不正や盗作防止へ」(2023年1月28日)
https://jp.reuters.com/article/france-chatgpt-university-idJPKBN2U61K7

AIの限界

しかし、現状のAIには致命的な限界がある。マイクロソフトのAIチャットボット「Tay」は、一部のユーザーに人種やジェンダーに関する差別的な言葉を教え込まれ、2016年、開始からたったの16時間後に停止された。(※3)メタ・プラットフォームズが開発したモデルでも、2022年に同様の問題が発生した。(※4)なぜこのようなことが起こるのだろうか?

AIが学習を行う際、必要となるのが大量のデータだ。そのためAIが学ぶデータの種類によっては、上述のような差別的なAIが誕生する危険性を孕(はら)むのだ。慶應義塾大学環境情報学部教授で、Zホールディングス株式会社シニアストラテジストの安宅和人氏のブログには、「AIは世界の写し絵」というタイトルで以下のように綴られている。

大量の経験値は、結果が出るゲームやマニピュレーション(ピッキングや運転など)のようなものであれば実戦(バーチャル空間を含む)で良いが、多くの場合は、既存のデータが用いられることが多い。

既存のデータは二重の意味で使う側からするとちょっとした課題がある。

第一に必ずしも事実として正しくないものが大量に含まれている。情報の信頼性と言うべきものであり、英語で言えばtrustworthy (trustable) かどうかだ。第二に事実としては正しいけれども社会的に許容されないものが大量に含まれている。これは情報の社会的正義性というべきものであり、英語で言えばsocially acceptableかどうかだ。

(中略)

とはいうものの、世界のデータをそのままスキャンして写し絵をとると、これらの社会の記憶がまるごと写し取られる。それは今の目から見ると「政治的に正しい/社会的に許容可能である (politically correct/socially acceptable)」ではない情報が溢れている世界が写し取られるということだ。デジタル化されている情報が偏っているだけの話ではない。情報のTrustabilityだけでなく、DE&Iのホワイト、グレーゾーンが実際にはmoving target(動く標的)であり、このacceptableな境界線は時間とともにダイナミックに動いているからだ。つまり機械学習ベースのAIからこの課題を完全に排除することは事実上不可能と言って良い。

(※5)

その他にも、人の感情を認識するAIは、たとえ多様なデータセットで訓練されていても、その人物の社会的、文化的背景や状況を考慮することなく、表情や声のトーンだけを読み取って感情に変換してしまう。人が泣いている状況を認識できても、それが持つ意味やどのような感情を持っているのかを正確に認識することは難しい。(※6)

以上をまとめると、Alは「既にこの世にあり、大量にデータが取れるもの」を学習し、確からしく見えるアウトプットを出すことに長けている。一方で、「まだこの世にないもの」や「複雑な文脈を踏まえた現象」を表現することは難しい。動的かつ複雑なコンテクストで編まれたこの社会を織り込むという点において、AIにはまだ限界があるようだ。

※3 参考:日経クロステック「差別的発言を連発したAIボット『Tay』 Microsoftが謝罪」 (2016年3月28日)
https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/032800891/

※4 参考:SiliconRepublic "Meta’s new AI chatbot thinks Trump is still US president"(2022年8月9日)https://www.siliconrepublic.com/machines/blenderbot-3-meta-ai-chatbot-facebook-donald-trump-fake-news-elections
※5 参考:安宅和人ブログ ニューロサイエンスとマーケティングの間「AIは世界の写し絵」(2023年1月29日)
https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2023/01/29/130956
※6 参考:WIRED「感情認識AIの普及がジェンダー不平等を助長する──特集『THE WORLD IN 2023』」
https://wired.jp/article/vol47-the-world-in-2023-emotional-ai-isnt-a-substitute-for-empathy/

Alに『チェンソーマン』は産み出せるのか?

話が外れるようだが、日本中を熱狂させている作品がある。藤本タツキ氏の『チェンソーマン』だ。その人気の1つがいわゆる「オマージュ」の多さだろう。

実際に『チェンソーマン』作者の藤本タツキ氏は、自身の作品づくりには「過去作品の引用」が重要だと語っている。

(中略)藤本タツキは、自身の漫画作りにおいて再三"映画をたくさん観ることの重要性"を語っている。そうすることで、物語の展開においても既視感のあるものを避けた、新しいものを生み出すことができると言うのだ。それだけでなく、ビジュアルやシーンの引用も、それらを組み合わせることによって真新しいオリジナルを生み出すことができる。

実はタランティーノもそうだが多くの名監督による名作映画は、それ以前に作られた名作映画を引用したものが多い。あの大ヒットミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』もそうだ。映画作品に限らず、既存の名作からの引用という行為は、その一つの事物を理解するだけでは難しい。その周囲にある歴史を知る行為でもあると私は考える。

何か一つの単語に興味を抱いたら、そこから順々に芋づる式で引き上げられるもの。その知識の吸収量が多い作家に引き出しが多いことは、もはや必然なのである。

(※7)

冒頭に述べた通り、特定の事象を学習し、フォーマット通りにまとめる形での「引用」は、AIにも代替可能であるかもしれない。一方、AIが作った作品が人間のアーティスト並みに受け入れられるかというと、以下2点において疑問の余地が残る。まず、作品が社会に受け入れられるためには、オリジナリティが必要だ(二番煎じの作品は、往々にして冷笑と共に忘れ去られることが多い)。オリジナリティを伴う引用の方法として、上記で紹介した藤本タツキ氏のインタビューにもあるように、オマージュが重要な要素として挙げられる。だが、とくに映画やアニメにおけるオマージュは非常にハイコンテクストだ。プロット、構図、色彩、表現形態によっては音楽、と多岐にわたる目くばせが送られる。複雑なコンテクストを織り込むという点において、まだ現状のAIに限界があるという点は先述の通りだ。

加えて、技術的に「過去作のコンテクスト」を折り込むことが可能になったとしても、その作品が社会的に受容されるか否かはまた別の問題だ。いまの時代において、ポリティカル・コレクトネスに無配慮な作品にはNoが突きつけられるようになった。一方、AIが学習するデータはあくまで「社会の写し絵」だ。参照するデータセットにもよるが、差別や抑圧を肯定してきた時代の記憶が含まれる可能性があることを忘れてはならない。

以上で述べてきたように、技術/データセットの制約という点から、AIが作った作品は人間のアーティストと同等程度には受け入れられない可能性がある。

※7 参考:Real Sound 映画部「『呪術廻戦』『チェンソーマン』 映画好き作者が産むヒット作が提示する“引用”の重要性」(2021年1月9日)
https://realsound.jp/movie/2021/01/post-688513_3.html

AIとこれからのクリエイティブ

最後に、AIとこれからのクリエイティブの関係について触れたい。『WIRED』創刊編集長のケヴィン・ケリー氏は次のように語っている。

オルタナティブな世界を詰め込んだゲームや、衣装やセットで飾り立てた長編映画は、これまで個人のアーティストには永遠に手の届かない存在だった。だがAIによって、ゲームやメタバースや映画が、小説や絵画、歌と同じように素早く制作できるようになる。何百万人ものアマチュアが自宅で何十億もの映画や無限のメタバースをつくり始めたら、その持ち前の才能でまったく新しいメディアジャンルを生み出すだろう。そして、大資本やプロフェッショナルがこうした新しいツールを手にしたとき、わたしたちはこれまで見たこともないような複雑なレベルの大傑作を目にすることになるのだ。

(※8)

たしかに、AI の進歩によってクリエイティブのありようは変わるように見える。しかしこれは同時に、表現の裾野が広がるという見方もできるかもしれない。AIによって技術的なボトルネックをクリアできた場合、改めて重要となるのは作品の独自性だろう。もし、作り手として全く新しいものを生み出したいのであれば、前章で述べた通り「引き出し」を増やすことが必要だ。それは文脈を意識して作品を理解しようとする試みであり、いわゆるタイパ(※9)を重視して記号的に作品を消費する姿勢とは似て非なるものだ。巨人の肩の上に立ち続ける覚悟のある人にとって、AIは脅威ではなく有能な味方とも呼べる存在になる未来が、もうそこまで来ているのかもしれない。

※8 参考:WIRED「ジェネレーティブAIが無限のメタバースを生み出す:ケヴィン・ケリー」(2022年12月16日)
https://wired.jp/article/vol47-the-world-in-2023-kevin-kelly-engines-of-wow/
※9 補足:タイムパフォーマンスのこと。最近ではタイムパフォーマンスを求め、倍速で映画等を視聴する若者が多いことが話題になっている。

 

文:Mizuki Takeuchi
編集:大沼芙実子