2022年11月3日・文化の日の朝、緊張感のあるアラーム音で目が覚めた。スマートフォンの画面には「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます」とのメッセージと共に、上空を通過する可能性がある地域が列記されていた。その前日、11月2日には北朝鮮が20発を超えるミサイル等を発射しており、朝鮮半島における南北の緊張感は日増しに高まっている。
38度線を境に分断された大韓民国と北朝鮮は、朝鮮戦争勃発から約3年後の1953年に「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」という休戦協定を結んではいるものの、あくまでも「休戦」であり「終戦」には至っていない。
その休戦状態の朝鮮半島における徴兵制度、とくに大韓民国の徴兵は、日本でも時折話題になる。最近では、2022年10月にグローバルボーイズグループ・BTSのメンバーが例外なく兵役へ参加することを発表し、世界中の注目を集めた。
世界平和と持続可能な社会の実現を目指すSDGsの号令が全世界に発せられているなか、いまも続く徴兵という名の武力防衛の実態、そして世界の実態に目を向けてみたい。
徴兵制度とは
徴兵制度とは、国家が憲法や法律で定めるところにより、国民に対して兵役の義務を課すことを指す。日本では1945年以降徴兵制が廃止されているが、世界では現在60ヶ国以上が徴兵制を取り入れていている。目的は、武力侵攻に備えた抑止力としての国防であったり、実践的な武装訓練であったりと、導入している国の外交状況に拠ってさまざまだ。
隣国、韓国での徴兵制度についてはニュースなどで耳にする機会があるが、日本ではあまり馴染みのない徴兵制度。日本における徴兵制度はどのように変化してきたのだろうか。
日本における徴兵制度
1873年、日本で「徴兵令」が施行された。1889年には、大日本帝国憲法が制定され第20条において「兵役の義務」が定められた。同年、徴兵令は大改正され、徴兵検査に合格した男性のほとんどが実際に徴兵されることとなり、大日本帝国憲法下における日本の徴兵制が確立した。満17歳〜満40歳までの男性に兵役義務が課せられ、満20歳から3年間現役に服するものとされた。1927年に徴兵令は全面改正され、新たに兵役法が制定されたが、太平洋戦争の敗戦により1945年に廃止された。それ以降、日本には徴兵制度は存在しない。
日本の徴兵制度廃止を支えているのが日本国憲法だ。日本国憲法第18条において、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と定められており(※1)、徴兵は憲法の指す「苦役」に当たるとされている。外務省のホームページを見ても、「我が国に徴兵制度は存在せず、全て自衛官は志願に基づき採用している」と記されている。(※2)
憲法が定めるところにより、国が国民に対して兵役を義務化するのは「違憲である」とする解釈が一般的だ。
しかし、この状況はいつ変わってもおかしくない、という可能性を含んでいる。
憲法解釈の改訂によりもたらされた新たな可能性
2014年7月1日、安倍晋三政権下において、憲法解釈の改訂が閣議決定され集団的自衛権の行使が容認されるようになった。(※3)このことをきっかけに、憲法解釈の変更により、これまで違憲とされていたことを“合憲”と解釈する可能性が示されたのだ。つまり、徴兵を苦役と捉えなければ、国は徴兵制度を国民に課すことができる、ということだ。
2014年当時、沖縄県・尖閣諸島沖で中国の挑発行為が頻発したり、大韓民国との竹島をめぐる外交問題が発生した。政府は、この解釈変更の閣議決定は、これら近隣諸国に対して、武力行使の可能性を示すことによる抑止力の発揮を目的とする、と発表しているが、実際にはこの解釈変更が国民の人権および自由の尊重を定めた憲法を脅かす結果となったと言えるだろう。
では、世界の徴兵制度は現在どうなっているのだろうか。
※1 参考:e-GOV「日本国憲法(昭和二十一年憲法)」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION#58
※2 参考:外務省「外交政策 人権・人道 B.国内法における最低法定年齢」(2022年11月3日閲覧)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/0111/11a_016.html
※3 参考:日本経済新聞「憲法解釈変更を閣議決定 集団的自衛権の行使容認」https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0103O_R00C14A7MM8000/
世界における徴兵制度
国軍を保有している国家は、軍隊を維持するために兵隊の招集が不可欠であるが、その招集方法は主に志願制と徴兵制に分かれる。
外務省ホームページに載っている各国の基本情報(※4)を参考に集計すると、世界195カ国のうち、徴兵制度を設けている国は60カ国以上にも及ぶ。(2022年11月3日時点)一方で、資料を確認していくうちに気になったのは、一度廃止した徴兵制度を、2000年代に入ってから復活させている国が一定数あることだ。それぞれどのような背景から復活させるに至ったのだろうか。
※4 参考:外務省ホームページ「国・地域」(2022年11月3日閲覧)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/index.html
2000年代以降に徴兵制度を復活させた国々
世界大戦後も、内紛や過激派組織によるテロの頻発など、世界情勢は不安定なままである。それらの脅威を目の前に、国防の意識が高まり、2000年代に入ってから徴兵制度を復活させた国々がある。ここでは、フランス、ウクライナ、スウェーデン、リトアニアの例を紹介する。
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フランス
徴兵制度の復活として、記憶に新しいのがフランスだろう。フランスは元々徴兵制度を設けていたが、2001年に廃止していた。(※5)復活のきっかけは、エマニュエル・マクロン大統領が、2016年の大統領選挙において「徴兵制の復活」を公約に掲げたことだ。この公約の背景には、2015年に頻発していたISの戦闘員によるとされるテロの数々を原因とする、国内の国防意識の上昇があった。そして当選後、2019年に「普遍的国民奉仕」という形で始まった。「普遍的国民奉仕」は、本来マクロン大統領が想定していた軍事演習を伴う兵役ではなく、公共奉仕活動の義務化という形で、満16歳の男女を対象に、1カ月間の奉仕活動を通してフランスや隣国との関わり、国防・安全保障の問題に関する認識の向上を目指すものだ。(※6)
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ウクライナ
2014年、ロシアによるクリミア半島併合が一大ニュースとなった。その直後に徴兵制を復活させたのが、当事国であるウクライナだ。半島を占領されただけでなく、半島東部の地域が相次いで独立宣言をするなど、武力侵攻による国の略奪、分断に遭った。
ロシアがこれ以上侵攻してきた時、現在のウクライナの兵力では太刀打ちできない、と徴兵制度を復活。対象は、18歳〜25歳の男性だ。
ロシアの軍事侵攻が続いている2022年現在は、総動員令が発令されており、2月に18歳〜60歳のすべての男性、同年6月には18歳〜60歳の全ての女性に対し招集がかかっている。
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スウェーデン
スウェーデンはもともと徴兵制度を設けていたが「過去2世紀に渡って、武力衝突が起きていないこと」「現代的な軍の必要な条件を満たせていない」という理由から2010年に義務化を廃止し、志願兵制度へと変更していた。しかし、2014年のロシアによるクリミア半島の併合と、ロシア軍のスウェーデン近郊での軍事演習の活発化に警戒し、2018年に再び徴兵制度を導入した。2018年の導入では、11カ月間の兵役が義務化、対象は1999年以降に生まれた男女とした。(※7)ただし、対象となる全ての年齢の人が入隊する訳ではなく、対象者に配信するアンケートの回答結果を基に年間約4000人を招集しているという。
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リトアニア
リトアニアも、2014年のロシアによるクリミア半島併合をきっかけに、廃止していた徴兵制度を復活させた国のひとつである。徴兵制の復活は2015年。対象は19歳〜27歳の男性で、9カ月間の訓練が課せられる。(※8)また、女性の志願兵も数多くおり、性別に関係なく同様の訓練を受けるという。
上記の例をみても、徴兵制復活の機運の高まりには、世界情勢の不安定さや凶暴さ、そして危うさが直結していることがわかる。2001年9月11日に起こったイスラム過激派テロ組織アルカイダによるアメリカ同時多発テロ、2014年 ロシアによるクリミア半島併合、2015年 ISILによる民間人の拉致や惨殺、自爆を含むテロ事件の数々、2016年 サウジアラビアとイランの国交断絶とそれによる緊張感の高まり、中国による台湾への軍事的圧力、そして2022年11月現在も続く、 ロシアによるウクライナ軍事侵攻。それぞれの国の立場において、国防意識を芽生えさせる脅威ともいえる事態が世界のどこかで常に起きているのだ。
※5 参考:外務省「国・地域 フランス共和国」(2022年11月3日閲覧)https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/data.html#section3
※6 参考:BBC NEWS JAPAN「フランス、新たな形で「兵役」復活へ 16歳の男女に奉仕義務」https://www.bbc.com/japanese/44639327
※7 参考:AFP BB News「スウェーデン徴兵制復活 ロシアの脅威に対応、女性も対象」
https://www.afpbb.com/articles/-/3119940
※8 参考:The Gurdians「Lithuania to reinstate compulsory military service amid Ukraine tensions」https://www.theguardian.com/world/2015/feb/24/lithuania-reinstate-compulsory-military-service
国防としての徴兵と「戦い」が意味すること
外務省が発表している「令和4年度版防衛白書」(※9)を開いてみると、「平和を生む抑止力」という文言が目に止まる。「他の国に対して侵略を思いとどまらせる力」を抑止力と呼び、その力を誇示することが自国を守ることになる。そのことが、国民の日常を守り、平和な社会を支えているということは、理解できる。
一方で、“国防”と言いつつも兵役で学ぶことは、銃の扱い方であり、戦闘機の操縦の仕方であり、人によってはミサイルの発射の仕方かもしれない。そのどれもが、人の命を奪うことに関わる。
リトアニア軍の徴兵制度に志願した女性兵士を追ったドキュメンタリー映画『優しい戦士たち リトアニア徴兵制復活』(2020)(※10)の中で、談話室でロシアの軍事侵攻のニュースを見ながら、女性兵士たちが日々自分たちが訓練していることの本当の意味を実感するシーンがあった。
「私たちは技術や知識を学んで祖国を守れるようになりたいと思っている。でももしも戦争が始まったらあなたは人を殺せる?リトアニア軍の場合、防衛の仕方を学んでいるけど、防衛の裏にあるのは、結局同じ死。ここでは人の殺し方を学んでいる」
テレビの中の銃撃戦に目を向けながら、国防のために訓練を受ける自身の行動と、矛盾した本音を吐露する印象的なシーンであった。
平和のための徴兵制度
平和を保つため、そして国防のために、訓練する。しかしその行きつく先は、世界大戦の頃と変わらず、人間どうしの争いによって、血を流し合うことに他ならない。抑止力の誇示の枠を飛び越えて行われているミサイル発射。その速報の多さ故に、どこか「いつものこと」と慣れてきてしまっている感覚があるのではないだろうか。しかし、それらは私たちの日常を一瞬で奪う可能性を秘めていることを、決して忘れてはいけない。
持続可能な世界の実現を目指す社会の中で、今後徴兵制度はどのような立場で存在し続けるのだろうか。
※9 参考:外務省「令和4年度版防衛白書 FOCUS2 平和を生む「抑止力」」(2022年11月3日閲覧)https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/
※10 参考:ASIAN Documentaries「優しい戦士たち リトアニア徴兵制復活」
https://asiandocs.co.jp/con/651
文:おのれい
編集:篠ゆりえ