「読み書きそろばん」というフレーズを聞いたことがあるだろうか。これは近世末期以降に初等教育の基本的な教育内容として広まったフレーズで、そろばんを用いる人が少なくなった現代でも大勢の人が知っているだろう。では、「STEAM(スティーム)教育」という単語を知っているだろうか?STEAM教育は、現代の「読み書きそろばん」に該当する、と言い換えられるかもしれない。例えば2020年に小学校で始まったプログラミング教育はSTEAM教育のひとつだ。今回は、これから世界でも日本でもスタンダードになっていくであろうSTEAM教育の概要を紹介する。
- STEAM教育とは?
- STEAM教育の背景
- STEAM教育の歴史
- STEAM教育の事例
- STEAM教育とGIGAスクール構想の連携
- STEAM教育の教材
- STEAM教育における課題と可能性
- 文部科学省が考えるSTEAM教育
- まとめ
STEAM教育とは?
STEAM教育とは、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)からなる「STEM(ステム)教育」にアート(Art)を加えた5つの領域を対象にしたもので、知ること(探究)とつくること(創造)を結び付け、各教科での学習を実社会での課題解決に生かしていくための教科横断的な教育のことだ。
近年では、現実社会の問題を創造的に解決する学習を進める上であらゆることに疑問を持つために、STEAM教育の「A」の部分を単なる"Art"ではなく、自然科学、社会科学、人文科学などの学問横断的な教養を意味する"Liberal Arts(A)"と捉えることもある。この考え方に基づいて、自由に考えるための手段を含む美術、音楽、文学、歴史に関わる学習などを取り入れることで、STEAM教育はSTEM教育を広く横断的に推進していく教育とも考えることができる。
国によってさまざまな定義が存在するSTEAM教育だが、基本的にはいわゆる理系分野を重点的に学ぶことを目的とするSTEM教育に端を発している。日本では科学・技術分野の人材育成以外にも、各教科・領域固有の知識や考え方を統合的に活用することを通して生徒のいわゆる受験のための学習ではない、探求のプロセスを理解した“問題解決的な学習推進”が期待されている。日本でもSTEAM教育をスタンダードにしていくための⽂部科学省の取り組みとして、ウェブサイトにおいて関連リソースの見える化や、STEAM教育の推進に関するガイドの作成がされる。(※1)
STEAM教育とSTEM教育との違い
STEM教育もSTEAM教育も教育方針は特に変わらず、文理の枠を超えて自分で考え、学習したことを何か社会に生かす能力の育成が狙いとされている。
※1 参考:文部科学省 「STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進について」(2022年7月15日利用)
https://www.mext.go.jp/content/20220518-mxt_new-cs01-000016477_00001.pdf
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STEAM教育の背景
そもそもSTEAM教育が海外で広がりを見せた背景には、科学・技術分野での人材の不足、国際競争力の向上などが挙げられる。特に前者の人材不足は日本でも問題視されており、IT人材の不足は2030年には最大で約79万人に達すると考えられている。(※2)
また、日本のSTEAM教育の目的には「Society5.0」(※3)の実現を支えることが挙げられる。将来的には高等学校時代にすべての生徒にSTEAM教育を学ばせることで、幅広い分野で新しい価値を提供できる数多くの人材の輩出につなげていくことが求められている。(※4)
※2 参考:経済産業省 「IT人材の最新動向と将来推計に関する調査結果」(2022年7月15日利用)
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/daiyoji_sangyo_skill/pdf/001_s02_00.pdf
※3 用語:サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会のことを指す。
参考:内閣府ホームページ 「Society 5.0とは」
https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html
※4 参考:文部科学省 「STEAM教育について」(2022年7月15日利用)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2019/09/11/1420968_5.pdf
STEAM教育が必要な理由
STEAM教育が求められている理由は社会的な問題が大きく関わっている。
AIやロボットの社会進出の影響
インターネットの普及とともに近年はAIやロボット技術が広がり始め、次々と表面化する人口減少や少子高齢化の問題において、テクノロジーが活躍し始めている。このように変化が激しい社会の中、科学技術を活用するだけでなく「新たな変化を生み出せる創造性に長けた人材」が求められ始めているのだ。STEAM教育は、新しいものを創造する力を養うために必要とされている。
STEAM教育の歴史
先述の通り、STEAM教育の前身は「STEM教育」だ。STEM教育は、2001年にアメリカ国立科学財団(NSF: National Science Foundation)で使用されたことに始まり、「現実世界の課題を解決したり、革新的なことを追求していく機会という文脈上の学修」として位置づけられていた。その後、2006年には、ブッシュ元⼤統領がSTEM教育強化 10の指針を示し、2008年にオバマ元大統領が⼤統領選挙の際に、STEM教育の学習方法の向上やコミュニティカレッジにおけるSTEM教育拡大を公約として掲げるなど、アメリカでは早々に国家戦略として取り組まれてきた。(※5)
そして2006年から2008年にかけて、アメリカで教育活動に従事するGeorgette Yakman氏が提唱したのがSTEAM教育だ。これは統合型STEM教育にArtsの要素を加え、学問領域を横断して指導するための教育モデルだ。(※6)
このようにアメリカでは国をあげて促進に向けた取り組みがされている一方で、日本では「STEAM教育」という単語もまだまだ浸透していないのが現状だ。5歳から15歳の子どもと同居する首都圏(東京・埼玉・神奈川・千葉)の男女7119人(25~69歳)に実施した調査によると、「STEAM教育」という単語を認知していた人は全体の26%だったそうだ。(※7)
※5 参考:経済産業省「21世紀の教育・学習」(2022年7月15日利用)
https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mirainokyositu/pdf/001_09_00.pdf
※6 参考:文部科学省「STEAM教育への取り組み」(2022年7月15日利用)
https://www.mext.go.jp/content/20200917-mxt_kyoiku01-000009959_4.pdf
※7 参考:STEAM JAPAN「STEAM教育に関する調査レポート」
https://steam-japan.com/report/5144/
STEAM教育の事例
日本の事例
ここでは国内で実施されているSTEAM教育の事例を見てみよう。
まずは、2002年から始まっている「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」が挙げられる。文部科学省からSSHに認定された高等学校が文部科学省や国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)に活動推進に必要な支援をしてもらえる制度で、令和3年までに、218校がSSHに選ばれている。(※8)
他にも2012年に科学技術振興機構が創設した「科学の甲子園」が挙げられる。高等学校等の生徒を対象に、数学・理科・情報における複数分野の競技を行う取り組みである。全国の科学好きな高校生が切磋琢磨し活躍できる場を構築すると同時に、科学好きの裾野を広げトップ層を伸ばすことを目指している。
また、先述の通り、2020年に小学校で必修化されたプログラミング教育も国内のSTEAM教育の一例だ。プログラミングの技術を学ぶのではなく、プログラミング的思考を学ぶことや情報社会がコンピューターなどの情報技術によって支えられていることを知ることを目的としている。(※9)
ただ、上述のように初等教育においてプログラミング教育が始まったのが2020年ということを考えても、日本におけるSTEAM教育推進に向けた取り組みはまだまだこれからだと言える。
海外の事例
シンガポール
アジアの中でも特にSTEAM教育に注力しているのがシンガポールだ。シンガポールではSTEAM教育を行う専門の組織があり、教師たちが子どもたちにSTEAM教育を行っている。また、シンガポールでは低学年の段階からアクティブ・ラーニング・プログラム(PAL)というプログラムを受講でき、質の高いSTEAM教育を受けることができる。
韓国
韓国では1990年代後半より若者のSTEMキャリアへの関心が低下し、高校での理系選択者数が文系選択者数を大きく下回る結果となった。そのため政府はSTEAM教育プログラムの作成やSTEAM教員の専門家の育成に予算を投じており、韓国科学創意財団(KOFAC)という団体が実際のプログラムを行なっている。
※8 参考:国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)ホームページ「スーパーサイエンススクール 指定校一覧」
https://www.jst.go.jp/cpse/ssh/school/list.html
※9 参考:文部科学省 「小学校プログラミング教育の手引(第三版)」(2022年7月15日利用)
https://www.mext.go.jp/content/20200218-mxt_jogai02-100003171_002.pdf
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STEAM教育とGIGAスクール構想の連携
日本において、STEAM教育と関係の深い言葉に「GIGAスクール構想」がある。「GIGAスクール構想」とは一体、どのようなものなのだろうか。
GIGAスクール構想とは
「GIGAスクール構想」とは、文部科学省が中心となり、全国の生徒全員に1台ずつのコンピューターと高速ネットワークを整備する取り組みをのことを指す。
ICT技術が社会に浸透するに伴い、教育現場でも先端技術の効果的な活用が求められることとなった。こうした社会の変化を受けて教育現場でパソコンやタブレットといったICT端末を活用できるようにするためこの取り組みは始まった。
「GIGA」は「Global and Innovation Gateway for All」の頭文字をとっており、直訳すると「すべての人のためのグローバルで革新的な入り口」という意味になる。
STEAM教育との関係性
「GIGAスクール構想」により、STEAM教育の実施において有効なICT技術が各学校に行き渡った。パソコンやタブレットを用いたプログラミング学習や、デジタルアートの制作など、従来の学校教育では実現が困難であったSTEAM教育活動が実現できるのではないか。
また幼少期からICT技術に慣れ親しむことで、ICTに対する心理的なハードルが発生しずらい可能性がある。ひいては、日本が直面するICT人材不足の解決に寄与するも可能性もあるのではないだろうか。
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STEAM教育の教材
STEAM教育の教材として、経済産業省が主導する「STEAMライブラリー」が挙げられる。
STEAMライブラリーは、2021年3月1日に始まったコンテンツで、小中高等学校における探求型学習で活用できる動画・資料等のデジタルライブラリーだ。大学や民間企業の協力を得て、学校でも活用可能な資料を制作・公開している。登録をすれば無料で利用することが可能だ。
STEAMライブラリーは、従来型の生徒が一方的に学習するだけの場ではなく、教師や研究者、企業人も交えた双方向的な学習の場を目指す。将来的には、生徒の興味関心に合わせてコンテンツにアクセスし、学校の枠を超えたプラットフォームになる想定だ。
サイト上では、キャッチーなサムネイルとわかりやすいタイトルでコンテンツがまとまっている。そのため、YouTubeなどの動画サイトに慣れ親しんだデジタルネイティブな学習者にとっては、興味関心に基づきコンテンツへのアクセスが容易になっているのだ。
STEAM教育における課題と可能性
国内のSTEAM教育の課題として挙げられるのが、端末やネットワークのICT環境と教員不足。これらの問題のうち、ICT環境に関しては年々改善されていることが分かっている。(※10)具体的には、教育現場におけるコンピューターの普及率を示す、教育用コンピュータ1台当たりの児童生徒数が、2009年は7.2人/台だったのに対し、2023年には0.9人/台へと上昇しているそうだ。また、インターネット接続率も2009年の60.5%から2023年には99.6%に上昇している。コロナ禍でリモート学習が普及したこともあり、デバイスやネットワーク環境の整備はどの教育機関も喫緊(きっきん)の課題として対応が進んだのだろう。
一方、教員不足はいまだに深刻な問題だ。そもそも日本の教育現場では長年、労働環境の是正が求められており、そのことにより人材確保が難しくなりつつある。限られた教員の奪い合いが熾烈になった結果、人材配置に偏りが生じる可能性が高い。そのことは、学校間における教育水準の格差問題に発展するだろう。
上記のような懸念事項はあるものの、STEAM教育を通して問題発見・解決能力、言語能力、プログラミング的思考、情報活⽤能⼒を学ぶことで、多様な人々と協働しながらさまざまな社会的変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手を創出する可能性が秘められている。国内でもICT環境は改善され、STEAM教育を学ぶことができる環境は整ってきた。今後STEAM教育がスタンダードになるためには、教科等横断的な視点で教育課程を編成すること、教育従事者に対する待遇の向上や施策、各関係機関と各学校とが連携し、⽣徒や地域の実態にあった探究学習を充実させていくことが待たれる。
※10 参考:文部科学省「令和4年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果(概要)(令和5年3月1日現在)」(2024年8月1日利用)
https://www.mext.go.jp/content/20231031-mxt_jogai01-000030617_1.pdf
文部科学省が考えるSTEAM教育
求められる人物像
文部科学省では、STEAM教育により、下記の能力・スキルをもつ人材育成を目指している。
- 文章や情報を正確に理解し、対話する力
- 他者と協働して思考・判断・表現を深める対話力
- 科学的に思考・吟味し活用する力
- 機械を理解し使いこなすためのリテラシー
- サイエンスや数学、分析的・クリティカルに思考する力
- 全体をシステムとしてデザインする力
STEAM教育に重要なのが「Society5.0」であり経済発展と社会的課題の解決を目指している。AIなどのテクノロジーを活用することかで課題を解決できる社会を実現しようとするのがSociety5.0。
文部科学省はSTEAM教育によってSociety5.0の実現を目指そうとしている。
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まとめ
一見すると、ICT環境の整備やプログラミング教育の開始などで日本のSTEAM教育も順調に進んでいるように思えるが、いまだSTEM教育の域を抜け出せていないのが現状だろう。
求められるスキルや価値観が日々変化する現代社会では、STEAM教育の目的でもある課題解決力や新しい価値を創出する力を身につけることは重要だ。そのためには「Art」の要素だけでなく、現実社会の問題を創造的に解決する学習を進める上で、あらゆる問いを立てるためにより広い範囲で定義された「Liberal Arts」の要素も高めていくことが大事なのではないか。
日本で分野の枠にとらわれない教育がスタンダードな社会になることで、近い未来にそのようなSTEAM教育を受けた世代が持続可能な社会の作り手となることを願う。
取材・文:吉岡葵
編集:Mizuki Takeuchi