よりよい未来の話をしよう

サッカーを通じて実現するインクルーシブな社会 北澤豪さんインタビュー

日本障がい者サッカー連盟(以下、JIFF)(※1)は、東京パラリンピックの種目としても採用されたブラインドサッカーをはじめ、障がい種別ごとにある7つの障がい者サッカー団体を統括し、障がいの有無に関わらず全ての人がサッカーを楽しめる環境整備を進めている。
JIFF発足時から会長を務めるのは、元サッカー日本代表の北澤豪さん。北澤さんはこれまでも、国際協力機構(JICA)サポーター、国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、国境を越えてサッカーの門戸を開いてきた。多様性の尊重が謳(うた)われる昨今、北澤さんはサッカー及びスポーツを通じてどのような未来を実現しようとしているのだろうか。

※1 日本障がい者サッカー連盟(JIFF)は、日本サッカー協会(JFA)の加盟団体。障がい者サッカー団体の強化・普及に務めている。

自分のなかで開発途上国支援と障がい者サッカー推進への意識は接続している

北澤さんご自身は現役当時に名選手として名前を残しています。Jリーグチームの監督という道でサッカーを推進するのではなく、障がい者サッカーの門戸を広げる形で貢献しようと思ったのはなぜですか。

やり方は少し違うのかもしれませんが、どれも一緒だと感じるからです。僕がやりたいのは人を成長させる過程で地域や国を発展させるということなので、それはJリーグの監督でも、JIFFの会長でも、同じようにできると思っています。

北澤さんはJIFFの会長就任以前にも、社会貢献への意識が高かったという印象を受けています。例えばJICAのオフィシャルサポーターとして10か国以上の開発途上国を訪問されてきましたが、そもそも途上国の支援に関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

現役時代、海外の大会で多くの開発途上国のチームと出会ったのがきっかけでした。しかし、当時は実際に現地を見に行くことは叶いませんでした。 あとは2002年に日韓のワールドカップがあったことも大きかったですね。日本と韓国が主導してアジア初のワールドカップを開催できたものの、今後はもっとアジア全体として豊かになるにはどうしたら良いかという意識から、次第にスポーツを通じて社会に還元していかなければならない、と感じるようになりました。

JICAのオフィシャルサポーターとしておこなってきた途上国の支援活動と、今回のJIFFでの活動に共通する部分はありますか。

どちらの活動を推進する上でも、自分のなかでの理念は同じです。全ての人ができるということがスポーツの良さであり、だからこそ夢を持てるものだと思います。プロになると逆に希望や勇気を与える側になれますよね。人が成長するのに大切な要素がスポーツにはあるのだと感じています。
JICAのオフィシャルサポーターとして活動するなかで、途上国におけるスポーツの機会づくりについてはずっと関心を抱いてきました。日本国内においても障がい者の方がスポーツを楽しめる機会がもっと必要だと思います。今まで問題意識を感じてきた「スポーツの機会均等」という点において、途上国支援とJIFFでの活動は共通していますね。

そもそも、全ての人がスポーツが楽しめたら良いと感じた背景は何だったのですか。

自分がサッカー日本代表現役時代にさまざまな国を訪れたなかで培われたのだと思います。途上国でも日本以上にスポーツを通じてさまざまな格差是正を求める運動を目にしました。例えば、カメルーンに行ったとき、女子サッカーを推進する過程で男女不平等に関する議論が活発だったのが印象深かったです。一方で、日本は生活環境が整っていながらそのような格差是正に対する感度が不十分だと感じるときがあります。あと、僕の年代はJリーグがスタートしたばかりで、単純に体を動かす体育から文化的要素を含むスポーツに意識が変わる過渡期だったこともあります。スポーツとしてのあり方を変えない限りは、みんながハッピーにはなれないな、というのは感じていたのではないかと思います。 

SDGsの認知拡大は障がい者サッカーにとって追い風だった

2016年にJIFFが設立されてから、2022年4月1日で7年目を迎えました。設立から現在に至るまで、日本の障がい者サッカーを取り巻く環境はどのように変わってきたとお考えですか。

JIFF設立のタイミングと、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた機運醸成や社会がSDGsの達成に向かうタイミングが合っていたので、この6年間はパートナー企業や周囲の理解を比較的得やすかったように思います。企業側の目標達成と社会の問題解決が一致するタイミングでスタートできたことは本当に良かったです。
ただ、自分が途上国支援をやっていたときには、いまほどの理解はなかなか得られませんでした。90年代は「国単位で先進国が途上国を支援する」という方向性だったので、多くの人が社会貢献を身近に感じられなかったのではないでしょうか。
その後、SDGsという具体的で分かりやすい目標ができたので、全ての人が何かしらの当事者意識を感じやすくなったのではと思います。やるべきことが具体的になったからこそ、スポーツの環境だけではなくて、スポーツをきっかけにしながら、日常生活の意識も変われば良いと思っています。

北澤さんがJIFFの会長に就任された後、障がい者サッカーの7競技団体が統括する日本代表ユニフォームが統一され、東京2020大会ではサッカー男子U-24日本代表、なでしこジャパン、ブラインドサッカー日本代表が初めて同じユニフォームを着用しました。障がい者サッカーといわゆる健常者サッカーの垣根を取り払うために何か工夫されたことはありますか。

ユニフォームの統一はプレイヤーズファーストの施策でしたね。選手たちがサムライブルーを着たいという思いが強かったのです。我々も子どもの頃に「あのユニフォームを着たい」という憧れをモチベーションに突き進んできた背景があるので、気持ちは痛いほど理解できました。だけどそれは障がいを持つ人々だけのことを思ったのではなくて、理想としては観客も同じユニフォームで全てのサッカーを応援できたら良いという意識がありました。日本では、スポーツによって代表チームのユニフォームの色がバラバラですよね。それはもう、JIFFの会長になる前からずっと疑問があって、けれどそれを言うとあまりいい印象を持たれないこともあります。それぞれの立場があるので仕方がない部分もありますが、全体を巻き込むようなものを作ることが重要だと思います。障がい者サッカーの7競技団体でユニフォームがバラバラであることは、JIFFの理念や発信していることとつじつまが合わないですよね。そのような考えから統一しました。

他にも、JIFFでは障がい者サッカー選手を先生に迎えて学校での授業をおこなっています。この辺りについて具体的な取り組み内容や意義を教えてください。

他の国だと子どもの頃から障がいを持ってる人たちと一緒に遊んで生活する機会がありますが、日本の子たちは一緒に過ごすことがあまりないですよね。なので、障がい者サッカーを通じて混じり合う時間を取るということがまず1番だと思います。
その上で、トップアスリートが実演に行くと、驚くぐらいのパフォーマンスを見せてくれて、子どもたちは単純に「すごい」という入り口を持つわけです。障がい者は弱い人ではない、と。また、日常生活の中での色んな工夫を重ねています。その年代にそういったことをインプットされると、大人になってからも違いますよね。今後、社会が高齢化していくなかでユニバーサルな視点でものを考えるためには、異なる背景を持った人々との関わりが身近である必要があると思います。でないと生まれてくるアイディアも乏しいものになってしまうと思います。

日本において、障がい者サッカーの地盤はまだ弱い

障がい者スポーツの地盤について質問させてください。例えばイングランドでは健常者サッカーのクラブが障がい者チームを持っているのが当たり前という状況で、日本では健常者チームと障がい者チームに分かれています。その背景にはどういう問題があるのでしょうか。

サッカーをしたいけれど、身体的な制約でそれが叶わない人たちをきちんとフォローアップできるような環境整備が進んでいないのは問題ですね。例えば高校サッカーでは全国大会に出ているのだけど、バイクの事故で脚がなくなってしまったという人が、アンプティサッカー(※2)に転向できる環境だったり。
それがイングランドはファミリーとして同じグループの中にあるわけですよね。健常者だけしかそのグループにいられないのではなくて、生まれながらに障がいを持った人も、突然病気になった人も、事故に遭った人も、同じグループにいる。そうしたら仲間意識は全然違いますよね。
ただ、いまは分かれていて、障がい者サッカーチームの運営に対してなかなか活動資金がない。やっぱりお金がないとなかなか活動もできないという問題はありますね。

海外であれば、ファミリーとして試合の放映権や物販という収入源があるので、障がい者サッカーチームにまで資金が行き届いているという背景があるのではないでしょうか。活動資金の確保、という点については日本のサッカービジネスの構造にも課題があるように思います。

そうですね、そこは健常者チームがファミリーとして障がい者サッカーチームを有していないことから生じる課題でもあります。かといって、たとえば障がい者サッカーの試合を健常者サッカーのように有料化すると、使用する施設も有料になるんですよ。そもそもの資金力が十分ではないなかで、運営費用がかかりすぎてしまうと、自分たちの手元には全く残らないということになる。これから活動を始める組織にしてみたら、どう考えても発展していけなくなる。そこは国や地方自治体の理解と協力が必要です。

ビジネスモデルを再構築する上で、ボトムアップでファンを増やしていくことも重要だと思います。一方で、障がいを持っていない人がマジョリティであるという社会において、「持っていない人」が「持っている人」を理解するのは非常に難しいことだとも思います。健常者が障がいを持っている方に関する認識を深める上で何が大事なのでしょうか。

ひとつは教育プログラムが重要だと思っています。やはり、子どもたちのそもそもの認識を変えていくということが今後の鍵になりますね。そうやって育っていけば、大人になって豊かな発想で物事を提案してくれるかもしれない。あるいは対価を支払って障がい者スポーツの土壌を育てることにもつながるかもしれません。時間はかかると思いますが、その循環は徐々に生まれ始めています。これが1周したら全然違ってくるのかなと思います。

※2 主に上肢又は下肢の切断障がいを持った人々により行われるサッカーを指す。
http://j-afa.jp/about

eスポーツもインクルーシブを実現できる

北澤さんはeスポーツ学院の名誉学院長もされています。eスポーツチームを強化することもサッカー業界のビジネスモデルを再構築する鍵になると共に、幅広い層とのタッチポイントになるのではと思っています。

まさにその通りです。eスポーツもマインドの部分や持っている情熱は通常のスポーツと変わらない。「誰もが参加できるのがスポーツ」という発想だと、体を動かすことだけがスポーツではないと思えますよね。なかにはeスポーツはスポーツではないという人もまだいますが、今後eスポーツへの理解は進んでいくのではないかと思います。実際、障がい者の人たちがeスポーツをやっているケースもありますし、それこそ性別も年齢も障がいもほぼ関係ないものになっていくと思います。

eサッカーもインクルーシブを推進する上では重要な要素ですね。

重要ですね。自分自身もeスポーツ学院の名誉学院長として、そこには力を入れたいと考えています。腕のない子が、いつもインクルーシブフットボール(※3)に来るんですよ。その子が所属するチーム合宿で誰かがゲームを持ち込んで、その子もやろうと思ったら「腕がないんだから、お前はできないだろ」という雰囲気になって。「いいや、俺もやれるから」と言って、足でゲームをやり始めたら一番上手だったという。それを見て周りは一気に「お前、すげえな!」となったらしいんですよね。このエピソードもですけど、eスポーツもインクルーシブを実現できると思いますね。

※3 JIFFでは、障がいの有無に関係なく、誰もが一緒に楽しむ「まぜこぜのサッカー」のことを「インクルーシブフットボール(Inclusive Football)」と呼んでいる。
https://www.jiff.football/special/iff/

障がい者スポーツを盛り上げるには、官民一体となることが重要

オリンピックとパラリンピックが終わった2022年以降、障がい者スポーツをどのように盛り上げようと考えていますか。

我々(JIFF)がやってきた活動と地域の活動をどうコネクトしていくかということですね。我々は我々でやっているけれど、地域で活動するチーム側でも障がい者スポーツを盛り上げようという活動をしているんですよ。実はその活動を何十年もやっているところも多くて、けれど、その人たちだけだと限界もあるので、よりうまく連携していこうということで、我々と日本サッカー協会が主導し地域連携会議を行っています。そして、そこに行政が入り込むことも重要です。無償で施設を借りられたりなど、運営上ボトルネックとなる部分にはやはり行政の協力が必要です。
あとは、サッカー業界だけがこれをやっていても世の中は変わらない。サッカーがモデルになることによって、他の競技団体も同じようにインクルーシブの実現に向けて進んでいけるものを提案したいと思っています。

最後に、今回インタビューのなかで北澤さんは「つなぐ」「貢献する」という言葉を何度も使われました。継承するという意識が非常に強い方だなと感じたのですが、それはなぜですか。

自分がスポーツに助けられてきたからですね。プロスポーツ選手として得たもの以上に、サッカーは多くのものを結びつけてくれましたから。サッカーが大変な状況にある人々にも同じようにチャンスを与えられるツールになったら、世の中におけるスポーツの価値も大きく変わってくると信じています。

近年、ダイバーシティ&インクルージョンという言葉がスローガン的に掲げられるが、それを真に実現する道程には困難が伴う。スポーツの裾野を広げる可能性を秘める障がい者サッカーもeスポーツも、初めから周囲の理解を得られるわけではない。そのなかで、自らの成功体験に囚われず、次の世代にパスを繋げようとする北澤さんの姿勢はひとつの希望ではないだろうか。

 

北澤 豪(きたざわ つよし)
海外へのサッカー留学・日本代表初選出を経て、読売クラブ(現 東京ヴェルディ)で活躍(J1リーグ通算264試合)。日本代表としても多数の国際試合で活躍した(日本代表国際Aマッチ 59試合)。03年現役を引退。(公財)日本サッカー協会 フットサル・ビーチサッカー委員長、(一社)日本障がい者サッカー連盟会長、(一社)日本女子サッカーリーグ理事としてサッカーのさらなる発展・普及に向け活動を行っている。また、国際協力機構(JICA)サポーター、国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして社会貢献活動にも積極的に取り組み、サッカーを通じて世界の子ども達を支援できる環境作りを目指している。2022年、日本初のeスポーツ専門の高等学校 「eスポーツ高等学院」名誉学院長に就任。


取材・文:Mizuki Takeuchi
編集:日比楽那
写真:Takuya Yamauchi