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「もういい歳なんだから」が加速させる差別 エイジズム

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「差別」と聞いたときにあなたは何を思い浮かべるだろう。医学部入試での不正問題や#MeToo運動などを見て性差別(セクシズム)をイメージする人が多いだろうか。あるいは2020年に大規模な運動へと発展したBLM運動や、近年テレビなどでもよく報道されそている入管問題などから人種差別(レイシズム)をイメージするだろうか。いずれも、残念なことに古くから続く根深い差別である。

もちろんこれらの差別も重要な問題ではあるのだが、それらに続く第3の差別として挙げられているものがある。それは「エイジズム」だ。

エイジズムとは

日常会話の中でよく使われる「もういい歳なんだから」とか「年甲斐もなく」といった言葉がある。こんな言葉をかけられたり、自分を卑下して使ったり、または誰かにかけてしまったことはないだろうか。この言葉こそ、エイジズムの概念をそのまま象徴するような言葉だ。

一般的に、老いること、歳を重ねることはネガティブに捉えられる場合が多いだろう。歳を取ったらしてはいけないことや、できないはずだとされることも数多くある。エイジズムとはそのような、年齢による偏見や差別のことを指す。

初めにエイジズムの概念が提唱されたのは1969年のことだ。アメリカ国立老化研究所の初代所長であったロバート・ニール・バトラーが提唱し、「年をとっているという理由で高齢者たちを組織的に1つの型にはめ、差別すること」であると定義されている。

老いは誰もが経験するものであり、さまざまな年代の人が生きる世界で生活していれば、おそらく多くの人にとって身近な概念であるはずだ。しかし、株式会社LIFULLが2021年6月に行った「『エイジズム』に関する調査」(※1)では、回答者のうち77.9%が「エイジズムを知らない」と答えている。まだはっきりとそれらが差別であると認識している人は少ないのかもしれない。同社では調査結果の発表とともにエイジズムをテーマにした映像作品『年齢の森-Forest of Age-』も公開しており、対話を通してエイジズムへの理解を深める人々の様子が記録されている。

※1 参照:株式会社LIFULL「エイジズム」に関する調査
https://lifull.com/news/21802/

肯定的にも否定的にもなるエイジズム

エイジズムには肯定的な側面もあれば、否定的な側面もある。たとえば、「お年寄りは知恵を持っている」という考えも偏見ではあるが、歳を重ねることを経験を積んだり知識を獲得したりしているという観点から肯定的に捉えていると言えるだろう。また、社会の仕組みの面で言えば交通費や公共施設の利用費が無償化されていたり、割り引かれていたりするのも、エイジズムの肯定的な側面である。

一方で、否定的な側面として代表的なのは定年退職の制度だ。個々人の能力に関わらず、年齢によって働く権利がなくなってしまったり、再雇用されたとしても定年前よりも給与が大きく削られたりといったことがある。日本では、2012年の法改正で60歳から65歳へと定年の引き上げ、65歳までの継続雇用制度の導入、または定年制の廃止の3つのうちいずれかを実施することが事業主に義務付けられ、現在も高齢者の雇用機会拡大に向けた議論が重ねられているが、まだ定年の制度は残っている。さらに高齢者だけでなく、中年以降になると転職が難しくなるといった声もよく聞く。

海外を見ると、アメリカにはThe Age Discrimination in Employment Act of 1967という、雇用における年齢差別禁止法が存在する。この法律は1967年に制定され、40歳以上の人に対して年齢を理由に雇入れ、解雇、賃金、昇進、労働条件などに関する差別をしてはならないとするものだ。これによって、アメリカでは年齢の記入欄がない履歴書も多く、面接でも年齢を聞かれることは少ないという。アメリカ以外でも、カナダでは1970年までに全ての州において年齢差別禁止法が適用されたり、オーストラリアでも1990年以降に年齢差別禁止法が立法され始め、現在では全州で適用されているという。

雇用の問題は代表的な例であるが、それ以外にもエイジズムの否定的な側面は数多くあるだろう。たとえば、年齢を理由に結婚や恋愛が否定されたり、派手な服装がしにくかったり、新しい趣味や活動を始めようとしても否定されるなどといったことは容易に想像できる。アンチ・エイジングという言葉も、老いることへの抗い、「抗老化」への取り組みとしては一見ポジティブに見える。もちろん実際に健康な体を持続するための能動的な取り組みとして、有意義な側面もあるだろう。しかし、そもそも老いをネガティブなものだと捉えているからこそ、このような取り組みが生まれるとも言えるのではないだろうか。サプリメントや健康食品、フィットネスクラブなどさまざまなビジネスがアンチ・エイジングの意識を加速させ、老いることへの恐怖や若さへの執着を強化している。

「あなたはもういい歳なんだから」といった周囲の声と、「私はもう歳だから」といった個人の意識、そして社会的なシステムが合わさって、現代日本におけるエイジズムは根深いものとなっている。

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年齢による偏見や差別は若者にも向けられる

一般的に「エイジズム」と言うときには、高齢者や年配者への差別を指すことが多い。しかし、年齢による偏見は高齢者だけが受けるものではない。いつの時代も「最近の若者は〜」という声はよく聞くし、筆者もよくそのような声をかけられる。若者が、年齢によって差別的な視線を向けられたり偏見を向けられたりすることも、十分にあると言えるだろう。

企業の仕組みで言えば、近年少しずつ変わってきてはいるが、年功序列の仕組みも根強い。(行き過ぎた実力主義は格差を生むといった問題もあるが)年功序列の制度は個々人の能力とは関係なく、年齢を根拠にした偏見の集まった仕組みだろう。

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また、「~世代」というように、ある一定の期間に生まれた人たちに名前をつけ、世代としての特徴を語ることはこれまでにも多くあった。最近では、ゆとり世代への批判的な指摘や、ミレニアル世代・Z世代への期待と偏見などが象徴的だ。

若者であれど、一定の年齢層の人たちを世代で括ることは、ゆくゆくは高齢者が受ける差別やネガティブな偏見へと続いてしまう側面があるのではないだろうか。根本にあるのは、個人の能力を見ず声も聞かずに、年齢や生まれた時期などの分かりやすい指標からどんな人物かを判断しようとする意識だ。もちろん、時勢により異なる社会背景があるため、同じ時代を生きた世代ごとの傾向がないとは言えない。しかし、年齢をもとにしたジャッジがなされる場面が多すぎること、それこそが問題なのである。「若者だから」、「『〜世代』だから」といって当てはめられた枠は、いずれ「高齢者だから」の枠へと移行していく。誰もが関係のある「エイジング」。社会通年化している価値観に流されず、個々人の声を聞いていくことが大切なのではないだろうか。


文:白鳥菜都
編集:大沼芙実子