ステレオタイプとは
心理学を専門とする野寺綾氏は公益社団法人日本心理学会の特集「偏見とステレオタイプの心理学」において以下のように述べている。
ステレオタイプは、性別のほかにも人種や民族、職業など、さまざまな集団に対して形成されうる。ステレオタイプを用いた推測は、特定の集団に対する偏見や差別を引き起こしうるほか、集団間の紛争の生起とも深く関係している。
(※1)
つまり、ステレオタイプとは、ある特定のグループに対して向けられる固定観念的なイメージであり、偏見や差別を引き起こす原因となる概念である。
※1 引用:野寺綾「特集 偏見とステレオタイプの心理学 感情とステレオタイプ化」
https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2017/10/52-9.pdf
ステレオタイプの定義
ステレオタイプとは、「思い込み」にも近い言葉である。これらの考えやイメージは、そのグループに所属するすべての個人に当てはまるかのように一般化され、しばしば偏見や偏見の元につながる。
偏見・差別とステレオタイプの違い
ステレオタイプは、偏見や差別などといった単語とともに使われることも多い。3つの言葉は互いに関連しているものの異なる概念である。それでは、ステレオタイプ、偏見、差別にはどのような違いがあるだろうか。
まず、ステレオタイプとは一般的な信念やイメージのことであり、しばしば偏見や差別の温床となる場合がある。
偏見とはある特定のグループに対する負の感情や態度、好意的ではない信念を持っていることを指す。ステレオタイプが正や負を持たない思い込みを指すことに対して、負のイメージを持っている点が偏見の特徴である。
そして差別とは、ある個人やグループに対して不当で不平等な扱いをすることを指している。差別はステレオタイプや偏見によって助長されることもある。差別や偏見を減少させるためにはステレオタイプの解消が必要不可欠だ。
ステレオタイプの起源
ステレオタイプ(Stereotype)とは、ギリシャ語で「固い」「固定した」を意味するSteroと、「印象」や「特徴」を意味するTypeが組み合わさった言葉である。もともとは、18世紀末にフランスで発明された印刷方法、またはその鉛版のことを意味していたが、鉛版を用いることで同じものが何枚も印刷できるその特性から、学校や社会といった集団、性別、職業、民族などの社会的カテゴリーに対して、「型にはまった考え方」「固定観念」を持つという現在の意味につながっていったとされている。(※2)
ステレオタイプの言葉の起源は上記の通りであるが、ステレオタイプがどのように使われ始め、ジェンダーやオタク、キャリアウーマン、美人ステレオタイプといったさまざまな分野や属性に対してステレオタイプがどのように機能してきたかといった問題は社会学、心理学、文化人類学などで研究されている。
※2 参考:東京学芸大学リポジトリ「インターネット接触が職業におけるジェンダー・ステレオタイプに及ぼす影響」
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050569943993343232
ステレオタイプの具体例
ステレオタイプの具体例を説明するため、以下の問について考えてほしい。
ドクター・スミスは、アメリカのコロラド州立病院に勤務する腕利きの外科医。仕事中は常に冷静沈着、大胆かつ細心で、州知事にまで信望が厚い。ドクター・スミスが夜勤をしていたある日、緊急外来の電話が鳴った。交通事故のけが人を搬送するので執刀してほしいという。父親が息子と一緒にドライブ中、道路から谷へ転落し、車は大破、父親は即死、子供は重体だと救急隊員は告げた。20分後、重体の子供が病院に運び込まれてきた。その顔を見てドクター・スミスはアッと叫び、そのまま茫然自失となった。その子はドクター・スミスの息子だったのだ。さて、交通事故にあった父子とドクター・スミスの関係は?(※3)
この問題は、ステレオタイプの具体例を説明する際に使われることが多い、「ドクター・スミス問題」という問題だ。
東京大学大学院教授の唐沢かおり氏によると、授業内でこの問題を主題したとき「ドクター・スミスは離婚しており、元の奥さんは、ドクター・スミスとの間に生まれた息子を連れて再婚した。運び込まれたのはその息子で、なくなった父親は再婚相手」という答えが出るそうだ。(※3)
この問題に絶対的な正解は存在していないが、ドクター・スミスは女性であり医師であり、運ばれてきた夫と息子は彼女の旦那と子どもという解釈が、初見で出てきにくいという点がまさに社会に存在しているステレオタイプである。
この事例のように、ステレオタイプは性別、そして人種や民族、職業や社会的地位といった分野に存在している。
※3 出典:公共社団法人日本心理学会「偏見の心理学」
https://psych.or.jp/publication/world101/pw37/
性別
性別を元にしたステレオタイプは、ジェンダーバイアスという概念と意味が近い。
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かなりオールドスタイルなステレオタイプの例を挙げるなら、「男は仕事、女は家庭」「男は理系、女は文系」「男は青、女は赤」といったものだ。
また、女性は「数学が苦手」「感情的になりやすい」「家庭的である」男性は「出世欲が強い」「大雑把である」などと言ったステレオタイプも存在している。
性別間のステレオタイプにおけるデメリット
性別に基づいたステレオタイプの影響で、男女はそれぞれ以下のようなデメリットを被る場合がある。
男性へのデメリット
・「寡黙で感情を隠すべきだ」というステレオタイプに影響され、感情を表に出すことが難しい場合がある。このことは精神的な健康へのリスクを高める可能性がある。
・「成功しなければならない」という周囲あるいは自分自身からのプレッシャーがストレスや不安につながる
・「仕事を重視しなければいけない」というステレオタイプにより、家庭に十分な時間を割くことができなくなる場合がある。これは結果として家庭関係の悪化につながる
女性へのデメリット
・ステレオタイプに基づいた賃金や役職の設定ゆえに不利益を被る場合がある。説明できない男女格差とも表現されるが、女性はしばしば経済的な不平等に直面し、男性と同じ業務内容でも低い賃金を得ることがある。また、昇進の機会にも差が生まれる
・家庭と仕事の両立へのプレッシャーゆえに、ストレスや不安、あるいは多くの場合は仕事を諦めざるを得なくなる
・社会的なステレオタイプから美しさや外見に価値をおかれることがあり、これに対応しようとした際に負担を感じる
このように、性別に基づいたステレオタイプは女性、男性それぞれの自由や機会を奪いうる。
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人種や民族
人種や民族に関してもステレオタイプは存在している。筆者が海外に行った際、「日本の女性は優しくて献身的だよね」と言われたことがある。ここには、「日本人であり女性である人」への人種と性別といった複合的なステレオタイプが読み取れる。
また、2020年にはNHKの番組で「世界のいま 拡大する抗議デモ アメリカでいま何が」という特集が放送され、番組内で描かれた黒人男性像のステレオタイプに基づいた描写が偏見を助長するといった国内外からの激しい批判をうけ、NHKは関連動画の削除および番組内での謝罪に至った。当該番組内で、黒人は暴力的でときに暴徒化し、警察の脅威になる存在として描かれていた。
ハワイ大学教授の吉原 真里氏は「アメリカでは歴史的に、こうした差別的認識とステレオタイプが、多くの場合殺人にまで至る黒人への暴力を正当化してきた」と述べる。(※4)
人種や民族に対するステレオタイプは偏見や差別を助長し、民族間の対立や争いを引き起こす要因になりうるのだ。
※4 参考・出典:現代ビジネス「炎上したNHK『抗議デモ特集番組』、何が問題だったのか徹底解説する」
https://gendai.media/articles/-/73319?page=6
職業や社会的地位
「Draw-a-Scientist Test」(科学者を描いてみようテスト)という実験がある。実際に科学者を描いてと言われた場合、白衣を着用し、もじゃもじゃの髪の毛にメガネをかけた男性を描く人は多いのではないだろうか。
アメリカのローズ・カレッジの助教授で初等教育を専門とするLaura Beth Kelly氏は小学生の男女を対象に「Draw-a-Scientist Test」を実施したが、76%が男性科学者を描き、女性科学者を描いたのは24%に留まった。
また、Kelly氏は実験後になぜ男性/女性の科学者を描いたのかを子ども達に質問しているが、以下のような回答があったという。
・「大抵、科学者は男性であり、女性ではない。だから、男性の科学者を描いた」(男子学生)
・「女性科学者よりも男性科学者を多くみてきたから。女性の科学者は1人しか見たことがない。また、男性は女性よりも多くのものを発見すると思う。修正すべきものを女性よりも多く見つけるといったように。」(女子学生)
・「映画で女性科学者を1人も見たことがないから」(男子学生)(※5)
このことからもわかるように、職業や社会的地位へのステレオタイプは、ジェンダーへのステレオタイプと密接に関連している。
また、職業へのステレオタイプは、科学者だけにとどまらない。政治家、医者、会社員、警察、看護師、パートタイム職員など幅広い職業にステレオタイプが存在しているのだ。
※5 参考・出典:Laura Beth Kelly「Draw a Scientist Uncovering students’ thinking about science and scientists」回答部分は筆者訳
https://www.nsta.org/draw-scientist
メディアにおけるステレオタイプの描写
ステレオタイプの醸成には、メディアによる役割も大きく影響している。メディアはステレオタイプを助長することも、既存のステレオタイプに挑戦することもある。それでは具体的には、メディアとステレオタイプはいかに関係しているのだろうか。
コマーシャルとステレオタイプ
坂元らは、1961年から1993年までのコマーシャルを分析対象にしながら、性別によるステレオタイプの描写がいかに変化してきたかを検証した。具体的には、以下の6項目についての検証を行っている。
1.女性は無職者であるのに対し、男性は有職者である。
2.女性は家の中にいるのに対し、男性は家の外にいる。
3.女性は、自分が推薦している商品のユーザーであるのに対し、男性は、その権威者である。
4.女性は、なぜその商品が良いかを説明しないが、男性は説明する。
5.女性は、低額な商品を推薦するが、男性は、高額な商品を推薦する。
6.女性については、若い人物だけがコマーシャルに登場するのに対し、男性については、いろいろな年齢の人物が登場する。
(※6)
結果として、33年の間にこのようなステレオタイプは変化していないという結果が導出されている。この調査から20年余りの時間がたった現在において、コマーシャルによる以上のような描写は徐々に変化している部分と、いまだに現存している部分があると言えるだろう。
コマーシャルは大衆に対して繰り返し放送されるため、何度もそれを目にした視聴者はそのイメージを無意識のうちに固定化することになる。社会の変化に合わせてコマーシャルが変化していくのも事実であるが、コマーシャルが世論に先駆けて新たな社会のあり方を提示することは稀である。
※6 引用:坂元 章・鬼頭 真澄・高比良美詠子・足立にれか「テレビ・コマーシャルにおける性ステレオタイプ的描写の内容分析研究──33年間でどれだけ変化したか──」http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/6/journal06047.pdf
報道やバラエティ番組におけるステレオタイプ
それでは、テレビ番組とステレオタイプはどのように関係しあっているだろうか。かつて、あるバラエティ番組において理系出身の女性社員が電卓ではなくエクセルを使用して計算をした際に「リケジョ」であると放送され、物議を醸した。また、当該番組には「高学歴だが女子力はない」といった内容もあった。このような例は、バラエティ番組がステレオタイプを助長する典型と言えるだろう。
そもそも、男性が理系である場合は特段表現する単語はないが、女性が理系である場合はリケジョという言葉が使われる点にもステレオタイプが見てとれるだろう。バラエティ番組においては、ジェンダーや人種などに対するステレオタイプが助長されやすい傾向にある。
一方、報道番組はそれらのステレオタイプを解消するような特集、問題提起を行う場合もある。ただ、それらの内容が十分な検討を行われていない場合や、あるいは番組に出演するコメンテーターの発言の内容によって、ステレオタイプの解消に繋がらなかったり、あるいはさらに強化されてしまったりといった場合も考えられる。
ステレオタイプの影響と脅威
ステレオタイプの概要と偏見・差別を引き起こす一面は見てきた通りである。しかし、ステレオタイプはそれと関連して「ステレオタイプ脅威」という副次的な負の側面も有している。
ステレオタイプ脅威
「ステレオタイプ脅威」とは、「周囲からステレオタイプに基づく目で見られることを恐れ、その恐れに気をとられるうちに、実際にパフォーマンスが低下し、恐れていた通りのステレオタイプをむしろ確証してしまうという現象」のことである。(※6)
先ほどの具体例で示したような、「女性は理系科目が苦手だ」といったステレオタイプを意識しすぎたり負担になったりして、結果として理系科目のパフォーマンスが下がってしまうことがステレオタイプ脅威の一例だ。
ステレオタイプの強調や刷り込みが、本来発揮できるはずのパフォーマンスを妨げてしまうことになる。このようなステレオタイプ脅威は、子ども、人種、ジェンダーなどの分野で研究結果が多数発表されている。ステレオタイプは相手だけではなく、自分を苦しめるものになるとも言えよう。
※6 出典:英治出版オンライン「わたしたちはジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎている (四本裕子:東京大学大学院総合文化研究科准教授」)
https://eijionline.com/n/na333fc832278
ステレオタイプから脱却するために
ステレオタイプが、人々の行動を不自由にしたり、可能性を制限したりする要素を有していることは以上にみてきた通りである。それでは、我々がステレオタイプから脱却するためには、どのような方法を取ることができるだろうか。
社会的なアプローチ
まず、社会的なアプローチが必要になるだろう。個人の意識改革だけに頼り、状況を著しく改善することは簡単ではない。
ステレオタイプから脱却するために社会が取れるアプローチには、教育、メディア、法整備などがあげられる。教育の現場でステレオタイプについての意識を高めるためのプログラムを導入して子供たちとともにステレオタイプについて考える機会を作ることも有効だろう。メディア報道や、差別に対応する法制度を整備することも有効である。
個人的なアプローチ
そして、個人からのアプローチも欠かせない。自身のステレオタイプを認識するために、本を読んだり、有識者の話を聞いたりすることも重要だ。また、自分と異なるバックグラウンドを持つ人たちとのコミュニケーションも、自身のステレオタイプを自覚したり、克服したりする際に助けになる。情報を入手するメディアを1つに絞らず、より包括的に情報に触れることを意識する必要もある。
まとめ
ステレオタイプにとらわれていることに気付かないまま、私たちは何気ない会話や行動のなかで、他人を何かの枠に閉じ込めたり、偏見や差別を助長したり、自分さえも苦しめてしまう。単純で華やかではない方法だが、ステレオタイプを学習し知識として身につけ、失敗から学んでいく姿勢が社会の至る所に存在しているステレオタイプを克服していく最も有効な手段であろう。
文:小野里 涼
編集:吉岡 葵