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新宅広二|1時間目:「弱肉強食」という幻影【大人のための“シン・動物学”】

【大人のための“シン・動物学”】と題して、実は知られていない動物たちの生態を深掘りしていく。動物たちの世界を覗くことは、人間社会の問題を考える1つの側面として、私たちに新しい発見や面白い気づきを与えてくれるかもしれない。

皆さんは自然観、とりわけ「動物観」は、ざっくりどんなイメージをお持ちですか?

私がやんちゃな子ども向けの動物本を書くときには、わくわくするエンタメ重視にしてあげるので、「最強動物」や「危険生物」といったパワーワードに見合った、いかにもちびっ子たちがワーキャー言いそうな猛獣や毒生物を取り上げるようにしている。このジャンルは、ちびっ子だけではない。オトナも大好きだ。

今回のコラムは、世に流布する「動物観」の誤用について解説し、それが誤った自然保護や政治と結び付く怖さについて、取り上げてみようと思う。

ワニは猛獣だが、貪欲ではなく食が細い。

私たちがイメージする「動物観」はホンモノなのか?

日本の教育では「動物学」を学ぶことはない。理系大学の生物系ですら、図鑑的な動物の分類や生態を広く学ぶことができるところはごく限られている。だから、たとえばライオンが何の仲間で、どこに生息して、何を食べているのかを知らなくても、まったくもって恥じることはない。だって学校で教えてくれないんだから。

日本の初等・中等教育の理科教育(生物)は、細胞とか顕微鏡を使うようなミクロな世界にウエイトが偏っていて、野生動物の生態を学んだり、実際にホンモノを野外で観察したりするマクロな実学教育は皆無。なぜなら受験に出ないし、教えられる人もいないから。そんなわけで、高等教育の専門分野に進学して学ばない限り、動物の基礎知識は、オトナもコドモも大差はない。なんなら動物好きで図鑑を読み漁っているような子は、おとな顔負けだ。

小中学校の理科の単元で、ゾウ、キリン、ゴリラ、パンダ、ホッキョクグマ…といった、世界の野生動物の暮らしを学べる授業があれば、絶対に楽しい授業になるのに!もっとも自分の国の自然に、どんな動物がいるのかも学ばずに、日本人はオトナになる。

しかしながら、理科の「生態系」の単元で、突如として野生動物の話が一瞬現れる。食物連鎖や生態系ピラミッドの話だ。これは、算数で例えるなら、足し算、引き算を学んでいない人に、微分積分を教えるようなもの。地球の生態系は、あらゆる理科的な要素を総合的に考察してはじめて語れるもので、人間が気安く語っていいものかすら疑わしく、とにかく尊い学問領域だ。地球の生態系は、あまりに複雑すぎて、誰も全体を見たことない、誰も証明できない壮大な現象ばかり。明日の天気ですら、人間には当てられないのに…。

だから教科書ですら誤りが多い。

生態系の頂点に君臨する、いちばん強い動物は?

「生態系ピラミッド」の図は、みなさん教科書で見たことがあるだろう。ピラミッドの頂点に肉食動物を配し、その下に草食動物、さらにその下に植物などが配された図だ。この図から、ピラミッドの頂点にいる肉食動物が最強、下位の草食動物が負け組と直感的に「普遍的な序列」として普通は読み取れるだろう。ピラミッド型というのは、身分制度のカースト的な厳格な序列の社会構造を表すものだからだ。

肉食動物が草食動物の上位にいる感じに学校で習う...。

しかしながら、生態系というのは、そういった動物“ごと”に優劣・強弱を区分できるものではない。肉食動物が草食動物より勝っているのは、個別に1対1でケンカした時(狩り)だけであって、それとて全勝するわけではない。個々の戦闘能力ではなく、種としての現状を見ると、肉食動物は、ほぼ例外なく絶滅に瀕している。哺乳類だけでなく、鳥類でも猛禽類(肉食の鳥)がそうだ。

その理由は様々だが、1つは食性にある。肉食動物は、空腹になってから満腹になるまでのプロセスがあまりに多すぎて非効率。狩りでは、まず獲物を探しまわり、次に追いかけて、さらに確実に仕留めないと、食料は口に入らない。百獣の王ライオンですら、狩りの成功率は2割程度だ。プロ野球選手なら1軍レギュラーは厳しい成績だ。

片や草食動物は、よほどの極地でなければ、植物はわりと好きな時に好きなだけ食べることができる。しかも植物細胞にだけある外殻(細胞壁)の硬いセルロースを分解できるので、少量の草から高エネルギーを獲得できる。これが肉食動物にはできない高性能に進化した消化システム。これによって両者には、生存戦略的に大きな差がついた。現在、地球上で進化的に大繁栄しているのは、哺乳類では圧倒的に草食動物のグループなのだ。

食性だけでなく、草食動物はメンタルも強い。追いつめられたり、子を守る母親は、死ぬ覚悟で反撃してくるので、捕食者を退散させるどころか、逆に殺してしまうことさえある。たとえば、キリンの攻撃は前肢をデコピンのようにふりかぶって蹄(ひづめ)を敵の額めがけて狙い撃ちする。ライオンも直撃すれば頭蓋骨が粉砕するとんでもない破壊力なため、決してキリンの正面には近寄らない。

オトナに成長できたキリンに天敵はいない。

肉食動物と草食動物が、戦力や身体能力の面で真のライバルとして実力が拮抗しているからこそ、生態系のバランスがとれているわけで、もし肉食動物だけに圧倒的な戦力スペックが偏っているなら、地球には肉食動物だけしか残らないことになってしまう。ケンカ(狩り)の戦闘能力だけでなく、逃げ隠れする能力、繁殖能力、成長スピードなどの総合的なスペックの上で、種の繁栄と衰退は決まるわけだ。

さらに最も大事なファクター(野生動物たちの最大の敵であり、最大の恐怖)は、捕食者やライバルの存在ではなく、それは「自然環境」そのものなのだ。つまり、この「食う・食われる」という関係は、実際には最重要ファクターではないということだ。酷暑、寒冷、干ばつ、洪水、火山、病原体…次々に耐えがたい試練が襲ってくる。天敵がいない大型肉食動物のクマやイヌ科・ネコ科動物ですら、生まれた子どもの半分は1年目を迎えること無く「自然環境」に殺されていく。

こういった現状(私見)を踏まえて、“生態系の頂点に君臨する動物”などという教科書の説明文はいかがなものか?動物の真の「強さ」とは何か?生態系の頂点というピラミッド構造は、現在の地球の自然を正しく表現できているのだろうか?みなさん、あの図から、そういった生存競争や種間の相関関係を読み取れていただろうか?

野生動物の世界が「弱肉強食」というのは、誤解?

ダーウィンの進化論の「適者生存」を「弱肉強食」と勘違いしている誤用をよく目にする。その誤用とは、“強い者が弱い者を駆逐して栄えていくものだ”という思想だ。これは科学的事実では無く「思想」であり、何なら「幻影」だ。

先述のように、肉食動物が草食動物を食べつくして根絶やしにすることは、現実にはない。この二元的なモノの見方に、「勝ち・負け」という安直な価値観を当てはめるのも危なっかしい。

また、同種内の競争関係を見ても、最も強いものや、最も美しいものだけが、子孫を残せるわけでもない。闘争は儀式化され、本気の殺し合いもしない。まるでスポーツのようなもので、淘汰もされない。この勝敗によって、優先権こそあるものの、いわゆる「敗者」といわれる個体も、実際には結婚するチャンスや子孫を残すチャンスは十分にある。もちろん日常の食事も最上位のものが独占しているわけではなく、ケンカに負けた劣位個体が食事が許されずに飢えて、ひもじい思いをしているわけでもない。

カバの闘争行動は儀式化されて、口の大きさ比べで勝敗を決める。殺し合いはしない。

では、なぜ「闘う」のか?それは動物行動学的に未だ謎が多い。闘いの儀式での勝者は、「名誉」のようなフワッとしたもの以外、特別な「ご褒美」が山ほどあるわけではない。たいがいの動物のメスは、強さNo.1のオス以外とも、こっそり交尾をしたりするので、メス側も儀式的な「強さ」だけに価値を求めているわけでもなさそうだ。

順位制の社会動物は、群れのルールは厳しいが、上位者が食べ物やメスを独占しているわけではない。

おそらく「強い遺伝子を望む」というのも人間が考えた、そして実に人間らしい「幻想」で、動物は遺伝子なる概念や「種の存続・繁栄」をひとりで背負って行動しようなんて、1mmも考えていない。惚れるのに、分子レベルのDNAもへったくれもないだろう。たとえば、フェラーリを好きになるのに、エンジンに使われている小さなネジの部品の出来の良さを理由に惚れる人はおそらくいないのと同じで、そんなところなんて、実際は見ていない。

かつて一番美しい者、一番強い者のみが子孫を残せると考えられていた。

草食系男子と肉食系男子。これって、じつはステレオタイプ?

さて、動物をよく観察せずに、いっちょかみで語ると、ぜんぜん実情と違うことはよくある話だ。

たとえば流行語で、草食系男子とは、恋愛や異性関係に対して受け身な人を指し、肉食系男子とは、恋愛や異性関係に対して積極的な人を指すようだが、実際の野生動物は真逆だ。

ゴリラは最も動物観が誤解されやすい動物。実は繊細で優しい菜食主義者の育メン。

草食動物のオスは性欲旺盛で性豪が多い。スキあらば前戯無しでいきなり交尾しようとする。そして早撃ちで、一瞬で賢者タイムに入り、あとは知らんプリ。オスが子育てに全く関与しない種が大半だ。

片や肉食動物は、交尾前後にグルーミングで愛撫したり、2人きりになれる場所を選んで雰囲気を重んじるロマン派が多い。キタキツネは、出会った2匹が、地平線まで追っかけっこをし、1日中走ってヘトヘトになり、2人の絆を確かめ合ったところで、はじめて交尾をする…。もちろん、キツネでも手間をかけない淡泊なものもいる(それこそが動物というものだろうな…)。

草食系、肉食系と聞いて、皆さんが最初に思い浮かべたイメージとは合っていただろうか?

「弱肉強食」という幻影を捨て、正しいまなざしで世界を見つめる

さて、自然観が浅学だったり、「弱肉強食」を文字通り鵜呑みに盲信する人は危険だ。とくに政治家や科学者がこれを先導したことで、人類はかつて(いや、現在も?)取り返しのつかない過ちを犯した。障害者にはじまり、民族や人種にまで優劣を決め込み、優生学という「科学」を根拠に、有害遺伝子を排除する名目で、大量虐殺が行われたナチス・ドイツは有名だ。ナチスに限らず、社会進化論の潮流や優生学の支持は、世界中の先進国でその思想を引き継いだ政策が当たり前のように採用され、日本でも近年まで、障害者の虚勢・避妊を強制する法が活きていたことに衝撃が走る。

では、野生動物を見てみよう。

カメラが小型高性能化したおかげで、近年ではこれまで知られていない動物の姿を知ることができるようになった。たとえば、背骨が曲がった奇形のシャチを、群れの仲間が介護してエサを与えて長生きしていたり、生まれながらに腕のないニホンザルが、排除されることなく群れで他のサルと同じように寿命を全うしているなど、「弱肉強食」の視点では説明できない野生動物の福祉的事例に、今、研究者の注目が集まっている。そもそも、動物はもちろん、人間社会でも、個々の存在意義や社会への役割・生きる価値を求める必要はないのだと思う。

だから障害やハンディキャップをもつものを排除したり傷つけることは、道徳以前に、自然の摂理としても誤っているのは明らかだ。自分自身が社会の役に立っているかどうか?自分はいない方がいいんじゃないか?そんなことも考えて悩む必要は一切ない。だって地球上の動物は、そんなこと悩んでいないんだから。…たぶんね。

人間さん、難しいこと考えなくていいみたいよ。

何でも動物を手本にする必要はないが、誤った自然観・動物観は正す必要がある。とくに誰かや自分自身を傷つける可能性のあるものは正したい。とは言うものの、私も1000ピースくらいあるジグソーパズルの3ピースくらいで、エラそうなことを語ってしまっている…。

でも先入観を捨てることは、科学のはじめの1歩であり、みなさんにも生き物の観察をオススメしたい。きっと何か小さな発見と、あなたを突き動かす感動が、あなたのために必ず用意されています。

おしまい。

 

新宅 広二
生態科学研究機構理事長。専門は動物行動学と教育工学。大学院修了後、上野動物園勤務。その後、世界各地のフィールドワークを含め400種類以上の野生動物の生態や捕獲・飼育方法を修得。大学・専門学校などの教員・研究歴も20余年。監修業では国内外のネイチャー・ドキュメンタリー映画や科学番組など300作品以上手掛ける他、国内外の動物園・水族館・博物館のプロデュースを行う。著書は教科書から図鑑、児童書、洋書翻訳まで多数。
Twitter:@Koji_Shintaku

 

寄稿・写真:新宅広二
編集:篠ゆりえ