中学生の頃から芝居の世界に入り、現在映画やドラマ、舞台まで幅広い場で演技を続ける佐藤玲。2023年からは俳優としてだけでなくプロデュース業として作品づくりに関わったり、ワークショップを企画したりと、さらに演劇の輪を繋ぐ活動を広げている。『あしたメディア』では、現在ロンドンに短期留学中の彼女からレポートを寄せてもらうことにした。
この連載では、彼女の真っ直ぐな目線を通して見えてきたロンドンの現状をもとに、その背景を紐解き、社会との繋がりや、日本との違いについても考えていく。この旅が人生のターニングポイントと語る彼女の等身大な姿も、同時にレポートする。
これまでの記事はこちら。
観劇は、心の豊かさに繋がる
皆さんはこれまで何回劇場へ足を運んだことがあるでしょうか。セリフ劇のストレートプレイやミュージカル、オペラ、バレエなど、さまざまな催し物が行われる劇場。今回は、そんな劇場をテーマに書いてみようと思います。
劇場という概念は古くは古代ギリシャ時代まで遡ります。スパと運動場、野外劇場のある施設が世界最古の医療施設だったのではないか、と聞いたことはありますか?(※1)人びとは聖地巡礼のように劇場を訪れて祈りを捧げたり、リラックスし楽しみを再発見したりすることのできる劇場という娯楽施設の力を借りて、自分自身を癒すことができたのかもしれません。私はこのことを学生時代に習って以来、劇場を含む娯楽的行動が、古くから生活において重大なものとされてきたのだ、ということを日々痛感しています。
また、「人間は考える葦(アシ)である」とパスカルが唱えていますが、世界をどう捉え、どう考えていくか、自身の知性を養うためには、知識だけでなく人間の持つ"心"がより豊かである必要があるのではないかと思います。芸術は、想像力や創造力の最たるもので、社会風刺であり、人々の生き方や心の機微を模写して世界へ提示しています。そしてそれこそが芸術の魅力であると思います。日本人は表現が苦手だと言われますが、そんなことはもちろん無く、表出方法が控えめなことが往々にしてありつつも、文化的背景も相まって、生活の中で様々な芸術と共存してきました。その1つである劇場は、劇の内容はもちろん、建築や空間といった様々な点において、芸術活動に寄与している場だといえます。
※1参照: 山川廣司 「古代ギリシアのエピダウロス巡礼」
https://henro.ll.ehime-u.ac.jp/wp-content/uploads/2004/02/d47350c9677c9d7ca839ddf1da86a790.pdf
「劇場」のお話
そんなわけで話は劇場に戻りますが、古代ギリシャから時代は流れに流れて1564年、イギリスにかの有名なウィリアム・シェイクスピアが生まれます。シェイクスピアの作った野外劇場はシェイクピアズ・グローブとして今でも非常に人気の劇場です。ただ、現在は初期のグローブ座からは近い場所に移動しており、2つの劇場を有する観光名所の1つにもなっています。当時のグローブ座を再現した様子はこちらの記事でも見ることができました。
私が2022年に出演した舞台『ヴィンセント・イン・ブリクストン』は日本の東京グローブ座で上演されましたが、この劇場は本家イギリスのグローブ座を参考に、日本で数多くの海外作品、特にシェイクスピア作品を上演するために建てられたものと言われています。日本には珍しいラウンド型の場内は、確かに古くからある海外の劇場の造りを模しています。
劇場付きの劇団というのは日本ではあまり数多く見られるものではありませんが、ヨーロッパをはじめとして多くの国ではこのシステムが導入されています。俳優が有名であることよりも実力が注視され、劇団の公演を観に行くということや、作品に興味を持って観劇に行くという歴史を根深く作り上げています。その証拠に、ロンドンで行われているミュージカルやストレートプレイでは、ネームバリューよりもオーディションを勝ち抜いた強者たちがキャストを勝ち取るため、知っている人が出ている作品、というものは少ない傾向にあります(俳優同士の中や演劇好きにとっては有名だったりしますが)。
さて、劇場という場所。決して「劇場」として建てられた場所だけで演劇は行われるわけではありません。世界中の演劇祭を見ると、街全体を上げて行われるものでは街の至る所が劇場化しますし、ドイツでは「広場」という場所が多くあるようで、そこで何かしらが行われることも多いそうです。日本でもカフェで演劇が行われたり、路上パフォーマンスがあったりしますよね。演劇というものは何も、劇場へ足を運ぶハードルが高いもの、というだけではありません。
とはいえ、もっとハードルが高そうなドキドキ経験のできる演劇もロンドンにあるので、いくつかご紹介したいと思います。
裁判所で見る演劇
なんと、ここはまさかの現役の裁判所。
もちろん、裁判所として使われていない時間帯で演劇が行われます。観客は傍聴席に座って、アガサクリスティの名作『検察側の証人』を観劇。お察しの通り、裁判所でとある事件の参考人たちが物語を進めていくというもの。この作品はロングランで、定期的にキャストが入れ替わることも目玉の1つ。俳優たちにとっても面白い経験です。場所の記憶というものは面白いもので、その場所自体がここは裁判所なんだという意識を持っているかのように厳粛な雰囲気を纏っており、観客達もその雰囲気を感じ取ることで作品への没入感もまた一興です。普段一般人が踏み入れない場所をこうやって演劇空間へと活かすということ、日本でもどんどん増えていくと思います。
私が在籍していた時代の、彩の国さいたま芸術劇場ではホール以外の場所を演劇空間として公演を行う試み『ザ・ファクトリー2』もありました。廊下やホワイエ(待合室のような場所)さらには、搬入口の隣にある大道具を制作する工場など、普段観客が足を踏み入れないような場所にも席を置き、その空間でしか味わえない何かが作品とリンクしていることそのものを楽しみます。
舞台装置による没入感
2019年に参加した城田優さん主演・演出のミュージカル『ファントム』では、劇場ホワイエへ開場前に出演者が登場し、舞台となる18世紀のパリオペラ座を彷彿とさせる演出が施されていました。劇場へひとたび足を踏み入れると、そこはもうパリ、『ファントム』の世界。日本初であろうその演出もお客様をより物語の中へ招き入れる装置の1つです。(※2)
劇場は、場所であり概念でもあり、装置そのものでもあることが私が演劇を愛する1つの理由でもあります。1つの場所に、何かをする人とそれを目撃する人が集まる、その現象そのものが演劇の最大の要素です。
2月中旬、1泊だけパリへ行ったときのこと。かの有名なオペラ座(オペラ・ガルニエ)を訪れました。皆さんのよく知る『オペラ座の怪人』や前述した『ファントム』は、ガストン・ルルーの小説である『Le Fantôme de l'Opéra』という作品を基としています。劇場そのものが物語の舞台にもなっており、この作品を上演することは、劇場で劇場の物語を上演するということ。これもまた作品性から伺える二重の没入感を生む現象となり得るでしょう。
※2 参考:おたくま経済新聞『城田優演出・ミュージカル「ファントム」 公開ゲネプロに行ってきた』
https://otakei.otakuma.net/archives/2019110902.html
劇場における環境配慮
ここで、SDGsの視点からも劇場を考えてみたいと思います。イギリス人の劇場建築家、作家のパディ・ディロンが環境問題に配慮した作品作りに関する「シアター・グリーン・ブック」 というガイドブックを2021年に発表しました。幅広い舞台芸術関係者の議論によってまとめられ、劇場、舞台業界における環境配慮の取り組みについてのガイドブックとして現在はイギリスのみならず世界中でこのガイドラインを扱った講演会などが行われています。(※3)
日本での取り組みでは、すでに行われた一例として演劇集団円と東宝舞台株式会社による演劇「ソハ、福ノ倚ルトコロ」が挙げられます。(※4)
2022年10月公演での持続可能な作品製作の取り組みとして、アップサイクル可能な紙管を材木の代替素材として使用したとのこと。リサイクル可能な素材や、リユースされた大道具・小道具・衣装などが使われるということは経費においても非常に有益といえるでしょう。
私が昔いた劇団では公演毎に劇団が有する大道具や小道具、衣装にはじまり、制作道具一式などを倉庫から出してきて丁寧に扱っていましたが、それは経費削減という側面もありつつ、SDGsにも繋がっていたことに改めて思いを馳せました。大きな作品でも、大道具や衣装などは倉庫に保管しておいて、別作品でも使い回したりするが、それも同じように環境問題に配慮しているとも言えそうです。
今後もソーシャルグッドや社会問題を軸に、舞台美術だけでなく作品の中身にも絡めたような作品が出てくると、よりメッセージが強く伝わるのではないかと思いました。
私自身もSDGsを考慮した作品づくりを考えてみたいと思います。
※3 参照:KAAT 神奈川芸術劇場「劇場がサステナビリティ(持続可能性)を考える 〜 環境に優しい舞台芸術」
https://www.kaat.jp/d/butai202303
https://youtu.be/p5_sxxqtKHY?si=E-Kn-p7cSKB4uwuK
※4 参照:ほとせなNEWS『「公演終了後の大道具=ゴミ」とならないために 演劇界のSDGsに取り組む舞台美術家』
https://www.hotosena.com/article/14818033
演出の変遷と、その奥行き
さて、舞台は没入感を生むことと対比し、これが虚構であることを強く伝える場合もあります。それは作品性であったり、美術や衣装などの視覚効果であったりしますが、劇場そのものがその役割を担うとしたらどこになるでしょうか?
1つの解として、プロセニアム・アーチが挙げられるでしょう。プロセニアム・アーチとは、客席から見た時にステージを囲む縁取りのこと。
しかし19世紀末〜20世紀初期頃に登場したドイツの劇作家・演出家ベルトルト・ブレヒトは、プロセニアム・アーチの存在を否定。ブレヒト以降、分かりやすいアーチを使用しない劇場は増えていき、国内外を問わず様々なスタイルの劇場が生まれていきました。
プレセニアム・アーチの少ない日本では、作品によって、わざとそのような意味合いを示唆するような枠を設けることもあります。2020年に私が出演した『彼らもまた、わが息子』もそのひとつ。この作品は、アメリカで1947年に書かれた戦争に勝利したアメリカの家族の物語。
こちらの記事を見ていただくと分かるように、舞台上前方に枠が設置してあります。とある家族を覗く窓のように、そしてそれが過去のとある家族の物語であることを物語るかのように切り取りつつ、ラストシーンでとある人物がその枠を観客側へ1本跨ごうとするところで幕は下ります。
演出面から見ても劇場という役割は様々な側面を持っていることがわかります。
多くのプロデューサーや演出家は、その作品がその劇場に合っているかどうかも重要視します。さらに、客席数によっても届けるに相応しい作品が変わってきます。まるで映像作品を見ているかのような繊細さが売りの作品を、あまりにも大きな劇場で観劇しても、その機微は伝わりません。このように様々な観点から演劇を頼むことができ、ひとえに物語の中身だけが勝負では無いことを知って観劇に赴いていただけると、更に多角的に演劇体験を楽しんでいただけるのではないかなと思っています。
2024年以降数年間、東京を含め日本の多くの劇場は改修工事へ入ります。中身がごっそり変わるわけでは無いのですが、少しずつグレードアップされます。今後どんな作品が日本で上演されるのかますます楽しみです。
劇場という場所は、作品によっても表情を変えますし、プロデュース業を始めるようになってからこの劇場ではこの作品があっているだろうな、という視点もさらに強まりました。
最後に、今度の劇について
間も無く本番を迎える、プロデュースを行った朗読劇 "名作に触れる"シリーズ 第一回 『江戸川乱歩 短編集』は、ザムザ阿佐谷という劇場で上演致します。公式サイトにはこう書かれています。
ザムザ阿佐谷は、天然木を施した温もりのある空間です。自由で自然な本来の姿としての劇場にしたい…と願っております。天井も高く、客席もたいへん見やすいヒナ段になっております。
実はここ、私が高校生の時に在団していた劇団、演劇集団アクト青山で、『華々しき一族』という作品を上演した際に使った劇場。私は出演していないながらも劇場にいる時間が長く、木のあたたかみがあり、ひっそりと、しかし集中力の増すようなその造りが魅力的で、よく覚えています。それ以降も数回観劇に訪れていますが、どの作品を観る際にも他の劇場にはない独特の雰囲気が素敵です。日頃思い描く劇場とは違い小さな劇場で窮屈に思うこともあるかもしれませんが、老舗劇場のその長い歴史そのものも楽しんでいただける場所ではないかと思います。
朗読の作品選びは、この劇場を使用することが決まってから始まりました。大正ロマンとでも言うような瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気の中で、江戸川乱歩を読むのはどうだろうか、と演出家の桐山知也さんと一緒に作品選びをしました。
桐山さんは前述の『彼らもまた、わが息子』でご一緒した演出家で、大学時代に師事していた方です。桐山さんが江戸川乱歩作品を上演することに興味があるということと、何を隠そう私のこの世で一番好きな漫画『名探偵コナン』に出てくる主人公・江戸川コナンの名字は、江戸川乱歩からきているのですぐに心は決まりました。
今回は割愛しますが興味のある方はぜひコナンと江戸川乱歩について調べてみてください。江戸川乱歩は稀代のミステリー作家として有名ですよね。しかし皆さん、彼がどんな作品を書いているのか詳しくご存知ですか?名前は知ってるけど本は読んだことない、1つだけ読んだことあるけど他は読んでいない、短編なんか書いていたんだ!…と、そういう方のための朗読劇となっています。
今回のテーマは「今まで知らなかった世界に一歩足を踏み入れると、思いの外その世界は複雑に広がっていることを知る」ということ。
ややこしい話ですが、つまりは何となく知っている、から、作品1つ知っている!に変わることの、その1歩の大きさを大切にしようということです。正直、中身はなんでも良いのかもしれません。今回は私の大好きなミステリーの力を借りながら、ただ本を読むだけでは思いもよらなかった、妄想の肌触りがよりリアルに感じられるように豪華なキャストの方に朗読をしていただきます。名作を"読む"だけでなく、"触れる"ようにたくさんの感覚を頼りに作品を味わっていただきたいです。また、毎公演キャストの組み合わせや読む作品が変わります。1度と言わず、何回も足を運んでいただけますと幸いです。
"名作に触れる"シリーズ 第一回 『江戸川乱歩 短編集』
https://r-plays.com/produce/edogawa_rampo
最後は告知となりましたが、娯楽を心から楽しむことができる毎日は、平和や安寧の前提のもとにあります。世界中がそうであって欲しいと願いますし、私自身もこれから日本の素敵な文化を世界中に演劇を介して伝えていけたらと思っている次第です。人間の生活は日々世界を回すことのみならず、それ以外の楽しみを見つけることでもっと世界が広がるものだと思っているからです。
でも、もっと気軽にデートを楽しむように、劇場へ足を運ぶということ自体にときめいてもらえたら嬉しいです。作品を楽しみ、その作品と劇場という装置がどんな相互作用を生むのか、そして、劇場の歴史を感じることで、今までに感じたことのない新たな高揚感を感じるはずです。そのトキメキはきっとあなたの体の新しい一部となって、これからの人生に新たな選択肢をもたらしてくれるでしょう。
私自身、皆さんにそう思っていただけるような作品を今後たくさん作っていけるようになりたいなと思っています。この活動を通じて、日本の社会全体が娯楽を心から楽しむことに幸せを感じ、人々の生活がより色鮮やかに豊かになっていけますようにと祈っています。
朗読劇の公演期間中は毎日劇場にいますので、ぜひご来場いただけたら嬉しいです!
佐藤 玲
俳優・プロデューサー
1992年7月10日東京都生まれ。15歳より劇団で演劇を始める。日本大学芸術学部演劇学科在学時に故・蜷川幸雄氏の「さいたまネクスト・シアター」に入団し、演劇『日の浦姫物語』でデビュー。演劇『彼らもまた、わが息子』(桐山知也)などに出演。また出演ドラマとして『エール』(NHK)『架空OL日記』(読売テレビ)、出演映画に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也)『死刑にいたる病』(白石和彌)『チェリまほTHE MOVIE』(風間太樹)などがある。2023年3月 株式会社R Plays Companyを設立。初プロデュース作品『スターライドオーダー』(北野貴章)を上演。現在、出演ドラマ『30までにとうるさくて』(ABEMA)がNetflixで配信中。
文:佐藤玲
編集:conomi matsuura