よりよい未来の話をしよう

マライ・メントライン|「持続可能性」で実際に「持続する」のは誰、あるいは何なのか?【連載 あえてSDGsを懐疑してみるのもまた一興】

いわゆるSDGs系の運動を見ていて不安になるのが、そこで唱えられる「持続性」というものが、「協調しながら」「皆が」持続するという前提に漠然と立脚していることだ。高級な理性的要素の集合体じみたものになっている、という表現も可能だろう。

私は思う。

いずれどこかで、自分たちの共同体が「持続」するために他の何かを公然と犠牲にするタイプのムーブが「SDGs」っぽい看板を掲げながら人々を誘惑してゆくだろう、と。それはSDGsちゃうで!サバイバルや!」とツッコみたくなるが、現実的にみて、たぶんそのインチキくさい言説は通用してしまう。

 重心不定なSDGs概念は、特定の思想誘導に利用されやすい

真面目なSDGs系の皆様からみると「ええっ?そんなバカな!」と感じられるだろうけど、実際、そもそもSDGsの概念や定義自体が重心不定な寄り合い世帯っぽいもので、包括的な理解には相当の知力と精神力が必須と言える。ゆえに、いざやろうと思えば概念説明の場でいくらでもゴマカシや誘導が効いてしまうのだ。

そういったヤバ系活動がまずどこから湧いてくるかと言えば、たとえばキャッチーで親しみやすいネタを提供する動画サイトがある。数年前、私が見て「おお、コレは凄い!」と思ったのは、ヴィーガン料理を紹介しながら極右思想を小出しにアピールする配信者だ。

そういえばアドルフ・ヒトラーも菜食主義者だったし!と、ついつい史実ネタを通じて状況の蓋然性説明に走ってしまいそうになるが、ここで本当に重要なのは、人間や環境の健全性を向上させる(っぽい)要素と、極右系の要素を自然に混ぜてお客に食わせてしまう!という技巧である。ある意味、言霊料理人としてのガチ真価が問われるところと言えるだろう。

というか実際、ここには政治と社会、双方からのダーティなニーズがある。

ドイツで生まれた「クリーンなポピュリズム政党」

まず政治。

ドイツで言えば、メルケル首相を輩出した政党「キリスト教民主同盟(CDU)」や、いまのショルツ首相が属する「社会民主党(SPD)」といった伝統的な既存大型政党(冷戦期に培ったノウハウで食いつないでいるっぽさ強し)が、ネット民的な怨念パワー文化をうまく利用する「ドイツのための選択肢(AfD)」に代表される新型右派ポピュリズム勢力に押されて侵食されており…というイメージが「最近のドイツ政治の構図」として知られている。しかし実はいま、状況は次のフェーズに移行しつつある。

ぶっちゃけ言えば、AfDの新鮮味が薄れたことの影響が大きい。最新のポピュリズム政治展開の好例であると思われるので、以下、ドイツの話をひとしきり述べておきたい。

確かにAfDは、いまだ勢力伸長を続けてはいて、2024年のドイツ東部3州選挙での勢力大幅拡大も予想されている。しかし同時に、躍進する勢いの頭打ち感も明確化してきている。なんだかんだ言いながらネオナチなど「ヤバ系組織」との背後での繋がりは隠しきれず、企業や団体がAfDと関わりを持ちたがらないのだ。日本で言えば、「反社勢力」のフロント組織と取引しますか?的な状況を想像すれば分かりやすいだろう。

そこでどうなるかと言えば、既存政党から一派が飛び出して「対外的な付き合いがクリーン」な新規ポピュリズム政党を結成する動きが発生する。AfDに「とりあえず」集まっている、現状不満層の票の横取りを狙っているのだ。たとえば、「Die Linke(左派党)」から独立したカリスマ政治家ザラ・ヴァーゲンクネヒトの場合は、新政党「Bündnis Sahra Wagenknecht(BSW)」にて「基本的に左派+反移民」という路線を打ち出そうとしている。

注目トピックへの方針別に生まれた政党が、SDGsを恣意的に利用しうる

これは一応、AfDを支持しながらそのナショナリズム推進的な面などに疑問を感じている、有権者の切り崩しに効果的と予想されており、次回選挙で14〜20%の得票を狙えるとも言われる。「左派保守党」として、社会政策では市民ファーストな左派っぽい路線を進めるが、ウクライナへの武器供与を取りやめてロシアからのガス購入を大々的に復活させ、移民や環境保護に関してはシビアなスタンスを取る。端的に言えば「ばらまき✕愛国」というコンセプトだ。

そして並行してもう1つ、新党が産声をあげようとしている。CDUの非公認支持団体「WerteUnion(バリューズユニオン:価値観連盟)」が、自身の政党化を宣言したのだ。中道保守CDUに存在する、メルケル時代以来の「左派化」の味付けに不満を持つ有権者ニーズに応えるもので、AfDとCDUの中間ポイントのスタンスを狙うと言われている。難民認定の厳格化と、難民申請に落ちても滞在を許す暫定在留許可制度(仮滞在許可)の廃止を訴えている。他のすべての政党が、「何があってもAfDとだけは連立を組まない」と公言しているなか、WerteUnionはそういった制約を設けていない。

つまり、移民政策やウクライナ戦争への関与、環境政策やエネルギー政策といった「注目要素」のお好み組み合わせパターン別に、政党が成立してゆく傾向があるのだ。SDGsもこの文脈の中で恣意的に意味を付加され、本来SDGsが意図することが歪曲されて、その理念が消耗していくだろう。この流れは政局に混沌リスクを生じさせ、何か最適解っぽいものが浮上し収斂ベクトルが発生するまで続くのでは?と気になるところだ。

SDGs理念の歪みをも傍観してしまう、情報飽和社会

そして社会。

確かにSDGsのムーブは、個人からも企業・団体からも広く支持されているように見受けられる。しかしそのうちの一定割合は、理念に共感し「自らのライフスタイルに取り込みたい!」と言うよりも、「賛同しておいたほうが社会的に有利だ」という、いわば免罪符的な動機が背後にあると考えられる。

とすると、そういった層は、先述したポピュリズム的力学などによってSDGsの「理念」そのものが歪みを見せるとき、意外なほどさしたる抵抗も見せず順応してしまう可能性が高い。それは、SDGsが正面からしりぞけられた場合以上の、「SDGsの死」と言えるだろう。

ネット時代の情報あふれ状態、そして対立見解どうしの無限知識マウント合戦状態と印象操作合戦状態は、じつに論戦ギャラリーにとって、先述したような功利的な観点からの免罪符購入を容易にしたと言える。いや、飽和情報によりすべての知的ベクトルを相対化して打ち消すことによって、「無思考状態こそ正義」という本能的結論に人心を誘導しているとさえ言えるかもしれない。

この状況にどう向き合うか?

では、真っ当に世のため人のためにSDGsを指向する人は、この暗い見通しにどう対抗すればよいのか?

非常に難しく、また状況不利ではあるけれど、少なくとも議論の無限相対化を防ぐために言えるのは、原則、人間全体にウチとソトの区別をつけず、全員同じように生きながらえさせるという点を、各種SDGs活動の大前提として強調すべきということだ。実際、その点に賛意を示すかどうかで、その人の「持続可能性」思考の対象範囲がバッチリ窺(うかが)えるというもの。

残念ながら、こういったことを馴れ合い的に曖昧にしておけなくなる時期は、早晩訪れて来そうな予感がする。

<参照記事>
https://www.fsight.jp/articles/-/50226

 

マライ・メントライン
1983年ドイツ北部の港町・キール生まれ。幼い頃より日本に興味を持ち、姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ドイツ・ボン大学では日本学を学び、卒業後の2008年から日本で生活を始める。NHK教育テレビの語学講座番組『テレビでドイツ語』に出演したことをきっかけに、翻訳や通訳などの仕事を始める。2015年末からドイツ公共放送の東京支局プロデューサーを務めるほか、テレビ番組へのコメンテーター出演、著述、番組制作と幅広く仕事を展開しており「職業はドイツ人」を自称する。近著に池上彰さん、増田ユリヤさんとの共著『本音で対論!いまどきの「ドイツ」と「日本」』(PHP研究所)がある。

Twitter:@marei_de_pon

 

寄稿:マライ・メントライン
編集:大沼芙実子

 

▼【連載 あえてSDGsを懐疑してみるのもまた一興】これまでの記事はこちら