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【連載 季節と紡ぐ】第三回 日本草木研究所・山主さんからの便り

日本は世界の中でも数少ない、四季の移ろいを感じられる場所にある。しかし現在、季節感は薄れつつある。適切に温度調整され、一足先の装いが飾られたショーウィンドウが並ぶ街で暮らしていると、今がどんな季節なのかは感じづらいだろう。意識して一度立ち止まって、身の回りの季節について、耳を傾ける時間も必要なのかもしれない。

季節の温度や移ろいには、人それぞれの視点や愛着がある。この連載では、様々な方が日常を通して体感した、季節の便りをお届けする。これまで2回、日本草木研究所の古谷さんから便りを頂いた。古谷さんは日本草木研究所の活動を通して、日本の野山に分け入り、全国に眠る植生の「食材としての可能性」の発掘を行っている。

今回は、その草木研究所のパートナーとして食材を提供する山主の安江さんからの便りだ。岐阜県飛騨市に暮らす安江さんならではの"季節感"とは、どのようなものだろうか。

山主・安江さんからの、四季の便り〜2023年・初冬〜

生物や環境について学んだ経験がある人なら、フェノロジー(生物季節)という用語に触れたことがあるかもしれない。

フェノロジーというのは、季節の移り変わりに伴う生物の状態や行動の変化を示す生態学の用語。例えば、植物が開花する・紅葉する・落葉することや、ある季節になると、鳥やカエルの声が聞こえてくるといった現象、もしくはその現象を観察する学問に対して使う。四季をより細分化し、季節の移ろいを感じるという点では、このコラムのテーマになっている二十四節気と共通するものがある。

秋の色。紅葉・落葉した落ち葉と色の抜け始めた草

学生時代にツキノワグマを研究対象にしていた時は「そろそろ、クマがクワの実を食べ始める頃かな?」とか「もう冬眠穴に入る時期かな?」とか、そんなことばっかり気にしながら毎日を過ごしていた。ここ数年、日本草木研究所の“相棒山”として素材提供の仕事をするようになって、久しぶりにこの感覚を思い出している。

初夏にみつけたクマの爪痕。サクラの実を食べるために木に登った痕跡

東京にいる古谷さんからは時々「安江さん、そろそろスギの新芽が膨らんできた頃じゃないですか?」「カツラの落ち葉、溜まってきてませんか?」という連絡が来る。古谷さんは全国を飛び回るプロデューサーで、普段は当然ながらロジカルなやりとりが多い。それだけに、この連絡が来るときはなにか本能的なものを感じる。野生動物と一緒に仕事しているような気分になる。

カツラの落ち葉。飛騨では10月から落葉し、11月上旬には全て葉が落ちる

東京と岐阜の山奥では、季節の進みが全く違う。自分の住んでいる地域なら、「今年は暖かいから山菜の芽吹きが早い」とか「雨が少なかったからキノコがあんまり出ない」といった感じに、気温や気象の体感とフェノロジーの変化はだいたい一致する。ただ、東京にいながら離れた地域の季節の移ろいを捉えるのは難しいはず。古谷さんの季節感はかなり正確で、いつも驚く。この令和の時代に、自然資源を活用したビジネスモデルの構築を本気で模索する人ならではの嗅覚?と思っている。

東京で紅葉がピークを迎える頃、岐阜県の飛騨地域では落葉が終わり、標高の高い場所は雪が降り始める。“相棒山”として日本草木研究所に送る素材は、10月下旬に採取する“カツラの落ち葉”で最後。ここから雪が積もるまでの間は、翌年のための下調べに専念する。

落葉した森。樹上に残った木の実や動物の痕跡がはっきりとわかる

森の中には、この時期でないと気付きにくいことがいろいろある。特に、落葉後も樹上に実が残るタイプの樹種は、この時期の方がその存在に気付きやすい。その代表格であり、いま自分にとって最もアツい素材の1つが、「キハダの実」。キハダはミカン科の樹木で、夏の終わりから初秋頃に小さなミカンのような実をたくさん付ける。この実は晩秋に黒く変色し、長いこと樹上に残る。はじめてキハダの実を食べた時は衝撃的だった。スパイスのような刺激と柑橘系特有のフルーティな香りが凝縮されていて、サンショウ(同じミカン科の樹)の上位互換のような味がする。

晩秋に収穫したキハダの実。はじめは緑色だが、熟すと黒く変色する

キハダの実は、食の領域で大きなポテンシャルを感じるので、その希少価値を織り込んだ素材調達のラインを構築したい。ただ問題は、安定供給が難しいこと。だからこの時期は、自分の中の“キハダセンサー”の感度を最大にして山を観察する。いつもの山仕事で通る林道沿いでキハダの生えている場所をいくつか知っておくと、必要な人があらわれた時、仕事のついでに収穫して素材を届けることができる。

この時期、そんな目線で森を歩いていると、クマ棚(ツキノワグマが木に登って食事をした痕跡)を見つけることがある。いつもならクマ棚は、クリやナラの木でよく見かけるが、今年はクルミの木にばかり登っている。今年はドングリ(クリやナラの実)の実りがとても少ないので、代わりの食べ物を必死に探しているのだろう。だとすれば、彼らの世界にも、“二十四節気”や“フェノロジー”といった共通言語があるのかもしれない。野生動物は、棲み処である森の変化に適応して柔軟に行動を変えることができる。“森の近くで暮らすヒト”となった自分も、そうありたいと思いながら山を歩く今日この頃。

クルミの木に残されたクマ棚

編集後記・これからの季節に寄せて

岐阜県飛騨市で山に囲まれて過ごす山主・安江さんと、都市圏でビルに囲まれて過ごす人たちでは、季節の感じ方は全く異なるだろう。だが、東京から季節の移ろいを知らせる古谷さんのように、季節の移ろいを感じ取れるかどうかは、その人の意識次第なのかもしれない。

公園の落葉や日の長さなど、些細なことからもフェノロジーは感じられる。日々口に運ぶ食べ物ひとつとっても、実は旬の食材が人間の健康と繋がっている。例えば冬によく採れる根菜は身体を温める効果があるとされている。輸入品の食材に頼らず、季節に応じてその土地で採れた食材を口にすることは、結果的に地産地消を促しSDGsにも繋がっていく。

今回、3回の連載を通して草木研究所から季節の便りを届けてもらった。草木研究所は、リキュールやシロップなどのプロダクトを通じて、それぞれの季節を紡ぎ、届けている。インスタグラムでも日々、季節に応じた発見や活動が綴られている。気になった人は、こちらものぞいてみてはいかがだろうか。そしてぜひ、日本の四季の移ろいの変化に目を向けて欲しい。

 

寄稿:山主・安江さん
文・編集:conomi matsuura