よりよい未来の話をしよう

「戦争をさせない大人」を育てたい 20代の平和教育ファシリテーターがつなぐ沖縄戦の記憶

まもなく78回目の終戦記念日が訪れる。

戦争は二度と繰り返してはならない過ちであり、この時期に改めて戦争について考える人も多いだろう。なかでも沖縄は日本で唯一地上戦を経験した土地だ。20万人を超える犠牲者のうち、一般住民の死者数は9万4千人にのぼると言われる。さらに、戦後から現在にかけても県内には米軍が基地を構えており、その是非を問う議論が続いている。このような事情から、沖縄にとって「戦争」は過去のものではないのだ。

一方で、高齢化に伴い、戦時中の生の経験を語ることができる人が年々減り、戦争の記憶が風化していくことが懸念されている。

そんななか、戦時中の記録および戦後から現代に続く問題について、沖縄の地から発信を続けている20代がいる。平和教育ファシリテーターとして活躍する狩俣日姫(かりまた につき)さんだ。現在25歳の狩俣さんは、仲間と立ち上げた株式会社さびらで、県内の学生や県外から来る修学旅行生を対象に対話型の平和教育を行なっている。その功績から、2022年にはForbes Japanが選出する「日本発『世界を変える30歳未満』30人」(※1)にも名を連ねた。

狩俣さんは活動を通じて、「タブー視されがちな戦争や基地問題といった話題について、若い人たちが『話題にしていいんだ』と気づくきっかけを作りたい」と話す。戦争の記憶継承の過渡期を迎えているいま、狩俣さんはどんな未来を見据え、活動を続けているのだろうか。

※1 参考:Forbes JAPAN「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2022 日本発『世界を変える30歳未満』30人」
https://forbesjapan.com/feat/30under30/2022/

「個人の悲惨な戦争体験」を知っても、「自分にどうつながっているのか」が分からなかった

インタビュー中の狩俣さん

狩俣さんが子どもの頃に受けた平和学習はどのようなものでしたか。

戦争体験者の方が学校に来て、ご自身の経験を語る形式が主流でした。

個人が体験した辛いできごとはもちろん分かるのですが、一方でその中に出てくる「空襲」や「地上戦」といった戦争に関するワードや、出てくる県内の地名が分からなかったんです。

祖母からも戦争の体験談を聞いていましたし、6月23日の慰霊の日(※2)は「沖縄で起こった戦争のことを考える日」だという空気のようなものは、なんとなく感じていました。ですが、生まれ育った環境と密接に関わっているはずのことが、自分とはどこか遠いことのようにしか捉えられなくて。

そうすると記憶に残るのは「目の前で人が亡くなった」「爆弾が雨のように降り注いできた」といったショッキングなシーンだけなんです。それが全て「沖縄」というこの地で起こったことや、この記憶をどう残していくかといったところまでは思い及ばなかったですね。

「個人が経験した悲惨なできごと」として捉えていたということですね。同世代の方も、同じように感じていた印象ですか?

私たちの世代は、「こんな経験は自分たちもしたくなかった、これからも起こって欲しくない」という「メッセージ」は戦争を経験した世代から受け取っているんです。慰霊の日には、みんな綺麗な海や折り鶴の写真をSNSに載せて平和への思いを綴(つづ)ります。

ただ、そのときはすごく感化されるけれど、そこから先、沖縄戦で何が起こっていたか深い部分までは説明できない人が多い。

たとえば、個人の戦争体験では、一般の住民たちが地上戦に「巻き込まれた」ことが前提になっています。ただ、ここには「なぜ地上戦が起き、一般住民が巻き込まれなければならなかったのだろう?」という視点が抜けてしまいます。

もちろん、個人の経験やそこに含まれるメッセージをつないでいくことは重要です。一方で、俯瞰して沖縄戦を捉え直すための知識がないと、本来起こってはならなかった前提に対して「おかしかったのではないか」と考えることはできません。上の世代の方々から伺ってきた戦争体験を自分なりに理解し、考え、行動するための「箱」が頭の中に備わっていないと感じていました。

そこからどうして、平和学習を「する側」に変わったのでしょうか?

高校卒業後に海外留学した際、海外で出会った友人から沖縄について聞かれることが多かったんです。それで「私は沖縄のことを何も知らない」と気づきました。

帰国して沖縄のことを勉強したいと思っていたとき、たまたま平和学習を行なっている友人に会ったんです。その友人は琉球大学のサークルで、同世代のメンバーと修学旅行生に対する平和学習の課外授業をしていました。私のなかでの平和学習は「経験者の方が語るもの」という印象だったので「え、もう同世代が伝えているの?!」と驚いて。自分もやってみたいと思い、関わるようになりました。

※2 参考:日本軍の組織的戦争が終結した日(司令官と参謀長が自決をした日)として、琉球政府・沖縄県が定めた記念日。公立学校は休日となり、また糸満市にある平和祈念公園では戦没者慰霊祭が開かれ、多くの方が礼拝をする。

戦争体験者が語る平和学習は永続的ではない。若い世代だから伝えられること

その後、フリーランスとして活動し、2022年に仲間と一緒に会社を設立されました。平和学習の依頼はどのような方からくるのでしょうか?

お知り合いの先生方から依頼をいただいたり、先生間の口コミで広めてもらったりということもありますし、自治体や県の事業として依頼されることもあります。沖縄県って、市町村ごとで沖縄戦の伝え方が全く違うんです。北部と南部で全然違いますし、「自分たちの地域でどういう沖縄戦があったか」ということを学ぶ機会も多いので、それぞれに合わせた内容を提供しています。

どういった背景から、戦争を経験された方々だけではなく、狩俣さん世代にも依頼が来るのでしょう?

今後、永続的に体験者の方が戦争を語ることはできません。この平和学習の形もいずれ終わりがきてしまうので、戦後世代でどうやって平和学習を作っていくかということは、沖縄県全体での課題になっています。その観点から、私たちに依頼が来ることが多いです。あるいは、体験者の方も講師としているし、体験者じゃない世代として私が参加するということもありますね。

狩俣さんが提供されているのは、ワークショップ型のプログラムなんですよね。

そうです。最初に関わった平和学習の団体で、クイズを出すなどの工夫をしたことをヒントに、体験型のプログラムを提供するようになりました。

たとえば、「沖縄戦に住民が巻き込まれた」ということを理解するためには、沖縄戦の概要についても知る必要があると思います。「沖縄戦はいつから始まったの?」「米軍はどこから上陸したと思う?」ということや「北部・中部・南部でどんな違いがあったのか分かる?それはどうして起こったの?」ということなどを、沖縄の地図を使ってクイズを出しながら説明しています。

聞くだけではなく、こういったワークを挟むことで、体験者の方のお話の受け取り方も全然違うと思います。「戦後世代だから、体験者と同じような平和学習はできない」と言わず、私達だからできることもあるのではないかと思っています。

戦争体験者の方の高齢化も進み、語れる方がだんだんといなくなっています。

いま、多くの方の戦争体験談が様々な形の記録として残っていますが、それはつまり「それだけ多くの人たちが悲惨な思いをした」ということです。そして、当事者の方々にとっては辛いであろう体験を語ってくださる理由は、次の戦争が起きて欲しくないという願いがあるからだと強く感じています。

この残されたものを引き継ぐのは、まさにいまの時代を生きている1人ひとりだと思うんですよね。「体験者じゃないから語れない」とか「沖縄戦は自分とは遠いできごとだから」と言わず、「戦後から78年経っていま、自分のもとに『沖縄戦』が繋がってきた。それをもらった私はどうするの?」ということを、常に意識しながら活動しています。

県外と県内で見える「沖縄戦」の違い

県内の学生と県外の学生で、平和学習に対する反応に違いはあるのでしょうか?

ありますね。沖縄戦を知る上で、そのときの日本社会で何が起きたのかという「全体の視点」と、巻き込まれた住民がどんな経験をしたかという「個人」の視点、どちらも大切だと思います。

沖縄県内の学生は、戦争体験者の話を聞いているので「個人の思い」はものすごく受け取っています。ただそれは同時に、「個人」に重点が置かれすぎてしまうことにもなります。「ひめゆり」(※3)や「鉄血勤皇隊」(※4)といった言葉を聞いたことはあっても、沖縄戦のなかのできごととしてつながっておらず、点としてあるような状況なんです。なので、その点をつなげ、線にできるような活動をしたいと思っています。

一方、県外の学生はその逆で、ニュースや学校の授業から「教科書的に」沖縄戦を学び、概要だけを理解しています。その状態で沖縄の現地に来ると、それは教科書の中のできごとではなく「本当に沖縄であったことだ」とだんだんと輪郭を得て、沖縄戦の経験が自分とは遠いできごとではないことを知っていく印象ですね。

「個人」から見るか「全体」から見るか、沖縄戦というできごとと出会う入り口が違うということですね。

そうですね。だから、意外なことに沖縄戦に関するクイズを出したとき、その正答率は県内と県外で同じぐらいなんです。県内の学生は、その土地に住んでいて毎年平和学習を受けている分、沖縄戦の歴史に詳しいと思いきや、やはり「個人」から入っているので、概要が理解できていないことが多いんですよね。その点、県外の生徒は教科書を通じて学んでいるので、名称などは頭に入っているケースが多いです。

※3 参考:沖縄戦では、多くの学生も戦場に動員された。那覇市安里にあった「沖縄師範学校女子部」「沖縄県立第一高等女学校」では看護要員として生徒・教師240名が動員され、半分以上が亡くなった。学校の愛称が「ひめゆり」だったことから、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる。
※4 参考:男子生徒は14才から動員され、そのうち軍の物資運搬や爆撃で破壊された橋の補修などを任されたのが鉄血勤皇隊だった。同様に多くの生徒が亡くなった。

エンタメとして描かれる「物語」は入り口に過ぎない。「知る」だけで立ち止まらないで

沖縄県内では、狩俣さんの他にも様々な活動をしている同世代がいるのですか?

結構多いと思います。地域のまちづくりをしている団体もいますし、高校生が授業の中で地域の課題を調べてどう行動するか考える機会もあります。この「沖縄」という土地のアイデンティティとか「自分たちがずっとここに住むんだ」という意識のようなものは、育ってきている気がしますね。

私は平和学習をしていますが、いまの沖縄の状況に照らすと、基地問題やアメリカとの関係性につながってきます。私たちは、24時間の中で米軍基地と関わらないことが無理なくらい、本当に生活と密接に関わっているんです。そうなると、まちづくりのイベントでも、沖縄の歴史文化の話でも、米軍基地の話や沖縄戦の話に触れざるを得ません。みんなそれぞれに専門の活動分野を持っていても、その共通認識はみんな持っている印象ですね。

沖縄は、戦争や日本に返還された歴史など、様々な背景から「物語」として描かれることも多いと思います。

そうですね。私自身もエンタメが好きで、そこから社会問題に興味を持った経験があります。エンタメとしての「物語」にはとても希望を感じていて、社会を良くする大きなムーブメントを作る可能性を持っていると思います。なので、その課題に興味を持つきっかけとしてはすごく良いと思います。

でも同時に「きっかけにしかならない」とも感じています。その入口でたくさんの人が止まってしまったら、問題は解決しない。「考えさせられた」で終わったり、その作品の中で起こった悲劇に対して「登場人物の人たちは痛めつけられてかわいそう」で終わってしまったりするようでは、やはり意味がないと思います。

また、どんな問題を取り上げた作品もそうですが、「この描き方ってそれでいいのかな?」「これを入口としてこの課題を知った人が、この先社会を良い方向に導く未来はあるのかな?」と思ってしまうことはあると思います。作る側も、その物語を受ける側も、作品を通じてどんな影響が生まれるのかをちゃんと考え、向き合っていかないといけないと思います。

私自身も、沖縄戦に向き合い、その登場人物の立場に近いところに自分がいることを理解して、物語の持つ希望と危険性の両面にやっと気づきました。様々な作品を見る中で、私自身も受け手の1人として、気をつけていきたいなと思っています。

これからは、「子どもを戦争に導かない大人」も育てたい

最後に、今後の活動の展望があればお聞かせください。

まず、会社では自主イベントを開催したいです。いまは学校や自治体からの依頼を受けて平和学習を行なっていますが、そうではなくて、自分たちから発信するイベントを打ちたいです。

あとは、学生だけでなく一般の大人向けの平和学習もやってみたいですね。同世代の友人でも、「平和学習をいままで受けてきて、選挙のたびに基地問題も争点になるけど、正直基地問題のことってわかんなくない?」という会話をよく聞きます。平和学習を受けてはいるけれど、届いてはいない。子どもに平和を教えるのも戦争に導くのも、実は身近な大人たちのはずです。そういった人たちが大人になったとき、誤った方向に子どもたちを導かないように、大人にもアプローチしたいなと考えています。

そんな私たちの活動を見ていて、「一緒に伝える側に回りたいです」と言ってくれる人も出てきたら嬉しいですね。仲間も増やし、平和について考えてもらう人も時間も増やせるように、チャレンジしていきたいです。

「戦争」という過去の記憶を、これまでも、そしてまさにいまも受け取っているのだと、そう感じるインタビューだった。もうすでに受け取ってしまったものに対して、「辛くて大変で悲しい歴史だった。いまが平和でよかった」などと、距離を取ることができるだろうか。その受け取ったものの責任を、狩俣さんは日々果たしているのだと感じた。

狩俣さんの活動から「受け取る人」が増えていくことは、1つの希望なのではないだろうか。上の世代から託された証言や記録にふれるときには、それが残された意味を考え続けていきたい。そして子どもを戦争に導かない大人であるために、目の前の選択から何を考えていくか、背筋を伸ばして向き合っていきたい。

 

取材・文:大沼芙実子
編集:Mizuki Takeuchi
写真:株式会社さびら提供