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ナッジとは?理論の意味や身近な事例、ビジネスにおける活用法をご紹介

ナッジとは

ナッジ(nudge)とは、英語で「ひじでそっと押す」「軽く押す」という意味を持つ単語で、行動変容を促すための手法を指す。

行動経済学の研究者であり、ナッジの提唱者でもあるリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンは、 以下の単語の組み合わせでナッジの原則を表現した。

iNcentives:インセンティブ

Understand mappings:マッピングを理解する

Defaults:デフォルト

Give feedback:フィードバックを与える

Expect error:エラーを予測する

Structure complex choices:複雑な選択肢を体系化する

ナッジの定義

環境省と産官学連携のプロジェクトチームである日本版ナッジ・ユニットBEST(Behavioral Sciences Team, BEST)の資料によると、ナッジとは、「行動科学の知見(行動インサイト)の活用により、『人々が自分自身にとってより良い選択を自発的に取れるように手助けする政策手法』」をさす。(※1)

また、ナッジの提唱者リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンは、ナッジを「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素」と定義している。(※1)

ナッジ理論の起源と発展

ナッジ理論は、2008年にアメリカの経済学者リチャード・セイラーと法学者のキャス・サンスティーンによって提示された。行動経済学に分類されるナッジ理論は、提唱者の一人であるリチャード・セイラー教授が2017年にノーベル経済学賞を受賞したことにより注目されるようになった。

ナッジは、「金銭的インセンティブや罰則を用いずに、相手の意思決定の癖を利用して行動変容を促すもの」(※2)であることから、施策の施工者・享受者ともに大きな負担を与えずに効果を得られるということもあり近年発展を遂げている。

※1 参考:環境省「『ナッジ』とは?」
https://www.env.go.jp/content/900447800.pdf

※2 参考:朝日新聞デジタル「ナッジ理論とは?定義と3つの具体例・ビジネスへの応用方法を紹介」
https://smbiz.asahi.com/article/14559190

ナッジ理論の理解

われわれは日常生活で、ナッジ理論が活用された事例を多く目にしている。ただ、その事例がナッジ理論を活用したものだとはなかなか気づきにくいだろう。ここでは、ナッジ理論を理解するための基礎的な情報を紹介する。

ナッジと行動経済学との関連性

まず、ナッジは行動経済学に分類される理論である。行動経済学とは「人間には意思決定のクセ(=バイアス)があることを前提に、失敗したり、後悔したりする現実的な人間像に基づいて経済や社会問題を分析する学問」である。(※3)

経済学が、個人の利益を最大限に引き出せるよう合理的な判断に基づいて行動する「ホモエコノミクス」(※4)を対象に研究を行うのに対して、人間は必ずしも合理的ではないという基準の上で、経済社会の中での人間の行動を研究するという点で、行動経済学は心理学と経済学の要素を持ち合わせた学問とも捉えることができる。

ナッジの種類と身近な活用例

ナッジは経済の分野だけではなく、さまざまな分野で活用されている。

例えば、健康増進や社会におけるマナー改善に活用されるほか、マーケティングや会社内でのコミュニケーションを活性化させる手段としても使われる。

もっとも有名な例は、オランダの男子トイレでのナッジ活用事例だろう。

男子トイレの便器にハエの絵を書いたところ、利用者がハエをめがけて用を足したことでそれによりトイレの汚れが減り、清掃費が80%減少したというものだ。(※5)

また、もっと身近な例を考えてみると、スーパーなどでの待機列にもナッジの活用をみることができる。スーパーでレジに並ぶとき、床に足のマークが貼られていることがある。私たちは、そのマークを見て自然とここに並べば良いのかと感じ、気づいたら店員の誘導なしに整列して並んでいる。この事例も、ナッジの活用事例であり駅の階段に書かれている「〇〇カロリー消費」などもエスカレーターの混雑を避け、人を階段に誘導するためのナッジの手段の1つである。

※3 参考:京都先端科学大学「ナッジとインセンティブの行動経済学」
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/meeting_materials/assets/consumer_partnerships_cms201_20230126_01.pdf
※4 参考:野村證券「行動経済学」
https://www.nomura.co.jp/terms/japan/ko/A02530.html 
※5 参考:ダイヤモンドオンライン「『奥へ詰めて』『5分待って』どう言い換えたら人は気持ちよく動く? 
https://diamond.jp/articles/-/304177

ナッジの実際の適用と活用方法

ナッジを理論的に理解したのち、どのように現場に適用すれば良いのだろうか。

方法の1つとして、ナッジ理論を活用するためのフレームワークを使用するといったものがあげられる。例として、ナッジ理論を活用するための「EAST」というフレームワークを紹介する。

E:Easy(簡単・簡潔)

A:Attractive(魅力的・印象的)

S:Social(社会的)

T:Timely(タイミング)

(※6)

さらにこのフレームワークを理解するためには、厚生労働省が発表しているナッジに関する資料を読むとわかりやすいだろう。当該資料では、ナッジ理論が健康診断の受診率をあげることと絡めながらEASTのフレームワークについて、それぞれの要素の特徴を、以下のように表現している。

Easy:意思決定のプロセスを減らして、楽にしてあげましょう。

Attractive:ご褒美(インセンティブ)は結果に対してではなく、事前に渡すのがよいでしょう。

Social:周囲の人々に影響されやすいのは自然なことです。

Timely:気になる時に、気になることを伝えましょう。

(※7)

ナッジを活用するためのフレームワークは「EAST」以外にも存在しており、これらのフレームワークを使用しながら、さまざまな現場でナッジが適用・活用されている。

ナッジの政策と公共部門での利用

それでは、活用される現場に焦点を当ててナッジの利用事例を見ていこう。まずは、政策や公共部門など公的な場面でのナッジの利用を取り上げる。

茨城県つくば市は、環境省が行動経済学会との連携で行っている「ベストナッジ賞 コンテスト」において2021年にベストナッジ賞(環境大臣賞)を受賞した。取り組みの内容としては、避難行動要支援者に対して送付した同意書の返送率をあげるというものであった。

つくば市は従来の形式の同意書の他に、それぞれ異なる3種類の同意書を加えた。この3種類の同意書は全て異なるナッジが適応されているものである。

これらを介護が必要な人や、身体障がい者手帳を持っている人など4つに分類した対象者に配布した。

【動作指示の明確化】
〇年〇月〇日までにご返送ください

【パーソナライズ】
〇〇さまに大切なお知らせです

【利得の強調】
避難支援を受けられる可能性があります

(※8)

結果として、上記の中でも最も「【動作指示の明確化】〇年〇月〇日までにご返送ください」という項目が、ナッジとして効果を示すことがわかり、40%以下だった返送率は64.2%にまで向上した。

企業でのナッジ:マーケティングと消費者行動

マーケティングにおいても、ナッジの活用は進んでおり、私たち消費者が影響を受けている場合も多い。例えば、飲食店で「季節のオススメ」や「店長のオススメ」などが書かれており、無意識にそのメニューを頼んでしまうこともナッジの例の1つである。

また、何らかのオンラインでのサービスに登録した際、ページの下の方にメルマガ登録のチェック欄が記載されていることがある。チェック欄にはもともとチェックがついており、登録者がチェックを外さないとメルマガに登録される仕組みもナッジの1つだ。

営業におけるナッジの活用例

ビジネスシーンにおいてもナッジは効果的に活用されている。営業において有名なのは「松竹梅の法則」である。例えば、自社の売りたい商材を3つのパターンとして松竹梅に分けて提示することで、相手側は中間の製品が選びやすい。これは心理学ではゴルディロックス効果とも呼ばれている。カフェでドリンクサイズがS,M,Lと3サイズあるように、あまり選択肢を増やさず、3択のなかに選びやすい商材を真ん中置くことで、相手側が極端な選択肢を避け、真ん中を選んでしまうという「極端回避性」を活用したナッジといえる。

人事におけるナッジの活用例

ナッジを人事に活用するケースもある。ここでは千葉県千葉市の男性職員の育休取得率の上昇においてナッジを活用した例を紹介する。

千葉県千葉市では、男性の育児休暇取得の申請に「取得する理由」を記すように規定していたが、2016年度からそれを“取得しない場合”にのみ、取得しない理由を申請するように、という規定に変更した。すると取得率は2016年度に12.6%だったのが、2019年度には92.3%にまで上昇。上手く機能していない人事制度も、ナッジを上手く活用することにより生きてくるかもしれない。(※9)

個人的な決定とライフスタイルへのナッジの影響

自治体やマーケティングの分野だけではなく、ナッジは個人の生活の身近でも用いられている。駐輪場で自転車が無秩序に置かれているために、駐輪できるはずの自転車が置けないといった事例はどの地域でも散見されるだろう。

そんな問題にナッジを用いて解決を測ったのが、広島大学附属高校の事例である。

この高校では、自転車が無秩序に置かれている問題を解決するために、4種類のナッジを用いたポスターを作成した。「自転車の乱れは心の乱れ」と文字で訴えるものもあれば、地面にラインを引くなど土地を利用したナッジもあった。この実験は高校1年生と2年生を対象としており、各学年によって結果は異なったが、それぞれのナッジで自転車の置き方が改善される効果が見られた。(※10)

この事例では高校の駐輪場ではあるが、公共の駐輪場にも当てはまる事例と言えるだろう。

※6 参考:NTTデータイントラマート「ナッジ理論とは?フレームワーク『EAST』や身近な活用例からビジネスの活用例まで解説」
https://dps.intra-mart.jp/blog/category_business/nudge_theory
※7 参考:厚生労働省「明日から使える ナッジ理論」
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000506624.pdf
※8 参考:環境省「『ベストナッジ賞』コンテストの結果について 茨城県つくば市役所 封筒のメッセージが返送率に与える影響」
https://www.env.go.jp/content/900447989.pdf
※9 参考:公益財団法人東京市町村自治調査会「自治体におけるナッジの活用に関する調査研究報告書 ~ちょっとした工夫で政策をより良くするには~ 第5章 事例調査:ナッジの活用法」
https://www.tama-100.or.jp/cmsfiles/contents/0000001/1139/05.pdf

※10 参考:環境省「駐輪場の自転車の並びの改善へのナッジの活用」
https://www.env.go.jp/content/000103271.pdf

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ナッジの効果的な設計と実装、事例

ここまで、ナッジの意味や事例などを紹介してきたが、それではナッジを効果的に設計・実装するためにはどのような方法が考えられるだろうか。

ナッジを設計するためのステップと考慮すべき要素

三菱総合研究所の研究資料によると、ナッジを設計するためのステップ「BASIC」として以下があげられる。

B(behaviour):人々の行動を見る

A(analysis):行動経済学的に分析する

S(strategy):ナッジの戦略を考える

I (intervention):ナッジによる介入をして効果検証

C(change):変化させる

(※11)

ナッジを設計する際には、他の好事例を真似るよりも、組織やコミュニティーが抱えている問題を考慮することが必要だ。

本文内で取り上げたつくば市の事例で考えてみれば、書類の返答率が低い理由として、書類に書いてある内容の複雑さや、返答のためにポストまで出向かなければいけないことなどが問題としてあった。

このような問題は組織によってさまざまであるため、ナッジの実装に移る前に問題の分析にも力を注ぐ必要があると言えるだろう。

ナッジの実装と評価

ナッジの実装の好事例として、イギリスのナッジユニット組織である「The Behavioural Insights Team:BIT」の例を紹介しよう。彼らはBIT設立の際に、3つの目標を掲げた。

①行動科学に基づいて少なくとも主要な2つの政策分野を転換する

②省庁全体において行動科学的アプローチに対する理解を広める

③BITに要するコストの少なくとも10倍以上のリターンをもたらす

(※12)

行動科学に基づくアプローチはまさしくナッジのことである。

BITは、「あなたの街(国・地域)ではみんな税金を払っています」と記載した手紙を作成することで税金の徴税率の向上を導いたり(※13)、インターネットで自動車税の支払いを済ませたのちに臓器移植ドナーに登録するメッセージを表示させることでドナー登録者数を増加させるなどの取り組みを行った。(※12)

結果として、BITは設立2年で上記の目標を達成することに成功し、現在、海外政府機関との協働も行っており、シンガポールやオーストラリア、ニュージーランドにも支社を置いている。(※13)

このようにナッジは世界的にも重要視されており、多数の成功事例を出している。

日経ビジネスの記事では、「(ナッジは)補助金、税制、規制・ルールといった伝統的な政策手段と補完的な第四の政策手段として世界的にも認知されるようになり、急速に実用化が進展している」と言及されており、ナッジの世界的な評価は高まっている。(※12)

※11 参考:三菱総合研究所「ナッジとその作成方法」
https://icf.mri.co.jp/wp-content/uploads/2021/09/nudge_20210805.pdf p.5
※12 参考:日経ビジネス「進化する日本の『ナッジ』、自治体も『社会実装』」
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/20/00027/041900027/

※13 参考:経済産業研究所「イギリスの独立機関によるEBPM
https://www.rieti.go.jp/jp/events/17121901/pdf/1-2_kobayashi.pdf

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ナッジの未来と課題

ここまでナッジが持つメリットを多数紹介してきた。

しかし、ナッジにはデメリットや批判、議論も存在している。ナッジが持つ課題にはどのようなものがあり、ナッジの未来はどのように変化していくのだろうか。

ナッジ理論の批判と議論

那須耕介・橋本努編著『ナッジ⁉――自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』(※14)は、ナッジの概念を批判的に考察した書籍であるが、その書評には「ナッジの最大の特徴である非強制性が、被干渉者があざむかれる可能性や責任が被干渉者に転嫁される危険性などを生み出す」との記載がされている。(※15)

また、学習院大学法学部の玉手慎太郎教授はナッジと健康増進の関係に着目しながら、「ナッジが健康増進の文脈で用いられるとき、その目的は一見したところ被介入者の健康の増進であるかもしれないが、その本質は全体の利益の追求(たとえば公的医療支出の縮小)にあるかもしれない」と述べている。(※16)

ナッジは非強制的であることが特徴的な部分であるが、それゆえにナッジの影響の責任は仕掛けた側ではなく、ある種のナッジに引っかかった側に責任を負うと捉えられてもおかしくはない。

また、健康増進とナッジが関連づけられた取り組みの場合、ナッジが本当に人々の健康を増進するためのものというよりも、公的機関の予算削減などの全体の利益を追求するためのものになっている可能性も考えられる。

ナッジは、当事者たちが無意識にその影響を享受している場合も多いために、自分の意思とは関係なく行動を決められてしまっているという点で議論の余地があると言えるだろう。

また、人々の行動を改悪するようなナッジはスラッジ(sludge)と呼ばれており、ナッジが必ずしも良い側面だけを持っているとは考えにくい。

ナッジの未来、新たな展望と可能性

環境資源経済学の観点からナッジを研究分析した論文には、ナッジの今後の研究課題の1つとして「社会規範やメッセンジャーを用いるナッジ介入の効果も、国や文化によって異なる可能性が高い.日本での政策利用にあたっては、日本における政策介入を利用した検証が必要」であることが挙げられている。(※17)

ナッジは2008年に提唱されたものの、日本で注目を浴びてからはそれほど時間が立っていない。

ナッジ理論の研究や応用が進んでいる欧米などの事例を参考にしながら、日本独自の文化や風習を利用したナッジの活用をすることで日本国内でのナッジはさらに発展していくと考えられる。

※14 参考:那須耕介・橋本努編著「ナッジ!?: 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム」(2020年、 勁草書房 )
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b510211.html
※15 参考:鈴木 康治書評 「那須耕介・橋本努編著『ナッジ⁉――自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soes/43/0/43_156/_pdf/-char/ja
※16 参考:玉手 慎太郎「ナッジと健康増進の睦まじくも危険な関係」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/itetsu/39/0/39_44/_pdf
※17 参考:三谷羊平「ナッジ研究の動向と課題―環境資源経済学を中心に―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/reeps/16/1/16_18/_pdf/-char/ja

まとめ

行動経済学やナッジ理論と耳にするととても難しいもののように感じるが、私たちが日常生活で目にするナッジはとてもシンプルである。筆者は以前街中でとても小さな赤い鳥居を見かけたことがある。そのあとで知ったことだが、鳥居は何かを祀っているだけではなく、そこに配置することでポイ捨てや不法投棄を防ぐ効果があるのだという。これは、神社が身近にある日本人にだからこそ有効なナッジであり、その可能性や活用方法は広く開かれていると感じた。

一方で、無意識のうちに行動が誘導されてしまう危険性もナッジにはある。ナッジがさらなる発展をしていくと考えられる現代社会において、自分が取りたい行動、求めているものを理解することはナッジの発展と同じくらい重要なことだと言えるだろう。

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文:小野里 涼
編集:三浦 永