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トーンポリシングとは?同調圧力との区別と、論点ずらしを防ぐ効果的なコミュニケーションを解説!

トーンポリシングとは?

トーンポリシングとは英語で「口調」や「(話し方などの)トーン」を意味するtoneと「取り締まり」や「警備」などを意味するpolicingを組み合わせた言葉である。日本語では、「話し方警察」「話し方取り締まり」などと言われることもある。

トーンポリシングの定義と特徴

日本でトーンポリシングという言葉が有名になったきっかけは、Everyday Feminismという団体が発表したWeb記事「No, We Won’t Calm Down – Tone Policing Is Just Another Way to Protect Privilege」が日本語に訳されたことだ。

出典:Everyday feminism「No, We Won’t Calm Down – Tone Policing Is Just Another Way to Protect Privilege」
https://everydayfeminism.com/2015/12/tone-policing-and-privilege/
出典:日本語訳された作品 Erin「『冷静に』なんてなりません!」
https://note.com/erinadinfinitum/n/nbe3646e6835b?magazine_key=mec03d3b17453

トーンポリシングは、つらい思いや理不尽な体験、悲しさ・怒りなどを経験している人が感情的に思いを表現したときに発生する。「もう少し冷静に話さないと伝わらない」「言い方が悪いから共感できない」など、話の内容ではなく言い方に焦点を当てて論点をずらしてしまうことがトーンポリシングの特徴だ。

典型的なトーンポリシングの例

2016年に「保育園落ちた日本死ね!!!」と題されたブログが公開された(※1)。保育園に子どもを預けることができず、活動が制限されてしまう母親たちの気持ちを代弁したかのような内容は、日本中から多くの共感の声が寄せられた。

しかしこのブログには批判の声もあり、その中には「言葉遣いが悪い」などといったものも散見された。当時、ブログの著者の心境を取材した産経新聞にはこのような記載がある。

発端となったブログには「日本死ね!」というフレーズを筆頭に、強い怒りと憤りの感情が前面に押し出された言葉が並んだ。「何が少子化だよクソ」「ふざけんな日本」「私活躍出来ねーじゃねーか」-。これに対し、ツイッター上では「母親のくせに言葉が悪い」「言葉は選ぶべきだ」といった反応も多く寄せられた。中には、「このような言動をしてるから(保育所に)落とされた」などの批判もあった。

(※2)

ここで紹介されている批判こそが、トーンポリシングの典型的な例と言えるだろう。「復職したいのに保育園に空きがない」ということが本質的な問題であったにも関わらず「言葉遣いが悪い」ことが議論の焦点になってしまっているのである。

※1 参考:はてな匿名ダイアリー「保育園落ちた日本死ね!!!」
https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
※2 参考:産経新聞「『日本死ね!』とつぶやいた女性が現在の心境を明かす 『正直、反応の大きさに驚いている』ととまどいも…」
https://www.sankei.com/article/20160310-GKI7VQSG4NK7BIH6FH4LS4AQVM/

トーンポリシングの影響

トーンポリシングをインターネットで検索すると、関連語として「何が悪いのか」と疑問に感じる人が一定数いるような言葉が出てくる。怒りをあらわにしている人に対して、「落ち着いて」ということは悪いことなのだろうか。そのような疑問が湧いてくることは自然なことだろう。

このようにトーンポリシングの問題では、話す側と聞く側、双方の主張が存在する場合がほとんどだ。

そこでまずは、トーンポリシングがどのような影響を与えるのかを認識しておくことから始める必要があるだろう。

対話や議論への影響

前述しているように、トーンポリシングを行うことで、話の論点が逸れてしまうという問題がある。先ほど取り上げた「保育園落ちた日本死ね」のブログにも、保育園に落ちたことが筆者の言葉遣いと関連があるかのような書き込みもあった。

これは全く本質的な議論につながらない。丁寧な言葉遣いをして生きていれば、保育園に入園できる可能性が高くなる事実はなく、またその人が普段から悪い言葉遣いをしているという根拠にもならない。

怒りや悲しみで感情が大きく高ぶったとき、言葉や態度の表現方法が過激になることは珍しいことではない。しかし、トーンポリシングによって言葉の表現方法のみに焦点が当てられては、往往にして話の論点がずれてしまう。また言い方を指摘された後に、もう1度その問題を議題にあげることは簡単ではない。

結果として、本質的な問題の解決が遅れたり、そもそも解決のための議論を始められない場合もある。トーンポリシングは、対話や議論にネガティブな影響を与えてしまう。

被害者の感情や心理への影響

トーンポリシングをされた人物は、自分が否定されたと感じてしまうことも多いだろう。先ほど紹介した保育園落選のブログの筆者は、産経新聞の取材で、「感情の赴くままにわずか数分で書き上げた文章」だったと話している。(※2)

怒りや悲しみ、苦しみに感情が支配されているとき、私たちは冷静に言葉や態度を表現できないことがある。また感情に任せることで気持ちが整理されたり、落ち着いたり、ストレスが解消されるということもあるだろう。しかし、思いのままに発言したことに対してトーンポリシングを受けた場合、目に見えない他者に申し訳なさを感じて、実際に感じた不満への問題提起ができなくなったり、自分を責めてしまったりすることもあるかもしれない。

トーンポリシングは、話し手を抑圧し、自責の念を抱かせてしまうという側面も持っているのだ。

社会的・文化的な側面からの考察

感情的になっている人を冷静に諭している側は、「感情的になるなんて子どものすることだ。自分は大人として冷静に話すことができる」「感情的になっている人よりも、その問題に本質的に対処することができる」と感じている場合がある。

世論的にも、感情的になっている人より、丁寧な言葉遣いで冷静に議論を進めようとしている人の方が「まとも」に見えることもあるかもしれない。

しかし、問題に真剣に向き合っているかどうかという点から見ると、言葉や態度が感情的になっているか、冷静に対応できているかということは、一概に直結するとは言い切れないだろう。

トーンポリシングの特徴の1つとして「言いたいことはわかるけど」という枕詞をつけながら「もう少し冷静になって」と主張するというものがある。

「この人は丁寧な言葉で、冷静に対処しようとしている」と思っていても、よくよく内容を見ていると「問題の解決」よりも「口調の問題」に論点がすり替わっている場合もあるだろう。冷静な口調で一見問題の解決に尽力しているように感じても、本来の問題とは全く別のことを議論しようとしている可能性があるということだ。そのため、強い口調で提起された問題に対して議論が生じた際には、「(怒りながら)問題を解決しようとしている人」なのか、「(冷静に)ただ言葉遣いを直そうとしている人」なのか、という観点で状況を捉え直してみるのも良いかもしれない。

またトーンポリシングを容認してしまうことで「言葉がうまくまとまるまで発言できない文化」、「丁寧な言い回しをする側が『正しい』という文化」が醸成されてしまう可能性がある。

先に述べたように、人は激しい怒りや悲しみを抱いているとき、冷静になれないことも多いだろう。問題に対して冷静に考えられることは、その問題を直接経験していない人の特権であるとも考えられる。

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トーンポリシングと同調圧力

トーンポリシングをされることで、問題提起をしようとしている人々が発言する自信や機会を失ったり、他者と同じように冷静にならなければいけないと思ったりする場合がある。この構造は、「周りに合わせなければならない」という同調圧力と共通した構造を持っている。

同調圧力の定義と概要

同調圧力とは、「集団のなかで少数意見をもつ人に対し、周囲の大多数の人と同じような考えや行動をとるよう、暗黙のうちに強制すること」(※3)である。周囲と意見を合わせるようことを強制することが同調圧力の代表的な例だが、「みんながやってないから自分もできない」「意見を言いたいけれど周りの反応が怖くて言えない」といったことも、同調圧力の影響を受けている状態と言える。

※3 参考:Chatwork「【臨床心理士監修】同調圧力とは?日本社会で強い理由や対処方法をわかりやすく解説」
https://go.chatwork.com/ja/column/efficient/efficient-529.html

トーンポリシングと同調圧力の関連性

トーンポリシングと同調圧力は、「少数の人の意見を押さえつけるという」点で関連している。

例えば「強い口調で意見を主張すると他者に嫌われてしまうため、意見は主張しない方がいい」という考え方はトーンポリシングと同調圧力が混ざり合った例と言える。それは「強い口調で意見を主張する」ことをよくない事とする部分がトーンポリシングの考え方であり、「嫌われてしまうため」ということで他者に合わせ「意見を主張しない」という部分が同調圧力の考え方を含んでいるためだ。

トーンポリシングと同調圧力の違い

このように、トーンポリシングと同調圧力は、似ている部分もあるが全く別の要素もある。

トーンポリシングは「問題の話よりもまず先に言葉遣いを直すべき」と強制することである一方で、同調圧力は「多数派の意見に合わせるべき」と強制することである。

またトーンポリシングは「本質的な問題を議論しない」あるいは「見て見ぬふりをする」「分かっているふりをする」という行為であるならば、同調圧力は「意見を変えさせようとしている」「多数派に合わせることを強要している」行為である。

トーンポリシングと同調圧力は同様の要素は持っているものの、トーンポリシングの「同意しているように感じさせて本質的な議論をしない」という点は同調圧力には含まれていない。

トーンポリシングを回避する方法

ここまでトーンポリシングが与える影響を紹介してきたが、実際にトーンポリシングが発生することを避けるために私たちが取れる行動はどのようなものがあるだろうか。

トーンポリシングへの認識と共感力の向上

まずは、上記したようなトーンポリシングの意味や与える影響を知り、どのような弊害があるのか考えてみてほしい。

トーンポリシングは、語る側と聞く側で回避できる内容が変わってくる。

問題を語る側としては、意見を主張をすることで「問題を解決したい場合」と「ただその問題を共有したい場合」があるだろう。問題を解決したい場合、トーンポリシングを受けて問題の議論が為されないことは本意ではない。しかし、だからといって表現方法が制限されると本来感じていた感情に蓋をすることになってしまう。実際に怒りや苦しみを抱えている人の発言を制限してしまうことで、問題の本質が見えなくなることも考えられる。

一方聞く側、つまりトーンポリシングをしてしまう可能性がある側はどのようなことに気をつければ良いだろうか。

強い口調や言葉尻に抵抗を覚える人ももちろんいるだろう。苦手だと思うならばその場から離れることも1つの手だ。ただ言い方が悪いからという理由だけで、議論されるべき問題を遠ざけることは正当ではないと考えられる。攻撃的だと感じる言葉遣いが理解できない場合、語る側を否定するのではなく、一歩引いて、どのようなことが語る側の問題提起なのか、耳を傾けることも出来るだろう。

対話のスキルと戦略

問題を語る側は「問題を共有したいとき」と「問題を解決したいとき」のどちらかの状況に応じて、口調を変えてみるのはいかがだろうか。

もちろん、怒りや悲しみの感情を抱えた状況で、冷静な精神状態でいられない場合も想像できる。本文で何度か言及している「保育園落ちた日本死ね」のブログの著者を取材した産経新聞の記事には下記のような記述があった。

「保育園落ちた日本死ね」のブログをきっかけに

保育所不足や待機児童問題の改善を訴え、実際に行動を起こす人たちが増えている。3月5日には、保育所に子供が入所できなかった母親らが国会前に集まり、「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げて抗議活動を行った。

(※2)

相手に聞かせるスキルや、対話の戦略を考えることも重要だが「問題を共有したい」という動機で発信した感情が、同じような悩みを抱える誰かを動かす可能性もある。そのことを頭の片隅に置いておくことで、モヤモヤした感情を抱えたときの対処法が変わってくるかもしれない。

安全なコミュニケーション環境の構築

トーンポリシングを回避するための方法の1つとして「どのような言い方をしても聞いてもらえる、という環境づくり」も重要になってくる。理不尽な状況への不満や、怒りを抱えた際は、まずは、信用できる人とのコミュニケーションの中で好きなように表現をする。そして、信用できる人たちの中で感情を抑えずに問題提起をしたあと、不特定多数の人に問題を共有するときは、少し口調を変えてみることで、トーンポリシングを受けることなく問題を本質的に議論できるような仕組みが作れるかもしれない。

身近に悩みを話せる人や環境がないことで、ダイレクトに不特定多数の人の目に触れる場所に過激な言葉で感情表現をしてしまう場合もあるだろう。どのような感情表現をするかは個人の自由ではあるが、昨今SNSで個人が攻撃されるケースもよく見られる。自分がダメージを受けないためにも、気軽に発言ができる関係性を身近に構築しておくのもトーンポリシングを回避する方法の1つだと言えよう。

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トーンポリシングと対立解消

本記事内でも言及しているように、トーンポリシングを受ける側(話す側)とトーンポリシングをする側(聞く側)には対立が必ずと言っていいほど生じてしまうのが現実だ。

対立解消の基本原則

「相手に対して怒れば、相手も当然のように怒り返してくる。互いに『それはトーンポリシングだ!』と怒り合う、という不毛な絵ができあがってしまう」という意見もあり、語る側と聞く側が入れ替わり立ち替わりして、まるで抜け出せないいたちごっこのようになっている。(※4)

※4 参考:文春オンライン「Twitterで『罵声はやめてほしい』と訴えると『トーンポリシングだ!』と怒る人たちは正しいか」
https://bunshun.jp/articles/-/12918

トーンポリシングを避ける対立解消法

当たり前のことだが、もっとも重要なことは「問題の本質を議論する」ということである。口調について議論していては問題解決にはいつまでも届かないだろう。

ただしトーンポリシングを受けまいと、悩みを抱える語る側が発言ができなくなったり、聞き手側も反論できなくなることは最も避けなければならない。思い詰めた悩みを吐露させることも、語る側の過激な言い方を指摘することも、本来は問題ではないのだ。ただ議論がずれてしまい、課題解決から遠ざかることは誰も望んではいない。

そうした時に、語る側と聞く側以外の第三者が、議論の軸を修正することも必要になってくるのではないか。当事者同士ではそれぞれの意見を通そうと視野が狭くなってしまっている場合もあるだろう。感情を表現するときと冷静さを駆使するときを、うまくコントロールさせるためにも、別角度で問題を見つめる視点があると良いのではないか。

まとめ

トーンポリシングのために、誰かが抑圧されたり言葉を紡ぐのをためらったりする状況はあってはならない。しかし、お互いの主張や、様々な立場の人々の言い分が存在していることも事実だ。

作家で批評家のベンジャミン・クリッツァーはトーンポリシングを評する連載でこのように述べている。

「だれであっても、社会に対して、あるいは特定の相手や組織に対して要求があるときには、まずは自分の要求が正当なものだと言えるかどうかを自身で検討するべきだ。また、自分が要求を発したら必ず認められる、ということを期待してはいけない。要求の対象となる相手や組織にも、社会のなかにいる自分以外の個人たちにも、それぞれの利害や考え方や言い分があるからだ。」

(※5)

激しい感情を抑える必要はない。ただ、どのような言い方をするにしても、お互いが本当に伝えたいことはなんなのか、解決したい問題はなんだったのか、どうして否定されたように感じるのか、それぞれの立場を考え抜くことが重要なのではないか。そして、互いが少しずつでも歩み寄れる社会を作っていくことが必要ではないだろうか。

※5 参考:晶文社スクラップブック「II-4『トーン・ポリシング』の罠」
http://s-scrap.com/7554

 

文:小野里 涼
編集:三浦 永