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『エブエブ』は歴史を、社会を変えた。「マイノリティのストーリー」が持つ力

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)は、2023年3月12日(米国ロサンゼルス現地時間)に開催されたアカデミー賞にて、今回最多の7冠を獲得した。個人的には、この映画が成し遂げた数々の快挙は自分ごとのように嬉しい。作中にはアジア系アメリカ人のリアルが詰まっており、監督も役者も製作陣も胸を張って世に送り出したいと思うメッセージがあり、勇気や教訓、そして愛を与えてくれる作品だからだ。
この快挙はアジア系アメリカ人コミュニティにとっても大きな出来事だった。ハリウッドをはじめとした映画業界、そして社会全体の変化の兆候を反映しているのだ。娘のアイデンティティとの衝突や夫への募る不満を抱えた、ある「普通の母親」が突然「マルチバースを救う」という任務を受けるという壮大なストーリーの核にあるのは、グローバルな規模で語られる機会のなかった、移民家族の葛藤、そしてアジア系、クィアな人のアイデンティティのストーリーだ。今回の席巻は、まさに「マイノリティのストーリー」が持つ力を世界中に見せつけた。この映画は本当に歴史を、社会を変えた。

アジア系アメリカ人のアイデンティティは一枚岩ではない

今までは「アジア系アメリカ人」とひと括りにされていた(ラベリングされていた)が、そのアイデンティティにはニュアンスとレイヤーがあることを『エブエブ』は示した。アジア系にとっての「快挙」という点について、Washington Postの国際調査員Shibani Mahtaniはこのように書いている。「ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンは今夜、アジア系アメリカ人の経験が一枚岩ではなく、ひとつの国で定義することはできないという事実を強調した。中国系マレーシア人の女性、香港の難民キャンプで暮らしたベトナム系アメリカ人、彼らのアイデンティティにはニュアンスとレイヤーがある。」(※1)

Buzzfeedでも、次のような記事が公開されている。

「クィアであり、アジア系アメリカ人一世の私にとって、『エブエブ』の受賞が意味すること」

『エブエブ』は、特にクィアなアジア系アメリカ人の存在を、そして体験を肯定する作品だ。「この映画は、母親がクィアな娘を自分自身から救うために多元的な宇宙を探索する話。多くのLGBTQIA+であるアジア系の人々は、私たちの文化の中で深く根付いたクィアフォビア的感情とまだ闘っているから(この作品は重要に感じる)。

また、『エブエブ』は、『ムーンライト』(16)に続き、LGBTQIA+映画で作品賞を受賞した2作目だ。クィアネスに正面から取り組むだけでなく、アジア系コミュニティでスティグマとされているメンタルヘルスにも向き合っている。

(※2)

キー・ホイ・クァンが演じた役(ウェイモンド)が「有害な男性性」に中指を立てるものだったのも、特筆すべきだ。アジア系の男性が「家長」として「強くなければならない」という場合、大抵は屈強なマスキュリニティを想像するだろうけど、ウェイモンドのキャラクターは、アジア系の男性が優しくても良い、暴力やマスキュリニティがなくても大切なものを救うことができるというメッセージを発した。「アジア人男性ヒーローを根本的に拡張するためには、マルチバース(ほどの規模のもの)が必要だった」というタイトルの記事がSlateで公開されているが、まさにこの点を指摘している。

最近のクレイジー・リッチやシャンチーは「ハリウッドのアジア人男性に対する固定観念を打ち破ろうと、真っ向から反するキャラクターを作り出した: 強さは弱さを上書きし、セックスアピールは魅力のなさを上書きし、男らしさは女っぽさを上書きする、といった具合に。

(※3)

アジア系移民として苦労を重ねても、優しさという形の「強さ」や「柔らかさ」を持ち合わせている父親像が評価され、受け入れられたことも、大きな快挙だ。

※1 参考:Twitter-Shibani Mahtani
https://twitter.com/ShibaniMahtani/status/1635124604137267202?s=20
※2 参考:BuzzFeed "I'm A Queer, First-Gen Asian American — Here's What "Everything Everywhere All At Once's" Wins Actually Mean To Me"
https://www.buzzfeed.com/kimthai/eeaao-wins-for-queer-asian-americans
※3 参考:Slate "Asian Men Needed a Movie Like Everything Everywhere All at Once"
https://slate.com/culture/2022/04/everything-everywhere-all-once-waymond-ke-huy-quan.html

製作陣も『エブエブ』が持つメッセージ性を体現している

製作陣も、『エブエブ』のメッセージ性を体現した、誠実なアクションをとっていることが話題になった。
例えば、モントレーパークでアジア人をターゲットにした銃撃事件が起きた2日後、コミュニティを支援するために『エブエブ』のキャストとクルーはアカデミー賞のノミネート前ディナーをモントレーパークの中華料理屋で開催した。その翌日、『エブエブ』は今年度のアカデミー賞最多ノミネート数を獲得。何十年もの間差別され続けた業界において、彼らクルーと役者たちはリアルなアジア系のストーリーを伝える大きな変化を起こしているのだ。

背中に「PUNK」の文字をあしらった、アカデミー賞でダニエル・クワンが着用したスーツは、『エブエブ』映画内でエブリンが着ているカーディガンのオマージュだった。さらに深い話で、 そもそもエブリン含む一家の衣装はLAのチャイナタウンでリアル服を調達し、授賞式の衣装は、様々な大手ブランドのオファーを断ってアジア系アメリカ人によるレーベルGoodfightに直接依頼したそうだ。

『エブエブ』という作品と同じように、この非伝統的な衣装は昨夜ハリウッド最大の舞台で行われた、表現と自己表現に関する(アジア系アメリカ人を)代表する意義、そして自己表現に関する議論を反映している。

Goodfightは、過去半世紀にわたり、4人の創業者、リン、チュー、グエン、そしてCAAの主要ハリウッドエージェントを務めるCEOのクリスティーナ・チュウによって、アジア系アメリカ人のファッションブランドとして急速に地位を確立し、多くの移民一世や二世の子供たちが育つ第三文化を反映した服づくりをしている。

(※4)

他にも、2月に行われたA24の施策も話題になった。『エブエブ』で使われた衣装(Jobuのエルビス含)や小物類(ラカクーニー本体まで)ほぼ全てがオークションに出品されて、収益の100%はランドリーワーカー支援団体、アジア系のためのメンタルヘルスプロジェクト、そしてトランス支援団体に寄付された。

さらに、アメリカでドラァグショーやトランスジェンダーの人やクィアな人が迫害され続けている最中、ダニエル・シャイナートが監督賞のスピーチにおいて「なんでも応援してくれた両親に感謝したい、例えば変な映像を作っても。例えば子どもの頃ドラァグの格好をしても。ちなみにそんなの誰の危害にもならないし!!」と強調した。(※5)

また、アカデミー賞の受賞スピーチでは、受賞者が家族をはじめとした「支えてくれた人」に感謝を述べる場面が定番だ。『エブエブ』関係者の受賞スピーチでは、その「家族」にまつわるスピーチも、特に移民というアイデンティティに触れながら語られた。作品賞でスピーチをしたプロデューサー、台湾系のジョナサン・ワンは「他の多くの移民のように、父は若くして亡くなってしまった。彼が教えてくれたのは”人間よりも大事な利益などない。他の人間より大事な人間などいない”」と、移民の父に向けたスピーチを大舞台にて発した。

他にも、アジア系移民の親は、ロールモデル的な人材を見つけるとすぐに子どもに対して「あんたもああなりなさい」という「あるある」が存在するが、ダニエル・クワンは授賞式のスピーチにて彼の息子に向けて「これ(アカデミー賞)がスタンダードではない」と明言した。世代間トラウマを打ち破る「優しい」世代が、親になり、映画を作る世代になっていることを浮き彫りにした。ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートはツイッターでも、「『エブエブ』の脚本を書くことは、無関心で冷たい世界に向けての愚かな祈りだった。すべての矛盾を調和させ、最大の疑問を理解し、人間の最も愚かで不敬な部分に意味を吹き込むという夢だった。世代間トラウマに崩れ落ちやすい世代間のギャップを埋めるために、あらゆる方向に自分たちを伸ばしきりたかった」と言っている。(※6)
「地に足が着いていなくて弱々しい」とブーマー世代にレッテルを貼られたミレニアル世代が、今や映画監督になるような年齢になり、自分だけでなく、子どもの世代のために作品を作り始めている。この世代交代によって、「人間の弱さに着目した優しい作品」が生まれているのだ。(※7)

だからこそ、ジェイミー・リー・カーティスの助演女優賞受賞は「アジア系移民家族の物語なのに、登場時間も少ない上にキャラ立ちもインパクトも薄い白人女性にオスカーをあげる白人中心的なアカデミー賞」と大きな批判の的になった。同じくノミネートされていたステファニー・スーは、今回の役で多くのクィアなアジア系アメリカ人が経験してきたストーリーを、見事に演じた。『エブエブ』の中でも圧倒的に広いレンジの表現を演じ切っていて圧巻だっただけに、彼女が選ばれなかったのは、広く残念な反応を集めた。

※4 参考:GQ「The Story Behind Oscar-Winning Director Daniel Kwan's Wild Everything Everywhere-Inspired Tux
https://www.gq.com/story/daniel-kwan-oscars-suit

※5 参考:Twitter-GLAAD
https://twitter.com/glaad/status/1635117849474916352?s=20

※6 参考:Twitter-Daniel Kwan
https://twitter.com/dunkwun/status/1512496779098423296?s=20

※7 参考:現代ビジネスオンライン "アカデミー賞7冠『エブ・エブ』の「怒涛の感動」の正体…60代もZ世代も「まとめて癒す」不思議なパワー"
https://gendai.media/articles/-/107521?page=4

ダニエルズの「誠実さ」と“representation”

監督であるダニエルズの特筆すべき点は、代表作と言われている『スイス・アーミー・マン』をはじめとして、奇抜な作風とインディー精神に満ちた制作方針にある。作品を通してどうやってより良い社会を作れるか、どうやって1人でも多くの人に「愛」を伝えられるか、考え尽くしている。「映画の力」を深く信じているからこそ、アジア系やクィアコミュニティの支援もここぞとばかりに積極的にやっている。本当に大切だと、彼らは信じているから。

監督賞を受賞したダニエルズ(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート)たちに、BRUTUSにてインタビューした際に印象的だった言葉がある。「(見てくれる)人々から吸い取る時間に価値がある。どうせやるなら、最も倫理的な方法を考えましょう。観客のことを考え、観客の時間を考え、観客にとって有益な、教育的な体験となるような方法を考えようではありませんか。」授賞式全体を通して、キャスト、クルー、チーム全員がダニエルズのことをWeirdos(変人の奴ら)と愛を込めて呼んでいることに全てが表れていると思えた。全員にとってこの作品はパーソナルかつ大切なストーリーを伝えているだけではなくて、全員が平等でファミリーのような制作環境であることが随所で垣間見えた。

SAGアワードにて、94歳のジェームズ・ホンが「昔の主演はこうやって目をテープで固定して、アジア人訛りのモノマネで喋って、プロデューサーは“アジア人は上手くないし、興行的に向いていない”と言った。でも、今の僕らを見てくれ!」とスピーチで語ったことも話題になったが、まさにこうやって権威主義的な業界はアウトサイダーによって変えられていく、ということを彼らは証明した。受賞スピーチでもその誠実さが印象的で、普通のミレニアル世代お兄さん2人だからこそああいう映画が作れたことを実感した。忖度や見栄ではなく、「自分たちが大切にしているもの」を伝えたいという気持ちが溢れているのだ。映画が持つ力を信じているし、「より良い社会」を作るためにどうしたらいいかをずっと考えている人たち−これは、SNS投稿やスピーチでも一貫している。

『群像』(講談社)の連載を始めた2021年、第1回目は自分のアジア系アメリカ人としてのアイデンティティ、そしてアジア人に対するヘイトクライム、メディアの中での"representation”について書いた(『世界と私のA to Z』(講談社)での該当箇所は第5章)。「アジア系としてのアイデンティティ」については絶対最初に書きたかったし、アジア人へのヘイトクライムが頻発していた当時は絶対に書かなければいけない内容だった。

確実な「ウケ」を狙ったコンテンツが蔓延る社会において、「変だけどメッセージ性があって誠実な作品」を作ることが評価につながり、多くの人に愛されるということを何よりも『エブエブ』が教えてくれたと感じる。まさに、現代において挑戦的なアートを作る大切さを思い出させられる。

変化の必要性ー『エブエブ』が指し示した未来

多様化するアメリカにおいて、白人中心的な社会でかつてはデフォルトだった「白人からの視点による、白人によって演じられる作品」ではなく、「マイノリティが経験するリアルなストーリー」を伝える作品が求められるようになった。2023年3月に行われたSXSW(サウスバイサウスウエスト)で上映された『JOYRIDE(原題)』(22)や『BEEF』(23)など、アジア系キャストをメインにおいた作品は、公開前から大きな話題と注目を集めている。『アフター・ヤン』(21)、『ソウルに帰る』(22)、『Past Lives』(23)等、「ルーツを知らなければ、本当の自分のことも知ることができない」という「アジア系移民のアイデンティティ」をテーマとした作品が最近は増えてきた。アジア系アメリカ人の長編劇映画としては初めて、アジア系アメリカ人のコミュニティ以外での劇場配給と批評家の評価を得た作品として広く知られている『Chan Is Missing』が公開された1982年から40年経ったいま、先人たちの活躍によってアジア系のストーリーが「需要のないマイナーなもの」としてあしらわれることも減り、ヒット作を生み出す可能性のあるジャンルとして認知されつつある。カルチャーにおける“representation”の議論は長年されてきているが、いつまで「外的な承認欲求」に頼り、「商業的な成功」を基準に自らの価値を見出していくのか、ということも新たに議論される必要がある。

そして、ハリウッドでアジア系の俳優は長年、カンフー戦士や白人キャラクターの相棒、または敵役など、いわゆる「消費される脇役」のみを与えられてきた。監督や作家としても、「アジア系のストーリー」は「売れないもの」としてメインストリームでは無視され続けた。そして映画に限らず、テレビや小説、詩の世界においても、「白人中心社会から見た“異物”としてのアジア文化」と言ったように、自らの「馴染めなさ」や「よそ者扱い」の経験などが中心的に語られがちだったし、アイデンティティの中心的な問題でもあった。しかし、これからは「映画の中に何人アジア系が出てくるか」といった単純な「数字」での“representation”ではなく、いかに「豊かな文化」に誇りを持ち、本当の意味での「多様性」を代表していけるか、が試されている。「白人視聴者」に称賛を求めようとも、あくまでも他者からの肯定に頼っていることには変わりない。狭い役柄やストーリーにはめ込まれることに対抗をし続け、民族的な文脈だけでなく、「個人」としての表現ができるようになるまでの導線を、『エブエブ』は間違いなく作ってくれた。

 

竹田ダニエル
1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。そのリアルな発言と視点が注目され、あらゆるメディアに抜擢されているZ世代の新星ライター。「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。

 

文:竹田ダニエル
編集:Mizuki Takeuchi
写真:配給ギャガ © 2022 A24 Distribution, LLC.