よりよい未来の話をしよう

「どの口が何言うかが肝心」――日本語ラップの「メッセージ」と「主体」

ヒップホップは、日本語ラップはこの社会に対して、なにを歌ってきたのだろうか。あるいは、日本語ラップは日本社会においていかなる位置を占めているのだろうか。アメリカで、ヒップホップと社会が強い結び付きを得たのは一般に、伝説的な1曲とされるGrandmaster Flash and the Furious Five「The Message」(1982)の瞬間であるとされる。ヒップホップは社会に対して「メッセージ」を持つべきだ、というような考えは、ひとまずここに遡(さかのぼ)ることができる。そしてそれは、日本にヒップホップが輸入されたときから意識されていた。というのは、日本初のヒップホップアルバムと呼ばれる、いとうせいこう『MESS/AGE』(1989)のタイトルを見れば明らかだ。先の1曲のタイトルのなかにスラッシュを差し挟むことで、新たな意味(メッセージ=混乱した世代)を作り出しているのだ。つまりこれは、いとうせいこうが、アメリカで黒人たちが「メッセージ」を歌うことと、日本で日本人がラップすることのあいだの解離に悩んだことを示す痕跡で、言い換えると日本ではそう簡単に社会への「メッセージ」を歌うことは可能ではないだろうと考えられていたのである。当時、日本人とアフリカン・アメリカンのあいだには、きわめて大きな社会的、政治的、経済的、文化的な差異が横たわっていたのだ。

対して、次の世代の筆頭であるキングギドラはむしろ、周りに理解を得られなくとも直接的な「メッセージ」を伝えようともがいた。「星の死阻止」、「真実の弾丸」(1995)といった曲に代表される。しかしながらそのとき議論となったのは、そうした「メッセージ」を歌う側の「主体」の地位という問題だった。つまり、社会性、政治性を考えるには「メッセージ」(何を言うか)だけでなく、「主体」(誰が言うか)もまた問題となる。アメリカのヒップホップでは、人種的マイノリティであるアフリカン・アメリカンという主体が、社会にメッセージを歌うという図式が成立していたが、当時の日本語ラップは、マジョリティ、つまり日本人シスヘテロ(※1)男性という主体によって担われていたのであり、主体とメッセージのあいだに、深刻なズレが発生していたのだ。だから、社会に対するものとしての日本語ラップはここから二方向の進化を続けることになる。一方では「メッセージ」自体を深めてゆくこと、他方では別のマイナーな「主体」の登場を待つこと、これである。

※1 用語:シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と自分の性別が一致する人)であり、ヘテロセクシュアル(異性愛者)である人。

このとき、日本語ラップを「ストリート」に根づかせることが、ひとまずの目標となる。ストリートとは、社会から排除された者たちが集まる場所であり、そのような場所の「リアル」を歌うことは、直接歌詞で政治や社会に触れていなくとも、ヒップホップに可能な最大の社会的、政治的メッセージとなりうるのである。その意味でまず重要なのが2000年代前半に登場するMSCというクルーである。いまも第一線で活躍する漢 a.k.a. GAMI率いるグループで、新宿を拠点とし、その裏側のリアルをあまりに生々しく歌うのが彼らのスタイルだが、そのことによって日本でようやく「ストリート」が発見されたのだった。

その流れを受けて、2000年代後半には、さらに多様な「リアル」の形が、多様な「主体」によって歌われるようになった。ライターの二木信は、この時期に出てきたNORIKIYOについて、「経済的支配という上からのグローバリゼーションと、文化的混交という下からのグローバリゼーションが衝突するストリート」の息吹きを歌ったと書いている(『しくじるなよ、ルーディ』Pヴァイン、2013)が、ストリートとはつまり「混交」性を強く持つトポス(※2)なのだ。『花と雨』(2006)という傑作を残したSEEDAは、ドラッグディーラー=ハスラーのリアルを描いて絶大な支持を得た。京都の団地育ちであるANARCHYは、日本にも「ゲットー」と呼ぶにふさわしい、過酷な現実があることを証明した。同じ時期に、徐々に日本でも女性ラッパーが注目されるようになる。

その筆頭が「ミチバタ」から出てきたCOMA-CHIというラッパーで、“決して譲れないあたしの美学/ナニモノにも媚びず女を磨く”(「B-GIRLイズム」2009)と高らかに宣言したのであった。つまり、「ストリート」の発見が同時に性的、人種的に多様な「主体」の登場を準備することとなったのである。

2000年代の政治的なトピックとして最も大きかったものとして、2点挙げたい。1つはイラク反戦運動の盛り上がりである。アメリカの暴力的な侵略と、それに加担しようとする日本政府への批判が集まり、サウンドデモなど新しい運動の形が登場したが、日本のラッパーたちもその動きと連動した。筆頭はECDというレジェンドラッパーで、積極的に運動にもコミットし、「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」(2003)のような曲を残した。他にも、RHYMESTERや降神などがイラク反戦、反米の声を上げた。

※2 用語:ギリシャ語で場所。転じて、文学や芸術における主題を指すこともある。

もう1つのトピックは、いわゆる新自由主義の進行で、「派遣切り」「ワーキングプア」「プレカリアート」といった労働問題が議論されていた。この点について、ライターの磯部涼はSEEDAらハスラーラップの登場はそのヒップホップ的反映だとするあまりに鋭い指摘を残しているが(つまり、ドラッグディーラーもある種の「フリーター」のような存在と見なすことができる)、直接的にはRUMIというラッパーが「公共職業安定所!」(2009)という曲で不安定な労働者の葛藤を描く名曲を残したり、鬼というラッパーが「スタア募集」(2007)という曲で“気に食わねえなあ自民党政権/五年前から死人も年々/増加してんだよ8000人/格差社会がうんでる完全に”と痛烈に政治を批判したりしている。

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次いで2010年代に入ると、まず2011年に3.11の原発事故が起きたことが、日本語ラップシーンにもきわめて大きな衝撃を与えた。般若「何も出来ねえけど」、D.O「イキノビタカラヤルコトガアル」、GAGLE「うぶごえ(See the light of day)」(2011)、NORIKIYO×OJIBAH「そりゃ無いよ feat. RUMI」(2012)など、多くの声が上がった。

アルバム単位でもS.L.A.C.K.『この島の上で』(2011)や田我流『B級映画のように2』(2012)のような作品が、震災後の社会を見つめた作品として発表された。とりわけ後者収録の「Straight outta 138 feat. ECD」は、最も有名なポリティカル・ラップの1つとして日本語ラップ史に刻まれており、「言うこと聞かせる番だ俺たちが」という民主主義を主張するパンチラインはその後実際のデモの現場でもコールされるほど、社会的な影響力を持った。

この後、2012年に第2次安倍内閣が成立し、社会は右へと傾いていった。世界中でレイシズムやセクシズムが加速し、それに対してBlack Lives Matterや#MeTooといった運動が起きた。2010年代は政治の季節だったとも言えるだろう。アメリカでは、Kendrick LamarがBLM時代を象徴するラッパーとして高い評価を得て、Cardi Bが女性ラッパー像を更新したが、日本語ラップもそうした流れを反映してゆくこととなる。まず、日本語ラップにおける反レイシズムの系譜として、ECD「レイシスト」(1993)、般若「極東エリア」(2000)のような先駆的な例があり、RUMI「銃口の向こう」(2009)、HAIIRO DE ROSSI「Same Same But Different」(2010)などがそれに続き、ECDILLREME「The Bridge 反レイシズムRemix」(2013)になると現在の反レイシズムに直接繋がるような流れができてくる。般若「家族 feat. KOHH」(2014)はそれぞれが自らのルーツを明かすきわめて貴重な証言であり、OMSB「Orange Way」(2015)も当事者の立場から、レイシズムが蔓延する社会で生きることについて繊細に語った曲である。そんななかにあって、Moment Joon『Passport & Garcon』(2020)は、反レイシズムというトピックについての語りを更新する、史上最も先鋭な作品として大きな反響をもって受け止められた。韓国からの「移民」という立場から歌う彼は、日本の戦後民主主義そのものの欺瞞(ぎまん)をポストコロニアルな視点から、私たちには想像することすら難しいような勇気をもって告発したのだ。“お前は知っとくべき/日の丸のあの赤い点ていうのは俺らの先祖がこぼした血の一滴”(「Home/CHON」)。

他方で、BLMは単に反レイシズムのみを問題としたわけでもなかった。たとえば、監獄や警察というシステムに対して、根底から再考をうながす「アボリショニズム」が提唱されもした。かつてミシェル・フーコーという思想家は、監獄とは「吸収し、壊し、砕き、締め出す――すでに淘汰された者を排除するために吸収する腎臓」なのだと述べたが(蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成Ⅴ 1974-1975 権力/処罰』「アッティカ刑務所について」筑摩書房、2000)、A-THUGというラッパーはまさに排除される立場から、“ガバメント奴らは俺らを台無しにする/俺らはパクられまたジェイル”(SCARS「MY BLOCK」2008)と歌った。ヒップホップは監獄システムに苦しめられる者たちを歌ってきたのである。そして2010年代後半には、BLMに連動するかのように、大麻礼賛と反警察を歌う舐達麻が絶大な人気を得た。“諭吉は親切すべてに必要/警察は迷惑で不必要”(「FLOATIN’」2019)とは、日本語ラップにおけるアボリショニズムの反映なのだと読むことも可能であり、そうすることはぜひとも必要である。

女性ラッパー史において、COMA-CHIがひとつの画期であったことはすでに述べた。その後10年代には、その登場がきわめて新鮮であった大所帯のクルーSIMI LABにおいて、QN、OMSBといった優れた男性ラッパーに混じって女性ラッパーのMARIAは、軽やかに自らを表現することができた。“あたしのshitが気にくわないなら/黙ってmy pussyでも舐めまわしとけ”(「Uncommon」2011)。性的なトピックを歌うのにも躊躇(ちゅうちょ)しない、物怖じしないスタイルだった。そして10年代後半には第4波フェミニズムの流れに乗って、Awich、NENE、Elle Teresaといったきわめて優れた、個性溢れるラッパーがシーンに躍り出た。MCバトルシーンにおいては、2018年に椿がそのミソジニーを鋭く批判して大きな話題となった。そんななかでもZoomgalsの登場は、日本の女性ラッパー史をさらに一段階先に進めたと言える。6名の女性ラッパーからなるユニットで、その始まりとなった「Zoom」(2020)はコロナ禍において自宅に閉じ込められる状況を逆手にとり、Zoomで女性同士の連帯(シスターフッド)を体現して大きな支持を得た。valknee、田島ハルコ、あっこゴリラ、なみちえ、Marukido、ASOBOiSMの6名のメンバーはそれぞれソロでも意欲的かつ個性的な作品を発表している。

ここで1つの試みとして、日本語ラップのジェンダー論的な分析に新たに加えるべきと思われる視点を提示してみたい。ヒップホップ研究者のトリーシャ・ローズはかつて、女性ラッパーと男性ラッパーの関係は「対話」的なものとして定義されるとした。日本においても、そのような「対話」性の観点から女性ラッパー史が再考されてもよいかに思われるのだ。

たとえば2000年代前半頃まで、主に男女の関係は、女性ラッパーを男性アーティストがプロデュースするという形で主になされてきたと言える。RIMとDJ KENSEI、NOCTURNとDJ刃頭、姫とdj honda、NORISIAM-XとBACH LOGICのような関係である。そこから徐々に女性ラッパーが独立性を得ていくという流れに沿って歴史は展開してきたと要約してよいと思われるが、このとき歴史をより子細に見てゆくと、一般に性差別的とされるような男性ラッパーたちと女性ラッパーたちとのあいだのひそかな「対話」的な関係性が発掘されるのである。MSCを例に取ろう。彼らはその男性中心的なリリックとは裏腹に、ジェンダー/セクシュアリティにおいてきわめて豊かな複雑さを体現していたのだ。まず、RUMIという傑出した女性ラッパーとの交流が挙げられ、いくつもの素晴らしい楽曲で共演している。女性3名からなるグループDERELLAは「日本女意識高揚」(2010)のクラシックがある先駆的なアーティストだったが、意外にもMSCは彼女たちにも影響を与えたそうである。メンバーのMIHOは語っている。「MSCは綺麗事だけじゃなくて、社会にたいしても素直だし、私でもなんかやれると思わせてくれた」(野田努+三田格編『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』河出書房新社、2011)。きわめてマッチョな男性ラッパーの「メッセージ」が、女性ラッパーを勇気づけるものとして「誤配」(※3)されたわけだ。そしてMSCは、きわめてホモソーシャルなグループであったと言えるが、その内部にも複雑性を有していた。メンバーのPRIMALが2013年に発表した「性の容疑者」は、“かなりイカれた本心/矛盾を暴露してディス覚悟”との悩みとともに“同性愛に近い俺は特殊”とセクシュアリティの葛藤をカミングアウトする1曲であり、ホモソーシャルな日本語ラップシーンにあってギャングなイメージを押し出していたPRIMALの勇気ある決断は、日本語ラップにおけるセクシュアリティの変遷という歴史において確固たる1つの偉大なモーメントとして記録されている。

「メッセージ」と「主体」の齟齬(そご)という困難から発した日本語ラップは、「ストリート」を発見し多様な「主体」の登場を実現した。それは資本主義、家父長制、人種主義の支配的な3つ組みに抵抗するマイナーで多様な主体たちである。そして日本語ラップはつねに、現実の運動、社会、政治の変化との関係のなかで「メッセージ」を発してきたのであった。それは確固とした主張として明晰(めいせき)に歌われることもあれば、いまだ十分に言説化されていないような複雑さを有したつぶやきに留まっているかもしれない。しかしながら、いずれにせよ日本語ラップを“闘争の音楽である”とする視点を私たちは持っておくべきであり、その音楽のなかに「戦いのとどろきを聞かねばならない」(ミシェル・フーコー)のだ。

※3 用語:間違った宛先に届くこと。哲学者の東浩紀は、予想外の出会いや展開が新しい思考や価値の創造につながるという考えのもとに「誤配」の概念を用いる。

 

韻踏み夫(いんふみお)
ライター/批評家。94年生。福岡県。著書『日本語ラップ名盤100』(イースト・プレス、2022年)。連載「耳ヲ貸スベキ――日本語ラップ批評の論点」(文学+WEB版、2021年~2022年)、「フーズ・ワールド・イズ・ディス?――ヒップホップと現代世界」(文学+WEB版、2023年~)。論考「革命と支配のギャングスタ化について」(『7・8元首相襲撃事件』、2022年)、「ライマーズ・ディライト」(『ユリイカ』2016年6月号)など。

 

文:韻踏み夫
編集:日比楽那

 

(注)本コラムに記載された見解は各ライターの見解であり、BIGLOBEまたはその関連会社、「あしたメディア」の見解ではありません。本文中の用語を説明する注釈はあしたメディア編集部が記載しました。