SDGsムーブを論ずる超ナイスな本、日本にもありました
最近、この連載で私がこれまで書いてきたことと、シンクロする内容の書物を日本で発見して驚いた。ドイツには存在するが、日本でもその手の思考ベクトルの書物が(売れ筋のものとして)存在していたとは知らなかった。その、今回私が発見した(というか、実態としては、別件で読んでいて途中で既存SDGsムーブを撃っていることに気づいた)書物は、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)である。
斎藤幸平氏は「いまどき、いや、いまこそマルクス復権!」というラディカルな主張で知られる気鋭の経済学者だ。マルクスの概念や顔、歴史的存在感に生理的嫌悪感を抱く層からは嫌がられる一方、そうでもない層(たぶんこっちの方が多い)からは「えっ、何それ?」というインパクトで注目を集めている。
何故こんなことを知っているのかと言えば、実は彼はドイツでもけっこう知名度が高い。昨年、ドイツ在住の親戚が「サイトウコウヘイって知ってるか?」といきなりSNSで私に聞いてきたこともある。そんなわけで、名前とアウトラインはもともと知っていた。しかし、読んでいなかったのもモロバレだ(笑)。
ちなみに私から見て「共産主義が嫌いだからマルクスNG!」みたいなスタンスは、キリスト教会とイエス・キリストを同一視する流儀と似て見える。要するに、知的にもったいない。ゆえに、私にそのへんの葛藤や抵抗は無い。いうまでもなくこれはステマではない。ガチ読書である。
「リアル持続可能性」の実現に向けたヒントも
で、読んでみると、たとえば「日本ではイタい存在として嘲笑寄りの批判の的にされがちなグレタ・トゥーンベリが、なぜ欧州であんなに真顔で熱く広く支持されているのか?」といった点について、私が以前本稿で書いたのと同じことを、もっと戦闘力豊かな形で書いているではないか。超ナイスだ。
実はこの件、日本だと、相当頭がいい人でもいまいちピンと来てくれないんですよ。嗚呼、数年前に私も参加した『ウクライナ戦争の200日』(文春新書、2022年)の鼎談に臨む前に、斎藤幸平氏とガッツリつるんでおけばよかった!といまさら後悔することしきりだったり(笑)。
SDGs論的な観点からみた本書の最大のポイントは、
- 巷(ちまた)の、いわゆる既存の「SDGs活動」は、たとえ真摯な善意に支えられていたとしても、現実的にみて「ザ・資本主義的領域」からの協力が不可欠である。
- ゆえに、どう頑張っても旧来的な収奪+増殖の再生産システムを踏まえた機能設計にならざるを得ないため、地球環境の持続可能性の収支悪化ペースをいくぶん緩めることはできても、ガチで良い方向に転じさせることは宿命的に不可能である。
- やれることと言えば、大資本が抱えている旧来型システムの表面的イメージアップと、破滅までの時間稼ぎぐらいなのだ。
という主張だろう。
「やってます」しぐさ、墜ちるべし。お前はもう死んでいる!
ちなみに、環境破壊のスピードを技術革新のスピードが上回って結果的に地球は救われる、とするいわゆる「加速主義」も、実際にはこの構造的矛盾を克服することができず、幻想でありダメであるということが、説得力をもって語られている点がまた興味深い。
では、そのマジな打開策はどこにあるのか?斎藤幸平氏は「纏(まと)まって世に出る機会がこれまで無かった」、晩期マルクスの思考ベクトルに窺(うかが)える「脱・成長」志向と、その認識の社会的共有こそが「リアル持続可能性」の実現につながる、と論を展開する。
これは、現代社会に満ちる「煽り情報による商品ニーズ増殖」サイクル習慣からの脱却、と言い換えることも可能だろう。そのための必要条件として本書では、大資本による生産・消費心理誘導に対置する形での、「生活者による自立・自律的なネットワーク思考」の必要性が説かれる。そんな観念的に高度なことが現実でできるのか?とついつい言いたくなるが、本書ではバルセロナ等で成功裏に展開している実例を挙げて、冷笑的読者への構えとしている。
ということで、実際に斎藤幸平さんに聞いてみました
これは面白い。実に歯ごたえのある知的提案の書だ!
そして私はある知人ルートにより、斎藤幸平氏へのアクセスに成功。本書を読んで感じた疑問点を率直に問うてみた。
するとなんと!
これまた率直でゴマカシのない返答をいただいた。それが以下3つのQAである。
【Q1.】
本書で説かれている「市民営」化(生活者による自律的ネットワーキングを基盤とする生活インフラ等の運営)の実現には、市民層の連帯意識の醸成が不可欠だ。しかし、現代人(とくに日本の、さらに若年層)は「連帯」を苦手とし、外部からの干渉に抵抗する傾向がある。
情報共有や交換はあっても、真の連帯は生まれにくい。「自発的な相互扶助」に対する抵抗感は、福祉や社会保障の本来の「協同組合」的な精神の衰退を象徴している。この精神ベクトルをどうやって変えることができるか?
【A1.】
『人新世の「資本論」』の例がヨーロッパばかりであることからも分かるように、現状の日本には特段のポテンシャルはないですね。
地方ではいろいろありますが、日本は市民社会が成熟していない困難はあります!
【Q2.】
市民ネットワーク的思考が実現しても、それが知的に健全なものになるとは限らない。「いかにバカの台頭を押さえるか」が課題となる可能性もある。フランス革命の教訓からみても、強権化は避けられないのか。
『人新世の「資本論」』で紹介されるバルセロナの事例では、この問題をどのように解決しているのか知りたい。その秘訣は何なのか?
【A2.】
バルセロナの裏話は、結局、カタルーニャにおける「国家に依存しない」というエスニシティ的な伝統があるということですよね。もちろんそれも双刃の剣で、昨年には、クラウ(スペインの社会活動家で、元バルセロナ市長。スペインからの独立運動が根強いカタルーニャ州について、独立を反対する立場にある)が敗北する結果にもなっているという矛盾が…。
ただ、バルセロナ以外でも、パリでもアムステルダムなどもいろいろ動きはあるので、結局はヨーロッパは(もちろん問題はあるけど)市民社会の伝統が違うな、という話です。ヨーロッパが隣の芝は青い論ではありますが、想像力が広がればいいので、意図的に紹介しています。
【Q3.】
脱成長社会では、精神生活の充実が重要となる。しかし現代人は余暇を活用する代わりに、仕事量を増やしてしまう。これは「ブルシット・ジョブ(※)」の問題の根源でもあるが、とにかく自由な時間を自発的に無駄に費やす人々が存在する。
このような、強制消費社会に飼い慣らされた精神性を変える、具体的な良策はあるのか?
【A3.】
1つは広告規制。
もう1つは労働時間規制。
あとは、営業時間規制。
これらはすでにヨーロッパでは行われていますが、外枠を決めることで、別の欲求へ誘導するイメージです。
こうした措置は自由の制限ではあるが、コミュニタリアン的な視点からは正当化されるというのが、私の解釈です。
※用語:文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが自身の著書で提唱した概念で、「クソどうでもいい仕事」と訳される。同著では、現代社会でどうでもいい、無駄な仕事の割合が増えている、という指摘をしている。
デヴィッド・グレーバー 著 、酒井 隆史・芳賀 達彦・森田 和樹訳『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波新書、2020年)
諸悪も希望も、ヨーロッパにあり?続きはまた改めて…
以上、実に興味深い&素晴らしい回答をいただきました。斎藤幸平先生、どうもありがとうございます!
世界よ、これが議論というものだ。ドラゴンボールの孫悟空が「オラわくわくしてきたぞ!!!」と言い放つ気持ちが、いま私には分かる。
でもって、ここで改めて何が興味深いかと言えば、ヨーロッパは世界文明を破滅に導く高度な悪の根源でありながら、それを何とかするための唯一の解法もまたヨーロッパから生じてしまいそうだ、という皮肉めいた図式。これが(好き嫌いは別として)、議論のなかに浮き彫りになりかかっている点である。
われわれ東洋人(そうよ私は東洋人ですよ文句あるか)はどうすればよいのか。たとえばエリア内で身内といえる中華帝国をどうすれば、どう誘導すればよいのか、その手立てはあるのか?
斎藤幸平氏はありがたくも「ここでは書ききれないので、機会があれば、どこかでぜひ!」と書いてくださった。なので、これはもう、何かやるしかないでしょ!
まあとにかく今回はSDGsについて、初めて「マジいけてる」と感じられる他人の意見に接することができて、よかったです。まあ、生きていればどこかでいいことがあるものだ。
では今回はこのへんで!
マライ・メントライン
1983年ドイツ北部の港町・キール生まれ。幼い頃より日本に興味を持ち、姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ドイツ・ボン大学では日本学を学び、卒業後の2008年から日本で生活を始める。NHK教育テレビの語学講座番組『テレビでドイツ語』に出演したことをきっかけに、翻訳や通訳などの仕事を始める。2015年末からドイツ公共放送の東京支局プロデューサーを務めるほか、テレビ番組へのコメンテーター出演、著述、番組制作と幅広く仕事を展開しており「職業はドイツ人」を自称する。近著に池上彰さん、増田ユリヤさんとの共著『本音で対論!いまどきの「ドイツ」と「日本」』(PHP研究所)がある。
寄稿:マライ・メントライン
編集:大沼芙実子
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