よりよい未来の話をしよう

僕にはカンヌライオンズを語る資格がない。

世界の広告クリエイティブの世界で、今年前半の「顔」と言っていいキャンペーンはThe Lost Classだろう。2022年6月に閉幕したカンヌライオンズでは4部門でゴールドを受賞。NY ADC賞では8部門のゴールドに加えて最高賞を受賞している。

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キャンペーンの内容は、以下のようなものだ。(※1)

米フロリダ州の高校で2018年に起きた銃乱射事件で犠牲となった生徒の両親が一計を案じ、全米ライフル協会(NRA)の元会長を、犠牲者を象徴した空席のいす数千脚を前にスピーチをさせた。

ネット上に投稿された動画では、ラスベガスで設営された会場でスピーチするデービッド・キーン氏の姿が収められている。同氏は「ジェームズ・マディソン・アカデミー」の卒業生に対するスピーチの練習をしていると思い込んでいた。

しかし、パトリシア・オリバーさんとマヌエルさん夫妻によると、実際にはもし殺害されることがなかったならば、今年高校を卒業していた生徒たちを象徴する3044脚のいすに向かって演説していた。同校は実際には存在しない。

キーン氏は空席のいすの列に向かって、第4代米大統領にも就任したジェームズ・マディソンが起草した修正条項のうち、今年は最重要事項の一つである(武器所持の権利を定める)修正第2条に重点を置いたと力説。「修正第2条を骨抜きにしようと闘い続ける者たちがいるものの、私はあなた方の多くが、立ち上がって彼らの成功を阻止する人々であるに違いないと思っている」と話した。

さらに、「あなた方に対する私のアドバイスはごくシンプルだ。夢に従い、実現させなさい」とも述べている。

CNNは全米ライフル協会とキーン氏に対してコメントを求めたものの、回答は今のところ得られていない。

銃規制を訴える団体「チェンジ・ザ・レフ」の共同創設者であり、偽の卒業式を仕掛けたオリバー夫妻は、フロリダ州パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校での銃乱射事件で息子のホアキンさんを失った。

夫妻は「失われたクラス」と題された3部構成の動画の中に先のスピーチを収録。動画には他にも、空席のいすや、生徒らによる通報電話の音声、発砲音などが含まれている。

※1 CNN.co.jp「全米ライフル協会の元トップ、偽の卒業式スピーチのわなにかかる 銃撃事件遺族が一計」(2021年6月25日公開)
https://www.cnn.co.jp/usa/35172961.html

その衝撃的な内容ゆえに、The Lost Classへの賛否は割れている。否定的な意見としては、次のようなものが多い。

「銃規制には賛成だが、人を騙すのは良くない」

「規制派と規制反対派を分断し、対立を煽るだけ」

「毎年のように銃規制キャンペーンが受賞する。いつまでやるつもりなんだ」

僕が思ったのは、「アメリカには被害者が泣き寝入りしない社会的土壌があり、それを広告クリエイターがサポートする文化がある」ということだ。ここが日本とは決定的に違う。

広告業界には「社長の隣に広告クリエイターを」という呼びかけがある(広告クリエイターはよりビジネスの重要な部分に関わるべき、という意味だ)。しかし、「原発事故や霊感商法の被害者の隣に広告クリエイターを」という話は聞いたことがない。そんな日本の広告業界の片隅で生きるものとして、安全圏からThe Lost Classを評価するなどというおこがましい真似は、とても出来ない。

本稿では「The Lost Classのような事例から何を学び、どのように日本の広告業界をアップデートできるか」をテーマとしたい。

「誤った法に従わないことは、正しいだけではなく、義務である」

The Lost Classを見たとき、僕が思い出したのが、The Black Supermarketというキャンペーンだ。広告主は仏スーパーマーケットのカルフール。

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概要はこうだ。EUで栽培や販売が法律で許可されている農作物は、全品種のうちわずか3%にすぎない。残りの97%の品種を育てることは、どんなにおいしくても、栄養価が高くても、違法とされている。違反すると重い罰金を科される。

さらに、許可された3%の農作物の多くは、バイエル・モンサント社が所有する農薬耐性を持った品種なのだという(広告賞応募用のドキュメントの中で、実際に特定企業を名指ししている)。

こうした状況に問題提起し、法改正を目的に行われたのがThe Black Supermarketだ。現行法では違法とされている野菜や果物を培する農家と、5年間の契約を締結。収穫された農作物を、実際にカルフールで販売した。

結果、The Black Supermarketは法改正を求める8万5000筆の署名を集めることに成功。その後、8ヶ月の裁判を経て、法律は実際に改正された。

The Lost Classを「人を騙すのは良くない」と言っていた人は、これを見てどう思うのだろうか。The Black Supermarketがやったことは人を騙すどころではなく、法律違反であり、犯罪だ。目先の良し悪しで言えば、確実に悪だろう。しかし最後には、誤っていたのは法律の方であることを国が認める結果になった。

農業をテーマにした事例をもうひとつ紹介しよう。バドワイザーなどで知られる世界的な酒類メーカー、アンハイザー・ブッシュ・インベブは、Contract for Changeという取り組みを開始している。

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より安く、速く、大量に収穫するために、現代の農業では人体に有害な農薬や除草剤、人工的な肥料が使用される。このことが生物多様性や生態系の破壊を招く危険性が指摘されている。そこでアンハイザー・ブッシュ・インベブは、ビール原料のオーガニック栽培を支援するContract for Changeを開始した。通常農業からオーガニック農業への移行には3年もの時間がかかり、移行後に農作物が売れる保証もない。このことがオーガニック農業の普及を妨げているため、アンハイザー・ブッシュ・インベブは、オーガニック農業への移行を決めた農家に対して、3年後の農作物の買取を保証。さらに、移行中の3年間は収穫量が減るため、同社が25%高い価格で買い取ることで農家の収入への影響を低減した。オーガニック農業への移行が完了した後は、同社が大麦を買い取りオーガニックビールを生産する、という流れだ。

Advertising Justiceは存在しうるのか

先に挙げたThe Black Supermarketのアワードビデオの冒頭には、次の言葉が引用されている。

“If a law is injust, it’s not only right to disobey it, it is obligated.”
「誤った法に従わないことは、正しいだけではなく、義務である」

第3代アメリカ合衆国大統領、トーマス・ジェファーソンの言葉だ。

ルールが誤っている時は、ルールを正す。これは日本人にもっとも欠けている発想ではないだろうか。日本社会ではルールを守ることの大切さが説かれる一方、ルールを疑うことや、正すことは軽視されがちだ。むしろ迷惑行為として忌避(きひ)される傾向すらある。

日本人のこの気質は、世界からの遅れを招く原因になりかねない。人権や生物多様性、気候変動など。現代は、これまで人類が犯してきた過ちを正すフェーズに入っている。SDGsへの「金持ちの道楽」という揶揄やオーガニック食品への嘲笑、再生可能エネルギーへの敵意をソーシャルメディアで見かけない日はない。これは個別の案件への是非より、現行のルールを変えることへの生理的な拒否感から来ているのではないだろうか。

もちろん、日本の広告業界にも、社会問題を扱った優れたキャンペーンはある。国際的に評価されたものも少なくない。しかし、The Lost ClassやThe Black Marketのように、「過ちを正す」という課題意識を持ったものは少ないのが実情だ。多くの場合、「過ちを正す」ことより、「現行のルールを外れない」「対立を煽らない」ことが重要視される。

しかし、世の中には「和を以て貴しとなす」では解決し得ない問題が存在する。銃乱射事件などは、その典型だろう。日本もこうした問題と無縁ではない。故・石牟礼道子さんが「対立を煽ってはいけない」と言って、のぼりに「怨」の文字を書かなかったら、水俣病裁判で原告団は勝利していただろうか。想像してみてほしい。

それでも、希望はある。日本でも、批判的視点で社会問題を扱う新世代の広告クリエイターが台頭し始めているからだ。

ケンドリック・ラマーの来日ツアーの広告ポスターで、国の隠蔽体質を批判した、三浦崇宏氏率いるGO。ロシアのウクライナ侵略への抗議デモの呼び掛けや、Lady Knowsなどの活動でも知られるクリエイティブ・ディレクターの辻愛沙子氏。ブランド・ジャーナリズムを提唱するDE incの牧野圭太氏など。こうしたクリエイター達に共通するのは、個人としての社会問題への意識や取り組みが手掛ける広告にも反映されている点だ。

近年、Climate Justice(気候正義)、Data Justice(データ正義)のように、Justiceという言葉で社会問題を語る機会が増えてきた。Justiceには「正義」に加えて「公平」「公正」という意味がある。不公平・不公正を正さなくてはいけないという気運が、世界的に高まっているのだ。

Justiceなんて言葉を使うことは、正直恥ずかしく、バツが悪く感じてしまう。しかし、まずはその恥ずかしさと向き合い、超克してゆきたい。

その時初めて、僕はカンヌライオンズを語ることができると思うのだ。

 

橋口 幸生
株式会社電通 クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はロッテガーナチョコレート、出前館、スカパー!堺議員シリーズ、鬼平犯科帳25周年ポスター、「世界ダウン症の日」新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。
https://twitter.com/yukio8494


寄稿:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi