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『海が走るエンドロール』作者に聞く 65歳女性・映画界への船出の背景

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

65歳、夫と死別し1人になった女性が監督を目指して映画界という海へ船出する。その姿を描いた漫画『海が走るエンドロール』にいま、注目が集まっている。主人公のうみ子は、久しぶりに入った映画館でたまたま出会った美大生、海(かい)に導かれるままに、自身も美大生となり、映画制作に挑戦し始める。

1巻の発売と同時にSNSで大きな反響を呼び、「このマンガがすごい!2022」(宝島社)オンナ編の第1位に輝いた。新キャラクターも登場し、新たな展開を見せる本作の第3巻が、7月14日に発売されたばかりだ。

本作の作者、たらちねジョンさんに「65歳の美大生」という主人公のキャラクターについて、そして3巻のキーとなるモノ作りとその暴力性などについて話を伺った。

65歳の女性主人公を描くことのハードル

『海が走るエンドロール』を描くことになった経緯を教えてください。

編集担当の山本さんに、「年齢の高いキャラクターが主人公の漫画を描きませんか」と提案いただいたことがきっかけです。「いまの自分よりも上の世代が活躍する漫画を読んでみたい」というリクエストをいただいたんです。また、私が学生時代に映像学科に所属していたので、その経験も活かせるかもしれないと思い、65歳の女性が映画を作るストーリーになりました。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

確かに、ある程度の年齢になると自分より年上の女性が主人公となる物語は減ってきそうですよね。「このマンガがすごい!2022」の1位にランクインして、色々な反響があるかと思いますが、印象的な反応はありましたか。

「年上の主人公が活躍している姿を見て、勇気をもらった」というコメントを多くいただき嬉しく思っています。主人公と同年代の方や、もっと年上の方も楽しんでいただけているようです。最初は、「30代の私が65歳を描けるのかな」と不安だったのですが、受け入れてもらえてよかったです。

あと、映画監督という職業は女性でも男性でも良いと思うのですが、何気なく女性になっているということを喜んでくださる方もいました。いままでだったら、性別を問わない職業を描くとしても、男性になることの方が多かったのではないかと思います。

ありがたい反応が多いですが、65歳の女性を主人公にした作品は、『月刊ミステリーボニータ』という雑誌で、そして山本さんが編集担当でなければ実現できなかったのではないか、とも思っています。たとえば、青年誌で女性キャラクターの年齢を決めるとして、私が「34歳でどうですか?」と言っても、編集さんから「ええ?26歳じゃダメですか?」と言われることもあるんです。主要な女性キャラクターは若い方が良いという印象があるというか、女性キャラクターが性消費されてしまう面があると感じています。その度に自分がどうしてその設定にしたいのか、編集さんから求められる設定にどうして違和感を覚えるのかを説明しなければならなくて、もどかしい思いをしてきました。

そんな状況では、『海が走るエンドロール』のような漫画はネームの段階で通らないと思います。でもこの作品を描かせてもらって、「このマンガがすごい!2022」で1位に選ばれたことで、自分の感覚は間違っていなかったんだと思えました。

「おばあさん」ではなく「うみ子さん」と呼びたい

65歳の女性を描くにあたってどのようにイメージを膨らませていきましたか。

うみ子さんのモデルは私の母なんです。最初は主人公を70代にしようという案もあったのですが、身近な女性をモデルにするのがいいかと思い、母の年齢に合わせて65歳という年齢にしました。母が若いときにどんな映画を見ていたのかだとか、母世代の「あるある」だとかを取材しながらイメージを膨らませました。

うみ子さんはいわゆる未亡人ですが、悲しみや暗さを前面に出さずに、明るく描かれていますね。

うみ子さんの夫と同じように、私の父も早く他界しているんですよね。ただ、父が亡くなってから母がずっと悲しみに浸っていたかというと、そんな印象はなくて。夫が亡くなっても、妻の生活は続いていくので、そんなに悲劇的にドラマチックに描かれなくてもいいんじゃないかなと思いました。

うみ子さんは「おばあさん」「おばさん」「うみ子さん」など、さまざまな呼ばれ方をされるキャラクターですよね。どんな風に呼び方を使い分けていますか。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

個人的には「うみ子さん」って呼びたいんです。自分も10歳年下の後輩に「ジョンさん」と呼ばれると嬉しいんですよ。固有名詞っぽいというか、ちゃんと「私」を認識してくれているなと感じられるので。

「おばさん」「おばあさん」という呼び方は、相手が何者かよく分からなかったり、興味がなかったりするときに使ってしまう言葉だと思っています。若者がうみ子さん世代の方をそう呼んでしまうのはリアリティのあることだと思うので、わざとそういう表現も使っています。一方で海くんは、相手を年齢だけでカテゴライズしたくないという意志があるので、「おばあさん」ではなく「うみ子さん」と呼んでいます。

うみ子さんと海くんのやりとりでは、2巻に出てくる恋愛映画に関する考え方の違いも印象的でした。あのシーンはどんなところから着想されましたか。

恋愛映画が好きで純粋に受け入れられるうみ子さんと、恋愛映画を見ると自分が“普通”じゃないと突きつけられるように感じる海くん、2人の考え方の違いが見えるシーンですよね。私自身、普段からうみ子さんと同世代の方と結婚観や恋愛観について話し合う機会があるのですが、結構とことん話し合うんです。でもなかなかお互いにピンとこないことが多くて。母と会話していても考え方の違いを感じたり、友達が実家に帰ったときにも世代の違う相手と同じようなすれ違いに悲しんだという話をよく聞いたりするので、そんなシーンを描きました。

お互いに生きてきた時代が違うので、ストンと腑に落ちることは難しいかもしれません。でもせめて、いろんな考え方の人がいることにうみ子さんと海くんの両方が気づいてくれたらいいなと思っています。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

「プロ」と「趣味」の違いはどこにある?

『海が走るエンドロール』は「本気のモノ作り」を描いた作品だとも思います。そんな中でうみ子さんは、映画作りを「老後の趣味」と言われることに違和感を感じていますね。趣味と、そうではないモノ作りの差はどこにあると思いますか。

最終的には、本人の気持ち次第かなと思います。趣味でやっているときは、他人から何か批判されても「別にプロじゃないし」と逃げ道をいっぱい作れてしまいます。でも、プロでやると決めた瞬間、批判されても素直に頑張るしかなくなるんです。それぞれに研ぎ澄まされる部分が違うと思うので、趣味とプロ、どちらの向き合い方もできるのがベストだろうなと思います。

ただ、最近ずっと考えているのですが、第1話で海くんがうみ子さんに言う「こっち(映画作りたい)側なんじゃないの?」というセリフが、残酷な言葉だなと思ってもやもやしています。物語の上で必要なセリフなので書いていますが、一般生活で言われたらすごく嫌だなって。プロとか趣味とか、そんなに明確に分けなくていいのではないかとも思い始めました。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

2巻の終わりから登場した新キャラクターのsoraはそういった意味で、明確に「プロ」意識を持ったストイックな人物ですよね。soraはどんな思いを込めて作ったキャラクターですか。

私の心の奥底にある悪い部分を全部出したようなキャラクターです(笑)。本当は、私もあんな大胆な発言を許される天才になりたかったなと思います。

一方で、soraくんのような人が近くにいたら傷つくだろうなとも思います。「プロになるべくしてなった」「俺は持ってる」という自信を言葉でも態度でも表現する。そういう態度は、これからプロになるうみ子さんや、私にとっても「憧れ」と同時に「諦め」も感じさせる暴力性があると思うんです。他者への共感性を殺して仕事に向き合っているsoraくん自身は、他の人より自分の人生を豊かにするチャンスを失っているのかもしれませんが。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

「暴力性」というキーワードが出ましたが、3巻の中では、作品作りも暴力になりうるといった話題が出ていました。たらちね先生は、モノ作りにおける暴力性とはどう向き合っていますか。

表現として直接的に暴力を控えめにしよう、攻撃性を抑えようとは考えていません。ただ、どんな作品を描いても絶対に傷つく人はいるということはいつも考えていて、せめて誰かを傷つけうる行為をエンターテインメントとして消費しないようには気をつけています。同じ作品でも「傷ついた」「救われた」「面白かった」「優しい」などいろんな感想が寄せられるんです。作品を作ること自体が、誰かにとっては攻撃的なことになってしまうのだと思います。

それから、実際に映画や映像の現場でもさまざまな暴力が起こっていますが、それもいずれ描かなければならないと考えています。この作品を描くにあたって映画関係の方に取材をしていると、若い監督さんたちは暴力を嫌悪している一方で、まだ現場にはそういった悪い伝統が残っているのも事実です。だからこそ、事実としてしっかり描かなきゃならないと思います。どんなふうに今後の物語が展開していくのかまだ分かりませんが、『海が走るエンドロール』が古い漫画になったときに、「いまはもうないけれど、昔はこんなことがあったんだ」と、そういった現場の暴力が過去のことになっていて欲しいです。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

歳を重ねるごとに楽しくなる人生を描く

うみ子さんは年を重ねてから生き生きと活躍する女性ですが、たらちね先生ご自身は年を重ねていくことについてはどうお考えですか。

いま33歳なのですが、前より生きやすくなったなと思います。20代は、脱毛サロンやシミ取り、婚活など「若い女性はこうするべき」「女の価値は20代まで」といった価値観を強要されることが多く感じていました。私はそれらに興味がなかったので、広告などを見るたびに「自分は“普通”じゃない」と感じて嫌でした。

勝手なこちらの受け取り方ではあるのですが、30代になってだんだん広告が自分向けじゃないなと感じるようになってきたんですよね。社会の価値観や「女だから」という意識から解放されて、もっと自分らしさを追求できるようになったと思います。これから40歳、50歳と歳を取っていったら楽しすぎるんじゃないかな。

65歳になったときにはどんなことをしていたいですか。

もし物理的に漫画が書けなくなっていたら落ち込むとは思いますが、いまとそんなに変わらないのではないかと思っています。もともと海外旅行が好きなので、旅行に行ったり、うみ子さんのように大学に入り直すのもいいなと思います。

この作品はフィクションですが、うみ子さんのような生活はあり得ないことじゃないと思って描いています。きっとうみ子さんもいま、楽しいと思うのですが、私もそんなふうに楽しく過ごせていたらいいなと思っています。

©︎たらちねジョン(秋田書店)2021

「60代の私はここにいない」、メディアや物語を眺めてそう感じることが多かった。ドラマやアニメ、漫画に登場する高齢の女性は、大抵サブキャラで「おばあちゃん」としての記号を与えられるだけだ。いつか自分が“主人公”では無くなってしまうときがくると、心の奥底で思い込んでいた。

しかし、『海が走るエンドロール』の主人公は、紛れもなく65歳の女性、うみ子なのである。主人公らしく悩み、成長し、活躍する。歳を取るのが楽しみだと語るたらちねさんの気持ちを表現するように、うみ子はいまを満喫している。65歳の本気のモノ作りのストーリーが今後どう展開していくのか、これからも目が離せない。


たらちねジョン
兵庫県出身の漫画家・イラストレーター。既刊に『アザミの城の魔女』全4巻(竹書房)『グッドナイト、アイラブユー』全4巻(KADOKAWA)がある。2020年より「月刊ミステリーボニータ」(秋田書店)にて『海が走るエンドロール』の連載を開始し、コミックス第3巻まで発売されている。また、「たらつみジョン」名義でBL作家としても活動中。

 

取材・文:白鳥菜都
編集:大沼芙実子