よりよい未来の話をしよう

若者の地方移住はイノベーションの土壌を育む 内田樹さんインタビュー

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「今日の仕事は、楽しみですか。」

2021年10月、品川駅のコンコースにこんな広告が掲げられた。通路を歩くビジネスパーソン達とこの広告ディスプレイが写った画像に、Twitter上では「見ると傷つく」「ディストピア」などとコメントが寄せられた。ボディコピーまで読むと、この広告には「働く人々が楽しいと思えるような仕事/組織づくりのサポートをしたい」というメッセージが込められていることが分かる。しかし、肝心のターゲットである「働く人々」にこのメッセージは届かなかった。逆にこのキャッチコピーを皮肉と捉える人が多かったのだ。批判の声を受け、結局わずか1日で掲載は取り下げられた。

この広告への反応を見るに、日々の仕事に重圧や辛さを感じている人がいかに多いか考えさせられる。バブル崩壊後、いわゆるブラック企業は世間から糾弾され、働き方改革という言葉が叫ばれるようになった。しかし本当の意味で人々の働く労働環境は良くなったといえるのだろうか。都市部の新卒マーケットに目を移しても、1つの求人に対して倍率が数百倍を超えることは珍しくない。限られた仕事の奪い合いが起こっている。そして、せっかく就職できた企業でも使い倒され、次第に“Karoshi”の淵へと追いやられていく例も後を絶たない。
 
そのような状況下で、徐々に地方移住を進める若者が増えているという。この流れから見えてくるもの、そしてコロナ禍を経て若者が「新しいもの」を生み出すために必要なことは何か、『ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ』(デコ)、『コロナ後の世界』(文藝春秋)の著者である内田樹さん(以下、内田さん)に話を伺った。

日本の若者の「地方移住」は世界でも類を見ないムーブメント

大学が就職予備校化しているという批判はよく耳にします。日本の就職活動の構造にはどんな問題があるのでしょうか。

日本で主流の新卒一括採用は完全に人工的な環境ですよね。日本各地には規模も種類も違う何百万種類の求人があるけれど、そのほとんどを新卒学生は知らないわけです。就職情報産業から開示されるのは、日本全体の求人数の何十分の1でしかない上場企業の求人ばかりです。その限られた求人の枠に何十倍もの就活生を放り込む。そうやって、100回面接を受けたが100回落ちた…というような非常にストレスフルな雇用環境が出来上がる。

なぜこのような構造が生まれているのでしょうか。

そうしておけば企業はどこまででも雇用条件を切り下げられるからですよね。100回も面接に落ちたら、就活生の自己評価が限りなく下がります。「もうどんな会社でもいい。雇ってくれるなら、どんな条件でもいい」という気分になる。そうなれば、企業は能力の高い労働者を低賃金で雇うことができる。「君の替えはいくらでもいるんだ」という脅し文句を衝きつければ、どんなブラックな条件でも従業員は吞むしかなくなる。

でも、地方ではいくらでも求人があるのに、都会の求職者はそれを知らず、新卒一括採用の場面には求人の何倍もの求職者が押しかける…といういびつな状況は作為的に作り出されたものです。求人情報があっても、それにアクセスする回路がないのです。地方には、代々の家業で、今でも黒字で経営していて、安定した顧客はいるのに跡継ぎがいないので廃業するしかないという企業はいくらもあります。造り酒屋の後継者が欲しいとか、刀鍛冶の後継者が欲しいとか、そういうミクロで特殊な求人なんです。でも、そういう切実な求人情報は就活生のところには届かない。人為的に求職者が過剰に集中する地域を作り出して、雇用条件を切り下げるというのは、資本主義の基本なんです。だから、就職情報産業も資本主義の要請に従って就職情報を操作している。
そういう仕組みがあるなかで、都市から地方に移住する若者は、そういうミクロの求人の声をどこかで聴き取っている。そこで、思いがけない仕事を始めるわけです。

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ここ数年、周囲でも都市圏から地方移住を選択した人の話を聞くようになりました。

今の日本の若者の地方移住は歴史的に類を見ないような活動だと思います。1970年代にも政治闘争が終わった後に若い人たちが地方に行って農業をやるという「帰農」運動はありましたが、これはアメリカのヒッピー・ムーヴメントのコミューン実践の影響を受けたものでした。まずイデオロギーありきの理念主導の運動だったので、一部の例外を除くと長続きしなかった。でも、今起きている都市部からの地方移住は、3.11の直後から始まったものです。かつての「帰農」運動と違うところは、理念ではなく、実感に基づくものであるということ、それから男性ではなく若い女性が主導しているという点ですね。

僕の知り合いの中でも、2011年の3月に東京から離れて遠方に行って、そこで農業をしたり、養蜂をしたり、カフェや出版社を始めたり…さまざまな形で起業しています。最初は一人でやっていたのが、いつの間にか、移住者仲間が集まってきて、そこそこ大きなコミュニティになっているところがいくつもあります。そのようなコミュニティが今日本各地に形成されつつある。そして、そういう人たち同士がネットワークで繋がっている。お互いにノウハウを教え合い、活動を支え合っている。2011年からちょうど10年経ちましたが、その間に若い人たちが地方に定着してゆき、コミュニティが出来、さまざまな新しい活動の中心になり、それが緩やかに連帯している。

イノベーションを起こしたくても、時間も金もない日本の若者たち

地方移住した人々が新しい活動を始められる要素の1つに、相互扶助的なつながりもあるのではないかと思っています。都会在住であっても、そのような相互扶助要素の強いネットワークはどのようにしたら形成できるのでしょうか。

都会にいてももちろん、ネットワークを形成することはできます。ただ、今の日本の雇用環境というのは非常に劣悪です。ですから、身を削るような長時間労働をしなくても生活できる場所を求めて、地方に移住する若い人もかなり多いのではないかと思います。若い人たちが新しい創造的な活動の主体になるための条件というは、単純と言えば単純なんです。それは「生活に困らない程度の小銭があって、暇だけは腐るほどある」ということなんです。ある程度の可処分所得があって、自由時間がたっぷりあるのでフットワークが軽い、そのような条件があれば、新しいものが産まれてくる。 

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日々、仕事に追われている身からすると「時間がない」「お金がない」が口癖になっている気がします。

1960年代末から70年初めにかけての全国学園紛争の時期には、日本中の大学がほとんど無法状態になっていました。でも、指摘する人はあまりいませんけれど、学生があれほど自由気ままに活動できたのは「わりとお金があったから」なんです。66年から70年までというのは、学生運動だけでなく、市民運動も、労働運動もきわめて活発で、政府による中枢的なコントロールが効かなくなっていた時代でしたけれども、その5年間の成長率は平均10.9%で戦後最高でした。つまり、学生たちが街頭で大騒ぎしている横で、日本経済はかつてない急角度で成長をしていた。だから、いくらでもアルバイトの仕事があるわけですよ。なにしろ、どの業界も「猫の手も借りたい」くらい忙しいんですから。だから、過激派であろうと誰であろうと、とにかく能力のある若者だったらいくらでも仕事があった。
僕は当時、都内の大手学習塾でバイトをしていました。そこは学生70人で回していた組織でしたけれど、半数近くが過激派でした。キャンパスでは殴り合うような敵対党派の学生たちも、バイト先は「非武装中立」地帯なので、一緒に仕事をして、麻雀をやったり飲みに行って、仲良くしていました。その学生たちがけっこう稼いでいたんです。だから、自分で授業料を払って、家賃を払うことができた。親の干渉なしに好きな生活をすることができた。生活費に不自由していなくて、大学はろくに授業もないから、自由時間は腐るほどあった。だから、政治的に活動的だっただけではなく、音楽をやったり、芝居をやったり、映画を撮ったり…とにかくあらゆる領域で若者たちが活躍していた。

バイトや就活に明け暮れている現代の大学生と比較すると、そのような自由な時代があったことは少し想像し難いです。

そうですよね。その後、文部省は授業料を一気に値上げしました。高度成長期ですから、税収がざくざく入っていましたから、国立大学の月額1000円の授業料を3000円に上げる必然性なんか財政的には全然なかったんです。でも、そのあとも授業料を上げ続けた。そうすると、学生たちは自分のバイトで授業料を払うということができなくなった。大学生であるためには親に金を出してもらうしかなくなった。そうなると授業料は親から見ると「教育投資」になるわけです。親はそれなりの金を出しているんだから、元をとろうとする。そうなると、「学校に通っているのか、単位は取れているのか、卒業はできるのか」と子どもたちの生活に口うるさく干渉するようになった。これが効果的だったんです。70年代の中頃までに学生運動は一気に鎮静してしまいましたけれど、政治運動そのものの行き詰まりだけでなく、「小銭とありあまる時間」という学生たちを活動的にする条件が奪われたということが大きかったと思います。
これで政府の人たちは経験的に学習したんだと思います。中枢的に社会を管理しようとしたら、若者たちを貧乏にしておけばいい、と。今、日本政府がやっている雇用政策は「若い人たちに金も自由時間も与えない」ことをめざしています。意識的にではないかも知れませんが、若者に金も自由時間も与えないでおけば、統治コストが劇的に安くなるということは確かなんです。若い人たちはお金と暇があれば必ず何か新しい面白いことを始めてしまう。だから、それをさせないようにしている。今非正規で働いている人たちは、仕事が終わって、家に帰ったらもうバタッと倒れて寝るしかない。友だちと会って、何か新しい活動を始めるというだけの体力も気力もないし、何かを始めるだけのお金もない。今の日本の若者文化にほとんど独創的なものが見られないのも、彼らが政治的に非活動的なのも、理由はお金と暇がないからなんです。

自由な時間と少しのお金があれば、日本の若者たちも爆発的なムーブメントを起こせる

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海外ではジェネレーション・レフトと呼ばれる形で若い世代が主導して社会改革が進んでいるそうですが、日本ではあまりそのような話を耳にしません。

日本の場合、経済的に追い詰められて貧困化した若者が怒りに駆られて政治的に立ち上がるというケースは、戦後にはないんです。むしろ、経済的に余裕があって、自由時間がたっぷりあると若者たちは元気になる。反権力的になるし、文化的にも生産的になる。

『ジェネレーション・レフト』の著者のキア・ミルバーンも書いてましたけど、少年と大人との間に「若者」というカテゴリーが必要なんです。これは卓見だと思います。子どもと大人の間に「青年」という社会的な層がなければならないということを考えたのは、日本では明治末年のことで、夏目漱石や森鴎外がまさにそのために文学的活動をしていたのです。「青年」というのは、まだ少年らしい理想主義や廉潔さを失っていなけれども、それなりの社会的能力があって、日々の生活には困らないという人たちです。20世紀になって、日本は近代化を成し遂げて、欧米列強に伍する国にならないといけない。それを担うのは「青年」であるということを漱石や鴎外は直感していた。だから『三四郎』や『坊ちゃん』や『青年』を書いた。これらの作品で作家たちは「青年はいかにあるべきか」を描いて、自己形成のロールモデルを提示してみせた。ミルバーンが子どもと大人の中間に位置する集団が社会変革を担うと書いていたので、やっぱりみんな考えることが同じだなと思いました。僕もミルバーンと同意見です。今の日本に必要なのは「青年」なんです。

子ども時代が終わって、大人になって、就職して、結婚して、家族を養ったりということで擦り切れる前に、そこそこの収入と地位はあるけれども、まだ初々しさを失っていなくて、あれもやりたいこれもやりたいという熱情はある、そういう「青年」が何十万人という規模で安定的に存在することが、日本社会を生産的かつ健全なものにするためには絶対必要だと僕は思います。若者にもっとお金と時間を、です。

海外ではいまお話に上がったような「青年」が社会変革を進められているのは、お金や時間の回り方が違うという背景もあるのでしょうか。

日本よりは、多分あるような気がしますね。今の日本の若者は中国や韓国や台湾と比べても相対的にかなり貧しくなっていると思います。そして、貧しい上に、自由時間を犠牲にして働かないと、暮らしていけない。この30年間の日本の若者たちの貧困化って、尋常じゃありませんから。僕が20歳の頃に比べても、気の毒なぐらい貧しい。僕が大学生だった時、国公立大学の授業料は月額1000円でした。その頃僕がやっていた学習塾のバイトが時給500円でしたから、2時間バイトすると大学の月謝が払えた。だから、神奈川に家があったので、大学まで電車で通えたんですけれど、都内に部屋を借りて勝手気ままに暮らしていた。授業料もアパート代も自分で出せたんです。

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(編集部撮影)取材中の内田さん

よく知られていることですが、イギリスは戦後「ゆりかごから墓場まで」というスローガンを掲げて福祉国家に転身しました。そして、1960年代になってその成果が独特のかたちで現れてきました。社会保障制度が整ってきて、労働階級の人々にもちょっとだけ経済的な余裕ができた。それまで、労働者階級の子どもたちは、中学高校を終えると、すぐに就職するのが普通だったのだけれど、親たちがちょっとだけお金に余裕ができたので、子どもたちが「専門学校に行きたい」とか「大学に行きたい」と言い出しても、ちょっと無理をすれば進学させることができるようになった。子どもたちが「ギターを買って」とか「八ミリ撮影機買って」とか「油絵具買って」と言っても、それくらいなら出せるようになった。そういうことは一世代前にはなかったことでした。このちょっとした余裕から60年代の英国文化が生まれてくる。ビートルズやローリング・ストーンズの音楽も、ロンドン・ファッションも、「怒れる若者たち」の文学や哲学も、その成果なんです。戦後の英国の社会福祉制度が「小銭と暇があるティーンエイジャー」の存在を可能にした。それが結果的に英国に大きな文化的発信力と経済的な力をもたらした。ところが、その後、サッチャーの時代になって、社会福祉制度が「無駄だ」と切り捨てられると、イギリスの文化的発信力は衰えてしまった。そういうものなんです。
 
今の日本の若者だって、潜在的には豊かな創造力を持っていると思うんです。それにもかかわらずイノベーションが起きないのは、若者側に責任があるんじゃなくて、構造的な問題なんだと思います。若者は制度的に「元気がない」状態にさせられている。その方が管理しやすいからです。死んだような顔の若者たちは反権力的にふるまうこともないし、雇用条件の改善を求めて労働運動を起こすこともないし、過労死するまで働かされても、パワハラで傷つけられても、反抗しない。だから、今の日本が文化的にまったく創造性がなくなっているのは、若者のせいじゃなくて、組織管理が成功していることの「成果」なんです。
自由な時間と、好きなことができるだけの小銭が提供されていれば、日本でも若者たちだって爆発的なムーブメントを起こすことは可能だと思います。

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ここ10年の間で、都会暮らしをするために長時間労働・低賃金という窮屈な働き方に疑問を感じた人々が地方移住を進めているという。この動きに加え、コロナ禍を機にワーケーションや多拠点生活なども広く受容されるようになった。都市から地方へというトレンドは今後も続いていくことが予想される。

また、イノベーションは時間の余裕と少しの金銭的余裕から生まれるという話にも非常に合点がいった。時間と所得の配分にきつい制約を設けられて、個人の生活レベルでも「選択と集中」を強いられる構造は新しい何かが生まれる余白を奪う。

深刻化する地方の過疎化や、イノベーションの不在を官民問わず異口同音に嘆く昨今。しかし、旧態依然としたさまざまなシステムが新陳代謝を阻害しているようにも思える。これに対してひそやかに、しかし着実に進んでいる若者の地方移住は硬直したシステムを解きほぐし、作り替えるポテンシャルを秘めているのではないだろうか。
 

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写真:松原卓也

内田樹(うちだ・たつる)
1950(昭和25)年東京都生まれ。凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。
第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。
近著に『コロナ後の世界』(文藝春秋)、『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)、『複雑化の教育論』(東洋館出版社)など


取材・文:竹内瑞貴
編集:白鳥菜都
画像:松原卓也ほか