近年よく耳にする「オーバーツーリズム」とは、観光客が特定の地域に集中し過ぎることで生じる様々な問題を指している。この現象は世界中で注目されており、環境や地域住民の生活に多大な影響を与えている。本稿では、オーバーツーリズムがどのような影響をもたらしているのか、世界と日本の具体的な事例を交えながら紹介していきたい。
オーバーツーリズムとは?
オーバーツーリズムとは、「Over」(過剰な)と「Tourism」(観光)を組み合わせた造語で、観光が過剰になった結果、地域社会や自然環境に負の影響を及ぼす現象を指す。
オーバーツーリズムの定義
オーバーツーリズムという言葉は、米国の観光産業の專門ニュースメディア、スキフト(Skift)社が作ったと言われている。その定義について国連世界観光機関(UNWTO)は、共同プロジェクトチームの言葉を借りて、「観光が目的地またはその一部に与える影響であり、住民の生活の質や訪問者の体験の質に悪影響を与える」ものであるとしている。(※1)一般的には負の影響を示す否定的な言葉として使われ、日本語では「観光公害」と訳されることもある。
※1 引用:世界観光機関(UNWTO)「‘Overtourism’? Understanding and Managing Urban Tourism Growth beyond Perceptions」筆者訳
https://www.e-unwto.org/doi/pdf/10.18111/9789284420070
現代におけるオーバーツーリズムの発生背景
オーバーツーリズムが引き起こされる主たる背景の1つに、世界的な観光需要の急増がある。UNWTOによると、2019年の国際観光客数は14億6,000万人を記録し、過去10年間で約4割増加している。2019年に一度減少したものの、2023年の外国人観光客数は12億8600万人と前年比で約34%増となり、19年の水準を約9割回復している状況だ。さらにUNWTOは、24年には2019年の水準を2%上回ると推定している。(※2)
※2 参考:日本経済新聞「世界の外国人観光客数、24年コロナ前超え 国連機関予測」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD211FO0R20C24A1000000/
オーバーツーリズムの原因
では、世界的な観光需要の急増はなぜ起きているのか?その要因と考えられる3つの社会動向を合わせて紹介する。
1. 中間層拡大
近年、世界的な経済成長に伴い、旅行などの余暇にお金を使える中間層が拡大している。2021年のクレディ・スイス投資銀行の報告によれば、世界の中間層(資産が1万ドルから10万ドルの間の人々)の数は2000年の5億700万人から2020年には17億人に増加したことを示している。今後もこの数は増加を続けると予測されており、2030年までには世界の中間層が53億人に達するとされている。(※3)
2.安価な交通手段の普及
LCCなどの安価な交通手段が普及し、海外旅行がより身近になったことも要因として考えられる。こうした背景から、世界各地の観光地には、かつてないほど多くの観光客が訪れるようになり、オーバーツーリズムの発生に繋がっている。
3. ソーシャルメディアの影響
InstagramやFacebookなどのソーシャルメディアの発展により、旅行に関する情報が世界中に拡散されるようになった。美しい観光地の画像や動画が拡散されることで、多くの観光客が訪れるようになり、オーバーツーリズムの発生に繋がっている。
※3 参考:Nasdaq「World Reimagined: The Rise of the Global Middle Class」
https://www.nasdaq.com/articles/world-reimagined%3a-the-rise-of-the-global-middle-class-2021-07-09
オーバーツーリズムの影響
都市の許容量を超えた観光客が集まると、どのような影響を及ぼすのか。その影響が大きいとされる3つの領域を紹介する。
環境や生態系への影響
観光客が増加することで、その地域の水やエネルギー、食料などの資源を大量に消費する。また、宿泊施設やインフラ整備、交通機関の利用量が増えることで、CO2排出量や廃棄物の増加につながる。
また、脆弱な生態系への影響もある。観光客の増加は、希少種の生息地や自然景観を破壊し、生物多様性を脅かす要因にもなっている。サンゴ礁や森林などの脆弱な生態系は、観光客による活動の影響を受けやすく、白化や伐採などによって損なわれる。また、観光客による野生動物の密猟や外来種の侵入も、生物多様性への深刻な脅威となっている。
地域社会と文化への影響
観光客数の急増は、その地域社会と文化にも様々な負の影響を及ぼす。都市の収容力を超えた人の流入は、交通渋滞や騒音などの問題を発生させ、地域住民の生活環境が悪化する。さらに、観光客向けの宿泊施設やレストランの増加は、家賃の高騰や物価上昇を招き、地域住民の生活を圧迫する。
経済への影響
オーバーツーリズムは、観光地の経済にも様々な影響をもたらす。短期的には、観光関連業の収益増加、雇用創出、インフラ整備促進などの経済効果が見込まれる。一方で、長期的な経済リスクとして、観光業への依存が招く他産業の衰退による地域経済の脆弱化、観光資源の劣化などが挙げられる。
▼こちらの記事も読まれています
オーバーツーリズムの事例
世界各国でオーバーツーリズムの影響が顕在化している。ここでは国内外の事例をいくつか紹介する。なお、事例については、高坂 晶子著『オーバーツーリズム: 観光に消費されないまちのつくり方』(2020年、学芸出版社)を参考に記す。
スペイン・バルセロナ
スペインの観光都市として知られるバルセロナでは、2022年には年間旅客数が4,160万人を突破した。(※4)これは市民の人口の25倍以上に達し、街全体が観光客で溢れかえる状況といえる。
観光客の増加は、交通渋滞や騒音の悪化、物価上昇、ゴミ問題などの深刻な課題を引き起こし、地域住民は、観光客による迷惑行為や生活環境の悪化の影響を受けている。実際に2017年には、観光客に対する不満を訴えるデモ行進も行われたほどだ。
※4 参考:バルセロナ市議会「バルセロナ 数字で見る2023年」
https://www.barcelona.cat/internationalwelcome/sites/default/files/Barcelona%20en%20xifres-resum-ES-ja-JP.pdf
タイ・ピピレイ島
オーバーツーリズムが環境に与える影響の事例として、タイ南部クラビ県にあるピピレイ島がある。この島は映画『ザ・ビーチ』(2000年)のロケ地としても知られる美しい島だ。映画上映後、世界中から観光客が急増し、ビーチの侵食、サンゴ礁の白化、ゴミ問題、野生動物への影響などの環境負荷を急増させた。
エクアドル・ガラパゴス諸島
オーバーツーリズムが生態系への影響を及ぼす事例として、エクアドル本土から西に約1000km離れたガラパゴス諸島が挙げられる。本諸島は、独自の進化を遂げた動植物が生息する世界自然遺産として知られているが、2019年には、年間観光客数が27万人を突破。島の最大収容力を超え、環境負荷が急増した。観光客の増加は、希少種の生息地や自然景観の破壊、野生動物への影響を及ぼした。ガラパゴス諸島固有のゾウガメやイグアナなどの野生動物は、観光客による餌付けや接近行為、生息地の破壊によって脅かされている。
ネパール・ヒマラヤ山脈
世界的な登山地でもオーバーツーリズムの影響は及んでいる。登山客の増加は登山ルートやベースキャンプ周辺の環境負荷が急増した。ゴミ問題、水不足、トイレ不足だけでなく、登山事故のリスクを高める登山ルートの劣化にも繋がっている。
京都
日本国内でオーバーツーリズムの影響を最も受けている都市の1つが京都だ。2019年には、京都への年間観光客数が約8700万人を突破。(※5)これは市民の人口の約4倍となり、交通渋滞、騒音、物価上昇、ゴミ問題、地域住民の生活への影響などを引き起こしている。特に、金閣寺や清水寺などの有名な観光スポットは、観光客の行列が絶えない状況だ。そうした景観の変化や、地価の高騰もあり人口が市外に流出するジェントリフィケーションも問題視されている。
※5 参考:毎日新聞「京都府2019年観光客 過去最高の8791万人 訪日外国人の影響大きく」https://mainichi.jp/articles/20200618/k00/00m/040/033000c
▼あわせて読みたい「ジェントリフィケーション」について
オーバーツーリズム対策の事例
オーバーツーリズムの対策は。「人気観光拠点型」「リゾート型」「稀少資源型」など、地域のタイプに応じて異なる。日本総合研究所調査部主任研究員の高坂晶子氏は著書で以下のようにタイプ分けしている。(※6)
※6 出典:高坂 晶子『オーバーツーリズム: 観光に消費されないまちのつくり方』(学芸出版社)
スペイン・バルセロナ
2015年に市長に就任したコアラ市長は「バルセロナをきれいな街に再生させる」と宣言し、以降オーバーツーリズムに対して、観光関連施設の規制、観光客の分散化、入域規制、課税などの積極的な取り組みをしている。2017年からは市内を4種類のゾーニング(用途規制)を行い、宿泊施設の立地を規制・誘導する「観光宿泊施設特別都市計画(PEAUAT)が実施されている。
また、人気スポットへの観光客集中を解消するため、2015年に県と市、観光局が予算と人材を持ち寄って分散化を促進する専門組織「バルセロナ観光観測所」を設立。市民へのアンケートやインターネット上の口コミを含めて幅広くデータを収集、分析し、観光客の分散化に向けた施策へと繋げている。
ネパール・ヒマラヤ山脈
ネパール政府は、登山許可証の交付要件を厳格化することで、登山客数の増加に対策を打っている。例えば、2017年末には、単独行動や身体障害者による登山の禁止を公表し、併せて17歳以下および高齢者の登山を規制する動きも明らかにした。ただ、登山はネパール有数の外貨獲得源であることから、政府の対応は消極的との見方もある。
清掃・ゴミ対策では、2014年に登山者に対して、自ら出したゴミ以外に8キロのゴミを出すよう義務付けた。それ以前に持ち帰りルールはあったものの、チェックも緩かったため、この規制強化は実効性を目的として設けられたと言える。
京都
京都でもオーバーツーリズムに対する対策が進められている。京都市の取り組みの中心となっているのは、観光客の分散化と行動管理だ。具体的には、清水寺や嵐山などの人気スポットへのアクセス制限や、公共交通機関の利用促進、地域住民参加型のツアーの開発などに力を入れている。また、観光客の行動を把握するためのデータ収集も強化しており、これらの対策によって、観光客の密集を避け、地域経済への影響を最小限に抑えることを目指している。
さらに、2024年3月には、「混雑緩和に向けた市バスの、増車、市民利用と観光利用のすみ分けに向けた観光特急バスの新設」として、人気の観光スポットだけに停車する「特急バス」の導入を実施した。
▼あわせて読みたい「サステナブル・ツーリズム」について
まとめ
ここまで、オーバーツーリズムの定義や背景、事例などを紹介してきた。本記事でわかるように、人々が国境を超えるハードルは下がり、世界中の人々が移動できる時代になったのは明白である。
観光立国を目指す日本でも、各地域の実情に合わせた適切な観光マネジメントが急務となっている。持続可能な地域経営を実現するため、様々なステークホルダーが知恵を絞り、バランスの取れた対策を講じていく必要があるだろう。そうすることで、地域と観光客がともに豊かになれる、真の観光立国の実現につながるはずである。
そして、いつまでも人々が世界中を行き来できるよう、私たちは持続可能な観光の実現を考えていかなければならないのかもしれない。今当たり前にできることが、これからも当たり前にできるように。
文:おか けいじゅん
編集:吉岡 葵