イスラエルに見る「ポピュリズムの代償」
ウクライナ戦争の収束の兆しが見えない中、ガザ地区でも深刻な人道危機が発生してしまい、暗澹たる気持ちでこの原稿を書いている。こうしている今もソーシャルメディアを覗き込むと、ネットミームと並んで瓦礫と化した街並み、子ども達の痛ましい映像が流れてくる。比べるものではないが、ロシアのウクライナ侵略の時ですら、ここまで悲惨ではなかった。
民間人や国連職員、医療従事者まで巻き込んだ無差別な虐殺に、国際社会から批判の声が高まっている。親イスラエルのアメリカですら全面的な擁護はせず、イスラエルに自制を求めている。
数千年の迫害の歴史およびホロコーストという悲劇を経て形成された世界のユダヤ人への同情は、今回のイスラエルの蛮行で、すべて御破算になりつつある。しかし、イスラエルが態度をあらためる様子はないだろう。外部から見ていかに非合理的でも、国内政治的には理にかなっているからだ。
イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏はこの事態を「ポピュリズムの代償」と説明している。
イスラエルの機能不全の真の原因は、この国の不道徳とされているものではなく、ポピュリズム(大衆迎合主義)だ。何年にもわたって、イスラエルはポピュリズムの強権的指導者ベンヤミン・ネタニヤフが支配してきた。彼はPRの天才だが、首相としては無能だ。何度となく自分の個人的利益を国益に優先し、国民の内紛を誘うことでキャリアを築いてきた。能力や適性よりも自分への忠誠に基づいて人々を要職に就け、成功はすべて自分の手柄にする一方、失敗の責任はいっさい取らず、真実を語ることも耳にすることも軽んじているように見える。
ネタニヤフが2022年12月に樹立した連立政権は、最低であり最悪だ。それは、救世主メシア信仰の狂信者たちと厚顔無恥な日和見(ひよりみ)主義者たちの同盟であり、彼らは、治安状況の悪化をはじめ、イスラエルが抱える問題の数々を顧みず、際限なく権力を我が物にすることしか眼中になかった。その目標を達成しようと、極端な対立を招くような政策を採用し、その政策に反対する国家機関にまつわる言語道断の陰謀論を広め、国に忠誠を尽くすエリートたちに、「ディープステート(闇の政府)」の売国奴というレッテルを貼った。
※1
イスラエルの政界では少数政党が乱立している。1948年の建国以来、単独で過半数を取った政党はない。現行のネタニヤフ政権も連立を組んでおり、政権内の極右政党に配慮せざるを得ない。国際世論より国内の極右政党の意見を取り入れることにインセンティブがある政権構造なのだ。
※1 東洋経済オンライン「イスラエルの歴史学者が語る『ハマス奇襲』の本質」(2023年10月14日)
https://toyokeizai.net/articles/-/708392
顕在化する民主主義の構造的欠陥
これはイスラエルだけの問題ではない。2023年11月の選挙で、ハビエル・ミレイ下院議員がアルゼンチンの大統領に当選した。あだ名は「アルゼンチンのトランプ」で、集会でチェーンソーを振り回すパフォーマンスで知られている(私がテレビで見た時は、支持者がチェンソーマンのコスプレをしていた)。政策中央銀行の廃止、麻薬合法化、銃規制緩和、臓器売買の合法化といった、非現実的に思える政策を掲げている。アルゼンチンはインフレ率が100%を超える経済危機の中にあり、人々はゴミあさりや物々交換で糊口をしのいでいるという。こうした事態を招いた既存の政治家への不審が広がる中、現状を突破してくれるのではという期待の受け皿にミレイ氏がなったのだろう。
アルゼンチンのトランプならぬ本家トランプも、2024年度の選挙で大統領に再選される可能性が高まっている。
現状では大統領選はバイデン大統領とトランプ前大統領の対決の再現が大方の予想になっているが、懸念されるのはトランプ氏が依然、根強い支持を維持していることだ。トランプ氏は4度、刑事訴追されており、本来であれば選挙戦に不利となったはずだ。しかし訴追は「政治的な魔女狩り」であると主張し、いわゆるトランプの岩盤支持層には揺らぎがない。
もしトランプ前大統領が大統領にカムバックすることになれば、特定の国を除き国際社会は大きな問題を抱えることになるだろう。(中略)ウクライナへの支援は停止される可能性が高いし、ロシアのプーチン大統領との“和解”に乗り出すこともあり得る。一方で中国やイラン、北朝鮮などの国々をどう扱うのかは、トランプ氏がアメリカ・ファースト以外に明確な座標軸が存在しているようには見受けられないだけに、著しく不透明で予見性が低い。
もちろん、日本も他人事ではない。日本にはイスラエルほど差し迫った安全保障上の脅威は無いし、アルゼンチンのような経済危機の中にあるわけでもない。しかし、物価が高騰し、少子高齢化の中で経済大国としての地位が相対的に下がりつつある今、国民の不安や不満が澱のようにたまっている。そして、差別的な言動を繰り返すことで澱の受け皿となり、存在感をアピールする議員がいることを忘れてはいけない。
こうした議員は、いくら批判されても差別をやめることはない。差別こそが存在理由であり、力の源泉だからだ。差別が良識に反しているからこそ、それにとらわれない破天荒な自分をアピールすることができる。「チェンソー」を振り回しているのだ。その姿に快哉を叫んで投票する人が、少なからずいる。
私が書くまでもなく、ポピュリズムはもう長く民主主義の構造的欠陥=バグとして指摘されている。有効な解決策は、未だに見つかっていない。しかし、民主主義より有効な統治形態が現状、あるとも思えない。「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」というのはチャーチルの名言だ。
民主主義社会に生きる1人ひとりがこのバグとどう向き合い、補正すればいいのかを考えなくてはいけない歴史的な局面に、私たちはいるのだと思う。
※2 参考:毎日新聞「過激な言動のアウトサイダー アルゼンチン大統領選当確のミレイ氏」(2023年11月20日)
https://mainichi.jp/articles/20231120/k00/00m/030/204000c
※3 参考:Reuters「アングル:ハイパーインフレのアルゼンチン、ごみ物色や物々交換も」(2022年10月15日)
https://jp.reuters.com/article/idUSKBN2R90BB/
※4 日本総合研究所国際戦略研究所・田中均「イスラエル・ガザ戦争でも『内向きの米国』、懸念される“トランプ再登場”」
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=106665
民主主義の補完機能としてのビジネス
この点で、私はビジネスに希望を見出している。非民主主義的な発言をすることで得られるものが、ビジネスにはほとんど無いからだ。
例を挙げよう。2年前、大手の化粧品会社が、会長名義で公式サイトに差別的な文章を掲載したことがあった。この時は、取引先やその親会社32社のうち7社が、化粧品会社に見解を求めるなどの何らかの対応をとったという。その中の1社である流通企業は、「発言を容認すれば、当社の人権基本方針とは相いれない」と、人権に基づいてはっきりとノーを突きつけている。結果、化粧品会社は文章を公式サイトから削除した。
今年になって、化粧品会社は別企業に買収された。会長は職を退き、新しく通販会社を立ち上げた。すると、その会社の公式サイトに、またしても差別的な文章を掲載したのだ。今回は競合社であるAmazonや楽天の経営者の実名をあげていた。
その内容について、あらためて触れることはしない。ポイントは、差別発言によって、この通販会社がAmazonや楽天のような国際的企業になる可能性は無くなったことだ。世界を相手にしたビジネスでは、人権に関して厳しいチェックにさらされる。今後、この通販会社が世界進出を目指した時は、必ず過去の差別発言が問題になるだろう。発言の謝罪と撤回や、責任者の解任が求められるはずだ。
グローバル市場ほどではなくても、国内でも事情は同じだ。差別発言をした経営者の多くは謝罪や辞任に追い込まれている。だんまりを決め込むことはできても、差別がプラスに働くことは決して無い。差別発言があった企業の商品を差別主義者が応援購入して売上がアップした、などという話は聞いたことがない。
政治と違って、ビジネスでは非民主主義的な言動をとるインセンティブが無いのだ。
ポピュリズムが台頭する要因のひとつに、投票率の低下がある。政治不信が高まり、「普通の人」が投票に行かなくなっても、ファナティックな人々はその限りではない。結果、国民全体から見ればほんの一握りの極端な思想を持つ人々によって、国の政策が左右されることになる。
しかし、投票に行かない人はいても、買い物をしない人はいない。人権を重んじ、社会課題と向き合っている企業の商品を人々が買う。そうでなければ、買わない。そんな消費行動で世界にポジティブな変化を起こせる可能性がある。
たとえば、プーマがイスラエル・サッカー代表とのスポンサー契約を2024年で終了するとことが決定した。プーマは「2022年に契約終了は決定済みで、今起きているイスラエルとハマスの戦闘は無関係」と発表している。しかし、パレスチナ市民主導のBDS(ボイコット、投資撤収、制裁)運動は、プーマがイスラエルサッカー協会(IFA)とのスポンサー契約を結んだ2018年から、プーマ製品の不買運動を呼びかけてきた。ビジネスだけではなく、社会情勢を反映しての決断であることは間違いない。
これがプーマのビジネスにとって吉と出るか凶と出るかは、まだ分からない。しかし、私のXのタイムラインを見る限りはポジティブな意見が多い。親イスラエルのアメリカでも若い世代になるほどガザ地区での虐殺に反対する声が多いという。スポーツブランドはアスリートをスポンサードすることでブランド価値を高めてきた。これからはスポンサードしないことで価値を高めるブランドが出てくるかもしれない。
※5 HuffPost「プーマ、イスラエル・サッカー代表とのスポンサー契約を終了。戦闘との関連は否定」(2023年12月13日)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/puma-end-sponsorship-of-israels-national-football_jp_6577f60ce4b0db9d2ab6cb46
広告は価値観クリエイティブの時代へ
ジェンダー差別や人種差別といった非民主主義的な考え方をする政治家が、「保守的」と呼ばれることがある。私はこれに大きな違和感を持っている。日本が国全体でこうした思想に染まっていたのは、日本の長い歴史の中でほんの一時期のことだからだ。むしろ戦後約80年という長きにわたって、日本人は民主主義的な価値観を重んじてきた。世論調査では、同性婚や選択的夫婦別姓に過半数が賛成している。博物館がクラウドファンディングをすれば、一瞬で目標額が達成される。日本人は多様性を重んじる、寛容で知的な国民なのだ。国民と政治家の意識に大きなギャップがある。
2023年12月1日、ゼクシィは同性カップルや事実婚カップルを起用した広告を渋谷に掲出した。
本日より渋谷にゼクシィの30周年広告が掲出されています。
— ゼクシィ (@zexy_news) 2023年12月1日
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ぜひご覧になっていただけたら幸いです。
ㅤㅤ#あなたが幸せならそれでいい pic.twitter.com/e4aieOBWEg
30年の歴史のなかで、性的マイノリティ当事者を広告に起用したのは初めてのことだという。そこには、縮小するブライダル市場で新しい顧客を開拓するというビジネス上の狙いもあるのだろう。それに対する批判もあるが、私は前向きにとらえている。民主主義的な価値観を後押しすることがビジネスになるなら、大いにやるべきだ。
国民の大半が同性婚の法制化に賛成なのに、政治に応じる気配は一向に無い。セクシャリティに限らず、現代社会では価値観が凄いスピードで変化する。民主主義のシステムが、それに追いついていない。ここを補完することが、大きなビジネスのチャンスになる。それゆえに、広告クリエイターの期待が高まっている。新しい価値観の萌芽をとらえ、ブランドに提案し、広告として形にする。そんな「価値観クリエイティブ」が、これからの広告の主流になるだろう。
ビジネスが変われば、生活が変わる。生活が変われば、政治も変わらざるを得ないのだ。
橋口 幸生
クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作は図書カードNEXT新聞広告、スカパー!堺議員シリーズ、鬼平犯科帳25周年ポスター、プリッツ新聞広告「つらい」、「世界ダウン症の日」新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。
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文:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi