
真っ青な海を背景に、菅笠を被った女性が浜辺を歩きながらラップを歌う。「くぬ国の端て 大和がら見て いてぃんいりや(1番西)どぅなんちま(与那国島)」。
日本語と与那国語を織り交ぜたこのラップは、与那国島にルーツを持つ映画監督・俳優・ラッパーの東盛あいかさんが2024年にX(旧Twitter)へ投稿したもので、100万インプレッションを記録する大きな反響を呼んだ。
消滅危機の与那国語でラップしてる
— Aika Higashimori (@aika_higamo) 2024年4月20日
#多分私しかやってない pic.twitter.com/JkC1Rib9Qi
しかし与那国語の話者は現在300人以下とも言われ、2009年には「このままでは今世紀中に消滅する恐れがある」としてユネスコが定めた消滅危機言語の1つになっている。
東盛さんは危機にある与那国語を次世代へつなぐため、ラップだけでなく映画や影絵芝居など多彩な表現で発信を続けている。今回のインタビューでは、ラップ制作の背景や多様な表現に挑む理由、そして言語を未来へつなぐ想いを伺った。
東盛あいか
1997年生まれ、沖縄県出身。京都造形芸術大学卒業。消滅危機言語とされる与那国語を用いた映画や音楽作品を発表し、2021年に初監督作品『ばちらぬん』でぴあフィルムフェスティバル・グランプリを受賞。近年は与那国語を使ったラップや、沖縄の伝統文化をテーマにした映画・影絵芝居の制作など、表現活動の幅を広げている。
X:https://x.com/aika_higamo
Instagram:https://www.instagram.com/toremoro514/
YouTube:https://www.youtube.com/@aikayonaguni
Xでバズった与那国語ラップ制作の裏側
与那国語でラップを作ろうと思ったきっかけを教えてください。
沖縄出身のラッパーたちが歌う日本語と英語とうちなーぐち(沖縄本島とその周辺で話される言語)が混ざったラップに出会ったのがきっかけでした。言葉の意味が分からなくてもお客さんたちが盛り上がっているのを見て、新しく言語を知ってもらうにはいいコンテンツなのでは、という気持ちで始めました。それまでに音楽をやったことがなかったので、独学で見よう見まねで始めました。
日本語とは別の言語である与那国語でラップを作るにあたって、難しかった点はありますか?
私がまだ与那国語のネイティブではなく語彙が少ないなかで、いかに与那国ならではの表現を作るかに苦労しました。とくに、現代人が使っている表現を与那国の言葉で表すのは難しかったので、言葉と言葉を組み合わせて新しい与那国語を作るような感覚がありました。
言葉は時代とともに変わっていくものだと思いますが、いま与那国語を話せる人は80・90代になっていて、なかなか新しい言葉が生まれません。そのため自分が作った表現や造語が本当に与那国ならではの表現なのか、意味が合っているのかには気を遣いました。
与那国ならではの表現とは、どういったものでしょうか?
たとえば、「与那国は日本の最西端の島」という視点は大和から見たものであって、もともと与那国にいた人たちは島が中心だと考えるので自分たちが「アジアの玄関口」という捉え方をします。ですから、歌詞にも「アジアの玄関口 くまんきこー(ここへおいで)」という表現を入れています。

X(Twitter)に投稿されたラップは大きな反響を呼びました。周囲の反応はいかがでしたか?
日本だけでなく海外からもたくさん反応をいただいて、「与那国語を初めて聞いた」「意味は分からないけど音が楽しい」「ラップと相性がいいね」というコメントが多かったです。韓国語やタガログ語など、別の言語に似ていると言われることもありましたね。
反響が大きかったことで、与那国語×ラップの可能性を広げていける感触が持てたので、そのあともラップの発信を続けることができました。また、そのラップを見た沖縄出身のアーティストからオファーをいただいて日本語とうちなーぐち、与那国語のコラボ楽曲を出すなど、別の活動へも広がっていきました。
与那国を発信する原点となった『ばちらぬん』
東盛さんはラップを発表する以前から監督・俳優としても活動されていたとのことで、与那国を表現するきっかけとなった映画『ばちらぬん』についてお伺いします。京都造形芸術大学の卒業制作として監督・主演を務めた本作は2021年にぴあフィルムフェスティバルグランプリを受賞し、全国で上映されました。この映画はどういった経緯で制作されましたか?

映画にはまったのは、高校進学で石垣島に出たときでした。学校が合わず不登校になって映画を観るようになったのがきっかけで、俳優に憧れて京都造形芸術大学に進学しました。そこで演技と制作の両方を学んだのですが、いざ表現をするスタートラインに立ったときに、まずは自分自身を掘り下げないとものづくりができないのではと思い始めました。そこで初めて、自分のルーツである与那国について学ぶようになりました。
そのなかで、自分が島を離れて10年ほどの間に、昔から受け継がれてきた言語やしきたりが急速に消えていく島の変化を肌で感じました。その変化と、与那国にいる大好きな祖父の老いが重なって見えて、すごく怖くなったんです。そこで自分に何ができるかを考えて、卒業制作としていまの与那国を撮ることにしました。
最初はオール与那国ロケで撮影予定だったのですが、ちょうどコロナが始まった時期で仲間が与那国に来られなくなり、先に来ていた私と島にいた祖父の2人暮らしが急遽始まりました。その期間が与那国を吸収する期間になっていたと思います。映画の構想がどうなるか分からない中でもとにかくカメラを回して森や洞窟に行ったり近所のお年寄りと話したりすることで、与那国でのドキュメンタリーと京都でのフィクションを組み合わせた『ばちらぬん』の構想が生まれました。コロナがなかったら『ばちらぬん』は生まれていなかったと思います。
『ばちらぬん』発表後は、与那国語を使ったラップの制作や、結びつきが深い与那国と台湾の物語を描いた影絵芝居の上演、島言葉で戦争の記憶を語り継ぐプロジェクトでの翻訳など、媒体を横断して表現を続けていますね。
私自身もまさかこうなるとは思っていなくて、与那国のことを発信しているうちに皆さんが私を見つけて声をかけてくれました。私のすべての表現の根幹は与那国につながっていて、与那国を発信できるのであれば媒体は何でもいい、できることは何でもやろうと思っています。
「軸足は与那国」というのはいつも言っていて、様々な場所に行き、人に会ったりコラボしたりして吸収したものを与那国に持って帰ることで、新しいものが作れると思っています。そして様々な方とコラボする中で、私のルーツは与那国にありますが、そこで起こっている消滅危機言語や過疎化の問題は与那国に限ることではなく世界中で似たことが起こっているのだと気づけたことは大きかったです。
祖父が私にとっての与那国だった
東盛さんにとってこれほど強く、与那国語を残していきたい、与那国のことを発信したいと思うようになった、その原点は何ですか?
私にとってそれはとても個人的なことで、祖父の存在なんです。祖父と話したり触れ合うなかで私にとっての与那国が形成されていって、祖父が話す与那国の言葉をもっと理解したい・通じ合いたいという思いが強くなり、言語を学び始めました。私がまだ拙い与那国の言葉で祖父に話しかけるといつも嬉しそうに笑ったり教えてくれたりして、それが私もすごく嬉しくて。私が与那国について学んだり発信したりすることを祖父が喜んでくれた。それが1番の動機でした。

与那国語はどのように学びましたか?
島にいるときは与那国語が母語の祖父に直接聞いて学びました。与那国に住む50・60代は、与那国語は聞き取れるけれど話せない人が多い世代で、私の母も、祖父が与那国語で話しかけたことに日本語で返す生活をしていました。彼らは与那国の言葉が分かり、かつLINEやパソコンが使える世代なので、島の外では母を含めそういった方々と連絡を取って質問しています。あとは与那国語辞典や民謡の歌詞も使って学んでいますね。
与那国の言葉を外に発信することについて、気をつけていることはありますか?
新しいことをやりつつも、もともと話されている与那国の言葉にリスペクトを持っているので、そこは間違えないようにしたいと思っています。言葉は時代とともに変化していくものとはいえ、私が発信したものが次の世代に「これが与那国語だ」と受け取られる可能性があるため、あまりにももとの姿からかけ離れないように気をつけています。
言葉を忘れたら島を忘れる、島を忘れたら親も忘れる
ユネスコの発表では、世界で話されている言語のうち約40%が消滅の危機にあるとされています。言語を残すことの意味を、東盛さんはどのように考えていますか?
よく祖父や先輩方から言われたのが「むぬい ばちたや ちま ばちるん、ちま ばちたや うや ばちるん」という言葉で、「言葉を忘れたら島を忘れる、島を忘れたら親も忘れてしまう」という意味です。
「言葉はアイデンティティだ」と私はいつも思っていて、言葉がなくなるとその土地のアイデンティティも失われてしまうことを実感しています。たとえば、与那国で昔使っていた畑仕事や米作りの道具を、もう使っていないから与那国語辞典に載せないとか、その言葉を忘れてしまったということが既に島のお年寄りの間で起きています。そうすると、私たちの世代はその道具が何だったかわからなくて、さらにその次の世代はその道具があったことさえ知ることができなくなる。言葉が消えることと、与那国のかけらが消えることは繋がっているんです。そこに何かがあったという、そのことさえ忘れ去られるんじゃないかということがとても怖いです。
言葉はいきなりパッと消えるのではなく、誰も気づかないうちに静かに消えていくんです。時代とともに暮らしが移り変わるのは自然なことですが、そのなかでもご先祖様が長い時間をかけて繋いできたものが変わらずに残り続けることは、いつか魅力になるのではと思います。だからすべてを1人で残すことは難しいかもしれないけれど、この両手で抱えられる分だけでも未来に持っていきたいと思っています。

未来につなぐために必要なのは憧れの気持ち
与那国の言葉や文化を未来につないでいくために、これから挑戦したい活動はありますか?
これからも映画を作り続けたいですし、また与那国で撮影したいです。言葉についても、次の世代に残していくにはどうすればいいかを考えてトライを続けていきたいです。あと、最近は与那国の植物や土から紙や顔料を作って、100%与那国素材の絵を描きたいと思っています。匂いや手触りから与那国を伝えられるかもしれないという想いからです。

それから、映画や舞台、ラップを通して与那国の言葉を表現するなかで、受け取る人に「かっこいいな」「面白いな」と思ってもらいたいという気持ちがあります。単純にその気持ちってすごく大事だと思うんです。言葉に限らず地域の伝統行事やお祭りでは、「かっこいい」という憧れを持たないと自分もやろうとは思わないですよね。ですから私がやっていることに対して、見てくださった方の「かっこいい!」「面白い!」という気持ちを刺激できるようなものを作っていきたいと思っています。
最後に、同世代や若い世代へのメッセージをお願いします。
いまの時代は、自分のアイデンティティやルーツを大事にして発信することに誇りを持てる、そんな流れが来ていると思います。私たちの親の時代にはそれはダサいと捉えられることもあって、特に沖縄の人たちは県外でバカにされたことが多々あったと聞きます。それがいまは、「自分は〇〇の出身で、そこにはこんな文化や慣習があって、こんな言葉や歌がある」というのを誰もが発信していける時代になり、それが「かっこいいんだ」と誇りを持てる流れが来ていると感じます。だからこそ、より多くの人に自分のルーツやアイデンティティを大切にしてもらえたら嬉しいです。
取材・文:卜部奏音
編集:篠ゆりえ
写真:東盛あいかさんご提供
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