よりよい未来の話をしよう

#ウチらのサイゼ会 主催・苔さんと話したい、考えの近い人も遠い人も、どう繋がって生きていく?

2025年7月の参議院選挙から数ヶ月が経過したが、排外主義を主張する政党が躍進するなどの状況を見て、これからの社会に対して不安な気持ちを持ち続けている人も少なくないのではないだろうか。そんななか、「話せる場所が少ない、けれども私たちにとっては重要なこと」をテーマに開かれているXのスペース「#ウチらのサイゼ会」は、人の切実な悩みをどう聴くか、異なる意見の人とどう生きていくかを考える上で、拠り所となり得る場所の1つだ。

「誰かのことを『差別主義者』だと突き放すのは簡単ですが、これから繋げるかもしれない手はできるだけ離したくないと思っています」と話す苔さん。苔さんがどんな思いでスペースを開いているのか、顔の見える発信を目指す上で心がけていることなどを伺った。

苔(こけ)

クィアギャル見込み。「今の社会では話せる場所が少ない、けれども私たちにとっては重要なこと」をテーマに、執筆活動やおしゃべりを行う。ブログの執筆や各種媒体への寄稿のかたわら、Xのスペース「ウチらのサイゼ会」を主催。

X:@koke_1515
Hatena Blog:https://koke-koke.hatenablog.com/
Youtube:https://www.youtube.com/@kokenoatarimae

日常では話しづらいことを、気軽に口にできる場を作りたかった

苔さんはX(旧Twitter)を中心にセクシュアリティ、アイドル・ドラマから社会のことまで幅広く発信されていますが、どんなきっかけで始められたのですか?

最初は、純粋に大学に入って友達を探したいという気持ちで始めました。ただ自分のセクシュアリティに気づいた2018年頃からは、社会に対する考えを発信している人たちをフォローするようになり、次第に「自分も、日々気になったことや思ったことをちゃんと言葉にしてみようかな」と思うようになりました。

具体的には2020年に自分のセクシュアリティをTwitterでオープンにしたのがターニングポイントで、それ以前は半ばひとりごとのようなツイートばかりだったのですが、そこからは、半径10〜100メートルぐらいの人に届いて欲しいなと意識するようになりました。

その後、2021年頃から当時のTwitterのスペースで「#ウチらのサイゼ会(以下「サイゼ会」)」をスタートされています。そこでは、どんなことを話されているのですか?

日常生活の中では周囲の目を意識してしまうがゆえに普通には話しづらいこと、隠したり嘘をついたりして話さなければならなかったことをテーマにして話すことが多いです。最初はファミレスでよく話されるような、けれども自分が異性愛者ではないために話せなかった恋バナ・友達の話などが多かったのですが、だんだんと、社会・政治のようなテーマについて話す回も増えていきました。

サイゼ会を始められたきっかけは何だったのでしょう?

Twitterで文字での発信を続けるなかで、徐々に声でも発信してみたいと思ってはいたのですが、自分の声を聞かれて周囲にアカウントがばれることも懸念して二の足を踏んでいました。

そんな躊躇を抱えていたから、初回は2021年8月頃、深夜の2時に開始して4時に終了しています。「誰も起きてないだろう」という気持ちで始めたんです(笑)。ただ、思った以上に良い反応をいただいたので、「声を出すのは怖いけれど、たくさんの人が聴いてくれるなら続けてみようかな」とシリーズ化しました。

初回の配信で一緒に話したゲストと「まるでサイゼリヤで話しているみたいだね」と話したことがきっかけで、「ウチらのサイゼ会」という名前を使い続けています。

苔さんはXに加えて、ブログやYoutubeでも発信されていますよね。声で発信したいと思ったのはどうしてですか?

文字での発信も好きなのですが、SNSだとどうしても生きている顔が見えにくい。サイゼ会では生きている自分の肉声を届けることで、誰かが「いまこの瞬間にこの人は生きているんだ」と身近に感じてくれると嬉しいなと思いました。だからこそ僕も、聞いてくれている人の顔を想像しながら配信をしたいと思っています。漠然とした「誰か」ではなく、たとえば「◯◯県で実家暮らしをしているであろうあなたに届いてほしい」と、勝手にですけど想像しながら。あとは、もともと人とおしゃべりすることが好きなので、それを聴いている人が楽しんでくれるなら、僕も楽しいし良いことだなと思って。

サイゼ会は、チャットツールを活用してリスナーの声を取り上げているのがユニークですよね。

自分が話すのを聴いてもらうだけならラジオやpodcastの方がむしろ多くの人に届きやすいと思うのですが、「あなたも一緒にファミレスで話そうよ」という思いで匿名のチャットを作っていて、タイムラインでは話しづらいことも書き込めるようにしています。いまのSNSでは匿名性を悪い方向に使う人も一定数いると思うのですが、匿名性を良い方向に使える空間が作れれば、なんと尊いことだろうと思います。

苔さんが主催するスペースで共有されるチャットツール。
参加者は、匿名でコメントを書き込むことができる

解決はできなくとも、せめて一緒に悩みに直面したい

サイゼ会を続けるなかで、社会・政治について話す回が徐々に増えていったとのお話でしたが、それはなぜでしょうか?

「普通には話しづらいこと」をサイゼ会のテーマとして話していくなかで、「そもそもなぜ私たちは、普段ファミレスの場であっても、安心して話したいことを話せないのか」を考えるようになりました。そうすると、結局、社会に蔓延っている価値観や、政治が暗黙のうちに前提としてきたことについての話に行き着いたんです。ただしそれと同時に、社会に関して話せるだけの知識が自分にはあまりにも足りないことにも気づき、チャットで悩んでいる人の声も聴くなかで、自分なりに政治や社会について勉強し始めるようになりました。

最近は「日本でミックスルーツとして生きること」など、一見クィアとは関係のないテーマについても話をしています。社会構造について学んでいくと、これらのテーマも密接に繋がっていることも分かってきました。セクシュアリティ・クィアに関連するテーマよりも興味を持つフォロワーは少ないかもしれないけれど、サイゼ会がきっかけでいままで知らなかったことにも興味を持つようになったら素晴らしいことだと思って。

社会的・政治的なテーマについて話すとき、どんなことを意識していますか?

まず、自分がそのテーマについて語りうるだけの視点や知識を持っているかどうかを考えます。同性愛者の人が同性愛者について語ることでさえ難しいのに、自分と異なる属性の人を語ることはさらに難しいので、当事者か専門家の人に来てもらうか、そうでなければできる限り当事者だと思われるチャットの声を拾うようにしています。

とはいえ、ゲストの方と話すときも、ファミレスなので雑談っぽくやりたいと思っていて(笑)。お堅そうな専門家の人であろうと、聴いてくれる人にゲストの方の魅力が伝わってほしいので、リスナーとゲストの間に自分が立つようなイメージを心がけています。チャットの感想をたくさん拾ったり、ときにはくだらない質問をしてみたり。

最近は、苔さんが1人で話をする回も増えていますよね。1人で話す良さはどんなところだと思いますか?

僕が忙しく、あまりゲストを呼べていなかったからでもあるのですが...。1人で話すときは、チャットに書き込んでくれる人との距離がより近くなる気がします。

ゲストに来てもらう回は、ゲストの方との会話に集中してしまうあまり、どうしてもチャットの声を拾うことが少なくなってしまいます。ただ、1人だったら、比較的ですが、読むことができる。書いてくれた言葉を僕が読み上げたり、みんなに聴いてもらえたりすることに意味を感じてくれる人も、きっといるんじゃないかと思うんです。

1人だからこそ、聴いている人との距離が近く感じる、と。ちなみに、チャットに寄せられる悩み・切実な声に対して返答するときは、どんなことを心がけているのでしょう?

難しいですよね...いつも力不足だなと思います。これは僕のエゴかもしれないですが、「あなたが書いた文章を見て、ちゃんと読んだよ」ということだけは言うようにしています。切実な悩みを僕自身が解決することはできないかもしれないけど、その悩みを重大な悩みとして扱ってくれる人が、自分以外にもたくさんいるんだと感じてもらうことは、不十分だけど、大きいことなんじゃないかなと。

チャットの声をリアルタイムで拾うので、コメントを無かったことにはできません。ただ、実際の悩みについても、逃げられる悩みは1つも無いですよね。同じ時間を共有するなかで、せめて逃げないというか、できるだけ一緒に直面したいなと思っています。

怒りの方向を少しずらすことができれば、手を繋げる人が増えるんじゃないか

先日、参議院選挙後に開かれたスペースで、差別的な言説に対して反対しつつも、「自分と異なる意見や投票行動をした方を責めないようにしたい」と話されていたのが印象的でした。

自分も含め、社会に生きているマイノリティの人の実情や社会構造を知らないと、困っているときに差別に乗っかってしまうことがあると思うんです。それが差別であるということに気づくための公教育だって徹底されていない。一般人が知らずに誰かの足を踏んでしまったときに、その人を「差別主義者」だと突き放すのは簡単ですが、これから繋げるかもしれない手は、できるだけ離したくないと思っています。僕もよく、知らずに誰かの足を踏んでしまうし。

切実な思いを抱える人に対して「構造や背景にも目を向けよう」と伝えるとき、どんなことを意識すれば良いと思いますか?

難しいですが...その人の怒り・苦しみをぶつける方向を少しだけずらすことができれば、よりましな方に進むのかなと思います。

たとえば、排外主義的なことを言う人のなかには、生活が苦しいと思う気持ちの矛先が“外国人”の人に向いてしまっているような人もいると思うんです。「あなたの悲しさ・苦しさは否定しないけれど、ぶつける先がずれているんじゃないか」と伝えて一歩手前に戻ってもらうことができれば、「辛い」という気持ちで手を繋げるようになるのではないかなと。求められるのは、そういうバランスの取り方ではないかと思っています。

最後に、今後苔さんがやっていきたいことがあれば教えてください。

サイゼ会では、なるべく人のことを360度で捉えたいと思っています。いま、SNSがとても怖いんです。人を知るのに、Xの140字のポストだけでは情報量が少なすぎると思うので、スペースではチャットに書き込んでくれた背景やその先に何を見ているのかを、きちんと話せる場所を作りたいと思っています。

サイゼ会が僕にとってセーフスペースであるので、逆に個人のテーマとしては、なるべく知らない人がいる場所に行きたいと思っています。生身の人間として、色々な考え方があることや、自分の考えが100%正しいというわけではないということを知ることのできる場所に出て行きたいです。

お話を伺って、苔さんは「生の感覚」のようなものを大事にされているのだなと感じました。

ブログは入念に準備ができるけれど、生放送だとすべてが土壇場で、「ああ、なんでこんな発言しちゃったんだろう」と申し訳なさでくねくねすることも多いのですが、すべて学びだと思って受け止めています。サイゼ会では自分が思ってもいない方向から声が届くので、たどたどしく話してしまうこともあるのですが、リアルタイムの人生なんてたどたどしくてなんぼだと思うので、その「ぐるぐるしている時間」を皆さんにも共有してもらいたいなと思います。

SNSではスパッと気持ちの良い言葉が多く発信されているけど、現実はそんな割り切れることばかりではないし、言葉を見つける途中の人も多いと思うんです。一言で言えないような感情を、手探りで修飾語をつけたしながら「こうじゃない、この辺かも」と言いながら探せるような時間をもっと作れたらいいなと思っています。

いまの社会では「安心して不安になれる場所」が少ないなと感じていて。ひとりで不安になるのもつらいし、SNS環境のように、攻撃されやすい場所で不安を吐露するのも危ないじゃないですか。人の息遣いや呼吸が聴こえるような場所で、沈み込んだり、どんよりしたりする時間をサイゼ会を通して作れるならば、それ以上のことはありません。

 

取材・文: Risa Murayama
編集:大沼芙実子

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