週刊ビッグコミック スピリッツで連載中の『ありす、宇宙(どこ)までも』(小学館)がとにかくアツい。
『MAMA』(新潮社)『ルポルタージュ』(幻冬舎)の売野機子さんの新作である本作は、「セミリンガル」(母語も第二言語も完全に習得できていない状態)の主人公・朝日田ありすが、天才中学生・犬星類と二人三脚で、日本人女性初の宇宙飛行士コマンダーを目指す物語。二人の友情譚に火をつけられた読者は多く、本屋でも品切れ状態になっているなど、絶賛話題沸騰中だ。
そこで今回、あしたメディアでは作者の売野機子さんにインタビューを敢行。本作誕生の背景や、本作を通して伝えたいこと、また、社会で透明化されやすい人物を主人公に据えることについても伺った。
セミリンガルの主人公が、一番なることが難しい職業を目指す
最初に、本作がどのようにして生まれたか、背景を伺えますか。
本作は『週刊ビッグコミック スピリッツ』という青年誌で連載してますが、もともと、少年誌向けの企画でした。「真っ直ぐに夢を目指して、困難に打ち勝つ」物語を描きたいという思いがあり、ここ5年ぐらい職業モノやスポーツモノのネームを切っていました。
しかし、今回はもう少し穏やかで読者に優しい喜びを与えられる企画を、という話になったので、「男女で勉強して絆を育む」漫画にしようと考え、本作の原型が生まれました。
これを連載会議に提出したところ、編集部から「すごく面白いから、より華々しい企画にするために主人公の大きな目標を打ち立てて欲しい」と言われて。それは当初の希望と合致した提案なのでとても嬉しかったのですが、少年誌系はかなり長い期間を準備にとられてしまう印象がありました。第1話の完成度に自信を持っていたのもあり、許可をいただき、週刊スピリッツに作品を移動させてもらいました。
すぐに、目標を入れ込んだバージョンとしてブラッシュアップしたものを作り、連載会議に提出し、翌月には連載も決まったのですが…。週刊で描くならもっともっと派手な目標をぶち上げて欲しいと。そこから宇宙飛行士というテーマを決めて完成させるまでに、結局8か月もかかってしまいました。
どのような経緯で、ありすの目標を宇宙飛行士にすることになったのでしょうか。
実は、宇宙飛行士は早い段階で案に上がっていました。ただ、宇宙飛行士が題材だと、既存の有名な作品がありますから、すぐに候補から消えていて。それから、大統領や総理大臣、東大を目指す、なんてご提案もいただきましたが、もう一歩足りない…と感じてしまい、なかなか目標が決まりませんでした。
何か月も試行錯誤する一方で、私は、初期に出した宇宙飛行士という提案を諦めきれずにいました。最初にこの題材を当て嵌めた時に、もうこれで決まりだ!という直感があり、遠くまで物語のビジョンが見えていたんです。
私は、困った時にオラクルカードを引くことがあるんですけど、その時も、「何を目標にしたらいいか教えて!」という気持ちで引いてみたんです。すると、出たのはなんと、天文学者のカードでした。
すごい偶然ですね(笑)。
「ほら!やっぱりね!!」と(笑)。その足で図書館に行き、司書さんに十冊ほど宇宙飛行士に関する本を見繕ってもらいました。それらの本がどれも面白く、宇宙の魅力に掻き立てられたこともあり、担当さんに懇願して、新しく宇宙飛行士バージョンのネームを描きました。それでようやく連載が決まりました。
宇宙飛行士を目標にすることで先の展開がすぐに頭に浮かんだことも決め手の1つですが、もう1つ、目標の設定の決め手になったことがあって。もともと、主人公がセミリンガルということは決まっていたので、セミリンガル状態の人となるべく対極にある目標にしたかったんです。なので、セミリンガル状態から一番なることが難しい職業と考え、宇宙飛行士を選びました。
「無形のものを巡る熱いドラマ」を描きたい
宇宙飛行士のどこに魅力を感じたのか、具体的に教えてください。
まずは、誰もが、漠然とでも憧れ、尊敬する存在であることです。私自身も幼い頃、父に筑波の宇宙センターに連れて行ってもらいました。
さらに言えば、宇宙飛行士は人類の歴史のなかで比較的最近生まれた職業なので、試験や選考の基準が大きく確立されてないんです。その選抜過程について考えたときに、「無形のものを巡る熱いドラマ」みたいなのが頭に浮かびました。そういう話を漫画で描きたい、と思ったことが魅力に感じた大きな要因かもしれません。
主人公がセミリンガルという漫画をこれまで読んだことがなかったのですが、どうしてセミリンガルを扱おうと思ったのでしょうか。
語学の勉強が好きで、いくつかの言語を学んでいる中で海外移住を検討したこともあるんです。その時に、子どもへのリスクとして真っ先に考えたのが言語だったので、個人的にいろいろと調べていた経験があります。なので、セミリンガルは自分にとって割と身近な題材ということが理由の1つです。
ありすは、周囲から「可愛い」と外見を一方的に評価されることを嫌がります。このシーンにはどのような意図があるのでしょうか。
美しい主人公を設定したので、その主人公がセミリンガル状態にある場合、どのようなことが起きるか丁寧に考えた結果、こういうことが起きるのではないかと考えました。
推し活文化などでも時折話題に上がることがあると思いますが、アイドルなどを必要以上に赤ちゃん扱いする風潮があるかと思います。しかしそれは愛情ゆえでしょう。誰が悪いとは言えない繊細な状況での、キャラクターたちの心情の機微を描けたら、と思いました。
漫画は「誰かの孤独」と繋がることができる
2巻では、ありすたちが宇宙に対する無限の可能性に関する話を聞く場面が登場します。宇宙で自由を感じている人たちの描写を含め、あの場面はすごく印象に残っています。
ありがとうございます。その場面の一部は、宇宙飛行士の山崎直子さんから実際に聞いた話が基になっています。「身体を動かしづらい人や、歩行が困難な人が、宇宙では自由を感じる未来が来る」、山崎さんはそのことを当たり前のように感じていたし、当然のように想定されていた。その事実に胸を打たれて、使わせてもらいました。
ありすのように、いまの社会に生きづらさを抱えている人は少なくないと思います。この場面は、そういう人たちに対しても将来の可能性は開かれていることを意味しているのでしょうか。
もちろんです。それは、「宇宙に行けば救われる」という意味ではなく、もしいま、生きづらさや息苦しさを感じていたとしても、「いま置かれた環境がすべてではない」という希望を示したかった。つまり、誰しもに平等に開かれた可能性の象徴として、あの場面や宇宙を描いたつもりです。
過去作の『インターネット・ラヴ!』(onBLUE comics)の主人公はバイセクシュアルの男性・天馬くんです。本作の主人公・ありすもセミリンガルと、売野さんは社会では透明化されがちな人物を主人公に据えていますが、なにか意図があるのでしょうか。
意図せずにそのような人物を主人公に据えてしまうのですが、それは自分自身が社会において透明だと思っているということに他ならないと思います。小さいころから、思えばマイノリティの物語に癒されてきました。いつでも自分の帰属先は不明瞭で、自分の輪郭を見つけるのは簡単なことではありません。
読者がどのような方であっても、この疎外感や孤独の感覚は、漫画を手に取ってくださる人々も多かれ少なかれ持っているものではないでしょうか。
私はそうやって、ありすや天馬くんのような主人公たちを通して、読者の人の心と繋がることが好きです。
「何にでもなれる」ことを、本作で描ければ
過去作やこれまでのインタビューを拝見しても、売野さんはインターネットに対してポジティブな感情をお持ちだと思うのですが、「インターネットの魅力」についてはどのようにお考えでしょうか。
自分自身がインターネットでいいことがたくさんあったからか、インターネットの交流にはずっとポジティブなイメージを持っています。今でも中学生時代チャットで仲良くなった友達と家族ぐるみで遊んだりしています。結婚式に参加することもありますよ!北海道から沖縄まで友達がいて、今では海外の人とまで繋がれて最高です。家にいるのが辛い時期は、社会への抜け道がインターネットでした。現在でも、職業柄、家にずっといる私にとって人との繋がりを感じられる媒体として、インターネットは必要なものですね。
SNS上でうんざりするようなことがあっても、そもそも自分と正反対の価値観に触れることがかなり好きで。ある意味一生見てしまえるので、自分の時間の確保のために距離を取るよう気をつけています(笑)。
それぞれが抱える苦悩も含め、夢に向かって挑戦するありすと犬星を描きたいと思った理由をお伺いしたいです。
私は天才タイプの作家ではないので、漫画を描き始めたころから、「私は一番下手くそなのだから、誰よりも描かなくてはいけない」と思っていました。這いつくばって歯を食いしばって泥臭い努力をすることしかできない人間なのですが、でもそれは大変なことだから、時には諦観が私の敵になります。そんな時、ポジティブなエネルギーで明るく夢に突き進む人がいたら救われるから、二人が挑戦する姿を描きたいと思ったんです。なにか、過去や恐怖が自分を襲ってきても、それを凌駕するような美しい夢があり、努力が喜びになると信じたい。どんな状況でも、夢をみることは美しいことだと私は思っているからです。
いまの社会には「親ガチャ」や「家が太い」といった、出自や出生の割り振りによって人生のすべてが決まってしまうという考え方がある程度受け入れられてしまっていると思います。もちろん、改善されるべき環境があったり、福祉に繋がるべき人がいたりすることは承知しています。
その上で、過酷な環境に身を置かざるを得ないありすでも、未来を切り開く力、自分の運命を決める力があって、まだ何も決まっていない、「何にでもなれる」ということを、本作を通じて描いていければと思っています。
最後に、本作を楽しむ読者に一言お願いします!
面白い漫画を作ることに腐心していますので、楽しんでいただければ幸いです!
取材・文:吉岡葵
編集:日比楽那
写真提供:週刊ビッグコミック スピリッツ編集部
最新記事のお知らせは公式SNS(Instagram)でも配信しています。
こちらもぜひチェックしてください!