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「能登の光景は、私たち全員の眼前に突きつけられている」写真家・佐藤健寿がいま能登を撮影した理由とは

2024年1月1日に発生した能登半島地震は、能登半島を中心に大きな被害をもたらした。

発災から約1年が経とうとするなか、能登のいまを伝えるために、石川県と東京都が協力し開催しているのが、「写真展 能登 20240101」だ。本展示は、シンガーソングライターで石川県観光ブランドプロデューサーの松任谷由実さんと写真家の佐藤健寿さんが企画を主導し、東京会場で2024年11月12日から12月25日まで開催した後、金沢と大阪でも開催を予定している。写真展では佐藤健寿さんが2024年4月から10月にかけて、能登を訪れ撮影した写真が120枚ほど展示されている(※)。

そこで、写真家の佐藤健寿さんに、能登での撮影中に感じたことや写真展を開催した理由などについて伺った。

※会場ごとに展示写真枚数は異なります。

▼「写真展 能登 20240101」の公式サイトはこちら

 

能登の現状を見てほしい

今回の写真展は、松任谷由実さんからの連絡がきっかけで開催することになったと思いますが、どのような連絡をいただいたのでしょうか。

連絡が来た日、ユーミンさん(松任谷由実さん)は北陸新幹線の発着音に曲を提供した記念イベントで石川県を訪れていて、能登にも足を運んだようでした。その際に能登の現状に衝撃を受けて、帰りの新幹線の中で急いで私に連絡してくれたそうです。震災から2ヶ月が経った時期で、世間的には能登の復旧が落ち着いてきたと認識されて、あまり報道もされなくなっていた頃でした。

ただ、実際に行ってみるとまだ全然復旧が進んでいなかったので、「とにかく記録に残さないといけない」「もっと多くの人に知ってもらわないといけない」と連絡をいただきました。

4月から撮影を開始したということは、その連絡を受けてすぐに能登に向かわれたのですよね。

そうですね。ユーミンさんが、私に連絡するのと同時に、石川県の担当者にも連絡を取られて、すぐに能登に行けるように手配していただきました。私も連絡を受けて、すぐ「やりましょう」と返信して、その1週間後ぐらいに能登に行ったと思います。

これまで被災地を撮影されたことはありましたか?

撮影したことはなかったです。東日本大震災があったときに、あの光景を残しておきたいとは思いました。でも撮影されたことで傷つく人たちがいるかもしれないことや、撮影動機が写真家としてその光景に興味があるということ以上を説明できないと思ったので、自分が撮ってはいけないと思ったんです。

あと、私の写真を見て実際に現地に行く人もいるので、被災地の写真を見て、「行ってもいいんだ」と気軽に思われるのも良くないかなと思い、行くのを控えていました。

そういった思いがあったなかで、今回はどうして能登に行こうと思ったのでしょうか。

今回ももちろん、同じように迷いはありました。ただ、能登がもう既に報道が減っている状態であったことや、石川県の担当者や現地の方もその状況に危機感を持っていた状態だったので、能登の現状を見てもらう必要があるんじゃないかなと思ったんです。

©佐藤健寿

感情を抑えて撮らないといけない

実際に撮影されてみていかがでしたか。

能登に撮影へ行く前は、「自分が撮るべき写真は何だろう」と考えていました。報道写真は新聞などのメディアがたくさん撮っているので、私が撮影すべきはそれとは違った写真で、普段から報道写真を見ている人たちとは別の層に届けないといけないなと思っていました。

ただ、現地に行ってみると、どう撮ろうかという考えも吹き飛ぶくらい、被写体として強烈すぎたんです。だから結果的には、普段の撮影と変わらず、言語化できない感情が浮かんだ瞬間にシャッターを押していたと思います。

ただ、写真を撮る際は、感情を抑えて撮らないといけないとは思っていました。

この写真を見て、悲しんでほしいということではなくて、1つの自然現象を撮影するような気持ちで撮らないと、能登の現状が嘘っぽくなってしまう気がしたんです。たまたま現場にいた方を撮らせていただくこともあったんですけど、そういうときは何かを過剰に訴えるものにならないよう、自然体で撮影させてもらいましたね。

撮影された1万枚ほどの写真の中から、東京会場では120枚程度を選んで展示されていました。どのように選んだのでしょうか。

展示を企画した事務局の人たちと一緒に選んだのですが、個人情報が写ってしまった写真は除外した上で、大きく被害のあったエリアを中心に写真を選びました。ただ、アートディレクターの方から「展示する120枚以外の写真も展示しないか」と提案いただき、さらに4,000枚ほどを写真リストとして展示しました。

1枚の写真の中にも無数の歴史と物語があるので、人の思いや歴史がたくさんあることを感じてほしいなと思っています。

能登の人々が“破壊”という行為で自然に立ち向かう「あばれ祭」

今回、能登の伝統的な祭りである「あばれ祭」も撮影されていました。実際に参加して、いかがでしたか?

すごかったですね。私も全国の激しい火祭りには結構行っているんですけど、激しさが過去1番ぐらいすごくて。キリコという巨大な神輿のようなものを担いで、松明の周りをぐるぐる回りながら運ぶんですけど、とても重く大きいので小回りが利かなくて、あちこちで衝突しそうになっていました。私も撮影中は轢かれそうになりましたね。その上、松明の火花が飛ぶので、迫力がすごかったです。

キリコを担ぎながら運んだ次の日には、神輿を破壊するんです。神輿を地面に叩きつけたり、水の中に落としたり、火の中に放り込んで燃やしたりして神社に奉納するんですが、最終的には原形をとどめない黒焦げ状態でした。

その光景もすごい迫力で、私は最前列で撮影していたんですが、炎が飛んできて、神輿担いでいる人たちはもう体の上が燃えているような状況でした。

これまでも寒冷地に行った際に、カメラが冷たすぎて持つのが辛かったことは何度もあるんですが、炎のせいでカメラが熱すぎてシャッターが触れない状態は初めてでした。

すごい迫力だったのですね。あばれ祭の写真を見ると、能登の方々のエネルギーを感じました。

そうですね。少し不謹慎な言い方かもしれないですけど、水や炎の中で神輿をみんなで壊している姿は、震災という自然現象によって生活を“破壊”された被災者の方々が、水や火といった自然と戦っている姿に見えたんですよね。能登の人たちが“破壊”という行為を通して、自然を恐れずに立ち向かっていく姿勢に気概を感じました。

©佐藤健寿

©佐藤健寿

いまの能登の光景は「私たち全員の眼前に突きつけられている」

いま写真展を開催する意義はどのように感じていますか。

発災から数年経って、「あのときの震災を忘れない」というような啓発活動はこれまでも行われてきたと思いますが、苦しんでる人たちがいまもいる状況で、現地の写真を見てもらうことは、これまであまりなされていなかったことではないかなと。

また、日本は自然災害が多い国ですが、この経験から何を学んでいくのかという議論はあまりされていないようにも感じています。

これまでも、大きな災害が起きたときに「この鳥居から上は安全だった」というような、歴史的に積み重ねられてきたノウハウが各地にあると思います。だけど、過去の災害で深刻な被害を受けた場所が、時間が経って新しく宅地開発されてしまい、地理的に危険だとは思わないような名前に変えられてしまった例もたくさんあって。そのせいで、危険であることを知らずに人が住んでしまい、再び起きた災害で深刻な被害を受けてしまうことがあるんです。

そうならないためにも、もっと積極的に今回の震災から学んでいかないといけないし、この写真展で能登の被害をきちんと見てもらう必要があると思いました。その現状を踏まえて、これからどういう風に能登を復興すべきか、考えた方がいいと思っています。

過去から学び、どう対策を立てていくかは、能登に限らず、これから起こり得る南海トラフ地震などに向けても重要ですよね。

そうですね。能登半島は海や山に囲まれているので、地理的に日本の縮図だと言う人もいるように、今回能登で起きたことは、これから日本で起こる災害のノウハウとして蓄積しておく必要があると思います。そのためにも、被災状況を撮影して、写真を残しておくべきだと思っています。

そもそも「今回能登で起きたことは、能登以外の地域でも起こり得るかもしれない」と思うことは重要ですよね。

写真に写った景色はもちろん能登の光景なんだけど、能登から遠いところにいる人も含めて、私たち全員の眼前に突きつけられている光景だと思うんです。今度どこかで地震が起きたときに、能登のように復旧が遅れる状態が繰り返されてはいけない。なので「いまの能登の光景は、自分たちの眼前の光景だ」と考えなければいけないと思います。

また、発災から1年ほどが経ってもまだ十分な復旧が進んでおらず、能登で困っている人がたくさんいます。被災していない私たちも、いつ同じような状況になるか分からないのに、今回の震災を自分とは関係のないことだと捉えて、多くの人が能登を無視してしまうことが果たしていいのだろうかとも思いますね。

©佐藤健寿

▼川西賢志郎さんが能登半島地震のボランティアに参加された際の記事はこちら

「自分は正しいことをしている」と思わないように

実際に写真展を開催されてみて、いかがですか。

今回の写真展を告知したときに、能登の方をはじめさまざまな方から感謝の言葉をいただくことも多くてありがたかったのですが、「これは危険だな」とも思いました。「自分は正しいことをしている」と思って、自分が正義だと思ってしまいそうで危険だなと。

能登でもボランティア同士で揉めたりしたこともあったようですが、自分が正しいことをしているという自負があると、自分とは違うやり方を見たときに「なんでそうなんだ」と思って、揉めてしまうことがあると思います。

でも、正解なんておそらくは無くて、被災者の中でも、県の担当者や支援者の中でも様々な考えがあると思います。

また、被災地のことに限らず、昨今のSNSでの喧嘩とか、大げさにいえば戦争に関しても同じようなことがあちこちで起きていると思います。両者ともそれぞれ正しいと思ってやっている。だけど、どちらが正しいかよりも1番大事なのは、そこでじっと耐えて沈黙している人々の存在だと思うんです。

被害を受けた人々のことは忘れて、「自分が正しい」と思っている者同士が喧嘩して、より混迷が深まっていくことが、いろんな場所でいま起きていますよね。だから私も、自分が「正しいことをしている」とは思わないように気をつけています。

確かに気をつけないといけないですね。能登を撮影される前から、「自分が正しいことをしている」という意識は持たないように気をつけていたのですか。

私がよく撮影する場所はジャーナリズムとして受け取られやすい場所が多いので、気をつけていました。

よく報道などで、「この事実を伝えないといけない」と言う人もいると思いますし、それが悪いとは思わないです。ただ、自分の場合はそこまで強い意思を持って撮影しているわけではないので、現地の人に撮影をやめてほしいと言われたら撮らないようにしています。

たとえば、世界でも滅多にない、大平原の中で800回以上も原爆実験をやっていたという中央アジアの被災地を撮影した際も、写真を見てくれる人たちが「こんなことがあったのを知らなかった」「(原爆実験をやっていた)ロシアってひどいんですね」などと感想をくださいました。そう思ってもらうのは全く構わないのですが、私はそれが言いたかったわけではなくて、「どうしてこんなことが起きてしまったのか」という、その背景や理由に目を向けていくことが大事だと思っています。

 

「写真展 能登 20240101」

佐藤健寿氏が各地で撮影した被災地の様子や復興の状況、震災後に住民の手により実現した勇壮な祭礼「あばれ祭」の様子など、能登半島の今を伝える数々の写真を展示します。
また、松任谷由実が震災後に現地を訪れた際の写真、復興を応援するために制作した「acacia[アカシア]」のミュージックビデオ、2人が能登に対する想いを語る動画もご覧いただけます。
さらに、「今行ける能登」の紹介や石川・東京間の交流促進に向けた情報発信も行います。

○東京会場(「写真展 能登 20240101 -316days later-」)
期間:2024年11月12日(火)から12月25日(水)まで(月曜日は休業)
平日 11時から21時まで(最終入場20時30分)
土休日 10時から19時まで(最終入場18時30分)
場所:SusHi Tech Square 1F Space 東京都千代田区丸の内3丁目8-3

○金沢会場(「写真展 能登 20240101 -374days later-」)
期間:2025年1月9日(木)から1月19日(日)まで
平日/土休日 10時から18時まで
場所:石川県政記念しいのき迎賓館 ギャラリーB 石川県金沢市広坂2丁目1-1

○大阪会場(「写真展 能登 20240101 -390days later-」)
期間:2025年1月25日(土)から2月2日(日)まで
平日/土休日 11時から20時まで
場所:KITTE大阪 2F @JP Cafe 大阪府大阪市北区梅田3丁目2-2

※いずれも入場無料
※各会場ごとに展示写真枚数は異なります

公式サイト:https://noto20240101.tourism-alljapanandtokyo.org/

 

佐藤健寿(さとう・けんじ)
写真家。武蔵野美術大学卒業。世界各地の"奇妙なもの"を対象に、博物学的・美学的視点から撮影・執筆。写真集『奇界遺産』シリーズ(エクスナレッジ)は異例のベストセラーに。2022年から全国で「佐藤健寿展 奇界/世界」を開催。TBS系「クレイジージャーニー」、NHK「ニッポンのジレンマ」ほかテレビ・ラジオ・雑誌への出演歴多数。

 

取材・文:前田昌輝
編集:大沼芙実子
写真:中本光
写真提供:「写真展 能登 20240101」事務局

 

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