いま、一本の韓国映画の日本公開が大きな注目を集めている。パク・サンヨンの短編小説を原作としたその映画『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』(6月13日(金)より全国ロードショー)は、自由奔放な女性とゲイの男性の20歳から33歳までの13年間の関係性を描いた青春映画であり、マイノリティ性を持つ人々の生きづらさも繊細に投影した、極めて現代的な作品だ。キム・ゴウンとノ・サンヒョンが演じるふたりの友情を軸に、自分らしさを貫くことの困難さと美しさを描いている。
本作は韓国での公開で反響を呼び、日本でも異例の注目作品として大きな規模感で劇場公開を迎える。なぜこの映画が、そこまで観客の心を打つのか。社会を前進させる情報発信を行う「あしたメディア by BIGLOBE」では、本作の日本公開にあわせ、本作のイ・オニ監督へのインタビューを実施した。映画解説者の中井圭との対談形式でお届けする。
※本インタビューは、作り手の意図を深く問いかける目的で、具体的内容に触れているため、ネタバレに注意したい方は、映画本編をご覧になってから閲覧されることを推奨します。
自由奔放でエネルギッシュなジェヒと、繊細で寡黙なフンス。正反対の二人が出会い、ある出来事をきっかけに特別な契約を結び、一緒に暮らし始める。ジェヒは世間のルールに縛られず、恋愛と夜遊びを全力で楽しみながら生きている。一方、フンスはゲイであることを周囲に隠しながら、孤独と向き合う日々を送っていたが、ジェヒに刺激され徐々に外の世界へと踏み出していく。そして二人は互いの「自分らしさ」を励まし合い、次第にかけがえのない存在となっていった。大学を卒業し、それぞれの道に進んでも、二人の関係は変わらないはずだった。だが、社会に出た二人に人生の大きな転機が突き付けられ、大切な友情に思いがけない危機が降りかかる──。
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6月13日(金)より全国ロードショー
監督:イ・オニ
出演:キム・ゴウン、ノ・サンヒョン
原作:小説『大都会の愛し方』 より「ジェヒ」(パク・サンヨン著、オ・ヨンア訳/亜紀書房)
提供:KDDI
配給:日活/KDDI
2024 年/韓国映画/韓国語/原題:대도시의 사랑법(英題:Love in the Big City)
1時間58分/カラー/1.85:1/5.1ch/字幕翻訳:本田恵子
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原作の核を映像で伝える、「映画でしかできないもの」への挑戦
中井: 本作は、今年ぼくが観た映画の中でも本当にトップクラスの面白さだと感じました。原作は国際ブッカー賞にノミネートも果たした短編小説ですが、文字から映像に変換する際に、監督が最も重視されたのはどのような点でしょうか。
イ・オニ: 原作者のパク・サンヨンさんの文体は非常に特色があり、ウィットに富んでいて、含蓄のある表現が多く使われています。これを映像で表現するときに、その文体の持つニュアンスが不十分であってはいけないと思っていました。
小説がとても面白く、重要な意味を持った内容であったからこそ、その核となるものを必ず映像で伝えたいという気持ちがありました。その上で、小説が持つ意味をしっかりと伝えつつ、映画ならではの面白さに変えていくことを心がけています。そのため、映画的な構成はいろいろ悩みながら作っていきました。
中井: そうですね。文字でしか表現できないものは文字でやるべきでしょうし、映像化するときは映像でしか表現できないものを盛り込む必要があります。監督がこの作品において、映像でしかできないものとして特に意識されたのはどのような要素でしょうか。
イ・オニ: 映像でしか表現できないものを意識しながら、個人的にぜひ撮りたいと思っていたシーンがあります。劇中、キム・ゴウンさん演じるジェヒが一般社会に適応していくために、彼女がもともと持っていた個性や特色を、社会が望む方向に変えていく様子が描かれます。そのなかに、彼女が地下鉄の窓に映った自分を見つめるシーンがあります。それは言葉では語られていない感情が浮かぶ、とても映画的なシーンなのではないかと思います。
走り出すふたりと、誰かに理解されたいという気持ち
中井: また、この映画は、脚本構成として二人のキャラクターが合わせ鏡のように描かれているのが印象的でしたが、この描き方にはどのような意図があったのでしょうか。
イ・オニ: この映画はふたりのバランスのとれた物語にするべきだと考えていました。両者の関係性は、自分のこと以上に相手のことをよく理解しています。そんなお互いを通じて、自分を探していく成長の物語だと私は捉えていました。だからふたりの関係をどちらか一方に偏らせるのではなく、映画の構成やシーンとしてもバランスを取ることがとても大事だと考えていました。
中井: そのバランスをとった関係の結実が、後半ジェヒが元彼に追い詰められるシーンで表現されていたと思います。ジェヒが逃げ出すシーンとフンスがジェヒからの電話に気づいて駆け出すシーンが、それぞれお互いの方向に向き合って走り出すという構成になっています。画面から物語の動きとふたりの関係性が表現され、映画としての美しさも感じました。
イ・オニ: ありがとうございます。演出意図を理解してもらえてうれしいです。原作に惹かれてこの映画を撮りたいと思った時に、いくつか目標がありました。その中の核としてあったのは「青春映画を撮りたい」ということだったんです。そして、青春と言えば、やはり走るシーンが必要だと私は考えていました。原作には走るシーンはないのですが、今回、意図的に走るシーンを入れました。それぞれが走る方向についても、おっしゃる通りのイメージを持っていました。絵コンテやロケハンの時から考え、撮影時にもその方向性をきちんと維持できるように撮りました。
中井: 青春映画を撮りたかったとおっしゃいましたが、ぼくもこの作品を観たときの印象は、まさに青春映画でした。と同時に、単なる青春映画ではなく、社会に対して生きづらさを抱えるマイノリティ性を持ったふたりの青春映画だったと感じています。
イ・オニ: そうですね。わたしがなぜこの映画を撮りたかったかについて、映画を完成させた後も繰り返し考えていました。この映画ではジェヒの奔放さやフンスのセクシュアリティが社会的なマイノリティ性という形で表現されていますが、そのすべてが「誰かに理解されたい」という気持ちから出発しているのだと改めて感じています。その気持ちはすべての人の中にありますし、私にとっては映画を作るモチベーションになっています。
「自分らしさは弱みにならない」現代社会への静かな問いかけ
中井: すごくわかります。だからこそ、この映画が自分ごととしても響いたのだと思いました。そして、この作品の中で、ぼくが特に心を打たれたセリフがあります。「自分らしさは弱みにならない」という言葉の往復です。これは本作の根幹だと思うのですが、監督がこのセリフを序盤と終盤の往復で組み込んだ意味を教えてください。
イ・オニ: もともと私は、セリフが重要な役割を果たすタイプの映画がそこまで好きなほうではなかったんです。でも、この作品に関しては、やはりセリフがとても重要だと思いましたし、印象に残るセリフとして使いたいという意図がありました。その結果、往復する形で先ほどのセリフが出てきます。ふたりが関係を築き上げていくなかで、以前に投げかけた同じ言葉が、ある時、相手から返ってくる。これはふたりの関係性における完成を意味し、映画そのものの完成に向かうものでもあると思いました。
中井: なるほど。映画全体がふたりのキャラクターの呼応により、バランスをとることで成り立っているのがよくわかります。そして、この「自分らしさは弱みにならない」というセリフが観客の心に非常に強く響くのは、いまの社会が実際は自分らしさを弱みにしてしまっているからじゃないかと思います。
イ・オニ: たとえば、韓国社会は他人のことに関心が強すぎるのではないかと思います。他者が自分と似ていないと安心できないからかもしれません。私には、時には無関心であることが最高の配慮なのではないか、とも思う場合があります。たとえば、世界の平和に脅威をもたらすことであったり、誰かの尊厳に大きな被害を与えるようなことではない場合、あえて見て見ぬふりをしたり、知らぬふりをすることも必要なのではないかと。自分の中にある不安を相手に投影することで、社会全体が攻撃的になっていくのではないでしょうか。
これは韓国だけでなく、おそらく日本にもそういう状況はあるのではないかと思うのですが、もう少し他者に対して余裕を持って見守ることができればいいのにという、私の中にずっとある思いが、この映画を撮ることにつながっているのだと思います。
語られるべき時が来た、韓国社会の多様性という新しい物語
中井: ぼくの認識では、韓国は日本以上に家父長制が強く、保守的な風潮があるのかなと感じています。ただ近年、『82年生まれ、キム・ジヨン』(2020)や『ユンヒへ』(2022)などのように、それまで積み上げられてきた保守的な考え方に対して、明確な意思表示をする作品が増えているように思います。本作もその位置に入ってくると感じます。
イ・オニ: 私が20年前に日本に来た時、多様性をたくさん見出すことができて、驚いた記憶があります。韓国に比べて多様性のある社会なんだな、と思いました。でも、もちろん韓国に多様性がないわけではありません。ただ、それを日常で意識することが少なく、表面化することを社会が望んでいませんでした。しかし最近は、韓国社会がこれ以上、多様性を抑え込むことに対して、限界が来ているのではないかと思います。本来は語るべきであったのに、今まで語られてこなかった話がたくさんあります。それが「話すべき時が来た」という状況にあるのではないでしょうか。
「いってらっしゃい」に込められた、継続する関係への願い
中井: 本作終盤、空港にいるジェヒからフンスにある電話が来ます。このシーンは、たとえ彼らの人生にひとつの区切りがあろうとも、そして映画がそこで終わろうとも、彼らの関係は続くことを示唆するように感じました。
イ・オニ: これも、私がこの映画を撮りたいと思った理由のひとつです。小説ではフンスの視点で進み、わたしたちの20代はこうやって終わった、という形で幕を閉じます。そこからもたらされる余韻や情緒もすごく好きでした。しかし、あるひとつの時期や関係というのは、そこで終わるのではなく続いていくものですよね。だから映画は、続いていく物語として完成させたかったんです。
空港からの電話で、ジェヒに向かって語るフンスのセリフは「いってらっしゃい」というニュアンスをこめています。私にとって、この「いってらっしゃい」というのは「また戻ってくる」という意味が含まれています。つまり、たとえ相手がどの立場にいたとしても、私は共にいる、というニュアンスがあるからです。
中井: だからすごく温かい気持ちになったんですよね。彼らはどうあってもバディであることを示唆してくれたのが、この映画にとって、極上の余韻をもたらしています。
中井: 本作は日本における韓国映画としてはかなり大きく公開されます。ぼくは、この作品の青春映画としての美しさと、その奥にあるメッセージの豊かさが、現代の多くの観客に何か気づきを提示するのではないかと期待しています。監督ご自身はどのようにお考えでしょうか。
イ・オニ: 韓国ではもうすでに作品が公開されて少し時間が経っているのですが、このように日本で改めて公開されることになって、今とてもワクワクしています。韓国と日本は距離的にも近いですし、お互いに関心も強いです。でも、よく見てみると、お互いに自分にないものを羨ましがっているような感じもしています。
私は日本映画を観る時、わたしたちが持っていないものをすごく観たいですし、日本のみなさまが韓国映画を新鮮に受け止めていただけるのも、そのようなイメージなのではないかと思います。この映画をご覧いただいて、韓国ともまた違う、どんな反応が返ってくるのかを今からすごく楽しみにしています。
「自分らしさは弱みにならない」というメッセージは、単なる励ましの言葉ではなく、現代社会が抱える根深い問題への鋭い洞察から生まれている。社会に対する明確な批評的視点を持ちながら、それを声高に糾弾するのではなく、絶妙なバランス感覚を軸にふたりの日々の優しさと理解を持って描こうとするイ・オニ監督の姿勢に、多くの方々の心に届けられる社会派監督の資質を見た。
『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』は青春映画というジャンルを借りながら、実は極めて現代的で社会的な作品である。この作品が日本で多くの観客に観られ、韓国と日本、そして世界中の人々が「自分らしさは弱みにならない」と感じられるより良い社会を築いていくきっかけとなることを、心から願っている。
取材・文・編集:中井圭(映画解説者)
写真:中本光
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