
「これやって、何の得があるの?」──現代を生きる私たちが日常的に発する問いかけは、いつの間にか行動の基準となり、人生の選択を支配するようになった。効率性と生産性が至上命題とされる社会で、私たちは本当に大切なものを見失っていないだろうか。
2005年に公開された『リンダ リンダ リンダ』は、そうした問いに対するひとつの答えを静かに提示し続けてきた。文化祭のライブに向けて練習する女子高生4人の数日間を描いたこの作品が、20年という時を経て、4Kデジタルリマスターで蘇った『リンダ リンダ リンダ 4K』として劇場に帰ってくる意味は、単なる名作の復活を超えている。
山下敦弘監督が28歳で手がけたこの映画は、監督自身が「無自覚に作った」と振り返る通り、計算ではなく直感によって生み出された。しかし、その無自覚さこそが、現代社会が失いつつある「純度の高い時間」の価値を鮮やかに浮き彫りにしている。アメリカで「リンダ・リンダズ」というバンドが実際に結成されるなど、作品は国境を越えて影響を与え続け、作り手自身が「作品から影響を受ける」という逆転現象まで生み出している。
コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスが重視される今だからこそ、この作品が描く「無駄かもしれないことに全力で取り組む」姿勢は、新たな輝きを放っている。社会を前進させる情報発信を行う「あしたメディア by BIGLOBE」では、現代が真に必要とする価値観を探るべく、本作を撮った山下敦弘監督と映画解説者の中井圭の対談を実現した。
※本インタビューは、作り手の意図を深く問いかける目的で、具体的内容に触れているため、ネタバレに注意したい方は、映画本編をご覧になってから閲覧されることを推奨します。

高校生活最後の文化祭のステージに向けて、オリジナル曲の練習を重ねてきたガールズバンド。ところが本番まであと3日という時になってギターが指を骨折、さらにボーカルまで抜けて、バンドは空中分解寸前となる。残されたドラムの響子(前田亜季)、キーボード転じてギターの恵(香椎由宇)、ベースの望(関根史織)は、ひょんなことからプルーハーツのコピーをやることに。そして彼女たちがボーカルとして声をかけたのは、韓国からの留学生ソン(ぺ・ドゥナ)だった。
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8月22日(金)より、新宿ピカデリー、渋谷シネクイントほか、全国ロードショー
ペ・ドゥナ 前田亜季 香椎由宇 関根史織 (Base Ball Bear)
監督:山下敦弘
主題歌:「終わらない歌」(ザ・ブルーハーツ)
三村恭代 湯川潮音 山崎優子(新月灯花/RABIRABI) 甲本雅裕 松山ケンイチ 小林且弥
脚本:向井康介 宮下和雅子 山下敦弘 音楽:James Iha
製作:「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ 配給:ビターズ・エンド
©「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ
2005/日本/114分/カラー
www.bitters.co.jp/linda4k
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無自覚に作った代表作が「ひとり歩き」するまで
中井:2005年の『リンダ リンダ リンダ』劇場公開からおよそ20年が経ちました。山下さんはこの20年間の映画界の変化をどう捉えていますか。
山下:日本映画界よりも、いちばん変わったのは、韓国がすごく進歩を遂げましたね。音楽も映画もドラマも、韓国が力をつけた時代だったと感じます。あとは配信サービスが始まって、サブスクが主流にもなりました。
中井:山下さんご自身の中で、20年で変わったと感じることはありますか。
山下:今回の『リンダ リンダ リンダ 4K』を観直したときに、昔とは違う感動をしている自分がいましたね。おっさんになると涙もろくなるんだな(笑)。映画の中で若い子たちが無邪気に生き生きとしている姿を見るだけで涙ぐんじゃうのは、歳だよなと感じます。

中井:山下さんのフィルモグラフィーの中で、この映画はいまどういう位置づけになっていますか。
山下:当時は無自覚に作っていましたが、この映画が自分の代表作になったし、なってしまったんだなという感覚があります。公開から20年も経ってリバイバルされるような映画になるなんて、当時の自分はまったく考えていませんでした。ただ、いまだにこの作品から影響を受けることがすごくあるので、やはり他の作品とはちょっと違うと思います。
中井:具体的にはどういう影響があるんですか。
山下:いちばん大きかったのは、この映画を観たアメリカの女の子たちが「リンダ・リンダズ」っていうバンドを組んだことですね。すごくびっくりしましたし、嬉しかった。作品がひとり歩きしてるんだなっていう感じがあって、作った自分の方が逆に影響を受けましたね。映画ってすごいなと。

「意味なんかない」──根拠のないものほど強い青春
中井:山下さんが青春映画に必要だと考えていることについて教えてください。
山下:この映画の好きなセリフで「(ブルーハーツのコピーでライブをすることに)やる意味あるのかなって」「意味なんかない」というやりとりがあります。若い頃は、根拠のないものほど強い。意味のないことに一生懸命になったり、大人から見て意味がないこと自体に意味があったりする。この映画を作って発見したところもあるんですけど、それが自分の中の青春映画の定義ですね。
この映画を作るときに、まず「ザ・ブルーハーツ」っていうお題を出されました。でも、ブルーハーツのコピーバンドって、それ自体にかなり意味が出るなあ、と思ったんですよ。たとえば、家庭環境に問題を抱えた不良の男の子がブルーハーツを歌ったら、強いメッセージが出るんですけど、そういう形にはしたくないという気持ちがありました。
そこで、ごく普通の女子高生が偶然歌うことにすれば、意味をどんどん減らせるだろうと思いました。さらに、歌うのが韓国から来た留学生だと、より意味がなくなって良いなと思って。ブルーハーツの楽曲をなんとなくのノリでやることが、逆に美しいんじゃないかということは、この映画を作る中で発見できたことですね。

中井:すごく良いですね。「事象の無意味化」って、潜在的に強く求められている気がしています。いまの時代、若い子も大人も「これやって、何の得があるの?」をまず考えて、それを判断基準に動くじゃないですか。でも、本当に大事なことって、実際、大した意味なんてなかったりします。
本作の劇中に「本番は夢中で覚えていないけど、こういうことが案外記憶に残る」っていうセリフを、学校の屋上で語るシーンがあります。ぼくがこの作品で最も響いたセリフなんですが、これ、確かにそうなんですよ。自分の青春を振り返っても、決定的な瞬間って全然覚えてない。
山下:覚えてないですよね。
中井:ぼくは学生時代にバンドをやっていたのですが、ライブのことは全然覚えていないけど、メンバーと夜な夜な適当に練習してたことはよく覚えています。それが青春というものの本質なんじゃないかと思います。この映画にはそれが映っていて、すごく良いなと思いました。

山下:本当にそうですね。結果論ですけど、そういう映画になったなと思っています。だって、この映画自体、文章化したら3行で終わっちゃうじゃないですか。ギターの子が抜けたから急遽ひとり迎えて、慌ててブルーハーツを徹夜で練習する4人の女の子の話ってだけなんで。じゃあ、何が描かれているかっていうと、隙間しか描かれていない。でも、それが10代の頃に与えられた特権としての時間です。
その時間に10代の子たちは何かを考えて何かをやろうとしている。ちょっとくさい言い方になるけど、それって純度が高い。『リンダ リンダ リンダ』は物語に起伏があるわけじゃないけど、どこか純度の高い瞬間があるんじゃないかなと思っています。
この映画を撮った当時、ぼくは28歳でまだ若かった。いまだったらこういう作り方はできないだろうな、とは思います。あの頃の自分は、青春ってそういうもんだという実感があったけど、今撮ると意図的になっちゃうから、すごくつまらなくなるだろうなと思います。年齢的にも、タイミングが良かったんでしょうね。

35ミリフィルムの鮮明さに戸惑った、初めての体験
中井:『リンダ リンダ リンダ』は山下さんが35ミリで初めて撮った作品だと思うんですけど、それまでと35ミリの違いはやはりありましたか。
山下:それまでは16ミリで作っていたので、35ミリは全然違いましたね。『リンダ リンダ リンダ』を撮影していたとき、ラッシュ(音がついていない状態のプリント上映)を観たんですけど、35ミリが鮮明すぎて恥ずかしかった。きれい過ぎて「撮り直していいですか?」みたいな(笑)。憧れの35ミリだったけど、思わずひるんだのはすごく覚えています。
中井:今回は4K版です。そもそも35ミリフィルムってちょっと暗いじゃないですか。それに対してデジタルは明るく見える。それをどう捉えていますか。
山下:4Kの修正に立ち会ったときに「こんなものまで見えるんだ」というシーンもありましたが、ぼくとカメラマンの池内さんはなるべく当時のプリント上映の印象のものを作ろうとしました。だから、なるべく見えすぎないよう、当時の映画館で観た印象に対して、ちょっと明るめくらいのイメージを目指しました。

「主人公を作りたくなかった」4人のグループショット
中井:この映画にはショットの面白さもありますね。冒頭の廊下の横移動のシーンの作り込みも上手い。(前田亜季演じる)響子が廊下を歩く姿を真横からカメラが並走し、バンドメンバーたちとの会話を通じて、彼女たちがいま置かれている状況をワンカットで見せる。そして棟をつなぐ渡り廊下を抜けると、階段のところでメンバーと揉めている凛子と、文字通り、すれ違う。その後、(ペ・ドゥナ演じる)ソンがいる日韓交流文化展示会の教室でカメラが止まって、被写体が響子からソンに変わっていく。まったく無駄のない演出です。
山下:あのシーンは、真横から平行移動で撮ることに、やたらこだわったことを覚えています。カメラマンが「斜めから入っていいんじゃないか」と言っていたけど、当時のぼくは「いや、真横から撮ってください」という感じで、廊下の幅ギリギリにレールを引いて撮りました。でも、あの真横からの撮影がオープニングショットとしてはすごい効いてるなと思いました。いまだったら「ちょっと斜めにしましょうか」と言ってしまう気もします(笑)。

中井:あと、4人が主要なキャラクターとしてバランスよく存在しているので、4人が1つのショットの中に収まり続けるって画が多い。フィックスで捉えて4人を映し続ける。だから独特の間が発生しています。
山下:当時はカット割りが苦手で、複雑なカットを事前に上手く割れないという理由もありましたが、ぼくが俳優に芝居を演出する様子をカメラマンの池内さんがずっと見てくれていて、「ワンカットでいけるよ」と主導してくれました。ずっとグループショットで4人が収まっているのは、主人公を作りたくなかったんですよね。誰かを特別に撮っていくと、バランスがその子中心になってしまう。
結果として出来上がったこのグループショットがすごく良いのはどうしてだろうと思うと、芝居をしていない瞬間が映っているんですよ。物語を進めているキャラクターがいる一方、セリフがほとんどない子がちょっと気を抜いている。その無意識も同時に取り込んでしまったことが、映画として贅沢だなと思います。グループショットを長いと思う人がいるかもしれないですけど、その間ずっと4人とも何かをしている。それをやっているのがこの4人の女の子たちなので、さらに素敵なものになったと思います。これが4人の冴えない男たちだったら、また違うのかもしれないですけど(笑)。
中井:そうやって無意識を取り込むことって、再現性がなさそうだなと思うんですよね。でも、青春ってそもそも再現性がないじゃないですか。もう二度とやってこない。それこそが青春だなと思いますね。

「彼女たちの目的は果たされている」ライブの演出意図
中井:映画の終盤、4人がライブ本番に遅刻するじゃないですか。これって象徴的だなと思ったんですよね。結果を重視する映画であれば、クライマックスとなるライブシーンをきちっと見せるはずだし、作劇上そうするべきだと思う。でも、そもそも肝心のライブに間に合っていない上に、映画の終わり方も曲の終わりに先行して画面がブラックアウトする。「結果なんてどうでもいい」という青春の精神が感じられます。
山下:そうですよね。元々ぼくはライブに完全に間に合わない、というアイデアをやりたかったんですけど、当時みんなから反対されました。「最後、ちゃんとライブやろうよ」って。その結果、ぎりぎり間に合うという形にしましたが、ぼくの中では彼女たちが「リンダリンダ」を演奏した時点で、彼女たちの目的は果たされている、と考えていました。
だから、最後は「終わらない歌」でこの映画が終わるんですけど、「終わらない歌」のライブシーンで、空になった教室や下駄箱、雨が降ってる画を差し込んでいます。「終わらない歌」は、この映画のエンドロールに近いんだろうなと思っていました。当時、みんなからその演出を褒められました。あれは自分が言い出したのか、脚本の向井康介が考えたのか、プロデューサーが言い出したのか覚えていないんですけど。ただ、潔く思い切ったことやったなと思っています。

中井:通常、ライブをきちんと見せようと思ったら、真正面からたくさんお客さんが入ってる状態の画を撮る。でも、まず最初に横からの撮影で壇上のメンバーを見せていく。つまり、ライブそのものよりもライブに臨むメンバーを描こうとしている。彼女たちのライブを見つめるお客さんを画面に入れる時も、後ろの方でだらだら座っている人たちや全然反応していない人たちも意図的に画面の中に入れています。たかが文化祭でみんな雨宿りでやってきてるだけ、という感覚。他愛もない青春の、刹那の煌めきがありましたね。
山下:最後の体育館のシーンは、ぼくも想像しきれていなかった。脚本では「リンダリンダ」を演奏して盛り上がると書いているけど、本当に盛り上がるのかなとモヤモヤしていて。自分が高校生だったら、たとえば先輩がライブやってるのをちょっと斜めから見てたなと思うし。前に行って一緒に盛り上がるより、ちょっと引いたところから見る。でも、そういったものも、リアルだよなと思っていた。
実際の現場では、エキストラの人たちがめちゃめちゃ盛り上がったんですよ。「ああ、やっぱりブルーハーツってすごいんだな」と思いました。ただ、全体のバランスを考えて「後ろの人、やっぱり座りましょう」と言って少し抑えました。前方では盛り上がってる人たちがいて、後ろで座ってたり遠くから見てる人たちがいるというバランスは、演出部と「この空間をどう使おうか」と話し合いましたね。

中井:あと、終盤のライブシーンで遅れてくるメンバーたちの場繋ぎとして、怪我をして出られないバンドメンバーの萠たちで、はっぴいえんどの「風来坊」をやるじゃないですか。すごく良かったですが、なぜ「風来坊」だったのかが気になりました。
山下:実は、最初は違う歌だったんですよ。ずっとループできる適当な曲で場を繋いで、そこに遅刻した4人がやってくるという流れをイメージしていました。ただ、用意していた曲が、ちょっとハマらなくて。そこで、萠を演じた湯川潮音さんに何を歌いたいか聞いたら「はっぴいえんどの『風をあつめて』を歌いたいです」と言われました(笑)。でも、「風をあつめて」なんて名曲を先に歌われたら、その後の4人がちょっとかわいそうすぎると思って、「ちょっと考えさせて」と回答しました。その結果、はっぴいえんどの「風来坊」もループする曲だったから、それになりました。ぼくとしてはそれでも「風来坊かあ」と思いましたけど(笑)。
中井:沁みてまうやろ、と(笑)。
山下:そう(笑)。沁みてしまって、ライブが終わってしまう。「風来坊」の後のブルーハーツって、どうなんだろうと思っていました。でも、全然別物だから、むしろ良かったです。だから、全部狙ったわけじゃないですが、偶然によって面白いバランスになったなと思いますね。

脇役に肩入れする癖──人間のぎこちなさへの愛情
中井:山下さんのユーモアの感覚がやはり面白いですが、この映画でも人間のぎこちなさをかなり意識されているのかなと思いました。たとえば、序盤にボーカルを探している状況で「この前の道、最初に通った人がボーカル」という(香椎由宇演じる)恵のセリフの後、いちばん来ちゃいけないタイプの男の人が来たじゃないですか。
山下:ジュース買いに(笑)。
中井:汗拭きながらシャツタックインして(笑)。
山下:あれ、制作部の人でした。

中井:あと、響子が想いを寄せる大江くんから響子の家に電話がかかってきたとき、響子のお兄ちゃんが家の電話をとるじゃないですか。我々の年代からすると、あれってあるあるですよね。いまの若い子たちには伝わらないかもしれないけど、自分宛の電話に家族の誰かが出て、うざいことをやり始めるというアレ。響子に電話代わってから、お兄ちゃんがその場で腕立て伏せをやって、息が荒いのも最高です。「わざわざいまそこで腕立て伏せをしなくていいだろう」みたいな。
山下:あの腕立て伏せのシーンを現場で思いついて撮った日、スタッフルームに帰ってきて「今日めちゃめちゃ良いシーンが撮れました」って、ぼくがすごく楽しそうに語ったらしいです。いま観たらちょっと恥ずかしいけど。でも、ああいう瞬間がやっぱり好きだし、自分の武器だなと思っていたので、細かいところをずっと考えてましたね。

中井:山下作品は、主役級のキャラクター以外の、ちょっとした脇の人たちまでちゃんと生きているのが良いですね。
山下:主演の横にいる人たちに時間をかける傾向があります。今回は、たまたま主人公がいない映画だったので良かったですが。でも、映画ってそれで良いんじゃないか、という気もしています。主役は映画を背負って物語を前に進めなきゃいけない役割があるんですけど、横にいる助演の人たちはもっと自由にできる。実は主演って、縛りがいっぱいあるんですよ。分かりやすく言うと、主演は受けの芝居が必要とされます。いろんな登場人物たちの演技を受けなきゃいけない。でも脇にいると、基本的には攻めるだけで成立する。ぼく自身、自由度が高い分、主演じゃない人たちに肩入れしちゃうのは昔からあります。これはもう、癖ですね。
中井:歌の練習をしに来たソンとカラオケ店員とのやりとりも良い感じでしたね。
山下:細かいところで遊んじゃう、みたいなのは、当時とくにひどかったですね(笑)
中井:でも、他の人の人生において自分は脇役だけど、自分の人生においては自分が主人公じゃないですか。この映画の脇の人たちの生き生きとした姿に、そういう気配も映っていて、すごく良かったなと改めて思ったんですよね。

20年後に改めて発見するサブストーリー
中井:映画って基本的にはアーカイブじゃないですか。完成したら内容は変わりません。でも、2005年の公開時に観て感動したこの映画を、20年経った2025年に再び観て、当時とは全然違うところで感動しています。映画は静的なものなのに、人間が動的だから、映画の見え方がどんどん変わってくるのが、すごく面白いなと思いました。
今回、個人的に良かったのは、ソンが、良かれと思った先生の押し付けで日韓交流文化展示をやっているときに、恵がやってくるシーンです。ソンの唯一の友だちである小学生の女の子が「ソン、友だちいるんじゃん」って言うところ。あと、ソンが告白されて、「バンドのみんなと一緒にいたい」と言って抜けていくシーンですね。一人ぼっちだったのであろうソンに友だちができたっていう、ただそれだけのことにめちゃめちゃ感動してしまいました。「あれ?何これ?」みたいな。公開当時はなんとも思っていなくて、ラストのライブシーンのカタルシスにグッときていたんですが、見え方変わりますね。

山下:いま言われて、この映画、ちゃんとサブストーリーもあるんだよなって思いました(笑)。当時は自分の粗を見つけてまともに観れなかったけど、20年経つと普通に感動しちゃう自分がいます。たとえば、凛子っていう元々バンドのリーダーだった女の子が喧嘩してバンドを抜けるけど、彼女の視点で見ると、グッとくる。彼女は性格的に恵とぶつかっちゃったけど、別に悪い子じゃない。今回はバンドに参加できなかったけど、舞台の袖からメンバーたちを見ている表情にすごくドラマがあるなと思う。バンドメンバーの4人だけが素敵でキラキラしているのではなく、周りの友だちや彼女たちに関係した子たちも含めて良い。
あと、たかが文化祭なんだ、というところも良い。これが大きなホールでのコンサートになると別の話になってくるけど、たまたま雨で行き場がなくなった子たちが体育館に集まったら、知らない子がブルーハーツを弾いているだけ。それ以上でもなければ、それ以下でもないみたいな感じが、上手くハマったんだろうなと思いますね。

コスパもタイパも悪い──「全く別の細胞」が生んだ奇跡
中井:話を伺っていると、この映画にまつわる全部が青春っぽいんですよね。当時はある意味で山下さんの青春期後半だと思いますし、そのときにしか撮れなかったものが結果的に撮れている。いまの山下さんはもっと技巧的だと思いますが、当時じゃなかったらできなかったことも多分ある。
山下:そうですね。いまの自分の細胞と全く別の細胞でこの映画を作っています。いまからやり直したいところもないし、もう細胞が全部入れ替わっちゃったから直しようもないですね。
中井:ぼくが観た限りですが、『リンダ リンダ リンダ』は、2000年代の日本映画の青春映画で間違いなく上位の傑作だと思いますし、ぜひ若い子に観てほしいなと思っています。
山下:そうですよね。若い子たちは、どう観るんですかね。
中井:めちゃめちゃ響くんじゃないかなと思うんですよね。静かな強迫観念の中で生きているのが、いまの若い子たちだと想像しています。この映画を観たら不思議と勇気もらえるんじゃないかと思っていて。練習してライブやったからって何にもなっていないけど、それ自体がただ素晴らしいじゃないかということに気づければ、人生の見え方が変わる。ぼくらの時代もそこに心を打たれましたが、いまの若い子たちが観ても、そう感じられるのではないかと期待しています。
山下:コスパもタイパも悪いし、無駄なことしかやってないんですけど、若い人たちにその魅力をちょっとでも感じてもらえたら、嬉しいですね。

「主人公を作りたくなかった」「細かいところで遊んじゃう」「主演じゃない人たちに肩入れしちゃう」──これらの言葉が示すのは、映画において何が本当に大切なのかを見失わない山下敦弘監督の作家としての直感力だ。
20年前に「無自覚」に作られたこの映画が、いまもなお新たな発見をもたらし続けていることの意味は深い。「ちゃんとサブストーリーもあるんだよな」と監督自身が改めて驚くように、優れた作品は作り手の意図を超えて成長し、時代とともに新しい顔を見せる。それは映画というメディアが持つ、最も尊い特性のひとつである。
「コスパもタイパも悪い」という監督の言葉は、現代社会への皮肉であると同時に、芸術が本来持つべき価値への確信でもある。数値化できない体験、説明のつかない感動、そして何より「隙間の時間」の豊かさ。この作品が若い観客に与えるであろう影響は、おそらく即座に現れるものではない。しかし、人生のふとした瞬間に思い出される「純度の高い時間」として、彼らの記憶に静かに宿り続けるはずだ。
映画は社会を映す鏡であると同時に、社会を変える力を持つ。『リンダ リンダ リンダ 4K』が劇場で多くの人に観られることで、効率性や成果主義に疲れた現代人が「意味のないこと」の美しさに気づき、人生の歩き方を少しだけ変えていく。そんな小さな変化の積み重ねこそが、より人間的な社会への第一歩となることを、深く信じている。
取材・文:中井圭(映画解説者)
編集:大沼芙実子
撮影:服部芽生
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