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能登への良い連鎖に繋げたい。川西賢志郎が災害ボランティアを通じて感じたこと

2024年1月1日に能登半島地震が発生した。10月1日時点での被害状況は、死者が401人と現在もなお災害関連死は増加し、住家被害は全壊が6,421棟、半壊が22,823棟と、現在も住宅の解体や復旧が行われている。(※1)さらに、9月に能登半島を襲った豪雨により、被害は拡大している。

筆者は、6月中旬に石川県珠洲市と七尾市で、能登半島地震の災害ボランティアに参加した。七尾市でのボランティア活動の際に、偶然にも元漫才師でお笑い芸人の川西賢志郎さんと同じグループになったことがきっかけで、今回のインタビューが実現した。

ボランティア活動中は、活動に集中するため川西さんとお話する機会は少なかったが、川西さんが真摯に活動されている姿が印象的であった。川西さんは、現地でどんなことを感じていたのだろうか。そこで、川西さんにボランティアの参加理由や活動を通して感じたこと、能登への思いなどを伺った。

※1 参考:非常災害対策本部「令和6年能登半島地震に係る被害状況等について (2024年10月1日時点)」https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/r60101notojishin/pdf/r60101notojishin_51.pdf

災害ボランティアに興味を持ったきっかけは「モヤモヤとした罪悪感」

ご無沙汰しております。七尾市で同じ日に作業していた前田(筆者)です。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。マネージャーにもボランティアに参加したことを伝えていなかったから、取材の依頼が来たときはびっくりしたよ(笑)。

お受けいただきありがとうございます。早速ですが、能登での災害ボランティアに参加しようと思った理由を教えてください。

大きなきっかけがあったわけじゃないけど、元々災害ボランティアの活動に興味がありました。被災地でボランティアが行われていることはみんな知っていると思うけど、具体的にどういう環境で、どんな作業をするかということは、実際に行ってみないと分からないじゃないですか。その雰囲気を、ちゃんと肌で感じたかったんです。

そもそも災害支援やボランティアに興味を持ったきっかけは何でしたか?

これまでも仕事で震災特別番組に出演した際に、ロケで被災地に行ってお話を聞いたり、作業を少しお手伝いしたりすることはあったけど、あくまで仕事の一環なので、限られた少しの時間の中で決まったことをやるだけだったんです。だから、何となく自分の中に、「被災地との関わり方は本当にこれだけでいいのか」と、モヤモヤとした罪悪感のようなものがあったんだと思います。

そんな思いがあったのですね。参加を検討する際には、費用や時間、体力面などで不安だったことはありましたか?

現地でのボランティア活動では、その辺りの難しさはあるだろうなと予想していたので、とくに不安はなかったです。ただボランティアに参加するとなると、時間の都合をつけなきゃならないなどの現実的なハードルはあります。これまで参加したことがなかった理由には、多分そういったところも含まれていたんだと思います。

それぞれに日々の生活があるなかで、みんなが無理をしてまで被災地に行くことは難しいと思います。ただ、いまの自分は時間があって、お金もまだ切迫しているわけではないから、「俺みたいなやつが行くべきやな」という気持ちがありました。

それぞれの事情があるので、全員が能登に行ってボランティアに参加することは難しいですよね。能登では余震や2次災害などの危険性もあったと思いますが、これらへの不安はありましたか?

いざ行くとなったときに、傷んでいる建物の中で作業をするので、地震が来て崩れてしまう可能性があることを考えて少し不安になることはありました。でも能登でいま生活をしている方々は、この不安をずっと抱えながら生活していることでもあると思ったんです。

この不安はボランティアに参加したからこそ、実際に感じたことでもあって。能登にいる方々と、同じ不安を共有できたのではないかと思っています。もちろん能登にいる方々の不安は僕の比じゃないと思うけど、少しでも感じることができて、これまでは他人事だったことが自分事になるきっかけだったので、とても大切だと感じています。

川西賢志郎さんがボランティア活動のために宿泊された七尾市の和倉温泉の旅館で撮影した写真

ボランティアは住民とのコミュニケーションの場

ボランティアの活動内容は災害廃棄物の片付けや運搬で、午前中、私と川西さんは同じグループで活動しました。そこでは民家を訪問して、畳や家具などの運び出しをしましたが、やってみていかがでしたか?

ボランティア初日の初現場がその民家で、活動した4日間の中でも一番運び出す荷物の量が多かったので大変でした。でも、驚いたことに同じボランティアのグループには60代や70代ぐらいの方もいて、みんな元気だったよね。でも、元気だから来ているというより、参加しているから元気なんじゃないかなと思いました。

午後からは私と活動場所が分かれて、別の現場だったと思いますが、どのような活動をされていましたか?

午前中の現場と同じように、自宅で使えなくなった家具などの運び出しをしていました。運び出した家具などは処分する物が大半だけど、ある現場ではこの後に仮設住宅に移る方がいらっしゃって、その家の荷物をトラックで仮設住宅に運び込んで、そこから新しい生活が始まるということもありました。

そうだったんですね。私自身も、実際に現地で被災者の方々と交流したことで、一概に被災者といってもさまざまな状況の方がいらっしゃることを知りました。この交流は現地に行かないとできなかった経験で、改めて行って良かったなと感じています。

そうやね。参加した時期が夏ということもあったけど、「飲んでください」って大量の飲み物を勧めてくれる方もいたよね。気づいたら、まだ蓋を開けてない飲み物が3本ぐらいあったりして(笑)。

とても嬉しかったですね。

▼能登半島地震発生後に設置された「ムービングハウス」という仮設住宅についての記事はこちら

ボランティア活動を通して感じたこと

実際にボランティア活動を経験してみてどうでしたか?

地震により自宅の家具や畳などが使えなくなった方は、それらを家の外に運び出す必要がある。でも、家に大量の物があるから運ぶだけでも大変だし、大きい物だと運べないこともあります。そういった方の家に行って、作業をお手伝いすることで、「ありがとうございます。助かりました」と面と向かってお礼を言ってもらえることは、気持ちの良いことでした。

会ったばかりの誰かに感謝を伝えてもらう機会なんて、普段の生活のなかでなかなかないことだと思うんです。そうやって感謝を伝えてもらうことで、むしろ自分が何かに貢献できたという実感のようなものに繋がって、元気をもらえたんじゃないかと思います。

現地でのボランティアに参加してみて、新しく気づいたことはありましたか?

現場に行く前には、ボランティア活動センターに集合して、スタッフの方が活動内容などを説明してくれました。そのときに改めて感じたことだけど、回収する物はもう使えなくなった物であって、「これは処分するものだ」という感覚で僕たちは扱ってしまうことがあると思います。だけど、所有されている方にとっては、物に詰まった思い出や僕たちの目には見えない価値がそこにあります。事前にその説明を受けたからこそ、大切なことを再確認したうえで、配慮しながら活動に参加することができました。

相手を想像して、思いやりを持って活動することの大切さは、私も活動前の説明を聞いて同じように感じました。

自分の愛着がある物は、誰にでも絶対にあるよね。何十年も自分の身近にあった物がいざ持って行かれることになったら、普段は意識してなくても、寂しさが出てくることがある。そんな当たり前のことを、きちんと想像させてもらうことができました。

発災から半年ほど経つにも関わらず、なかなかまだ復旧してない場所も多くて驚いたのですが、能登の現状についてどう感じましたか?

正直な感想で言うと、半年経ってから実際に行ってあの光景を見てしまうと、復興はなかなか進んでいないな、と感じてしまいましたね。もちろん、復旧のために毎日作業に取り組まれる方がいることも分かっていますが、道路はまだ「直っているところが一部あるなあ」という感覚で、直っていないところもたくさんありました。

同じグループで作業した日の午後に、僕は車の運転を担当することになり、民家で回収した物を一時置き場に置いて、次の現場に向かっていたんです。そしたら、行きには問題なく通っていた道路の反対車線の地盤が歪んでいたので帰りには通れず、すごい遠回りをして帰らないといけなくて。現地で生活している人は車移動が多いと思うから、日常でどれだけ不便な生活をしているかということを、身をもって感じました。

ボランティア活動終了時に川西賢志郎さんご自身で撮影した写真

すぐ走り出せる状況を保つことが重要

川西さんは過去に災害のチャリティーライブを実施したり、Xでは被災地域の断水の状況などをリポストしたりと、災害に関心が高い印象があります。災害に関して意識を持つことの重要さについてはどのように考えていらっしゃいますか?

意識を持つことは大切だと思っています。たとえば地震が発生したときに、揺れを感じて怖いなと思って地震の状況を調べたら、自分とは関わりが薄い、遠い場所で震度6を観測したと分かって、まずはほっと一息つくことがあると思います。一息ついたのは、自分や自分の身内がそこに住んでいなくてよかったという安心感だと思うし、その安心感を感じるのは自然なことだと思います。

でも、そこで終わらずに、いつ自分が「被災する側」になるか分からないということも考えておかなきゃいけないと思うんです。自分が「被災する側」になったら、助けてほしいと思うだろうし、物資が届かなかったり、世間が気にかけてくれなかったりしたら、辛くて寂しい思いをするじゃないですか。そして、いまそんな思いをしている人が、その被災地にいる。もちろん、日々目の前のことで手一杯になっている人もたくさんいると思うけど、一人ひとりがそこに対するアンテナを張っておくべきだと思うし、その姿勢が日々の行動に繋がっていくと感じます。

能登への意識を持ち続けるために、普段の生活で行動していることはありますか?

習慣として具体的に行動していることはとくにないですが、やっぱり日々の心がけが大事だと思います。

たとえば、「何か困ってる人がいたら助けたい」という精神性を自分の中に持っておけば、いざ目の前に困っている人が現れたときに「大丈夫ですか?」という一言に繋がると思うので。

そのような気持ちで活動されていても、川西さんのように著名な方がボランティア活動を行うことに対して、「売名行為ではないか」など、あまり良い言葉をかけられないこともあると思います。そのことについてはどのように感じていらっしゃいますか?

それは、実際に被災地の方の声を聞いてみたいよね。被災者の方たちがどう思っているかが答えじゃないかな。その場所にいない人たちによる「偽善じゃないか」とか「いや、偽善だって善に値するんじゃないか」とかいう議論は、僕は不毛だと思っているので。被災された方々の本音が一番じゃないかなと思います。

発災から半年以上が経ち、能登に関する発信が少なくなっている状況があると思いますが、そのことについてはどのように感じていらっしゃいますか?

テレビは情報の消費サイクルが速いメディアだと思うし、番組を放送するためにはスポンサーについてもらう必要があるので、ビジネスツールの1つという側面があるものです。なので、テレビで能登について取り上げることが難しい現状は、ある程度仕方がないと分かっておく必要があると思っています。

ただ、いまはSNSなどで情報を確認することができます。震災への意識を持っていれば、SNSなどで震災の情報が1つでも流れてきた瞬間に手が止まるようになると思うので、自分の意識で情報の取り入れ方も変わると思います。

普段から意識を持つだけで見方が変わりますよね。

知人を1人か2人ほど介していくと、被災地に知り合いがいることはあるじゃないですか。僕も知り合いの知り合いに能登でお店をやっている方がいて、その方が被災したことをSNSで知りました。実は、みんなも間接的に能登の方々と繋がっていることもあると思うので、日々の生活のなかで意識することが重要だと思います。

能登から距離が離れている私たちにとって、能登に対してできることがとても少ないように感じているのですが、いま私たちにできることは何だと考えていますか?

東京に戻ってくると、能登のために具体的には何もできていないように感じるけど、自分のなかの情報を日々アップデートしているだけでも違うと思います。日常的にそこへの意識があることで、次にまた時間ができたときに、すぐに動けるようにアイドリングしているような状態を作れると思うんです。だから、すぐ走り出せる状態を保っておくことが重要だと思っています。 

能登にいなくてもできることはあると思いますが、やはり現地に行くことでしか知り得ない部分ももちろんありますよね。

やっぱり想像だけでなく、1度でも行ってみると、知れることもたくさんあるよね。

一緒に活動した人の中に70代で沖縄からボランティア活動に来ていた方がいたんやけど、その方を見ると、本気でボランティアに参加しようと思えばどこからでも能登に行くことができるし、遠く離れていると思いすぎることも疑問に感じるよね。

「離れているからやめておこうかな」という言い訳を探すことはいつでもできるけど、沖縄に住んでいても、飛行機に乗れば行くことができるということは事実だと思います。

「宿泊先の七尾市・和倉温泉の夕暮れが綺麗で、ボランティアを終えてお風呂から上がると、毎日この景色が見れた」と川西賢志郎さんはおっしゃっていました

お笑いは人を優しく包む力がある

実際にボランティアに参加してみて、これから川西さんがやってみたいことはありますか?

20歳ぐらいから20年ほどお笑いの世界で活動してみて、人々にとってお笑いはすごく身近なものだと思いました。ラジオを聴くとか、テレビ番組を観るとか、自分の習慣にお笑いが入っている人も多いと思います。

僕は就職して社会にでた経験もないから、お笑いを通してしか、社会と繋がる方法を持っていないと感じているんです。ただお笑いの世界では、お笑いをやることだけに終始して、それらを好きな人が一方向的に楽しんでくれている感じがある。だから、お笑いの世界に染まれば染まるほど、社会から遠ざかっているような気持ちがどこかにあって、「これでいいのかな」と感じる瞬間があるんです。そんなところから、お笑いの一歩外側にどんな社会が広がっているかを知りたくて、いまがそのタイミングだと思っています。その中の1つに能登のボランティア活動があったので、今回参加したという思いもありました。

もう少し社会について知るために、人間的にいろんな体験をしなきゃいけないと思っています。その経験を基に、芸人としてライブができたらいいなと。

そうだったのですね。現在、関心のあるテーマは何かありますか?

今後ライブをやろうと思っているので、いまはその準備をしているけど、そういった社会と繋がれるテーマについてはちょうど探しているところです。逆に、何か前田くんが関心のあることはある?

私が言うのも恐れ多いですが、お笑いに触れる場面でマイノリティに対する加害性を感じる瞬間があります。誰も傷つけないお笑いというと難しいかもしれないですが、お笑いという文化がより多くの人に受け入れられるために、お笑い好きの1人として何かできないかなと思っています。

すごく良い視点だなと思います。確かに、お笑いだと「その事象をいじるなんてひどい」と言われることはよくあるけど、「触れないことが優しいことなのか」ということは考えています。触れないことは、その事象に対して距離を取っているだけのような気もしていて、触れ方によっては、その人にとって救いになることもあると思うんです。

お笑いは人を優しく包む力があると思うから、お笑いは社会的なテーマとの相性が実はすごく良いんじゃないかと思っています。 

川西さんがお笑いとしてどう社会と向き合っていくのかとても楽しみです。

自分がいま興味のあることを思い出したのだけど、旅行中に宿泊施設の大浴場で、80代の方が話しかけてきたんです。その方の息子が双極性障害(※2)だそうで、その症状が理由で周りから距離を置かれてしまい、苦労もされたみたいでした。

その方に僕が芸人をしていることを伝えたら、「息子の病気をお笑いにしてよ」って言われたんです。それを聞いたときは、「病気を扱っていいのか?」という思いもあって、扱い方を間違えたら、同じ病気を抱えている人たちや周りの人たちも傷つけることにもなるかもしれないと思いました。

でも、実際に苦労してきた方が「息子の病気をお笑いにしてよ」って言うんだから、まずはその人のところに行って、息子さんに会って、お話を聞いてみたいと思っています。

※2 用語:躁状態(気分の高揚・活力および活動性の増加・睡眠要求の低下)とうつ状態(抑うつ気分・気分の低下・活力および活動性の減少)のエピソードが反復するもので、軽躁で数日間、躁状態で1週間以上、うつ状態は2週間以上続く。

能登への良い連鎖に繋がってほしい

最後に、2024年は能登をはじめ、愛媛や高知、宮崎などでも震度6以上の地震がありましたが、被災された方に対してどういった思いがありますか?

今回の取材で能登に関していろいろとお話しさせてもらったことで、実際に僕にできることはとても小さいかもしれないけど、「被災地に関して思いを持っている人がいる」ということを知ってもらえたらなと思っています。

きっと川西さんの思いも伝わると思います。また、被災者の力になりたいけど、なかなかその一歩が踏み出せていない方々に向けてはいかがでしょうか?

被災地でのボランティア活動に興味はあるけど、僕みたいにハードルを高く感じて行動できていない人はいると思います。

でも僕と前田くんみたいに、能登に足を運び、偶然同じ班になったことがきっかけで、こうやって能登のボランティアに関する話ができました。そして、この話が記事になって、能登でのボランティアに興味のある人たちに届いたことで、能登に行く人が1人でも増えるような、能登への良い連鎖に繋がったら嬉しいです。

この記事によって生まれた連鎖が、被災された方々にとって大きな力になってほしいですね。

そうやね。怒りとか憎しみなどの悪いことばかりが連鎖するけど、「助けてもらったから、助けよう」とか「いつか自分も助けてもらうことがあるかもしれないから、助けよう」などの気持ちが芽生えてくるような、良い連鎖が生まれてくれたらいいなと思っています。

 

川西賢志郎(かわにし・けんしろう)
1984年1月29日生まれ、大阪府東大阪市出身。2006年から2024年3月までお笑いコンビ「和牛」として活動し、「M-1グランプリ」にて2016年から2018年の3年連続で準優勝を獲得。コンビ解散後は芸人活動を続け、ライブやテレビ番組、ドラマなどに出演。

 

取材・文:前田昌輝
編集:大沼芙実子
写真:服部芽生