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わたしの歴史と、インターネット|大平かりんと、進化するメディアカルチャー

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら、その人の歴史における「インターネット」との関わりについても聞いてみた。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

▼第1回目の記事はこちら。

ファッションやカルチャーを伝えるメディアは、時代とともにに移り変わる。少し前は雑誌やテレビがその中心だったが、今では個人が発信するSNSからも流行が生み出される。今回はそんな世界を最前線で体感して来た大平かりんさんにお話を伺った。

彼女は、ファッションやカルチャーを扱う出版社で雑誌やウェブの編集・ディレクションを経験したあと、現在複数のネットサービスを展開するIT会社でクリエイター支援を行っている。自身のSNSで発信する彼女のスタイルにもファンは多い。そんな彼女がインターネットを通じて体感するコミュニケーションのあり方や、クリエイティブの未来とは。

父の影響でコンピュータが身近に

はじめてインターネットに触れたときのことを覚えていますか?

小さい頃から、父の影響でコンピュータを触っていた記憶がありますね。当時家にあったのは、Appleの「Macintosh Classic」。

父は自営業で制作会社として写植(※1)の仕事に携わっていて、広告を作る際の題字を担当していたんです。今では考えられないですが、コンピュータソフトなどを使わずに実際にコラージュをしてデザインを作る時代がありました。

でも同時に彼は写植の時代はもう終わるんじゃないかと危機感を持っていて、次に何ができるか模索していたようです。父は新しいテクノロジーにも興味を持っていたので、Appleが発売したコンピュータをいち早く購入して使っていて、その後、書体デザイナーに転身しました。

小学生のときはカラフルな初代「iMac」が家にあって、私もおもちゃのようにペイントツールやグラフィックソフトを使っていました。インターネットを繋げるのに、いちいちダイヤルアップ接続(※2)をしていた時代が、懐かしい…。

※1 用語「写植」:写真植字の略。写真植字機を使って、文字を印字する方法のこと。1960〜1980年代頃まで、広告のグラフィックやテレビのテロップなど、写真等への文字印刷の技法として主に使用されていた技法。
※2 用語「ダイヤルアップ接続」:1990年代に主流であったインターネットの接続方法。電話回線を使用していたため、現在主流の光回線よりも通信速度が遅く、通信料等のコストも高かった。

当時、インターネットはどんな目的で利用していましたか?

コンピュータを持っている友達とメール交換していましたね。

ほかにも掲示板を見て情報収集したり、PostPetやMyspace、Tumblrなど、いろんなサービス(※3)を利用していました。特にハマっていたのはMyspace。自分でカラフルな世界観にしたり好きな楽曲を入れたりできることが楽しかった。

でも、そこから新しい人と繋がるということはなかったんですよね。そこで、交流として使ったのがmixiです。mixiはいろんな趣味を持つ人同士のコミュニティが作ることができたので、学校の友達から同じ趣味を持つ知らない人まで、いろんな人と繋がっていました。リアルで集まるオフ会にも果敢に参加していましたね。

※3 用語:1990年代後半から2000年代を中心に利用されていたメールサービスや、ソーシャルメディア。myspaceでは、特別なプログラミング技術がなくても、テンプレートやフォーマットを活用しながら、ホームページの作成をすることができた。音楽や動画を埋め込んだり、サイトのレイアウトを変えたりと、個人の好みにカスタマイズして楽しめた。

すごい!積極的ですね。

今考えると危ない部分もあるんですけど、当時はそんな発想もないくらい、炎上もない平和なSNSでした。

そのときはUKロックが好きだったので、バンドファンが集まるコミュニティに入ったり、映画『キューティ・ブロンド』好きが集まるコミュニティに入ったり。そこで知り合った年齢も職業も違う人たちとリアルで集まってイベントやお茶をしていました。

ちなみに、当時の夢は何でしたか?

音楽や映画などのカルチャーが大好きだったので、雑誌やテレビなどのお仕事に携わりたいな、とはぼんやり思っていました。でも飽き性だったので1つに絞りきれないなぁとも感じていて。卒業アルバムなどの夢を書く欄に「社長(好きなことやれるひと)」って書いてましたね。社長がどんなに大変な仕事かも知らずに(笑)。

情報を編み、発信する仕事へ

最初のキャリアについて、教えてください。

学校卒業後は、音楽&エンターテインメントのコンテンツ企業でフリーペーパーを作る部署にいました。

そのあとは、海外に行ったり、いろんなバイトをしたりしてフラフラしている時期があったのですが、たまたま行った現場で、とある編集者の方にお会いしました。名刺をいただくとなんと、私の大好きだった『relax』(※4)という雑誌に携わっていた方だったんです。そこでアシスタントとして一緒にお仕事をしたいと猛アピールし、そこから気づいたら10年ぐらい、その方と働いていました。

※4 用語「rerax」:1996〜2004年にかけてマガジンハウスから月刊で発行されていたカルチャー雑誌。当時のカルチャーやファッションをセンスフルな視点で切り取った誌面で、高感度な読者を多く獲得していた。

運命的な出会いですね!そこでは、どのようなお仕事をされていましたか?

最初は個人アシスタントとして働いたのですが、その後、雑誌『GINZA』(マガジンハウス)の編集部に入りました。誌面作りに関わりつつ、SNSの運用も任されていました。月刊誌は1ヶ月に1回しか出ないけれど、SNSは日々読者と繋がれる場所。いつでもタッチポイントがあるということに強みを感じていました。

SNSの運用が成功した理由としては、私がもとからmixiなどを通じてSNSは人と人が繋がる場所、と感覚的に分かっていたからかもしれません。読者の皆さんも『GINZA』のSNSはフランクなコミュニケーションのハブであり、今の気持ちやムードを反映してくれると思ってくれたようで、雑誌を近く感じてもらえることができ、強い絆みたいなものが出来ました。

大平さんはご自身のSNSでも、「365日同じコーディネートはしません?」というテーマで発信をされていますよね。

雑誌のSNSをやっているときはそれを運用することで精一杯だったのですが、一度仕事を離れたタイミングがあって、そのときに自分のSNSもちゃんとやってみようと思って始めました。過去に媒体のウェブで連載していた私服のコーディネート企画が人気だったので、SNSでも私服をメインに紹介することに。印象的だったのは、フォロワーとのコミュニケーションがダイレクトにできたこと。買い物の相談が来たり、進路相談のDMが来たり、パーソナルな交流ができて嬉しかった。今でも仕事のときに「あのDMを送ったのは私です」と言われることもあるんです。

www.instagram.com

紙とウェブとをめぐる体感

雑誌媒体でも最近はSNSやウェブの存在を軽視できませんよね。大平さんは、紙とウェブの違いについてどう感じられますか?

雑誌は、総合芸術だと思います。イメージやテキスト、デザインすべてを編んで、雑誌というかたちにする。力を入れる巻頭もあれば、クライアントと作るタイアップもあるし、読者と交流するページもありますよね。

一方でウェブ媒体は、ひと記事ひと記事にPV(ページビュー)やUU(ユニークユーザー)の数が見える。各記事がパフォーマンスを出すためにはには、読者が喜ぶことをより考える必要があり、その知恵が詰まっている感じも私は好きです。

雑誌媒体のウェブディレクターも経験されていたそうですが、そのときに意識されていたことはありますか?

出版業界においてSNSやウェブは、社内でも比較的若い人が任されがちです。新しいアイデアは誌面よりもウェブのほうが活かしやすい傾向があるので、自発的なチャレンジを後押ししたり、結束力を高めることを意識していました。

同時にウェブのコンテンツをリッチにしていくには、本誌チームの協力や協業が不可欠です。ウェブ媒体のことをより理解してもらうために、成果を可視化して共有したり、業界内でのウェブの認知を上げてポジティブに思ってもらうよう働きかけました。難しい挑戦でしたが、自分のなかでやりがいはすごくありました。

個人の発信をサポートする側に

そんな大平さんですが、現在は複数のネットサービスを展開するIT会社でクリエイターを支援する仕事に就いておられます。そのきっかけは何だったのでしょうか?

声をかけてくれた今の上司は、実は一番最初に入った会社での知り合いでした。当初は雑誌媒体での仕事にやりがいを感じていたし、正直働くイメージも湧かなくて興味がなかった。

でも…ここで父がまた出てくるんです。オファーがあったことを父に相談したら、想像以上に良い反応で。父はもともと寡黙で職人肌なんですが、本当は自分ももっと挑戦をしたかったのだと熱く語ってくれました。「チャレンジしてみたらいいんじゃない」と、背中を押されましたね。

現在のお仕事でも、これまでのキャリアが活かされているのでしょうか。

いまのお仕事ではクリエイターの方々に会い、会社のネットサービスを通じて彼らの夢や目標の達成をサポートしています。いろんな人と会って、繋げたり、見せ方を考えたりすることはこれまでの編集の仕事と似ているかもしれないですね。

お仕事をするなかで感じる、インターネットの魅力はありますか?

SNSやインターネットという場所は、その人の多面的な魅力を見せられる場所。そこをきっかけに人脈やビジネスが拡張されていけば素敵ですよね。

たとえばテレビや雑誌で憧れられているモデルさんでも、SNSではパーソナルな部分を出して、趣味のラーメンや好きなスポーツチームにまつわる投稿をしていたりする。そんな意外性や素の部分を魅力に感じるファンもいると思うし、そこから新たなお仕事に繋がる可能性もあります。

インプットが新たなアウトプットに繋がる

発信するお仕事の一方で、普段情報はどのように受け取っていますか?

私は日々ルーティン化することで情報を取り入れています。たとえば、毎朝、新聞や雑誌が発売されるタイミングで読むとか、毎週金曜日は新曲がリリースされるので、そのときにニューミュージックのプレイリストを聞くとか。

Podcastは更新されるタイミングがあるので、それに合わせて聴くと逃さない。スポーツや映画も試合日や公開日が決まっているので、なるべく早く観に行きます。自発的にしないといけない読書や美術館は週末にまとめて出来るように心がけたり。

私はインプットすることが大好き。理由のひとつは、常に自分の好きなものをアップデートしたいからです。もうひとつは、仕事でアウトプット力を高めるためには、インプットの掛け合わせが大切だから。

受動的に情報を取るだけではなく自ら体験することも大事にしています。今はお茶の教室に通って、日本文化を勉強しています。そこで教えてもらうことは、インターネットに書いていないことが多い。

お茶の所作や考え方は奥深く、一問一答ではなく沢山の文献や背景を知ったうえで、やっと理解ができます。普段の仕事でも、依頼のコンテクストが分からないと、最適な答えは出せませんよね。そのためのインプットって、インターネットにある情報以上のものを得ないといけない。一問一答ではなくて、何千もの答えを想像するためには、膨大なインプットが必要なんだと思います。

創造が絶えず、還元される社会へ

今後、大平さんがやりたいことはありますか?

これからは、AIがかなり生活に影響を及ぼしていくと思うのですが、改めてより人間の創造性やクリエイティビティが大切になってくると感じます。クリエイティブのサポートとしてAIは役に立つと思いますが、アイデアの起点やアウトプットは、絶対に人間の介在が必要でしょう。

たとえば80年代の広告は、1枚の広告写真に、それこそ2000回以上シャッターを切っている。そういうものって、10年、20年後も心に残る存在感があります。

でも今いざ現場を見ると、目の前の売り上げやリーチ、生産性をあげることに意識がありすぎて、中長期的な投資やイノベーティブなチャレンジが欠如している気がしています。それが、制作に関わっている人のモチベーションの低下にも繋がっているようにも感じます。

イメージ作りは、AIやメタバースが普及した時代にも変わらず必要なもの。そんなクリエイティブができる人は貴重だし、これからも必要な人たちなのに、きちんと還元されていくようなシステムがまだ明確に見つけられていません。この現状を変えるためには、ゲームチェンジャーが必要だと思うんです。

きちんと商業と芸術が一緒になって、色褪せないアイデアの起点となるものをどう残していくのか、ということはずっと考えていきたい課題ですね。壁打ち相手、募集中です。

<今回のインターネット・ポイント>

大平さんがインターネットを始めた当初はダイヤルアップ接続が主流。それから、より通信速度が速く安定している光回線が普及したことにより、オフィスや家庭でのインターネット利用が加速しました。

また、大平さんは黎明期から現在に至るまで様々なSNSを利用されていました。日本では2004年に株式会社MIXIがSNSとして紹介制のコミュニティ「mixi」サービスをスタート。その後アメリカで生まれたSNSのFacebookやTwitter、Instagramが2010年代頃から日本に普及。今でも多くの人が利用するSNSとなりました。

インターネットを介したサービスやSNSの普及によって、ファッションやカルチャーの情報媒体としても、雑誌だけでなくウェブが主流に。個人でも雑誌メディアに相当するフォロワーをもつインフルエンサーやクリエイターが登場しました。リアルとインターネットとの役割を明確にして、どちらの強みも活かして行くことが次の時代に求められるものなのかもしれません。

 

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大平かりん(おおひら・かりん)
東京都生まれ。マガジンハウスの雑誌『GINZA』の編集アシスタントを経て、同媒体のSNSやWebのディレクション、同社の雑誌『BRUTUS』のWebコンテンツディレクターを務める。2022年に海外に本社を持つIT企業に転職。
Instagram:
@ko365d

 

取材、文:conomi matsuura
編集:日比楽那
写真:服部芽生