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わたしの歴史と、インターネット|能町みね子が黎明期からともに歩んだインターネット

いまや誰もが当たり前に利用しているインターネット。だが、そんなインターネットの存在がもしかしたらその人の歴史や社会に、大きく関わっている可能性があるかもしれない…。この連載では、様々な方面で活躍する方のこれまでの歴史についてインタビューしながら「インターネット」との関わりについて紐解く。いま活躍するあの人は、いったいどんな軌跡を、インターネットとともに歩んできたのだろう?

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今回は、1990年代からずっとインターネットを活用されてきた方にお話を聞いてみたい。文筆家・イラストレーターとして活躍する能町みね子さんは、約25年前からインターネットを楽しんできた1人だ。デビューのきっかけも、自身のブログの書籍化。最新刊『正直申し上げて』(文藝春秋、2024年)でも、ネットを巡回して気になった言葉を切り口に、その周辺事象や社会の様相に深く切り込む。

今回は「能町さんとインターネットのこれまで」を、改めて覗かせていただいた。

1997年、大学の施設でインターネットに出会う

能町さんが初めてインターネットに触れたのは、いつですか?

1997年です。すぐに西暦で言えます(笑)。大学1年生のとき、大学に情報棟というパソコンがたくさんある部屋があるのを知って、いつ出入りしてもよかったので頻繁に行くようになりました。授業で使ったわけでもなく、最初に行ったきっかけは覚えていないのですが、世の中にインターネットがあることは当然知っていたので「ここでならインターネットが使える」と思って。

誰かと示し合わせることもなく、最初から1人で行っていたんじゃないかと思います。当時友人とインターネットについて話した記憶もないので、周りの友人が同じように使っていたかどうかも分かりません。ただ私自身は、すごくインターネットに興味を持ちました。

学生時代は暇な時間も多かったので、とくにやることがなければそこに行って、インターネットを触っていました。本当にめちゃくちゃ通ってましたね。

1997年だと、まさにインターネットの普及が始まった時期ですよね。その頃は、自宅で使うのもまだ日常的ではなかったのかなと。

そうですね。パソコンは家にありましたが、インターネットは繋いでいなかったです。「インターネットがどういうものか」をはじめて体験したのは、その大学の情報棟が初めてでした。その1、2年後には、自宅でも繋いでいた記憶があります。

そのときはどんなふうにインターネットを利用されたんですか?

まだGoogleはなかったので、Yahoo!で検索をしていました。それと、当時は電子掲示板BBS(※1)の時代だったので、BBSを使っていましたね。

当時のBBSは、まだ使いこなしている人も少なく、ある意味“秘めごと感”があるようなイメージです。大学施設という、ずいぶんパブリックな場所でも使っていたのだな、と感じました(笑)。

ちょうど穴場みたいな場所があったんです。人があまり来ない部屋の隅っこのパソコンをいつも使っていました(笑)。

当時はいろんなBBSがあったと思います。能町さんはどんなBBSを見ていたんですか?

何を見ていたかな。あんまり具体的には覚えていないのですが、当時はまだ2ちゃんねるすらなかったんですよね。なので本当にいろいろなBBSを見たし、書き込みもしたと思います。
BBSの雰囲気には、わりとすぐ馴染めた記憶があります。当時はほとんどの人が初心者だったので、入り込みにくいということもなくて。何となく暗黙のルールもありましたが、それにもすぐ順応していった感じでしたね。

※1 用語「BBS」:電子掲示板。英語のBulletin Board Systemの略で、インターネット上で不特定多数のユーザーと文字で情報交換する。そのシステムや場の総称をいう

社会には、本当にいろんな人がいることを知った

いまはBBSという言葉もなかなか聞かなくなってしまいましたが、当時はハンドルネームを使ってBBS上で会話し、キャラクターを使い分けるような人もいましたよね。

そうですね、慣れてからは私もだんだんと、意図的にBBS上のキャラクターを使い分けるようになりました。

インターネットが普及していくなかで、「若者のもの」だった感覚が徐々に「みんなのもの」に変わっていくのを感じました。当時は私も若かったので、おじさんとかが使うようになってきたのを見て、ちょっと優越感に浸りたいというか、手玉に取ろう的な感じというか…(笑)。こっちは使いこなしてるから、少し余裕が出てくるわけです。もちろん騙すわけじゃないんですけど、キャラを作って周りの人と接するような使い方もしていました。

あと、BBSを使っているうちに、「この人に会ってみたい」と思う人が出てきて、1対1で会うようにもなりました。

BBSを介して知り合った人と、リアルでも会うようになったと。詳しく聞かせてください。

なんとなく「この人はちょっと会ってみたいな」と思える人が出てきて、そういう人を一本釣りしていました。私自身セクシュアリティがまだはっきりしていない時期だったこともあり、そういった部分で興味のある人に、「会ってみませんか?」とアタックをかけてましたね。恋愛目的などではなくて、純粋にその人の話を直接聞いてみたかったんです。

直接会いたい、というのは、どんなところで判断していたのでしょうか?

BBSは文字情報しかなくて、写真も送れなくはなかったと思うんですけど、スマホもないからそもそも自撮りをするのも難しくて。それでも、普通に話ができる人かどうかって、まず文章で分かります。ある程度やり取りしてちゃんと話ができそうだと思ったら、ちょっと会ってみようかな、と思っていました。

いまだと信じられないかもしれませんが、当時は全然怖いとは思っていませんでした。お昼に普通に待ち合わせて、会って、話して。「本当にいろんな人がいるんだな」っていうのが分かって、すごく面白かったんですよね。大学在学中から2000年代前半にかけて、そんなふうに、インターネットを通じて人に会うということを続けていたと思います。

なかでも印象的な人はいましたか?

美術学校の先生をしている人で、当時30歳前後だったと思います。その方は、日常生活からずっと女装をしている方でした。お世辞抜きで言うと、本当に「女装」に見えるんですよね。本人もそれを分かっていて、でも喋り方も全然工夫せず、言ってしまうとおじさんのままの喋り方をしていて。

その方は性嗜好も結構強烈だったんですけど、そういうことも素直に全部話してくれて、なおかつ振る舞いはすごく紳士的でした。常識を覆されたというか、「本当にいろいろな人がいるなあ」と思いました。面白かったですね。

あの人たちは、いま何してるのかな…。

世界が広がっていく感覚があったんですね。当時のBBSは、能町さんにとって居場所のようでもあったのでしょうか?

いや、私はどこかのBBSの常連になりすぎることもなく、単発的に出入りして、つかず離れずの距離感でした。特定の場所に入り浸りたくなかったんですよね。離れづらくなるのも嫌ですし、常連が馴れ合う雰囲気もあまり好きではなかったんです。なんというか、そこにいる人同士で慰め合いみたいな空気になる印象があって。それがあまり好きじゃなかったんですよね。

BBSの常連メンバーも、去るもの追わず的な感じなので、去って行くとしてもわざわざ引き止める感じじゃなかったですしね。自分が都合いいときだけ使うような感じだったと思います。

ネットデビューは狙っても、「ネットの人」にはなりたくなかった

能町さんの文筆家としての活動は、当時やっていたブログの書籍化がきっかけだと思います。ブログを始めたきっかけは何だったのでしょう?

2005年からブログを始めました。ただ、実際は全くやりたくなくて。当時はブログ本ブームだったので、「ブログを書いときゃ、誰かが本にしてくれるんじゃないか?」っていう気持ちで、完全に本を出すためにやりました…(笑)。

当時、アメーバブログにはアクセス数など順位があったんですよ。その順位を上げないと注目されないから「更新回数は毎日だ!」と思って毎日書いたり、「イラストがないとみんな読まないだろう…」と思ってイラストを書いたり…かなり戦略的にやってましたね。

もともと文章を書くことは好きでしたが、物書きになろうなんて当時は全く思っていませんでした。ブログ自体も、始めたときから「本になったら消そう」と思っていたので、2007年でやめて、そのあと消しちゃいました。

ちなみに、それだけ続けていたのに「実はブログをやりたくなかった」というのは、どういうことでしょう?

なんというか、私にとってはインターネットって、もうちょっと毒々しいものだったんです。最初はエロからスタートするみたいな、「ちょっと後ろめたいもの」とか「現実ではあんまり喋れないこと」とか、アクセスしづらいものからインターネットが広がっていったイメージだったんですよね。

それが、ブログは当時、すごく牧歌的だったんですよ。なんかふわふわしてるというか。育児ブログとか、ふわふわしちゃったテーマが多くて、その環境にちょっと馴染めなくて。当時は『鬼嫁日記』というブログが流行っていて、ドラマ化もされたんですけど、それも私はほわほわしていてあまり楽しめませんでした。

それでも自分としては、当時はその雰囲気に合わせてたんです。「ブログたるもの、ふわっと平和な感じにしなきゃ」みたいな。そのときはめっちゃ戦略的だったので、他のブログもある程度見て「こういう感じだろうな」というのに意識的に合わせていました。実は、当時はすごい可愛げのない感じでやっていたんです。

本当に戦略的だったのですね。その頃から「能町みね子さん」のお名前で活動されていたんですか?

そうです。デビューのきっかけはブログだったのですが、私自身、正体不明の「ネットだけの人」ってあまり好きじゃなかったんです。なのでそのあとも「ネットの人」になるのは嫌で、早めにそこから脱したくて。

その意味で、ペンネームも実は色々と考えて決めていました。顔出ししようとまでは思っていなかったのですが、いわゆるハンドルネームみたいなものではなく、ちゃんと苗字と名前があるものにしたいと思って「能町みね子」にしました。

当時、出版を目的としたブログ以外に、プライベートでもネット上に文章を書くようなことはあったのでしょうか?

mixiが流行り始めた頃は、ほぼ毎日、mixiで日記を書いてましたね。私、mixiの超初期メンバーなんです。なぜかすごいちゃんと覚えてるんですけど、始まったのは2004年の3月です。

mixiが立ち上がった時期を体験されているのですね!

本当に偶然、掲示板で知り合った友達の、さらにその友達がmixiの立ち上げに関わった人で。当時は招待制だったので「こんなの始まったよ」と紹介してもらいました。ただその人も、ネットで知り合っただけでそこまで仲が良いわけではなく、その距離感の人に自分の日記を見せるのはちょっと嫌だなと思うようになって…。一回辞めたこともあります。

その後、リアルでも仲の良い友達に改めて招待してもらい、再開しました。mixiは、ネット上とはいえ、リアルな友達との繋がりの方が大きかった印象でした。ネットというバーチャル空間とリアルの、ちょうど良い「間」にいた感じがしますね。

初期のmixiは、どんな空間だったのでしょう?

すごく楽しかったです。そこでも知らない人と会ったり、オフ会に参加したりしていました。いまも関係が続いている人もいます。当時は会員制だし人も少なかったので、変に煽り立てるような人はまずいなかったので、安心して使えた記憶があります。

迂闊なことは書けなくなっている

いまもインターネット空間は、能町さんのお仕事に密接に関わっていると思います。改めて、いまはどんな使い方をされていますか?

Xは情報源としてやはり大きいので、嫌なことも多いですが、仕方なく…という感じで頻繁に見ています。私自身の発信も、昔から比べると相当減ったと思います。Twitterが始まった当時は、ほのぼのしていて大好きだったんですけどね。

面白い面はいまでもあるにはあると思うんですけど、野次馬が多すぎるというか、変な方に誘導する人が多くなってしまって、純粋には楽しめないかもしれません。じわじわと変わってきちゃったな、という感覚がありますね。

Xでも能町さんにはたくさんのフォロワーがいるので、何かを発信されることの影響も多いのかなと思います。

そうですね、ある程度拡散されるだろうなと思って発信はしているんですが、それが良い方にいくか、悪い方に行くかは誘導できません。迂闊なことは書けなくなりましたね。

いまは相撲のことくらいしか発信していないかも…。政治的なことも、自分のためのメモみたいな感じでリポストするだけになっています。Xを通じてこれを社会に発信したい、世界を変えたい!みたいな思いは全然ないですね。

文藝春秋で連載されている「言葉尻とらえ隊」は、インターネットで気になった言葉を起点に、その事象を徹底的に深掘りされていますよね。

1つ気になることがあると、それをめちゃくちゃ掘り返して調べます。気になる人がいると、まずSNSアカウントから何から、全部見ますね。なにせ、検索したら出てきますからね。

インターネット上に証拠をたくさん残してる人がたまにいるんですよ。そういうものも面白くなって見ちゃいます。たとえば、ずっと昔のアカウントが見つかったり、同じアカウントの文字列で検索したら別のアカウントも一緒に出てきたり…(笑)。

2024年11月に発売された、文藝春秋の連載「言葉尻とらえ隊」の文庫オリジナル第5弾
『正直申し上げて』能町みね子著 文春文庫

90年代の興奮は、あの時代ならではだった

それだけ情報があって便利な反面、インターネットには功罪ともにあると思います。最近ではインターネットを通じて、世の中の風潮が作られていく例も見られると思いますが、そうした最近のインターネットを取り巻く環境をどう見ていますか?

そうですね…いまさら「オールドメディアは信用できない、インターネットこそが正しい情報だ」なんて言われても、そのステップに行くのがちょっと遅すぎるのでは?と思うことがあります。私は初期からインターネットを利用している世代なので、「ネットにはこんな真実が」と驚いた後に「いや、本当に正しいのか?」と疑う経験を20年以上前に味わっています。だから、いまインターネットの情報こそが正しいと言われても「いやいや、もうちょっとちゃんと、いろんなもん見ようよ…」と思います。

最近はインターネットの情報を起点に世間が変わることも増えてきています。馬鹿にできなくなってきたな、とも思っていますね。

これだけインターネットが普及したことで、インターネットを信じすぎてしまうし、それが当たり前だと思ってしまっているかもしれませんね。

そうですね。いまはインターネット空間自体が、その情報を信じすぎるようにできていますしね。1回ある情報を見たら、似たような情報がどんどん出てくるようになってしまったので、なおさらそういう状況を助長してしまいますよね。

YouTubeとかでも、偏った主張をする動画が簡単に出てきてしまいます。ふと見てしまうと「へえ、そういうもんなんだ」と信じてしまうかもしれません。そういう状況が当たり前のようにあるのは、ちょっとよろしくない状況ですよね。

▼インターネットのアルゴリズムにより、同じような情報ばかり目にしてしまう、フィルターバブルについて解説した記事はこちら

そう考えると、功罪の「罪」の面が目立つように感じてしまいます。

でも、私はインターネットはすごく好きなので、やっぱり良い面も語りたいと思うんです。ネットがないときには何もできなかった人が、何かできるようになったというのは本当に大きいと思います。部屋の中にいるだけでいろんなことを発信できるし、身体的に障害があっても、いろんなことにアクセスできて話せるし、可能性が広がった面は確実にありますよね。

「罪」の部分がもう少し解消されていくと良いですね。

たくさんの情報があるなかで、目の前の情報が本当に正しいのかと向き合うことは、これまでもこれからも難しいことだと思います。能町さんはどう対峙しているのですか?

偏った情報しか見てないんじゃないか?と言われれば、多分、私自身も偏ったものを見ているんだと思います。ある程度色々な情報を見るようにはしていますが、その事象について何も知らない状態からインターネットで情報をつかみに行くのって、結構難しいと思います。

気をつけていることとすれば、当たり前ですがある程度信頼できる情報筋の情報を見る、ということですかね。ネットで信頼できる情報源として頼りにする人は、リアルでもある程度どんな人か分かってるような人たちです。ネットでしか知らない情報は、やっぱりちょっと怖いですよね。

初期からインターネットに触れ続けている能町さんだからこそ、いまのインターネット空間の良さも悪さも、見えているものがあるのだろうなと思いました。最後に改めて、黎明期からインターネットを楽しみ続けている能町さんにとって、この25年を振り返ってインターネットが一番印象的だった時期はいつでしょう?

ずっとと言えばずっとなんですけど…でもやっぱり90年代が1番新鮮でしたね。秘めごとをやっているような変な興奮と、新しいことへのワクワク感というか、テンションが上がっていくあの感じは、あの時代ならではだったかもしれないですね。

<今回のインターネット・ポイント>

総務省の情報通信白書(※2)によると、インターネットの発展において、1994年頃までが「インターネット黎明期」、1995〜2000年頃までが「インターネット普及開始期」と定義づけられるそうです。能町さんがインターネットに出会った1990年代は、まさに「インターネット黎明期」から、「インターネット普及開始期」への移行期と言えます。いまや自宅で使うのが当たり前となりましたが、当時はインターネットを使える場所が限られており、そこは新しいテクノロジーに触れられる「特別な場所」だったことでしょう。

当時はSNSはまだ普及しておらず、BBSと呼ばれる電子掲示板で書き込みをしたり、レス(返信)をしたりすることが流行っていました。BBSは、1999年に2ちゃんねるができたことでより広く使われるようになり、様々なネットスラングが生まれました。能町さんが見てきたインターネット空間は、まさにそんな“カオス時代”からスタートし、25年経ったいま、あって当たり前であり、人の行動や考え方にも大きな影響を与える存在へと、大きく発展してきたと言えるでしょう。

※2 参照:総務省「令和元年度 情報通信白書 第1部 特集 進化するデジタル経済とその先にあるSociety 5.0」
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd111120.html

 

能町 みね子 (のうまち・みねこ)
文筆家、 イラストレーター。1979年生まれ。著書に『結婚の奴』(平凡社、2019年)、 『ショッピン・イン・アオモリ』(東奥日報社、2024年)、『正直申し上げて』(文藝春秋、2024年)等。週刊文春では、能町さんが日常生活のなかで引っかかった言葉を取り上げ、その違和感の正体を明らかにするコラム、『言葉尻とらえ隊』を引き続き連載中。
X:@nmcmnc

 

▼能町さんが「結婚(仮)」をされているパートナー、サムソン高橋さんと、互いの共同生活について語った記事はこちら

 

取材・文:大沼芙実子
編集:おかけいじゅん
写真:服部芽生

 

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