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『ふつうの子ども』呉美保監督インタビュー 未完成な親と未完成な子どもが織りなす人間讃歌

『ふつうの子ども』を観終えたとき、独特の感覚に陥った。それは「子どもの頃ってこんな感じだった」という、ある種の身体的記憶の蘇りだった。大人になって忘れてしまった、あの頃の世界の見え方。目の前のことが全てで、些細な出来事が人生を左右するかのような重大事に感じられる、あの独特の感覚である。

呉美保監督の新作『ふつうの子ども』は、まさにその「子ども時代の世界の見え方」を映画として成立させた稀有な作品だ。環境問題に熱心な少女・心愛に恋をする小学生の唯士を主人公に、SDGsという現代的なテーマを絡めながら展開される物語は、一見するとシンプルな児童映画のようでもある。しかし、実際にはそれ以上の何かがここにはある。

大人のフィルターを極力排し、子どもの論理と感情で世界を見つめ直すこの映画は、結果として我々が普段見過ごしている日本社会の本質を浮き彫りにする。形式的にSDGsに取り組みながらも本質的な変化を拒む大人たち、完璧であろうとして結果的に不完全さを露呈する親たち。そして、その中で「やりっぱなし」に毎日を生きる子どもたちの、ありのままの姿の力強さと美しさ。

社会を前進させる情報発信を行う『あしたメディア』では、この映画が持つ多層的な意味について、呉美保監督のインタビューを実施した。映画解説者・中井圭がその真意を探っていく。

※本インタビューは、作り手の意図を深く問いかける目的で、具体的内容に触れているため、ネタバレに注意したい方は、映画本編をご覧になってから閲覧されることを推奨します。

上田唯士、10才、小学4年生。両親と三人家族、おなかが空いたらごはんを食べる、いたってふつうの男の子。最近、同じクラスの三宅心愛が気になっている。環境問題に高い意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる彼女に近づこうと頑張るが、心愛はクラスのちょっぴり問題児、橋本陽斗に惹かれている様子。そんな三人が始めた“ 環境活動“ は、思わぬ方向に転がり出して――。

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9月5日(金)テアトル新宿ほか 全国公開

嶋田鉄太、瑠璃、味元耀大
瀧内公美、少路勇介、大熊大貴、長峰くみ、林田茶愛美
風間俊介、蒼井優
監督:呉美保 脚本:高田亮
製作:「ふつうの子ども」製作委員会  製作幹事・配給:murmur 
製作プロダクション:ディグ&フェローズ 制作プロダクション:ポトフ
特別協力:小田急不動産 湘南学園小学校 
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
協賛:ビーサイズ キュウセツAQUA 
YOIHI PROJECT Circular Economy.Tokyo Design H&A
©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

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2025年に生まれた「ちょっとした奇跡」のような日本映画の傑作

中井:2025年3月下旬に『ふつうの子ども』を試写で観た後、監督に「ぼくが現時点で観た2025年の日本映画でいちばん面白い」とお伝えしました。そのとき「(時期的に)まだ早い」と笑われましたが、(取材時の)8月現在も、気持ちはとくに変わっていません。

呉:今年も残り4ヵ月あるので、まだ早いです(笑)。

中井:しかし、そう言いたくなるほどの作品だと思っています。ぼくがこの映画を「ちょっとした奇跡」だと感じている理由がふたつあります。ひとつは、子どもという生き物の曖昧さを生き生きと捉え続ける映画は稀有だということ。もうひとつは、ほぼ無名の子役ばかりがメインとして出演する作品を商業映画として成立させるのは、興行的リスクを考えると非常に困難ですが、実現していることです。そもそも、なぜこの物語を映画にしようと思われたのでしょうか。

呉:最初、企画・プロデューサーを担当する菅野和佳奈さんがこの企画を思いつきました。グレタ・トゥーンベリさんのスピーチを見たのがきっかけです。国連という場所で子どもが環境問題を世界に訴え、センセーショナルな話題になりましたが、もし日本で同じようなことがあった場合、日本人はどう反応するんだろうと気になった、と菅野プロデューサーが言っていました。子どもという生き物と、日本という社会の特徴を面白く描きたいと。

そこから、たとえばグレタに恋をする日本人の男の子を映画にしたら面白いんじゃないかと考え、その段階で脚本の高田亮さんに相談したそうです。それを、高田さんが「グレタに影響される女の子に恋をする男の子」といういまの映画の形にしました。ある程度、シノプシス(概要)ができた段階で、菅野さんが監督として私に声をかけてくれました。

ただ、監督候補として私の名前が挙がったとき、高田さんはちょっと二の足を踏まれたみたいですけれども(笑)。というのも、高田さんと私は今回で3回目のお仕事ですが、毎回脚本作りに時間がかかるので(笑)。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

親になって見えた子どもたちの「やりっぱなし感」

中井:監督はこれまでにも『きみはいい子』(2015)で子どもを描いてこられましたが、今回は明らかに方向性が違いますね。前作では社会的課題に直面する子どもたちを群像劇として描かれましたが、今回は子どもの目線で子どもの世界そのものを見つめています。この変化はどこから生まれたのでしょうか。

呉:10年前に『きみはいい子』という映画を作りました。この映画は、ネグレクトや虐待、障害も含め、いろんな子どもや大人が社会で生きていくなかで直面する課題を浮き彫りにした群像劇でした。この映画を撮った後、私は男の子を2人出産しました。いま、上の子が10歳、下の子が5歳になります。

日々、息子たちと接するうちに、毎日を精一杯生き続ける子どもたちの映画が撮れたら、すごく幸せだろうなと思いました。そして、そういう映画は日本にはないんじゃないかと思ったんです。

中井:確かに、これまでも子どもを描いた作品は数多くありますが、大人から子どもの姿を見つめる映画や、あるいは早川千絵監督の『ルノワール』(2025)のように、子どもから見た大人の世界を映すという形で社会性を投影していくケースが多いように感じます。今回の『ふつうの子ども』は、子どもの目線で子どもの世界を純粋に描いているのが新鮮で、非常にインパクトがありました。

呉:そうなんですよね。あと、子どもが主人公の映画は、どうしても大人のフィルターが何層も入ってしまうんです。そして大抵、ハッピーエンドかバッドエンドになる。明確にカタルシスを生み出さないと子どもの映画は撮れないのか、とちょっとモヤモヤしたものがありました。

でも、実際の子どもたちは、やりっぱなしで毎日を生きています。私が次に子どもの映画を作るときは、その「やりっぱなし感」みたいなものを描きたかった。毎日見ている子どもたちの姿を通じて思う「ありのままの子どもとは何か」を自問自答しながら脚本作りから撮影までやってきました。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

子どもの社会は大人の社会と地続き──残酷で動物的な関係性

中井:ぼくがこの作品を観て強く感じたのは、子どもの日常って毎日が大冒険なんだということでした。大人から見ればちょっとした出来事でも、子どもの目線では人生を左右するような大事件になる。

呉:小学校時代の思い出で「ここまでは行っていいけど、この先は行ってはいけない」っていう学校が定めたエリアがあったんですが、友だちとその先までちょっと行ってみようとチャレンジしたときのドキドキが、この映画には詰まっています。

私がこの映画を観てくれた方に言われていちばん嬉しかったのは、最初は親の目線で「子どもってかわいいなあ、バカだなあ」と見始めたのに、いつしか子どもの頃のゾクゾク、ヒヤヒヤ、ドキドキを思い出して、最後は自分が子どもになって映画を観ていた、ということでした。大人にも、子どもの目線で観てもらえるって、まさにやりたかったことでした。

中井:まさにそうですね。そして、この映画を通じて、子どもの目線で子どもの世界を見たときに、彼らにも意外と複雑な社会性があることに気づかされました。

呉:高田さんともずっと話していましたが、子どもの社会を見ていると、大人の社会と地続きなんですよね。人間関係でちょっと浮いている子がいたら、その子に対してみんながちょっと別の目線で見始める。昨日までは仲良かったのに、誰かの言動の影響で、みんながちょっと距離を置き始める。それは大人でもそうですが、子どもって残酷で、あからさまに行動に出ます。すごく動物的だと思うんですよ。そういう表現もダイレクトに描いているのが、今回の映画だと思います。

中井:その動物的な残酷さという指摘は重要だと思います。大人は建前や社会的な体裁を取り繕いますが、子どもは感情をそのまま行動に移す。ある意味で、子どもの世界の方が人間の本質に近い部分があるのかもしれません。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

SDGsを通して映し出される現代日本の実像

中井:本作でとても興味深いのは、SDGsの扱い方です。賛美しているわけでも否定しているわけでもない。劇中で最もSDGsに熱心な(瑠璃演じる)心愛は、親との関係の結果として傾倒している。一方、主人公の(嶋田鉄太演じる)唯士は、元々SDGsに興味はないけれど、心愛が好きだから気に入られるために積極的にSDGsを学んでいく。社会的にはSDGsは重要だと言われていますが、大人も含めて、本当の意味で向き合おうとしている人が誰もいないのが印象的でした。

呉:それがいまの日本ですよね。学校で勉強するし、SDGsでレポートも書くし、資料もたくさん揃っている。ごみの分別とか電気をなるべく消しましょうとか、取り決めを作って行動は起こすけど、きちんと意識を持って生きている人が日本には少ないんじゃないかとか、海外の人から見たら心愛は実はそんなに珍しくないキャラクターなんじゃないか、という話を高田さんと話していました。実に保守的な描き方だと思います。

「いいよね、カーボンニュートラル」が示す絶妙なチューニング

中井:劇中の何気ないセリフが非常に印象的でした。唯士が心愛に対して言う「いいよね、カーボンニュートラル」とか「温室効果ガス、ゼロにしたいよね」といった、良い意味でしょうもない口説き文句の数々。この映画は全編を通じて子どもの目線で描いているけど、映画として成立させるために、要所で大人のニュアンスを絶妙に介在させています。そのさじ加減について教えてください。

呉:この映画は子どもたちのドキュメンタリーではなく、娯楽性のある映画なので、そのさじ加減をよく考えました。この映画の娯楽性はUFOが出てくるわけでもないし、タイムスリップするわけでもない。じゃあ、この映画における娯楽性って何なのかを高田さんと一緒に考えました。

普通だったら「カーボンニュートラルっていいよね」みたいな言い方をすると思いますが、あえて倒置して「いいよね、カーボンニュートラル」としっかりセリフを前面に出す。でも、全部においてはやらない。「ここぞ!」という箇所を定めて攻めていくのは、高田さんらしい脚本です。

中井:その計算された「攻め」が、映画に独特のユーモアを生んでいますね。子どもの純真さと、大人が聞くと思わず笑ってしまうような現代的なワードの組み合わせが絶妙です。

呉:唯士を演じた嶋田鉄太が流し目で「いいよね、カーボンニュートラル」って言うと、脚本がさらに立ち上がってくるんですよ。現場でもこっちは「なんか腹立つわ〜」ってツッコミながら(笑)。あの脚本だけでも駄目で、それをちゃんと嶋田鉄太が芝居として浮き上がらせてくれました。こういう組み合わせも、奇跡だと思っています。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

謎のおじさんのような少年、嶋田鉄太の存在感

中井:嶋田さんは監督の前作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』にも、吉沢亮さんの幼少期の友だち役で出演されていましたね。

呉:彼がオーディションに来たときの衝撃はすごかった。吉沢さんの幼少期役ではないなと思ったけど、その友だち役として見させてもらったんです。すると、オーディション会場の端っこで、壁に向かってヤンキー座りをしていて。自分の出番なのに何やってんだと思っていたら、急にパッと振り返って芝居を始めました。

全然セリフ通りじゃなかったんだけど、なぜか見事なアレンジでやってくれて。この人、なんか謎のおじさんのような感覚だなあと思って改めて話してみたら、「芸人になりたい」って言ってました。誰が好きかを聞いたら、どぶろっくって言ってました。

中井:どぶろっく(笑)。確かに、不思議な魅力を持った俳優ですね。

呉:ちゃんとトレーニングされた優秀な子役というより、フラフラと不思議なのが、彼の魅力です。今回、鉄太のいまこの瞬間の魅力を切り取れた気がしています。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

子どもの視点を映像で表現する緻密なカメラワーク設計

中井:子どもの演出について伺いたいのですが、たとえば是枝裕和監督のように口伝えで台詞を喋ってもらうスタイルもある中で、監督はどのようなアプローチを取られたのでしょうか。

呉:今回は、子役全員に台本を渡しました。ワークショップスタイルのオーディション、リハーサルを重ねて、最終的な現場では「じゃあ、今回は台本通りじゃなくて、こうしよう」とか、その子に合ったセリフにアレンジを相談しながらやっていました。高田さんも何度か見に来てくださって、了承を得ながら進めていました。やっぱり台本がないとだんだんブレてくるので、台本を常に持ちながら、どうしたら子どもの瑞々しさを最も表現できるのか、塩梅を探っていきました。

中井:撮影についてもお聞きしたいのですが、序盤はハンディカメラが多用され、画面の被写界深度も浅く設定されています。意図的に見る範囲を限定しているのも特徴的でした。この映像的なアプローチについて教えてください。

呉:子どもって、全然周りが見えていないですから。目の前に人がいたら目の前だけ見ている。だから、見えている部分以外はボケていて良い。でも、画面は、物語の展開によって変えています。最初はずっと手持ちで撮影していますが、中盤以降に起こる事件の翌朝からフィックスで撮っています。そして終盤の相談室は、フィックスでガチガチの緊張感を出している。クランクインのちょっと前に、この映画をもう一段階強いものにできないかと、物語の途中で撮影をフィックスにすることを撮影の田中創さんに相談したら「いいですね」と共感してもらえて。

中井:つまり、カメラワークによって子どもたちの心理状態の変化を表現されているわけですね。手持ちカメラによるバタバタした子どもらしい画面から、フィックスショットに切り替わることで生まれる大人っぽい緊張感。非常に計算された映像設計だと感じます。

呉:そうなんですよ〜。気づいてくれる人がいて嬉しい(笑)。本当に細かく、重箱の隅をつついて作ってます。

中井:作品の雰囲気がほんわかしていて楽しい映画だと受け取る人は多いと思うのですが、観るほどに何気ないところが緻密に作られている。緻密にしないと成立しない題材を扱っているんだということを強く感じました。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

未完成な親と未完成な子ども──三者三様の親たちの描き方

中井:親の描き方についても印象的でした。とくに終盤の相談室の場面で登場する親たちは、それぞれ三者三様でありながら、どこか既視感のある人物として描かれています。この親たちをどのように設計されたのでしょうか。

呉:私自身、この3人の母親の全部が自分に当てはまると思っていました。心愛の母を演じた瀧内公美さんのキャラクターって、客観的に見ていると異様に強めだと思うけど、実際に親になると感情をかき乱されることって、たくさんあるんですよね。私も自分が育ってきた環境を改めて顧みる瞬間が多々ありました。あんなに親に言われて嫌だったことを、自分の子どもに対してしていることがいっぱいあるんですよ。ヒリヒリとした自分の嫌な部分が、あの母親たちに詰まっています。

今回、とくに描きたかったのは、子どもたちが未完成であることです。自分の周りの大人次第で、彼らはどうなっていくのか。そういう揺らぎや心配もある未完成の子どもたちを描きたかった。そして、見てくれは真っ当なんだけど実は親も未完成、という表現ができたら、大人も子どもも楽しめる豊かなシーンになるんじゃないかなと思っていました。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

中井:子どもが生まれた瞬間に、初めて大人も親になる。その実感がよく伝わってきます。完璧な親なんて存在しないし、むしろ不完全だからこそ人間らしいということですね。

呉:そう。全然立派になれないし、そもそも立派になる必要もない。日本では、子どもの親という意識を強く持って接さなければならない、という考えを持つ人が多い。この映画でも描いていますが、ちょっと不安になって育児書を読んだら、いちいち感情が右往左往するんですよ。でも、子どもはそういった親のブレてるところをちゃんと見ています。

だから、もし親として分からないことがあったら、子どもに対して分かっているように振る舞うのではなく、「いや、分からないんだけど、どう思う?」と、子どもがある程度の年齢になったときに相談できる関係性が大事なんじゃないかと思います。親もちょっと不完全な大人くらいが、子どもが自立していきやすいんじゃないかと思うようになりました。

中井:その関係性の在り方は、現代の親子関係を考える上で非常に重要な指摘だと思います。ぼくがこの映画で感じたのは、人間の不完全性がおかしくも愛おしく描かれている、ということでした。

呉:この映画を観てくれた人がみんな楽になってもらいたいと思っています。誰だって完璧じゃないし、そんなもんだよねと思ってもらえたら良いなと思います。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

唯士の成長とダンゴムシに込められた人間の多面性

中井:個人的に印象的だったのは、相談室での唯士のセリフでした。彼なりのなけなしの勇気を振り絞って、自分が格好悪いことも受け入れながら、他者を救うために言葉を紡ぐ。唯士はずっとおバカでかわいらしいキャラクターでしたが、あのシーンで「おいおい、格好いい男になったな!」と感じました。

呉:ほんのちょっとの成長なんでしょうね。あの混沌の瞬間、「誰がこの場をまとめるんだ?!」って思うじゃないですか。まさかの「お前か!!」みたいな(笑)。みんなの心が解放される瞬間だと思います。

色々あっても、彼らの人生は続いていきます。とくに、心愛はこの後どうなっていくのだろうと思うけど、あの瞬間たった1人の男の子に救われる言葉をかけてもらえた記憶は残り続けるから、きっと大丈夫なんじゃないかと思っています。

中井:冒頭にダンゴムシの話が出てきて、最終盤もダンゴムシの話に戻っていくブックエンド構造も秀逸でした。やっぱり彼らは子どもなんだという原点に回帰していく。ダンゴムシの話をしながら、傷ついた心愛の何かが救われるような演出だと感じました。

呉:そうなんですよね。あんなに環境問題を熱く語っていた女の子が、虫ひとつまともに触れない。そんな人間の多面的なところも、本当に面白いなと思いながら作っていました。

中井:その多面性こそが人間らしさなんでしょうね。それは大人も子どもも同じなのかもしれません。

©︎2025「ふつうの子ども」製作委員会

『スタンド・バイ・ミー』のように時代を超えて愛される映画に

中井:この映画をできるだけ多くの人に観ていただきたいと思う一方で、忌憚なく言うと、宣伝的にはなかなか難しい面もあると感じています。一見すると児童映画でシンプルな物語に見えるし、監督の前作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(2024)の、吉沢亮さんのような圧倒的スターが作品の中心にいるわけでもない。

呉:おらへんねん、吉沢亮(笑)。

中井:(笑)。しかし、これだけクオリティが高く、稀有な題材を扱った作品が興行的に成功できれば、日本映画の制作面で多様性も生まれ、未来にも繋がると思います。

呉:ずっと愛されてほしいです。僭越ながら私の夢を言わせてもらいますと『スタンド・バイ・ミー』(1986)のように、どの世代にも、どの時代でも沁みるような存在になってくれたら、と思っています。

呉美保監督が「この映画を観てくれた人がみんな楽になってもらいたい」と語った言葉が印象的だった。誰もが完璧ではないし、そんなもんだよね、と思ってもらいたい──そんな監督の願いは、確実にこの映画に宿っていた。

大人になって失ってしまった「やりっぱなし」の感覚、目の前の出来事に全身で向き合う集中力、そして何より、理屈よりも感情を優先する勇気。それらは決して幼稚なものではなく、むしろ人間として本質的な在り方だったのではないかと思わされる。

SDGsという現代的なテーマを通して浮き彫りになる日本社会の形式主義。完璧であろうとして却って露呈する大人たちの不完全さ。そして、そんな大人たちを見つめながらも、自分たちなりの論理で毎日を生き抜く子どもたち。この映画は、我々が見過ごしてきた多くのことを、静かに問いかけてくる。

『ふつうの子ども』というタイトルが示すように、ここには特別な英雄も劇的な事件も存在しない。あるのは、どこにでもいる「ふつう」の子どもたちの、しかし決してふつうではない豊かな日常だ。その日常を通して見えてくる世界の複雑さと美しさを、ひとりでも多くの人に体験してもらいたいと、心から思う。

映画館の暗闇の中で、我々は再び子どもになることができる。そのかけがえのない体験を、この作品は確実に与えてくれるはずだ。

 

取材・文:中井圭(映画解説者)
編集:大沼芙実子
撮影:笠川泰希

 

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