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つやちゃん|時代で変わる、お笑い芸人の音楽表現——ザ・ドリフターズから粗品、髙比良くるま、サーヤまで【伝染するポップミュージック】

お笑い芸人の音楽活動はどのように変化してきたのか?

いま、お笑いと音楽がかつてないほどに接近している。お笑い芸人がミュージシャンとコラボすることは日常の光景になったし、ラップバトルにもこぞって参入するようになった。音楽×お笑いを謳ったフェス<DAIENKAI>は2023年に続き2024年も盛大に開催され、TV番組『ラヴィット!』発の芸人ラップグループ・赤坂サイファーは梅田サイファーとコラボレーションしている。芸人が音楽について語るYouTubeチャンネルなども人気だし、メンバーやヨネダ2000など、ネタそのものが音楽との境界をなくしつつあるような事例すらも生まれている。

筆者が刊行した『スピード・バイブス・パンチライン 勝つためのしゃべり論』(2024年、アルテスパブリッシング)はそういった状況が私たちの日常のしゃべりにまで影響を与えているという旨を論じた書籍だったが、加熱し続けるこの相互の関係性においては、より様々な切り口での分析がなされるべきだろう。来たるユリイカ2024年12月号では「お笑いと批評」という特集が組まれているが、いまこの瞬間も変容し続けている言葉と音と意味の緊張関係、それらがユーモアへとつながる回路をどのように受け止めるかは、現在ますます重要なテーマとなっている。

さて、そういった状況下で、本稿においてはお笑い芸人の音楽表現について論じていきたい。昨今急激に増えている芸人の音楽活動は、一体何を示唆しており、どういった意義を含んでいるのか。歴史を振り返りつつ、考えてみよう。

戦後、脈々と継がれるお笑い×音楽のDNA——クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズ

冒頭で「かつてないほどに接近している」と書いたものの、よくよく考えてみると、実はかつてのお笑いは音楽との距離が非常に近い芸能だったのではないか。現在の漫才の形が確立された起源を1930年代の横山エンタツ・花菱アチャコによるしゃべくり漫才と置いた際、それより前の「萬歳/万歳」は実に多種多様で、楽器の演奏を伴った様式も多かった(※1)。地域色を強く打ち出しており、例えば大阪の玉子屋円辰などのように、音頭の合間に萬歳を挟みながら進化を遂げていったものも多い。そう考えると、喋りのみによって掛け合いや寸劇を確立していったその後の一部の漫才やコントの方が、むしろ特殊な形とも言えるのではないだろうか。

一方で「リズム芸」なるジャンルも独自の進化を見せていったわけで、特に20世紀末~21世紀初頭にかけては、お笑いがマスメディアとともに大衆化していくことでより複雑な状況を生んでいったと捉えるべきだろう。

お笑い芸人の音楽表現ということで正式に音源としてリリースされた例をさかのぼると、まずはハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズといったグループにたどりつく。高い音楽的技量でバンドをやりつつコメディにも取り組んでいた点で、重要な存在だ。ジャズ喫茶出身のハナ肇とクレージーキャッツは「スーダラ節」(1961)などのヒットを生み、その後はメンバー個人の音楽~俳優活動も盛んに。

また、ザ・ドリフターズはカントリー&ウエスタンから始まり、ジャズやハワイアン、ロカビリーといった多彩な音楽性をバックグラウンドに持ったメンバーが集っていた。そこに、志村けんの黒人音楽の素養が加わることでファンク・ソングとしての強度も獲得、「ドリフのバイのバイのバイ」(1976)といった名曲を生むことになる。彼らコミック・ソングの歴史については、矢野利裕『コミックソングがJ-POPを作った──軽薄の音楽史』(ele-king Books、2019年)にて詳しく解説されているので、ぜひ参照されたい。

1980年代に入ると、漫才ブームもあり多くの漫才師が音源をリリースする。島田紳助はSHINSUKE-BANDとして松本竜介や村上ショージ、Mr.オクレらとともに音楽活動を展開、アルバム『大人になる前に歌いたかった』(1980)を制作。ブルージーなギターが味わい深い作品だ。ザ・ぼんちが発表した「恋のぼんちシート」(1981)も大ヒットしたし、山田邦子はラップの元祖としても度々挙げられる「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」を1981年にリリース。その10年後には、横山知枝とユニット・やまだかつてないWinkを組み、Winkのパロディもパフォーマンスするのだから多才だ。

横山やすしの「俺は浪花の漫才師」といった曲もあり、この時代はロックバンド、ラップ(のような語り)、演歌…と様々な音楽表現が試されはじめたことが分かる。そのバリエーションの一つに、嘉門タツオの替え歌メドレーのようなパロディものもあるだろう。

※1 参考:現在の漫才の基となった「万歳」は、新年にめでたい言葉を歌唱し、家の繁栄と長寿を祈る芸能「千秋万歳(せんずまんざい)」を略した呼び方だと言われる。日本人は、神様に笑いを捧げることが福を招くことになると考えていたことから、後に笑いを主とする芸能「漫才」の誕生に繋がった。https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/rekishi/manzai/index1.html

TVバラエティ黄金期に生まれた、お笑い芸人×音楽の数々——1990〜2000年代

続く1990年代は、多くのお笑い芸人がTVのバラエティ番組に出演するようになり、TV企画による音楽表現が数多く生まれはじめる。筆頭は、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』をきっかけに結成されたH Jungle with t。小室哲哉がジャングルのビートを使った「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」(1995)が大ヒットとなった。他にも『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』からのブラック・ビスケッツ「Timing」(1998)、『ダウンタウンのごっつええ感じ』のエキセントリック少年ボウイ オールスターズ「『エキセントリック少年ボウイ』のテーマ」、『進め!電波少年』をきっかけにブレイクした猿岩石による「白い雲のように」(1996)、坂本龍一が『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の収録を見に行ったことで生まれたというラップユニット・GEISHA GIRLSなど、枚挙に暇がない。

つい先日もTOWA TEIプロデュースの新曲「Shining Star」をリリースしたばかりのKOJI 1200(今田耕司)も、1995年に「ナウ・ロマンティック」という名曲を歌っている。TOWA TEIの使っていたサンプラーをもとに名付けられたKOJI 1200というアーティスト名からして洒落ているが、ニューロマンティックのサウンドを模したクラブミュージック解釈のサウンドは先鋭的で、1996年のアルバム『アメリカ大好き! I AMERICA』も必聴だ。

また、今田耕司と言えば、YUKI from O.P.D(大阪パフォーマンスドール)や東野幸治とともに「DA.YO.NE」(1994)のご当地版として謳った「SO.YA.NA」(1995)も忘れてはならない。他には、突如として傑作アルバム『MASA 1』(1997)をリリースしたトミーズ雅(北村雅英)のようなケースなど、プロフェッショナルな作家陣とタッグを組みエッジィな文脈を取り入れているものも多く、90年代という時代の奥深さを感じずにはいられない。

「ナウ・ロマンティック」はその後、藤井隆、レイザーラモンRG、椿鬼奴によってカバー曲もリリースされた。

その後2000年代から2010年代にかけては、90年代にあったようなTVのバラエティ番組との絡みで音楽が生まれる傾向は引き続き見られつつも、リズム芸や弾き語り芸といったスタイルによって多くの音楽が誕生した。前者がくずや羞恥心、はっぱ隊といったグループ。後者がはなわや8.6秒バズーカー、どぶろっくといった面々である。

さらに、お笑い芸人がマスメディアを通じてタレントパワーを高めていくなかで、企業とのタイアップ企画による試みも生まれる。コカ・コーラ「ジョージア」のCMをきっかけに結成された11名のお笑い芸人音楽ユニットRe:Japan、資生堂「uno」のCMに出演したメンバーによって作られたU.N.O.BANDなどがその例だ。

他方、そういった文脈とは離れたところで、この時代は才能あるお笑い芸人がそれぞれ個別にユニークな試みを展開していったタイミングでもある。今思えば、それは2020年代に花開くことになる多種多様な音楽表現を予見していたとも言える動きだった。なかでも、ここでは特に重要な五人(組)の活動について触れたい。

藤井隆

まずは藤井隆。2000年にヒット曲「ナンダカンダ」で音楽活動をスタートしたのち、松本隆や筒美京平、Tommy february6といったミュージシャンともコラボ。2014年にはレーベル「SLENDERIE RECORD」を立ち上げ、椿鬼奴やレイザーラモンRG、後藤輝基、川島明といった芸人の音楽作品をプロデュースしてきた。藤井隆はレーベル名の由来について「細く長く続けていきたいから」と語っていたが、その通り、地に足の着いた姿勢で着実にリリースを重ねており、お笑いと音楽のブリッジ役として果たしてきた功績は大きい。

ふかわりょう

また、ふかわりょうがROCKETMAN名義で活動してきたDJ活動も重要だろう。全国各地のフェスやクラブなど数多のシーンでプレイしてきた彼だが、音源も「恋ロマンティック!!」(2012年)をはじめ数多くリリース。ハウス~エレクトロニックなサウンドを基軸に、VERBALやMay J.といったアーティストとも共演を重ねてきた。TV番組『内村プロデュース』をきっかけに誕生した6人グループ・NO PLANにも参加していたこともあり、その流れで内村光良監督の映画『ピーナッツ』(2006)の音楽を手がけたことも。

RADIO FISH

インパクトだとRADIO FISHも外せない。「PERFECT HUMAN」(2016)などのヒット曲でも知られているが、多くのお笑い芸人がバンドやテクノ/エレクトロポップ(近年はラップミュージック)といったサウンドに傾倒するなか、意外にもあまり採用されてこなかったEDMサウンドを骨子に作品を作り続けている点は面白い。EDM芸人のきつねがEXITと組んだ2020年のリリース曲「L.O.K.F」などは、まさしくRADIO FISH以降の表現と言ってよいだろう。

マキタスポーツ

優れた批評性を持ち合わせている音楽表現としては、マキタスポーツも欠かせない。数多くトライされてきた芸人の音楽活動を対象化し、ネタにするようなメタ視点がユーモアを誘う。特に、TV番組『ゴッドタン』から生まれたマキタスポーツ presents FLY OR DIEは、ヴィジュアル系バンドのパロディである。2005年にロンドンブーツ1号2号の田村淳を中心に結成されたJealkbなど、芸人の音楽活動の中にはいくつかビジュアル系の表現も存在してきたが、それらも含めてここまでの距離感をもって料理できてしまうのはマキタスポーツのセンスならでは。

とんねるず

音楽的な観点で最も語られるべきは、とんねるず関連の作品だろう。野猿の『STAFF ROLL』(1999)から矢島美容室の『おかゆいところはございませんか?』(2010)、木梨憲武『木梨ファンク ザ・ベスト』(2019)といったアルバムは、彼らのファンク解釈がいかに進化していったかという観点でも聴くことができる。特に、木梨憲武が客演に久保田利伸を、作詞に星野源を呼んだ「OTONA feat. 久保田利伸」や、ラッパーのSALUが参加した「OH MYオーライ feat. SALU」といった曲は、お笑い芸人の音楽表現の中でも突出した水準にあるように思う。木梨はつい最近もアルバム『木梨ソウル』をリリース、さらにとんねるずとしては29年ぶりとなる日本武道館ライブも行なったばかり。

ジャンルを越境する楽曲と、お笑い活動の現在地

以上のような個別でのユニークな取り組みを下地に、近年はもはや追いきれないほどの音楽表現が多発している。THE SESELAGEESをはじめとしてパンク/ロックバンド形態は依然として人気だし、ZiDolといった芸人アイドルグループも生まれた。SALTY’sのように、エアバンドをテーマにした人たちもいたし、ハマいく「ビートDEトーヒ」(2022)のようなヒット曲も誕生。渡辺直美はドージャ・キャットとコラボまで果たした。野生爆弾・くっきー!のように、複数バンドで違う楽器をプレイしている人もいるし、Runny Noize/ラニーノイズを象徴として、音楽活動とお笑い芸人に並行して取り組む例もある。

ここまで来るとカテゴリーでは括れないバリエーションの豊富さだが、本稿では最後に、その中でも聴き逃すわけにはいかない優れた楽曲をいくつか紹介したい。どれも舌を巻くクオリティで、しかも音楽性はてんでバラバラ、DIYに徹して創作されたものも多い。

■AIR-CON BOOM BOOM ONESAN「ソー」

お笑い芸人のエアコンぶんぶんお姉さんは、AIR-CON BOOM BOOM ONESAN名義で音楽活動を展開。1stアルバム『AIR-CON BOOM BOOM ONESAN REPUBLIC』はノーウェーブ由来のギザギザなサウンドをぶちまけ圧倒的な存在感を発揮。

■MyM「ASOBOZE」

森三中・大島とガンバレルーヤが繰り出す、心地よい本格派ラップミュージック。制作陣には、BTSやBE:FIRSTを手がけるMatt Cab、MATZらが名を連ねる。

■Mells「Christmas noon」

以前からラップバトル番組でスキルを披露していたトンツカタン・森本晋太郎とザ・マミィ の酒井貴士が、PARKGOLFを迎えてラップソングをドロップ。味のある声とフロウに中毒者続出。

■Kaminari TAKUMI「Quest」

ヒップホップヘッズで有名なカミナリ・たくみは以前もラップデュオ・Three Pinesにビートを提供していたが、2024年には全編で自身がビートを組んだソロアルバムをリリース。

■8月19日のノイズ「Becauseこんな自分Believe」

小説家としても活動するバイク川崎バイク(BKB)が作詞、なんぶが作曲という組み合わせで放たれる、どこかガーリーで切なさ漂う曲の数々!

■礼賛「PEAK TIME」

サーヤ(CRL)自ら作詞・作曲/ヴォーカルを務めるバンド・礼賛。それ以外にもASOBOiSM「自分の機嫌は自分でとる(Remix)」や「断捨離」など様々な曲で客演にも参加。歯に衣着せぬリリックはラップ向きで、それを伝えるスキルも抜群。

■ゆりやんレトリィバァ「Bad Bitch 美学 Remix」

元々TV番組『フリースタイルティーチャー』などで驚異のパフォーマンスを見せていたゆりやんは、2023年にAwichらが放った本曲に参加。「一括で買ったベンツで帰宅」のラインがプチミーム化した。2024年には全員で米コーチェラフェスティバルにも参加。

■粗品「乱数調整のリバースシンデレラ」

オリジナルで制作したボカロ曲を多数リリースしている粗品。中でも、自身で立ち上げたレーベル・soshinaから発表した「乱数調整のリバースシンデレラ feat. 彩宮すう」はギターにRei、ドラムに石若駿が参加した豪華な布陣に。サーヤと並び、いま最も注目を集める存在。

■MC TONY「PANTS」

英国のオーディション番組 “Britain’s Got Talent” で日本人初のファイナリストとなった、とにかく明るい安村。番組の審査員から授かった「TONY」の名称を使い、なんとDouble ClapperzのプロデュースでUKドリル曲を披露。

■髙比良くるま「交差点」

tofubeatsは以前、TBSラジオ『アフター6ジャンクション』でお笑い芸人の楽曲を中心に組んだMIXを披露していた。そんなフリークの彼が、VaVaとともに髙比良くるまをフィーチャーした曲がこちら。

以上、主に2020年代以降の音楽表現において優れた楽曲を紹介した。こうやって総括してみると、TVを中心に企画が生まれていた時代が終わり、現在はまたハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズのような、それぞれがそれぞれの意志で自由に好きな音楽を作る時代、あるいはお笑いと音楽の境界がない時代へと戻りつつあるのかもしれない。

ただ、当時と異なる点は、お笑い芸人が流動性高く様々な人とコラボレーションし制作する状況になりつつあるということ。それは、趣味が多様化した現代における芸人それぞれの生き残りを懸けたマルチ戦略とも言えるだろうし、多くのお笑い芸人が「笑いに帰結しない」芸能表現を探し始めたとも解釈できる。

賞レースの競争が激化するお笑い界において、その高度なゲーム性は当人たちにとって息苦しさを生みつつあるようにも思う。笑いに縛られない表現形態として、参入ハードルの低い音楽活動は、今後ますますお笑い芸人の才能を引き出す場になり得るのではないだろうか。

参考文献
・神保喜利彦『東京漫才全史』(筑摩選書、2023年)
・音楽ナタリー「漫才の誕生、コミックバンド、テレビバラエティ……音楽とお笑いの蜜月」(2021年5月31日)
https://natalie.mu/music/column/430126

つやちゃん
文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿。メディアでの企画プロデュースやアーティストのコンセプトメイキングなども多数。著書に、女性ラッパーの功績に光をあてた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)、『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(アルテスパブリッシング)等

 

文:つやちゃん
編集:Mizuki Takeuchi

 

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