
【大人のための“シン・動物学”】と題して、実は知られていない動物たちの生態を深掘りしていく。動物たちの世界を覗くことは、人間社会の問題を考える1つの側面として、私たちに新しい発見や面白い気づきを与えてくれるかもしれない。
昨今のクマ騒動、シン・動物学流に独自検証
2025年は熊害の事故が多い。日本列島には日本人が渡来する前からいる先住動物のクマ。しかしながら都会暮らしなら、実際にクマを間近に見る機会は無い。それ故に誤った情報がニュースでも平然と飛び交う始末。そこで昨今のクマ騒動について、いつもの“シン・動物学”流に独自検証してみよう。
まずクマという動物は何者だ?

食肉目クマ科の祖先は謎が多いが、約2000万年前の現在のヨーロッパ周辺に生息していたネコほどの肉食動物ウルサブスと考えられている。現生の肉食動物としては比較的古い動物だが、今では陸上肉食動物で最大種を含む最強グループとなる。クマに共通している特長は、単独性、嗅覚が鋭い、冬眠の有無に関わらず絶食に強い、泳ぎが得意、学習能力が高いなど。寿命は20余年ほど。
現生クマ科は8種類で北から順に①ホッキョクグマ、②ヒグマ、③アメリカクロクマ、④ツキノワグマ、⑤ジャイアントパンダ、⑥マレーグマ、⑦ナマケグマ、⑧メガネグマ
南米のメガネグマ以外は、北半球の森に生息している。大陸で見るとオーストラリアにはいない。それは地球史的にみて、原始的な哺乳類の有袋類が占有していることからわかるように、豪州は長い間隔離されていた大陸なので、真獣類のクマはいないのはわかるとして、“野生の大国”アフリカ大陸にもクマが生息していないのは面白い。また、北極圏にはいるが南極大陸にはクマ類は生息していない。だからホッキョクグマはペンギンを1度も見たことが無い。


現生クマ科の全8種のうち6種が絶滅に瀕している。そして全8種のうち2種が、日本という小さな島国に生息している奇跡。そこには生態系の頂点の捕食者を十分養える豊かな自然があるという誇るべき証しだ。加えて日本は高度な経済発展を遂げたにも関わらず、クマという最強肉食動物との共存(棲み分け)をうまいことやってきた。これまでは…。ちなみに近代のライフスタイルが日本と似ているイギリスでは11世紀に、ドイツでは19世紀に主に害獣駆除によってクマは既に国内で絶滅している。
クマの基本生態と、死んだフリの誤用が広まった社会現象
さて、ここから日本のクマのお話しをしよう。
日本には北海道にヒグマ、本州以南にツキノワグマがいる。かつては本州にもヒグマは生息していたが、約1万年くらい前の氷河期の終わり頃から、人間の活動域の拡大などの影響で絶滅したと考えられている。北海道と本州の距離は眼と鼻の先だが、2つの陸を分ける津軽海峡は、深くて流れが速くて冷たいので、陸上動物の往来が不可能。この隔絶された生物相を分ける境界線をブラキストン線という。

仮に本州で飼育下のヒグマが逃げたとしても、ツキノワグマと交雑して雑種ができることは生物学的にない。日本以外では、ヒグマとツキノワグマやクロクマの生息域が重複している地域が多数あり、私も海外調査に行ったが、雑種は全く存在しない。そもそもツキノワグマとクロクマの天敵はヒグマなので、ヒグマの気配を感じると、ヒグマは木に登れないので、必死で高い木に登って逃げる。雑種などと言う恋に落ちる感情が生まれる関係ではないので、ネットで流布する日本の“ハイブリッド熊”というのは、稚拙な都市伝説に過ぎない。クマ類は、カラバリや模様の地域差や体格差が極めて大きい動物なので、その見た目だけで新種や雑種とするのは、かなりのおっちょこちょいだ。一方で、個体ごとの見た目が顕著に違うので、わりと個体識別がしやすい動物で、同じ個体が熊害として徘徊しているのか否かは、当たりがつけやすい動物と言える。
熊害報道とその被害報告では、ひとくくりにヒグマとツキノワグマの2種をまとめているが、形態や行動の特長、性格も全く別ものなので、熊害の対策として解説をするときに多くの誤解を与えるので、ニュースで解説するなら“混ぜるな危険”である。

しかも、クマの種類の違いは言うまでもなく、クマという動物は、同じ種でも100匹いれば100通りの行動をする。さらに、雌雄、年齢、子連れか否か、季節、時間、場所、そして経験値や個別の性格(気性の荒さや臆病さなど)が複雑に加味されて行動としてアウトプットするので、とにかく気まぐれで、気分にムラがあるので、我々が行動を読むのが難しい動物なのだ。
だから、ニュースで“クマから命を守る防御姿勢”なる机上学者が考えた実証されていないフェイクサイエンスが流布しているが、これは極めて危険な姿勢で、たとえば猟師や動物園飼育員など、クマを直接扱う業種の人が絶対にやらない姿勢だ。というか普通の人はできない!これはかつての迷信“死んだフリで助かる”と同じ過ちを繰り返しているだけ。クマは死肉食なので、死んだフリの姿勢や、うずくまって動かない姿勢は、衰弱している動物、死んだ動物と認識して、ゆっくり食べ始める。その姿勢で助かった事例は、たまたま運が良かったか、もっと他の合理的な説明ですむと断言できる。ヒグマに至っては、10mmの鋼鉄のボルトも噛み切るので(私が調査済み)、ニュースのクマ対策として言うような、急所の首を守るために自分の手で押さえたところで、いったい何になるだろう?
またクマは大きいため、小回りがきかず狩りが上手ではない。だから、狩りが洗練されたネコ科のように、はじめに急所を攻めて殺してからゆっくり食べるのとは異なり、クマは獲物が生きたまま、しかも足の先からでも食べ始めたり、途中で飽きて死体を後日食べたりもする。味音痴だし食べ方も雑だ。
熊害原因をステレオタイプに『ドングリが不作』云々も、私は懐疑的だ。クマはドングリという植物質を食べるから“雑食”はたまた“草食動物”とまで言っている誤用をよく目にする。このような誤用が流布しているが、食性とは口にしたモノのことではない(詳しくはシン・動物学#4の解説をご覧ください)。草食動物か肉食動物かの違いは、食べものの好みの問題ではない。そこを勘違いすると、肉食動物としての習性を見落としてしまうのだ。クマはドングリを食べようが柿を食べようが、疑いようが無い典型的な肉食動物なのだ。この動物観の誤用は、たとえばこんなところから言われるようになったのだろう。研究者がクマの糞の採集をしやすいブナ科などの植生周辺を調べれば、糞の中身はドングリの割合が高くなるのは当然。しかし、研究者が行かないような危険な奥山に行けば、小動物・野鳥、うまくいけばシカやイノシシなどの死骸にありつける。獲物動物の滑落事故、狩猟の半矢の瀕死動物、急な温度変化による衰弱など、狩りが苦手なクマでも肉を口にするチャンスは意外にあるものだ。それらを見つけては、クマは好んで食べている。

割合が多くても植物質のものはあくまで肉の代用品で、私が動物園職員時代に実験した食性の調査でも、飼育下のヒグマ、ツキノワグマ、マレーグマでは、圧倒的に肉類(動物質)を好む(嗜好性)結果が得られている。ドングリの不作が、クマの行動に全く影響を与えないとは言わないが、山にはドングリ以外にもクマが好む食料が豊富にあるので、動物行動学的には、熊害の主要因がドングリの有無だけで説明できるとはとても思えない。箱罠でクマを捕獲するときに、猟師たちが長年やっている罠の誘引餌は、ヒグマならシカの死体や魚のお肉系。みんなが“大好物”と信じているドングリは使わない。もっとも、熊害の箱罠の場合、捕獲したいターゲットの不良グマだけでなく、たとえば肉や酒粕などの大好物の誘引餌に使うと、遠方から新たなクマを呼び寄せてしまうジレンマに陥る難しさがある。狩猟や熊害対応の難しさが、そんなところにもある。
蜂蜜や柿などの果実は、糖質が多くカロリーが高いので、冬眠前の時期に限らずもちろん好んで食べる。冬眠前は満腹でも何でも食べ続け、1日に5000キロカロリーを摂取することもある。
忘れてはいけないのが、クマ類は絶食に極めて強い動物であることだ。この冬眠前の食い貯めが、たとえ十分でなくても、冬眠中に餓死することはない。
クマは冬眠中、排便・排尿を1度もせずに、その老廃物をも生命維持エネルギーに変換できる特殊な生理能力が進化しているのだ。だから冬前に食べものが枯渇していれば、探しまわってエネルギーの無駄使いをせずに、さっさと冬眠の省電力モードに切り替えてしまうこともできる。
だから寒くなってもクマにとってアウェーの市街地まで、わざわざ下りてきて徘徊しているのは、空腹による食料探しとは別の問題ではないかと私は考えている(もちろん市街地でお腹がすけば何か食べるが)。
間違った熊害対策の解説と、人間との共生について
クマ鈴は有効か?
クマはサーカスの曲芸でもわかるように、学習能力が高く器用だ。調教師の腕が良ければ、短期間で自転車に乗れる芸まで習得させられる。つまり、状況判断が的確で慎重、過去の学習した経験値を次に応用することに長けている動物だ。
これは大きくて鈍重になった狩りに不向きな体型や、群れで狩りの成功率を高める社会構造ではなく、単独で暮らしていかなくてはいけない宿命から、その欠点を埋めるために会得した生存能力と言えよう。
つまり、彼らの行動は常にアップデートされているので、人間の認識(クマに対する動物観)の方が古いままのことがある。これまでは、クマが人間を警戒していたのなら、音で存在をアピールする鈴やラジオは有効だが、すでにクマにとって、人間は自分たちをスマホで動画を撮るだけで、逃げも追い払いもしない“何もしない存在”として認識・学習していたとしたら…。そして人間のそば(生活圏)に行けば、生ゴミや農作物、なんならシカやイノシシより狩りが簡単な人間をも食べられると学習していたなら…。

人間にとってアウェーの山で『人間がいますよ~!』アピールは、もしかすると皮肉にも、最新にアップデートされたクマを呼び寄せるきっかけとして危険かもしれない。実際、数年前に東北でクマ鈴やラジオをつけたハイカーが連続して襲撃され死亡した事例もある。
さて、軍隊まで出動させる狂乱ぶりや、ハンター養成など、捕獲や銃で殺すことばかり優先して検討されているが、熊撃ちはハンターのなかでも、知識と技術と経験が無いとできないので、最も難しい猟だ。
鉄砲を撃てれば、すぐにできるものではない。散弾銃と散弾では、非力でクマを仕留めることができない。中途半端に撃てば、熊スプレー同様に、クマの怒りのスイッチを入れてしまうだけで、100倍返しでその人間を襲ってくる。つまり大げさでなく、撃ち損じれば、自分は死ぬと思ってもらって差し支えない。

普通の動物は“怖い”と感じると逃避行動をとるが、クマは自身の恐怖心を怒りの攻撃に変換する。怖ければ怖いと感じるほど怯まずキレるのだ。その点も要注意で、常にBプランの作戦も用意しておいたり、クマとの間合いを考えなくてはならない。だから安全で遠くから撃てる射程距離の威力があるライフル銃しかないが、ライフルは散弾銃の実猟経験が10年以上無いと所持許可が下りない危険で難しい狩猟具だ。
いくら銃を扱う自衛隊や警察でも、動物の生態を知らない実猟経験のない者が、市街地で市民の安全を考えながら、遠距離の動く標的を正確に仕留められるかは疑問だ。
もちろん人命最優先の考えで、危険な場面での駆除を躊躇する必要は無い。ただ、人命優先という大義名分は、いろいろなことが雑な対応になりがち。
駆除と保全は相反することではなく、必ず両立させることができるはずだ。だって棲み分けは、これまで一応やってきたことだし、世界でもクマの危険と隣り合わせで暮らしている地域はいくらでもある。連日のニュースで、恐怖心に日本中が冷静さを欠いているように見える。かつて報奨金を課して害獣駆除で絶滅させたニホンオオカミと同じような運命を辿りそうな予感がしてならない。
“人間を怖がらなくなった動物”とニュース解説では簡単に言うが、もし本当なら、この関係を元のように逆転させるのは極めて難しく、深刻な問題だ。なにせ人類が何千何万年もかけて、あの手この手で追い払いなどを積み重ねて“人間は怖い”とダマしてきたわけだが、ついに本来の食う食われるの“正しい関係”にクマを気づかせてしまったのだ。

熊害事故の頻度が上がったからといって、必ずしもクマの個体数が増えているとは限らない。クマの産仔数や妊娠間隔を考えれば、イノシシやシカのように指数関数的に増えることは無い。個体調査や被害報告は都道府県事なので、県境の重複している個体も多数あるはず。
また、何でも気候変動と関連付ける人がいるが、熊害の要因増はそれとも違うだろう。
では、何だ?
我々人間自身のクマに対する行動に、何かスキを見せているようなことは無いだろうか?山の木を開発と称して無節操に伐採して無いだろうか?我々の出した大量のゴミを、山に不法投棄している者はいないだろうか?
クマ問題だけに絞って獣害は解決するだろうか?獣害の前哨として、イノシシやシカが過疎地の農業や生活が侵食されて壊滅的にしていた動物たちの“警鐘”を本気でとらえていただろうか?来るべくして山のラスボスが登場したわけだが、まるで警鐘を鳴らしにきた使者までをも、ハエやゴキブリのように殺してしまう現実。なんともやるせないし、他に良策も今は思いつかない。
以上、クマの怖い話ばかり強調したので、最後に私の好きなエピソードを紹介して終わりたい。
秋田のマタギのいる地方で伝承されているもので、『木苺落とし』と呼ばれるクマの習性がある。
クマの子育ては母親が女手ひとつで育て上げる。オスは自分の子供を認知していないので、山で偶然出会えば、子グマを襲って食べることもある。オスグマ以外に天敵はいないが、厳しい自然環境や病気で、双子が生まれても1頭は1歳未満で死んでしまうことが多い。
離乳後も母親と子グマはしばらく一緒にいる。母親は嗅覚が鋭く、見つける自信があるからか、子グマが遠くまで遊びに行ってもわりと放任していて、必ずしも近くに親がいるとは限らず、丸1日離ればなれでいることも珍しくはない。しかし、それは手抜きではなく、まるで教育方針のようで、自分の子供を忘れているわけではない。何かあれば、いつでも死を覚悟で自分の子を全力で守り抜く。
マタギ伝承によると、子グマにとって2度目の初夏を迎える頃に、母親は子グマと一緒に木苺の群生地に行く。そして、子グマが夢中になって大好きな木苺を食べているのを見届けると、子グマに気づかれないように、そっとその場を去り、子グマが母親を探してどんなに泣き叫んでも、二度と子グマの前には現れることはない。この切ないクマの巣立ち・子別れの行動をマタギは『木苺落とし』と呼んでいる。
このツキノワグマの行動が、動物行動学的に本当にあるかどうかは私は知らない。しかし、クマという動物の愛情深さを実によく表現した熊撃ちのマタギ目線のお話で、裏返せば動物の殺生を生業とする人の葛藤や苦悩も読み取れて、私の心には深く深く刺さっている。
おしまい。

★新宅広二さんの著書『すごい動物学 生き物たちから学ぶ明日を生きるヒント』(2025年、ヤマケイ文庫)。詳細はこちら。


新宅 広二
生態科学研究機構理事長。専門は動物行動学と教育工学。大学院修了後、上野動物園勤務。その後、世界各地のフィールドワークを含め400種類以上の野生動物の生態や捕獲・飼育方法を修得。大学・専門学校などの教員・研究歴も20余年。監修業では国内外のネイチャー・ドキュメンタリー映画や科学番組など300作品以上手掛ける他、国内外の動物園・水族館・博物館のプロデュースを行う。著書は教科書から図鑑、児童書、洋書翻訳まで多数。
X: @Koji_Shintaku
寄稿・写真:新宅広二
編集:篠ゆりえ
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