よりよい未来の話をしよう

【大島育宙のドラマ時評】御上先生論(後編)「御上たちが対峙した、未来と生と考えること」

圧巻だった。文科省官僚が私立の新興進学校で高校3年生の担任に突然着任する、という設定だからこそ繰り広げられる学園ドラマ。多角的な話題の提示と精緻な切り分けが、愚かさや暴力性に頼った個性の人物がいない、スマートな世界観でスムーズに疾駆した。

▼『御上先生論』前編はこちら

古代理事長は失脚するのか?

そんな画期的なドラマの完結を見届けた今、私の心を支配するのは古代理事長(北村一輝)というキャラクターだ。

御上(松坂桃李)らに不正を暴かれる結末ではあった。額面通りに受け取れば、メディアで持て囃されていた「新進気鋭の理想の教育者」としての古代の立場は失墜するはずだ。しかし、本当にそうだろうか?

古代が会見を行う会場に記者たちが集まる様子までは描写されるが、会見自体の場面は省略された。メインで描かれた生徒の1人・富永(蒔田彩珠)が弟の車椅子を押す場面でも弟の顔がウェットに映らない、というように、ベタになりそうな映像を正面から残さないスタイルが、このドラマをスタイリッシュにしている、とも考えられる。

しかし、古代の記者会見シーンの省略にはそれ以上の効果があると感じる。古代はきっと、失脚しない。そんな想像の余地を視聴者に与える。

是枝(吉岡里帆)の父がクリティカルに言い当てたように、古代は「理想を語る間に自分自身も騙しちゃう」魔物だ。今回発覚した不正についても、真摯に敬意や謝罪を述べるようにぬかりなく演技しながら、自身の崇高な理想やビジョンを語り、「やったことは良くないが、素晴らしい会見だった」という回り回った世評を獲りに行くだろう。

『御上先生』というドラマのトーンを知らずに最終回を観た人がいたら、きっと悪役の往生際の良さにも驚いただろう。古代と溝端(迫田孝也)という2人の悪役は、自主的に反省の弁をつらつらと的確に述べる。登場人物のほとんど全員が冷静で聡明で、知的であることに節度とプライドを持っている。感情をいたずらに増幅することでドラマを膨らませることがなく、話の早さ、時間あたりの議論の速度を楽しむエンタメだったが、悪役の引き際までそれが徹底されていた。

だからこそ、古代理事長の悪役っぷりには終わりがないというリアリティがある。本人の言う通り、一銭も私利私欲のためには使っていないのだろう。教育の理想を実現するために泥を啜ってきた、という自己犠牲的な自己分析も一面的には正しいのかもしれない。

御上に向けた最後の一言が反省でも謝罪でも敗北宣言でもなく「真の教育改革、期待しています」という、あくまで同じ方向を、未来を向いた激励の言葉なのもまた、彼らしい。

©TBS

2020年代を象徴する悪役・古代真秀

前編でも述べた通り、古代には教育者としての魅力も志も実力も十二分にある。理事長室登校の生徒に英文法の指導をしてあげたり、生徒の陳情をカジュアルに聴けるようにスポーティなジャンパースタイルで校内をうろついたりする。先代のレガシーを自動的に継承したのではなく、一代で私立進学校を仕上げたという設定。あまりにも、単純な金銭欲や名誉欲では説明がつかないキャラクターだ。

是枝親子は古代の形容が上手い。第9話では「ライオンに食べられるくらいならと、自分がガゼルの子どもたちを食べる」とその悪性を明快に説明した。

古代は現実にいる「変革者」の多くの実像を落とし込んだラスボス造形だ。崇高な理想を声高に掲げながら身近な犠牲を軽視したり、目的と手段の本末転倒を棚に上げて自身を悲劇のヒーローや、理不尽な力に立ち向かう主人公として、シンプルに物語化する。そういうセルフプロデュースや責任転嫁、煽動を恥ずかしげもなく堂々とかませるかどうか。そんなスキルが世間への影響力の内訳を侵食しすぎている2020年代を象徴する悪役だ。

最終回時点の古代を「ラスボス」と名指すのは安直過ぎるかもしれない。古代自身が御上に語ったように、さらに大きな権力にとってのスケープゴートではあるのだろう。

しかしそれ以上に、この不正発覚を燃料にして自家発電し、結局は何も変わらずに再起するであろう、未来の古代が真の、永遠のラスボスなのではないかと思う。

陰影のある悪役に色気を感じてしまうのは珍しいことではないが、ドラマのわかりやすさに奉仕しすぎることなく、実在感と悪さの両立が徹底されたキャラ造形に、命綱なしの綱渡りを見ているように没頭してしまった。悔しいかな、私は古代に夢中だ。視聴者の多くもきっと、古代のような先輩や上司や候補者に夢を託したり、いつの間にか裏切られてきたはずだ。実体験の愛憎を照らし放題な懐の深い悪役。登場時間は決して多くはないのに、虜にさせられて当然だ。

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「生きろ」「生きて」「生きる」

一方で、御上のような上司や教師に巡り会えたことのある視聴者はごく稀だろう。フィクションの醍醐味を担保するのは、このドラマでは悪役ではなく、主人公の側だ。

最終回で繰り返されたのは「生きろ」「生きて」「生きる」という言葉だった。脚本家・詩森ろばのライフワーク的な言葉でもあるが、同じ松坂桃李主演の映画『新聞記者』(2019年)では現実の事件を基点に、死によって絶望的な状況が縁取られていたのと対照的だ。

6年前の回想から始まった最終回。部下を喪い、遺族からも憎まれ悔しむ槙野(岡田将生)への、御上からの言葉。

「支えるから、生きてくれ」

「俺とお前そんな関係だっけ?」

「バカ、これからなるんだよ」

松坂桃李と岡田将生が表ではいがみ合うふりをして裏では結託している。そんな甘いブロマンスのご馳走はあくまで視聴者の想像に委ね、最小限に抑えられた。

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冴島(常盤貴子)から真山弓弦(堀田真由)へは「健康的に暮らします」という宣言が贈られた。死をもって償え、ではなく、生きることで償え、というメッセージ。弓弦の凶行の動機はこのドラマの中では際立つ混沌とした泥濘だが、親から子へできることは「自分が生き続けること」という解釈。そんな冴島のラストシーンは、教職なのかはわからないが新たな職場に向かうような予感を湛えていた。

神崎(奥平大兼)は聞かれてもないのに御上に「死なない」と宣言した。「兄に似ている子がいる」と一色(臼田あさ美)が赴任前の御上に言ったのは、理想への意識が強いあまり、自分の生への意識が希薄なティーンエイジャー、というニュアンスだ。個人的なことは政治的なことだけど、政治や社会を変える前にまず自分を大切にしないといけない。そうしないと自分じゃなくなるとしても、社会に合わせられなかったからといって命を絶ってはいけない。御上の「それは、絶対そうしてくれ」という切実な返答が心に残響する。

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再定義された「考える力」

御上が生徒たちに贈った言葉は未来を定義する名文だった。優秀すぎる生徒たちの問題解決能力を称えた後に、「でももっとすばらしいのは」と続け「君たちの頭のなかの答えの出ない質問は、未来そのものなんだ」と語る。

擦られすぎて味のしないお題目になってしまった「考える力」という言葉を「答えを出すためだけのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さず考え続ける力のことだ」と誠実かつ華麗に言い換える。

まさにそうだ。自分の生を生きることも、社会を少しずつ変えていくことも、暗記や一問一答ではない。解決策を講じたところで全ての問題がクリアになることはない。

また次の問題や不平等が生じ、また現状を知るところから考え始めるしかない。その無限の繰り返しが、人間の歴史だ。

教育は未来への投資だし、未来そのものに直接触れる仕事だ。教育行政官(文科省官僚)の葛藤や教育現場の苦渋を描くだけでなく、最終的には教育の楽しさが前傾化した。

御上と結託しながら文科省周りの情報収集を担当していた槙野は、教育現場を分担する御上の方が楽しそうだと羨み、自身も教職を取ることを宣言する。御上は第1話で生徒たちに「AI」と揶揄された鉄面皮キャラが嘘のように、槙野や後輩の津吹(櫻井海音)に「それがさあ」と微笑み「(教師のやり甲斐が)めちゃくちゃある」「(生徒たちが)可愛いんだよ」と照れる。

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教育は“未来そのもの”

第9話では4組の家族、親子のディスコミュニケーションと回復が描かれた。知的障害のある弟との断絶に向き合う富永。厳格一辺倒に見えた母の協力を父から知らされる是枝。兄の死を受け入れられない母に、勇気を出して向き合う自分を、生徒に見せることで自分と生徒の問題に同じ目線で向き合う御上。そして、母との面会で「さみしかった」とは言えない弓弦。

現代的なホームドラマの感動が効率よく散りばめられたというだけではない。教師と生徒の信頼関係と会話が次世代、未来への会話そのものであるのと同じように、家族や親子という関係もまた、未来を志向する関係なのだという、当たり前なのに忘れがちな前提を思い出させてくれるシークエンスの束だ。

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第7話で生理の貧困問題にクラス一丸となって向き合う時も「世界中ただ一人も生理と無関係な人間なんていない」という視点と、級友一人を助けるだけでなく、同じ状況に陥った生徒の救済制度の整備という未来への目線がベースにある。槙野の部下・津吹の手術と妻の出産が重なったのでサポートしにいく槙野への「そんなことで半休?」という同僚の心ない挑発。部下や子どものケア、これも当然に未来への視座だ。

悲劇のヒーローぶって腐って見せる古代を見送る御上は、「あなたが育てた生徒たちのなかに、隣徳の理念は生き続けます」という未来に向いた言葉をかける。

ドラマ前半の画面はかなり暗かった。最終回は見違えるように明るい画面だ。憎悪と復讐の感情増幅型エンタメの時代は少しずつ終わっていくのかもしれない。一方通行や勧善懲悪のわかりやすいドラマツルギーを10話で完結させるのではなく、いまの現実を抉るように因数分解しながら、未来に向けた光でゆっくりと明るく照らしていくような、唯一無二のドラマだった。ここまで徹底的に未来の話をしたドラマがあっただろうか。

安易に続編を期待してしまうが、そんなことではない。現実に接続したドラマは続編があろうとなかろうと、終わらない。自分も他人も酔わせる悪人はきっと滅びない、どうしようもない世界だけど、世界を諦めずに冷静に立ち向かう若者たちもまた、同じ世界に生き続けるからだ。

©TBS

TBS系日曜劇場『御上先生』
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大島育宙(おおしま・やすおき)
1992年生。東京大学法学部卒業。テレビ、ラジオ、YouTube、Podcastでエンタメ時評を展開する。2017年、お笑いコンビ「XXCLUB(チョメチョメクラブ)」でデビュー。フジテレビ「週刊フジテレビ批評」にコメンテーターとしてレギュラー出演中。Eテレ「太田光のつぶやき英語」では毎週映画監督などへの英語インタビューを担当。「5時に夢中!」他にコメンテーターとして不定期出演。J-WAVE「GRAND MARQUEE」水曜コラム、TBSラジオ「こねくと!」火曜日レギュラー。ドラマアカデミー賞審査員も務める。

 

寄稿:大島育宙
編集:吉岡葵
素材提供:TBS

 

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