あるミュージシャンは、こう語る。
「近いコミュニティの中では、自分たちのやりたいことが伝わるようになってきた。でも、次はもっと広い世界へ届けていきたいんです」
別のレーベル担当者も、同じように語る。
「界隈での知名度は抜群だし、熱量もすごい。でも、一歩外へ出るとまだ誰も知らないという状況が続いている。次は、その殻を破りたいんですよ」
このような話を、ここ2〜3年で何度耳にしただろうか。「界隈」が2024年のユーキャン新語・流行語大賞のトップ10に選ばれたことからも分かるように、これは音楽に限らず、さまざまな文化領域で起きている現象だ。SNSの浸透とともに特定の趣味や価値観が細分化していったことによって無数の島宇宙化が進み、各自がそれぞれのコミュニティ内のコードで完結するというクローズドな状況。まさしくそれはポストモダン的な断片化・多中心化の極致と言えるかもしれないが、その結果、過去にはなかったような事態が生まれている。
たとえば、ヒット曲(とされているもの)を身近な人が誰も知らない。その一方で、コミュニティ内の強固な結びつきは価値観形成に大きな影響を及ぼし、リアルの関係性を超えた拠り所にすらなっている。
ただ、興味深いのは、そうした島宇宙が完全に孤立しているわけではなく、時にポップな形で外部に開かれるケースがあるということだ。特定のコミュニティの美学や文脈が翻訳・加工を経てより広い文化圏にリーチし、稀にメインストリームに届く場合すらもあるわけで、そういった事例は今後の状況を予見するひとつのヒントになり得るかもしれない。というのも、私たちの文化がこのまま無限に細分化を加速させていくとは考え難いからだ。確かに、大衆が共有する大きな物語は失われた。しかし、人は他者と物語を共有したいという欲望を、そう簡単に手放せるわけではない。実際問題として、コミュニティが極限まで細分化するとマーケットが成立しないため、そういった市場原理含めて文化の様相も変化していくのだろう。
では、コミュニティやシーンの殻を破り突き抜けていった事例にはどういったものがあるのだろうか。今回このテーマについて考えるにあたり、筆者はブログ「イマオト」を運営する音楽チャートアナライザーのKei氏に取材を行なった。
常に評価指標を更新しているBillboardチャートはそれ自体が可変性を持っており、コミュニティが通常とは違った動きをした際にその異変をキャッチし反映することが多々ある。日々ヒットチャートを精緻に分析している氏曰く、いくつかの事例にその変化を感じ取ったとのことだ。
熱量の拡散とストーリーテリング
まず最初のテーマとして挙げられるのが、「熱量の拡散」。コミュニティ内のエネルギーをいかに外部に届けるかという問いだが、Kei氏はXGの例を挙げて次のように説明する。「XGは、ライブを撮影可にする判断をしました。メジャーなアーティストではまだ珍しい。その結果、ライブ映像がSNSでどんどん拡散されていった。先日ライブで東京ドーム公演を発表しましたが、その劇的な瞬間を、ライブに行っていない人もSNSで見ることで同時体験したような錯覚に陥る。熱量をいかにコミュニティの外に伝えるか、というお手本だと思います」。
ここで重要なのは、ただ単に盛り上がっている事実だけでなく、熱量にストーリーテリングが加わることでより一層の伝播力を持つという点。女性グループオーディション『No No Girls』(※1)の映像があれだけ拡散されたのはまさしくそういった背景によるものだろう。氏は、それを「バックグラウンドや景色が見える伝わり方」と形容する。「ノノガ(No No Girls)は、ちゃんみなが語る想いとともに切り取られることで広がっていきました。BAD HOPの「Last Party Never End」(2024)なども、川崎という彼らの地元の風景がイメージされる点が大きかったのではないか」。
※1 参考:BMSG傘下の新興芸能事務所 B-RAVE主催によるガールズグループオーディション番組。通称はノノガ。プロデューサーはちゃんみな、エグゼクティブプロデューサーはBMSG社CEOのSKY-HIが務める。
飢餓感や期待感をいかに高めるか
続いて2つ目のテーマは、「飢餓感や期待感」の喚起。これについては、次のような指摘があった。「Toosie Slide」(2020年)のリリース前に、ドレイクが自身の名前を伏せてインフルエンサーに曲を渡し、後に種明かしをすることでサプライズを誘ったアプローチはそれに近いです。国内でも、WurtSがリリース前の音源の一部をTikTokで公開していますが、そういった手法も期待感を高めるためのひとつ。今年大きな話題になっているサカナクションの「怪獣」は、リリース前にリアルタイムでチャット参加できるオンライン空間“Stationhead"にて山口一郎さんがトークを実施したことも、ヒットの初速に繋がりました。これらはメジャーな例ですが、似たようなことは規模の大小はあれど今さまざまなアーティストがトライしているはずです」
そもそも、飢餓感や期待感の喚起というのは、心理的メカニズムと拡散の原理を突いた手法であると言えよう。手に入らないものや限定されたものに対して強い価値を感じるという「欠乏の原理」、知りたいけどまだ分からないという状態に強く惹かれる「情報ギャップ理論」、自分も知っておかないと乗り遅れてしまう「FOMO(Fear of Missing Out=取り残される恐怖)」といったメカニズムから考えても、先述したような手法が話題を呼ぶのは理にかなっている。
以上の話から考えられるのは、「物語性のある熱量」「期待感・飢餓感」によって「共感・拡散」と「次を求める動き」が相乗効果を発揮し、内輪で盛り上がるだけでなく「なんか気になる」「もっと知りたい」といった形で外部の人を巻き込んでいくのではないか、ということ。氏の発言にある通り、これらの事例は大きな資金力を持つアーティストに限られるわけではなく、スモール・スケールで活動している人たちにも当てはまるはずだ。
他にも、アーティストがリスナーとつながることでコミュニティの拡大可能性を大きくしていく方法はいくつもある。いわゆる環境整備としてやっておいた方がよいことについても、Kei氏はいくつかの知見を教えてくれた。
まずは、受け手の熱量が高まってきたタイミングでそれをさらにブーストさせるような手法。「最近、スペクトラムが1980年にリリースしたシングル『F・L・Y』がゲームやアニメを紹介する動画のBGMとして使われたことでアメリカを中心に突如ヒットしました。それに対して、ビクターはすぐに過去のミュージックビデオを公開して対応していましたね。
近年、こういったことは幾度となく起きています。とある男性がフリートウッド・マックのヒット曲「Dreams」をリップシンクしながらスケートボードに乗った動画が突然TikTokでヒットしたことがありましたが、あの時はメンバーがその動画を真似することで話題となり、Billboard Hot 100チャートでもトップ10目前まで上昇しています」。
「国内だと、B’zが2024年の紅白歌合戦で話題を集めたケースも興味深かったです。というのも、YouTubeに上がっていたミュージックビデオがフルの尺ではなかったためチャートの動画指標は上昇しませんでした。その後B’zがライブ動画をフル尺で公開したのですが、背景にはチャートへの意識もあったと感じています。一方、中期的に反応を見ながら手を打っていくのもストリーミング時代の有効な手段です。Kaneeeの「Life is Romance」は2024年6月にリリースされたアルバムに収録されている楽曲ですが、少しずつ人気を得ていったことで、それにアーティスト側が反応し6か月後の12月にMVを公開してさらなるヒットにつながりました」。
海外での支持を広げていくための取り組みについては、こう語る。「どんなアーティストも、多かれ少なかれ海外でもすでに聴かれているはず。そうじゃなかったとしても、ちょっとしたきっかけで海外で盛り上がった時にいつでも反応できるようにすることは重要ですね。藤井風の「死ぬのがいいわ」では世界で火が付いたタイミングでライブ映像を公開、また各国のレコード会社がその映像に対訳を付けてTikTokで公開した手法はその最たる例です」。
表現者の美意識が、細分化したコミュニティをつなぐヒントに
話を戻そう。界隈化が進行した2020年代、私たちはアイロニーと断片化に慣れきってしまっているが、その中にあって「物語性のある熱量」×「期待感・飢餓感」というのは、むしろ「真剣さ」と「統合」の回復とも言える。
一見すると、それは現行の流れに逆行する態度にも思えるかもしれない。ただ、これは決して「大きな物語への回帰」を指すわけではない。そもそも「メインストリーム vs アンダーグラウンド」という単純な二項対立の時代はとうに過ぎ去っている。断片化した界隈がその純度を保ったまま、新しい形でつながる方法を模索することにこそ、この先の未来を描くヒントが隠されているのではないだろうか。
杞憂かもしれないが、本記事で書いたような観点は、アーティストなど表現者側にとってみたら、なんだマーケティングの話かとつまらなく受け取られるかもしれない。しかし、現代においてはマーケティングと表現活動の境界はますます融解してきている。個別の創作物がそれだけで意義を持つという純粋な作品主義の時代が終わり、今はその価値を最大化するための時間/空間設計までもが作品鑑賞の範疇となった。そういったフェーズにおいては、「熱量をいかに伝えるか」「飢餓感や期待感をどう喚起するか」というアプローチひとつとっても、いかに表現者の美意識を反映しているかが問われる。ティザーの一つひとつは作品の枠組みを設計する一部となり、プロモーションは単なる迎合ではなく挑発や問題提起の手段にすらなり得るだろう。
裏を返せば、どれだけ多くのバズを得たとしても、表現者の美意識を逸脱するような方法だったとしたらむしろ逆効果である。イメージ毀損の最も恐ろしい点は、それがバズのように可視化されないまま進行することだ。作品にしろ宣伝にしろ、全てにおいてアーティストの美意識がにじみ出てしまう時代を私たちは生きている。それらと、細分化したコミュニティが開かれた場につながるということは、どこかで深く通じている。
つやちゃん
文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿。メディアでの企画プロデュースやアーティストのコンセプトメイキングなども多数。著書に、女性ラッパーの功績に光をあてた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)、『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(アルテスパブリッシング)等
文:つやちゃん
編集:Mizuki Takeuchi
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