現在、世界が直面している最大の問題のひとつが気候変動であることに、疑いの余地はない。日本を含む世界各国で異常な猛暑が続き、洪水や山火事といった自然災害は激甚化・頻発化している。2021年度国土交通白書によると、2019年の日本における水害被害額は約2 兆1,800 億円となっている。これは津波被害を除けば、水害被害額として統計開始以来最大の数字だ。(※1)
また、専門家の間では、気候変動は「脅威増幅要因」= “Threat Multiplier” だと言われている。すでに存在する他の脅威をより増幅させる、という意味だ。たとえば自然災害では、女性は男性と比較してより大きな被害を受けることが分かっている。
・自然災害時に女性が死亡する確率は、男性よりも14倍も高い。
・気候変動によって難民化した人々の80%が女性。
・1991年にバングラディシュで発生したサイクロンでは、 女性は泳ぎを教わる文化がなかったため、 犠牲者の90%以上が女性だった。
・世界の貧困人口の約70%は女性のため、 自然災害で地域が壊滅的な被害を受けた後では女性の方がより社会復帰しづらい。
・自然災害発生時には、レイプ、 女性と子どもの人身売買、妊産婦死亡率、家庭内暴力のすべてが増加傾向にある。
(※2)
つまり気候変動が進めば進むほど、ジェンダー平等も遠のくのだ。
もちろん、これはジェンダーに限った話ではない。社会的に弱い立場にいる人びとは、気候変動でこれまで以上に人権侵害を受けやすくなる。どのような社会課題の解決に取り組むとしても、気候変動対策は「前提」なのだ。
本記事では、世界の気候変動対策について説明しつつ、その中で、ビジネスが果たしていく役割について考えてみたい。
※1 参考:国土交通白書 2021「第1章 現在直面する危機と過去の危機」(2024年12月6日閲覧)
https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/r02/hakusho/r03/html/n1112000.html
※2 参考:グリンピースジャパン「ジェンダー平等と気候変動解決はつながっている?気候変動解決にフェミニズムの視点が大切な理由【国際女性デー】」(2022年3月8日公開)
https://www.greenpeace.org/japan/news/story_55806/
国連気候変動会議(COP)とは?
2024年11月にアゼルバイジャンで開催されたCOP29では、先進国から途上国に、2035年までに年3千億ドル(約45兆円)の気候資金を出すことが合意された。また、官民あわせて1.3兆ドル(約200兆円)への投資拡大を呼びかけることが決定され、「化石燃料からの脱却」などを含むCOP29での成果が再確認された。
COPとは、“Conference of the Parties” =締約国会議の略だ。多くの国際条約で、加盟国の最高決定機関として設置されている。国連気候変動枠組条約のCOPで、気候変動対策が話し合われている。
COPの歴史は、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットにさかのぼる。この頃は気候変動、オゾン層の破壊、熱帯林の破壊といった環境問題の深刻化が指摘され始めた時期だ。世界規模での早急な対策を取るために、地球サミットが開催された。先述の国連気候変動枠組条約は、地球サミットで採択され、1994年に発効した。その翌年の1995年からCOPが定期的に開催されるようになった。
1997年に開催されたCOP3では、京都議定書が採択された。先進国が温室効果ガスの排出量を削減することを約束する、国際的な枠組みで、この議定書は、先進国が2012年までに排出量削減の目標を設定することを求める内容だった。
2015年のCOP21では、京都議定書に代わるものとしてパリ協定が採択された。パリ協定は気候変動に関する、初の法的拘束力のある国際的な条約だ。その内容は、2020年以降の世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2度より低く、1.5度に抑えるよう努力するというものだ。
1.5度という数字は、平均気温が1.5度上昇すると極端な高温や大雨の頻度が大幅に増加するというIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の特別報告書に基づいて決められた。具体的には、50年に1度の高温が8.6倍、10年に1度の大雨が1.5倍になるとされている。2度上昇した場合はさらに深刻で、それぞれ13.9倍、1.7倍になると予測されている。
IPCCは気温上昇を約1.5度に抑えるためには、2030年までに2010年比で世界全体のCO2排出量を約45%削減し、2050年前後には正味ゼロにすることが必要だとしている。これを受けて2020年10月、日本政府は「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。多くの企業も、カーボンニュートラルの期限を定めている。脱炭素は国や企業による個別の取り組みではなく、官民一体となった世界的な潮流なのだ。
広告が示す気候変動の現状—ツバル、サイクロン...
それでは、ビジネスの現場ではどのような対応や施策が進められているのか?ここでは、代表的な事例を3例紹介しよう。
①THE FIRST DIGITAL NATION(2022)
ツバルは南太平洋に位置する島嶼国だ。東京都品川区とほぼ同じ約26平方キロメートルの国土に、2022年時点で11,310人が暮らしている。(※3)ツバルの温室効果ガス排出量は、世界全体のわずか0.000005%未満だ。(※4)にもかかわらず、気候変動の影響を最も深刻に受ける国の1つになっている。今のスピードで海面上昇が進むと、2050年までに国土が完全に水没してしまうと言われているのだ。(※5)
ツバルのような国を支援するために、2022年11月に開催されたCOP27では「ロスト&ダメージ」基金の設立が合意された。その名前の通り、気候変動が原因で生じた損失や被害に対処するための基金だ。同会議では、ツバルの法務・通信・外務大臣(当時)であるサイモン・コフェのスピーチ映像も公開された。
映像は、演説台に立つコフェ大臣の姿で幕を開ける。大臣の後ろに広がる背景は、熱帯植物と白いビーチだ。南国リゾートのような美しい風景だが、大臣は重い表情をしている。さらに、画面のところどころにグリッチが入り始める。カメラがゆっくりズームアウトしていくと、大臣がいるのは本物の島ではなく、CGでつくられたバーチャル・リアリティ空間であることが明らかになる。そこで大臣は、ツバルはメタバース上で世界初のデジタル国家になるという宣言をしたのだ。
現在の国際法では、領土があることが国家の条件として定められている。水没して領土が失われると領海や国連での投票権、オリンピックやパラリンピックといった国際的イベントへの出場権なども、すべて失われてしまう。こうした事態を防ぐために、ツバルは領土をメタバース上で再現したのだ。領土だけではなく、文化的記録や行政サービスなどの国家の持つ様々なデータが、順次クラウド上にデータとしてアップロードされていく。発表時点で9ヶ国がツバルのデジタル国家としての主権を承認した。
ツバルはこの取り組みを「気候変動への実践的な適応策」としている。しかし本当に水没してしまったら、メタバースでデジタル国家と認められても意味はない。このキャンペーンの本当の目的は世界的な注目を集めることで議論を喚起し、各国に気候変動を止めるための行動を促すことにある。1円も広告を出稿することなくPRで20億人以上にリーチし、359のメディアに取り上げられたという結果を見れば、大成功と言っていいだろう。
メタバースの活用そのものは、この時期の広告業界のトレンドで、目新しさはない。「The First Digital Nation」の斬新さは、発信主体が国家であることと、発信の場がCOPであることという2点にある。クリエイティブを担当したのは、アクセンチュアソング傘下の広告クリエイティブ・エージェンシー THE MONKEYだ。国際政治の世論形成に、広告クリエイティブのノウハウが使われたのだ。
しかし、話題作りだけでは十分とは言えない。真に必要なのは、気候変動を止めるための具体的なアクションだ。そして実際に、広告クリエイティブを通じてそのような行動を促進した成功事例が生まれている。
※3 参考:外務省「ツバル基礎データ」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tuvalu/data.html?utm_source=chatgpt.com
※4 参考:特定非営利活動法人 ツバル オーバービュー「顕在化する温暖化の影響 ーツバルの取り組みー <第3回>」(2017年3月公開)
https://www.tuvalu-overview.tv/pdf/casa_tuvalu_3.pdf
※5 参考:NASA “NASA-UN Partnership Gauges Sea Level Threat to Tuvalu” (2023年8月15日公開)
https://sealevel.nasa.gov/news/265/nasa-un-partnership-gauges-sea-level-threat-to-tuvalu/
②PRÊT À VOTER(2022)
PRÊT À VOTERは、2022年にフランスで非営利団体のSOLAR IMPULSE FOUNDATIONが広告クリエイティブ・エージェンシーのPUBLICIS CONSEILと行ったキャンペーンだ。日本語に訳すと、「投票する準備はできた」になる。既製服を意味する「PRÊT-À-PORTER」(プレタポルテ)をもじった言葉遊びだ。キャンペーンの内容は、気候変動対策を実施するための様々な法案を1冊の書籍にまとめ議員に配布した、というものだ。
気候変動には「温室効果ガスを削減する」という明確な解決方法があるため、技術的にはそれほど困難ではない。しかし、いざ実施しようとすると、さまざまな壁が立ちはだかる。気候に関係のない人はこの世に存在しないため、膨大な量の利害調整が必要になるのだ。
その中でも最大のもののひとつが「法律」だ。SOLAR IMPULSE FOUNDATIONは気候変動対策のさまざまなアイデアを持っていたが、その多くが現行の法律にそぐわないため実施が困難だった。そこで法律を変えるために行われたキャンペーンが、PRÊT À VOTERだ。
PRÊT À VOTERの書籍には、法律と科学の専門家により法案化された、50の気候変動対策のアイデアが掲載されている。そして、すぐに議会での議論に使えるように、577名の議員に送付された。書籍は気候変動に詳しくない議員にも読んでもらうために、美術書のように美しくデザインされ、わかりやすく書かれている。結果、「浮体式太陽光発電」と「農地のエネルギー供給利用」、「地熱エネルギー」という3つの法案が、ほぼ原案通りに採択された。
時代の変化に迅速に対応したり、アイデアを分かりやすい形で提示したりするのは、もともと政府の苦手分野だ。そこに広告クリエイターやビジネスパーソンの能力が求められている。
このようにさまざまな気候変動対策が世界中で実施されているものの、残念ながら、気候変動を完全に止められる目処は立っていない。抑止策だけではなく、暑くなった地球にどう適応して生きていくかという視点の取り組みも求められている。
③ONE HOUSE TO SAVE MANY(2022)
過去 20 年間に発生したカテゴリー5のサイクロン数は、その前の 100 年間よりも多いというデータがある。洪水や山火事の発生件数も増えている。このような気候変動による自然災害により大きな被害を受けている国のひとつが、オーストラリアだ。
2019年末から2020年にかけて発生した山火事による焼失面積は、ポルトガルの国土を超えた。2020年だけで被害を受けた住宅の数は13万4千戸にのぼる。
問題は、オーストラリアの建築基準法にある。多くの住宅は頻発する過酷な自然災害に耐えられる設計になっていないのだ。さらに、被災後の再建時にも同様の設計が採用されるので、新たな災害に対して同じリスクを抱えることになる。これではきりがない。
そこでオーストラリアの保険会社SUNCORPがつくったのが、科学に基づいてサイクロンと洪水、山火事に耐えるように設計された世界で初めての住宅 “ONE HOUSE” だ。
ONE HOUSEの設計と建築のために、オーストラリア連邦科学産業研究機構CSIRO、ジェームズ・クック大学、建築事務所のRoom 11 Architects から専門家たちが集結。山火事から住宅を保護するメッシュスクリーン、洪水の流れをそらすための擁壁、サイクロ被害を軽減する空気圧開放構造などが開発された。数多くの受賞経験を誇るRoom 11 Architectsによる、美しいデザインも目を引く。
ONE HOUSEはモデルハウスとして作られたもので、実際に販売されたわけではない。しかし、プロジェクトの様子は全国的な広告キャンペーンやドキュメンタリー番組を通して紹介された。得られた知見は誰もが利用できるようウェブで公開され、政府機関や建築会社にも提案された。現在、SUNCORPはオーストラリア保険協会と連携して、建築基準法の改正を目指して活動している。
保険会社として「復興のリーダー」というブランドイメージを確立することが、SUNCORPがONE HOUSEをつくった目的だ。ONE HOUSEキャンペーンの結果、SUNCORPの保険の見積もり請求率は24.6%増加、市場シェアは7.3%増加した。災害対策であると同時に、ビジネスとしても結果を出したのだ。
広告の使命は「希望の提示」
株式会社ミンテルジャパンが2024年に実施した調査によると、日本人が「気候変動」を関心事のトップ3に挙げた割合は57%だった。これは調査対象国の中で最も高い数字だ。(※6)しかし、自らの行動が「環境にポジティブな影響を与える」と回答した割合は19%と、世界平均の47%に比べて著しく低くなっている。「今、行動すればまだ間に合う」と信じている人は35%で、調査対象国中で最低だ。
また、スリーエムジャパン株式会社の調査によると、日本の若年層(18-34歳)の13%が気候変動への関心や意見を持たないと回答している。この数字はグローバル平均の5.1%を大きく上回っている。グレタ・トゥーンベリをはじめとした学生や若者が世界の気候変動対策のキープレイヤーであることを考えると、日本のこの傾向は異例と言える。
しかし、悲観的になる必要はない。2024年8月末時点で、温室効果ガス削減目標に科学的な裏付けがあることを示すSBT(Science-based Targets)認定の取得、または取得することを約束した日本企業の数は、イギリスを抜いて世界1位となった。(※7)
先述の通り2020年10月、日本政府は国内の温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにすると宣言。気候変動対策を制約ではなく、国の経済成長に資するものと位置づけた。この目標達成のための研究開発を行うのが、産業技術総合研究所が設置したゼロエミッション国際共同研究センターだ。ノーベル化学賞を受賞した吉野彰博士を所長に迎え、様々な研究に取り組んでいる。(※8)中でも注目されているのが、日本発の技術である「ペロブスカイト太陽電池」だ。従来の太陽電池より薄く、軽く、柔らかいのが特徴で、これまで設置が難しかった場所への導入が期待されている。
このように、日本は着実に気候変動対策を進めている。しかし、それが国民の意識や行動の変化につながっていない。このギャップを埋めることが、今、求められている。気候変動に関心が高いのに悲観的ということは、裏を返せば、日本人は希望に飢えているということだ。
「希望を提示」という広告本来の使命が、今、必要とされている。
※6 参考:Mintel 「サステナビリティの世界的展望:消費者調査を基にしたグローバルレポート2024-25」(2024年10月発行)
https://japan.mintel.com/sustainability-outlook?utm_source=jp-media&utm_medium=pressrelease&utm_campaign=20240903-mn-onp-apac-japan-sustainability-report&utm_content=launch
※7 参考:WWFジャパン「日本企業SBT認定・コミット数が世界1位に」(2024年9月20日)
https://www.wwf.or.jp/activities/news/5737.html
※8 参考:日本政府 "Japan’s Green Innovations for Achieving Carbon Neutrality" (2020年12月24日)
https://www.japan.go.jp/kizuna/2020/japans_green_innovations.html
橋口 幸生
クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はNetflixシリーズ三体「お前たちは、虫けらだ」キャンペーン、ニデック「ニデックって、なんなのさ?」伊藤忠商事「キミのなりたいものっ展 with Barbie」、世界えん罪の日新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。https://twitter.com/yukio8494
文:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi
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