広告と季節のイベントは、切っても切れない関係にある。毎年2月に開催されるスーパーボウルでは試合以上にCMが話題になるし、クリスマスに放送されるイギリスの百貨店ジョン・ルイスのCMは世界中で愛されている。元旦に出稿される新聞広告を楽しみにしている人も多いだろう。他にもバレンタイン、ハロウィン、父の日や母の日など、季節のイベントは広告クリエイターが忙しくなる時期だ。そんななか、多くの人に祝われているのに、あまり注目されてこなかったイベントがある。「旧正月」だ。
「旧正月」は「春節(しゅんせつ)」とも呼ばれ、旧暦(太陰暦)に基づく正月のことを意味する。新暦の1月1日ではなく、月の満ち欠けを基準にした旧暦の元日を祝う。日付は毎年変わり、1月下旬から2月中旬の間で新月になる日が春節の日となる。たとえば2025年の春節は1月29日水曜日だった。
日本でも一時期「春節の爆買い」といった報道が多くされたが、その実態は必ずしも知られていないのではないだろうか。中国では旧正月前夜の大晦日から大型連休となるのが一般的だ。多くの人が帰省し、家族と過ごす。海外旅行に出かける人も多い。爆竹や花火を使って邪気を払う風習があり、獅子舞などの伝統的な催しも行われる。日本同様、子ども達にはお年玉が贈られる。当然、経済的にも大きなインパクトがある。これを広告業界が見逃すはずはない。
広告クリエイティブの世界は欧米中心に動いているので、スーパーボウルやクリスマスに比べて旧正月は注目されてこなかった。しかし、政治的にも経済的にもアジアが台頭するなか、ビッグブランドが旧正月のキャンペーンに取り組むようになってきている。本記事では代表的なものをいくつか紹介したい。
コカ・コーラ「龍舞盛宴」
多くの人が帰省し、家族と食事をする旧正月は、コカ・コーラにとっても大きな商機だ。しかし、近年は中国でもかつてより家族のつながりが薄くなっている。そこで、2024年にコカ・コーラが実施したキャンペーンが「龍舞盛宴」キャンペーンだ。英語表記は”The Dragon Dance Feast”で、「龍舞の祝宴」という意味になる。龍舞というのは、龍の人形を複数の人間で操作して踊っているように見せる、中国の伝統的な出し物だ。2024年は辰年だったので、旧正月には様々な場所で龍舞が行われる。家族でやれば、家族の一体感を高めることにつながる。
コカ・コーラは、プロの指導のもと砂漠で3日間の練習をする「龍舞ブートキャンプ」を企画。中国全土から参加する家族を募集した。そして、その様子を有名監督による7分間のムービーとして公開した。
砂漠を龍が舞い、家族が走り回る様子は中国らしいスケールとダイナミックさに満ちており、壮観だ。コカ・コーラの赤もド派手な龍舞によく似合う。「家族で過ごすお正月」というと、日本人はもっとこぢんまりとしたノリをイメージするのではないだろうか。同じ正月でもここまで捉え方が違うことに驚かされる。
にゃんこ大戦争「辰年反対署名」
旧正月は中国だけではなく、アジアの様々な国や地域で祝われる。台湾もそのひとつだ。その台湾でゲーム「にゃんこ大戦争」が、「今年を辰年ではなく猫の年にしよう」という「辰年反対署名」キャンペーンを実施した。
出典:https://www.reaganraj.com/project/petition-against-the-dragon
「にゃんこ大戦争」は自陣の城からにゃんこ軍団を出撃させ、敵の城を攻め落とすゲームだ。日本のゲームだが世界的に人気で、台湾でもプレイされている。しかし、ゲームの配信開始から10年以上が経ち、新規プレイヤーが伸び悩んでいた。そんななかで打ち出されたのが、干支の「辰」に異議を唱えるというアイデアだ。特設サイトでは「干支に龍から猫に変えよう」という署名を募り、署名数に応じてゲーム内の特典がアンロックされるようにした。ソーシャルメディアや動画プラットフォームでの発信に加え、スタンプも配布された。また、辰年生まれのプロゲーマーをゲームに挑戦させ、負けたら署名に参加させるという企画も行われた。
コカ・コーラの正統派のアプローチと対象的な、新興ゲームならではの軽さやユニークさが面白い。猫ネタはソーシャルメディアでミーム化しやすく、日本でもそのまま通用しそうだ。
ここまで中国、台湾とアジア圏の旧正月キャンペーンを紹介してきた。しかし、中国系移民は世界の国に根を下ろして暮らしているため、アジア圏外でも同様の取り組みが行われている。次に見ていただくのはオーストラリアのマクドナルドで行われたものだ。
豪マクドナルド クリス・イー旧正月コラボレーション
オーストラリアは多様性に富んだ国だ。人口の過半数が移民であり、なかでもアジアにルーツをもつ人々の存在感は大きい。ところが、広告の世界では依然としてアジア系コミュニティの描写が乏しい。たまに旧正月が取り上げられることがあっても、「赤い封筒」や「餃子」のようなステレオタイプな演出にとどまることが多い。マクドナルド・オーストラリアは2024年の旧正月に、こうした状況に変化をもたらす試みを行った。ターゲットにすえたのは、アジア系オーストラリア人の若者だ。特に第一世代・第二世代の移民たちは母国とオーストラリア、2つのアイデンティティの揺らぎに悩むことが多い。マクドナルドのようなビッグブランドが彼らの存在を包摂することは重要だ。
2024年の旧正月に、マクドナルドはアジア系オーストラリア人アーティストのクリス・イーとコラボレーション。クリス・イーが描いた旧正月をモチーフにした壁画を、シドニーのチャイナタウンにある店舗の外壁に掲出した。クリス・イーは自身のアジア系オーストラリア人としてのアイデンティティをモチーフにした作品を多数制作してきた人物だ。
壁画ではやはり龍が大きく描かれ、広東語や北京語、韓国語のメッセージが記されている。そして英語で大きく“MISS YOU & WISH YOU ARE HERE” (会いたい&一緒にいれたらいいのにね)と記されている。この前でセルフィーを撮って母国にいる親族や知人に送れば、旧正月のメッセージになるという仕掛けだ。
一店舗だけで行われた小さな企画だが、オーストラリア全土のアジア系からポジティブな反応があったという。逆に言うと、それだけオーストラリアにおけるアジア系のレプリゼンテーションが不足していたのだろう。
レプリゼンテーションとは「現実世界の多様性が、広告などメディアの中で適切に表現されていること」を指す。その重要性について、パキスタン系イギリス人である俳優のリズ・アーメッドは、2017年にイギリス議会で行ったスピーチで次のように語っている。リズ・アーメッドは映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」(2016)で主要キャラのひとりを演じている人気俳優だ。
俳優と政治家、クリエイティブな仕事と政府の仕事には共通点があります。私たちはともに、ストーリーを語ることで、文化の形成に大きな影響力を持っています。時にファンタスティックで非現実的なストーリーが大きな影響力を持つことは、皆さんもご存じの通りです。しかし、そんな非現実的なストーリーにおいても、人々は「自分達には居場所がある」というメッセージを求めているんです。自分達も何かの一部で、目を向けられていて、耳を傾けられているというメッセージを。たとえ自分が人と違っていても、むしろ人と違っているからこそ、自分達には価値があると。誰もがレプリゼンテーションを欲しています。それこそが私たち俳優や政治家の仕事でしょう?しかし残念ながら、私たちはこの仕事に失敗しています。
(中略)
私たちが、主流メディアでのレプリゼンテーションに失敗したらどうなるか?人々はスイッチを切ります。社会の片隅で語られる、より極端で過激な思想に逃げ込みます。オンラインのフィルターバブルに浸るようになります。シリアに行く人もいるかもしれませんね。ISISの戦闘員は、自分をジェームス・ボンドのようなヒーローだと思っているでしょう。誰もが自分のことを「善玉」だと思っているんです。ISISのプロパガンダ映像を見たことがありますか?まるでアクション映画のようですよ。これに反論しなくてはいけないと思いませんか?子ども達に「私たちの物語でも、あなたはヒーローになれる」と伝えるべきではないでしょうか?
リズ・アーメットのスピーチからは、マクドナルドのようなメジャーブランドが旧正月を取り上げることには、単なるビジネス以上の意味があることが分かる。
文化の消費を超えて
旧正月というテーマを入り口に、広告のグローバルな変化が垣間見える事例を紹介してきた。興味深いのは、いずれも「旧正月を伝統的に祝ってきたわけではない」ブランドが、いかにしてこの祝祭に創造的に関わろうとしたか、という点だ。
「コカ・コーラ」と「マクドナルド」はアメリカ発のブランドであり、「にゃんこ大戦争」は日本企業が開発したゲームだ。いずれも、本来であれば旧正月と直接的な関係は薄い。にもかかわらず、「売れる時期だからやる」という短期的な動機は一切感じられない。それぞれの文脈で、地域や文化に対するリスペクトと想像力をもってキャンペーンを構築していた。
そんな姿勢が、これからの広告に必要なのだと思う。グローバルブランドであっても、地域の文脈に深く入り込み、共に祝う。その一歩一歩が、文化を消費するのではなく、文化とともに生きる広告をつくっていくのだ。
橋口 幸生
クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はNetflixシリーズ三体「お前たちは、虫けらだ」キャンペーン、ニデック「ニデックって、なんなのさ?」伊藤忠商事「キミのなりたいものっ展 with Barbie」、世界えん罪の日新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。
https://twitter.com/yukio8494
文:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi
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