10年後、わたしたちの周りから銭湯がなくなるかもしれない
日本に点在する銭湯の数々。風呂は私たちの生活に欠かせないインフラの1つであり、銭湯はそれを提供する場として、そして日本特有の生活文化の1つとしても愛されてきた。それぞれの思い出や旅先の記憶に、1つ、2つは具体的な銭湯が浮かぶ人も多いのではないだろうか。ただ、その思い出の銭湯は10年後はもう存在していないかもしれない。そう言っても過言でないほどに銭湯産業は存続の危機に直面している。
銭湯の数は1968年のピーク時には1万7,999軒あったものの、2022年には1,865軒とピーク時から89.6%の減少。全国で最も銭湯が多い東京を見渡しても、1968年には2,687軒を数えていたのが2023年には476軒までに減少している状況だ。
その主要因のひとつは、人びとのライフスタイルの変化といえる。
そもそも銭湯は、戦後の日本においてライフラインとして、そして衛生面の向上に重要な役割を果たしてきた。当時はまだ風呂場がない家庭も多く、そういった人たちにとって銭湯は朝から夕方まで入れる庶民の風呂場であり生活に欠かせないものであった。以後、人びとが日常的に通う憩いの場は、地域のコミュニケーションの場としても機能し、日本特有の生活文化として根付いてきた背景がある。
しかし1960年代から1970年代にかけ、日本は高度経済成長期を迎え生活水準が向上。多くの家庭に風呂場が設置されるようになった。これにより各家庭での入浴が一般的となり、銭湯は暮らしていく上で「欠かせない」もの、ではなくなった。この時期を境に銭湯は減少の一途をたどり続けている。
施設の老朽化、燃料高騰、後継者不足などの問題も重なり、現状の減少推移のままいくと10年後には全国の銭湯の数は三桁にまで減ってしまう可能性が高い。サウナや銭湯がブームとして取り上げられることが多いここ数年だが、実はとても厳しい状況に直面しているのだ。
このまま私たちの周りから銭湯はなくなってしまうのだろうか。果たして存続の糸口はないのだろうか。
そこで今回は、「銭湯を日本から消さない」をモットーとする銭湯継業の専門集団「ゆとなみ社」を立ち上げ、銭湯活動家として奮闘する湊三次郎氏に、銭湯を日本から消さないためには何が必要なのか、そしてこれから銭湯が担う社会の役割についてお伺いした。
◼️湊 三次郎(みなと さんじろう)
1990年静岡県生まれ。銭湯活動家。「銭湯を日本から消さない」をモットーとする銭湯継業の専門集団「ゆとなみ社」の代表取締役。学生時代に銭湯サークルを立ち上げ、京都をはじめ全国の銭湯を巡る。梅湯でアルバイトをしたのち就職するが、梅湯が廃業すると聞いて24歳の時に経営を引き継ぎ、2015年に再オープン。以降、梅湯を含む9軒を継業し沸かしている。
銭湯という文化建造、消滅したらもう戻らない。
2021年「ユーキャン新語・流行語大賞」では「ととのう」がノミネートされるなど、近年のサウナブームもあり、銭湯に行く若者も増え始めている印象があります。それでも銭湯が減り続けている背景には何があるのでしょうか?
いま存在する銭湯は経営が成り立っていない所が多くあると思います。最近は老朽化した銭湯を改装リニューアルすることでお客さんが集まり、経営を好転させた銭湯も増えてきましたが、それはまだごく一部で、多くの銭湯は変わっていないのが現状です。
サウナブームや人気銭湯が生まれてきたことは良いことである一方で、実際のところ経営は苦しい。ここには世間のイメージとのギャップが一定あるかもしれません。
1970年代以降、多くの家庭にお風呂が設置されたことによるライフスタイルの変化以外に、銭湯が「なくなってしまう」理由はどこにあるのでしょうか?
銭湯の持ち主にとって、銭湯を続けるメリットが少ないというのが理由の1つです。日本の多くの銭湯は家族経営によって成り立ってきました。銭湯の裏に家がくっついていてそこで暮らしながら、おじいちゃんおばあちゃんにとっての半ば生きがいのような存在で、給与形態も曖昧なままに成り立ってきた、というケースも珍しくありません。
とはいえ70代の夫婦がもう働くのは難しいという状況になった時、子どもが継ぐかというと、商売として成り立っていなければそうもいきません。経営が大変な事業を子どもに託すという親も、稼ぐのが難しいビジネスを引き継ぐ子もいないわけです。
なるほど、家族経営という独特の運営方法も銭湯を継承するにあたって難しさになっているのですね。
そうですね。所有している銭湯はある種の不動産物件でもあるので、相続のことも考えると銭湯をそのまま続けるよりマンションにしたり売却したほうが良いわけです。
仮にその土地の売却価格が2億円だったとして、僕らのように「銭湯をやりたい」というプレイヤーがいたとしても、同時に「2億円で買って銭湯を続けます」と言える人は到底いません。現状の銭湯の商売体系ではそうした状況に勝つことができない、というのが銭湯が「なくなってしまう」大きな要因だと考えています。
先日も創業約57年になる銭湯が廃業するニュースを見ました。老舗の銭湯は日本の文化的な建物という見方もできますが、そうしたものを残すための突破口はどこにあるのでしょうか?
僕は大資本の介入がその糸口だと思っています。銭湯は建物ありきの商売です。どれだけ歴史がある老舗の銭湯でも持ち主がやめると言ってしまったら終わってしまいます。それを止めるには、銭湯を所有する多額のお金が必要になってきます。
例えば、都内で土地取得から新築の銭湯を建てるとなると、開業までに5-6億円ほどのお金が必要になります。ここ数年は建築コストも上がり続けているので、新築ではなく内装改装に留めたとしても開業費は1.5億円はかかってきます。そうした状況の中で、個人事業主が銀行に事業計画を提案しても、到底融資は得られません。
仮に1つの事業者にそれができたとしても、何軒もの銭湯を買うお金を用意するのは現実的ではありません。つまり、現存する数少ない銭湯がなくなる前に、それを所有して事業を継承するためには、豊富な資本が介入する必要性があるんです。
2024年4月に東急不動産が原宿に新しくつくった商業施設「ハラカド」に銭湯がオープンしました。デベロッパーが土地開発や転用の視点で銭湯に目を向けた事実は、銭湯存続においては好転の兆しと言えるのでしょうか?
そうですね。いい流れがきたと感じています。これまでは家族から事業を継いだ2代目や、僕らのような外部の小さな事業者が銭湯のリニューアルを試みる動きが多かったんですが、最近はスーパー銭湯を経営している会社や、場合によっては地元の総合病院が銭湯を始めるケースもでてきました。
実際に僕の元にも銭湯と関係のない会社から銭湯に関するコンサルティングの相談がちらほらきています。そういった意味でも、今回の件は、トレンドの中心地である原宿で、大手ディベロッパーの資本が入り、東京で大人気の「小杉湯」が入居する、という。これから先の10年、銭湯の存続を考えた時に象徴的になるいい流れだと思います。
「見覚えのある人がいる」ゆるやかなコミュニティという価値
銭湯がもつ社会の中での役割についてお伺いします。元々銭湯がもっていた「地域のコミュニケーションの場」としての役割は、現代社会でも残っているのでしょうか?
社会における銭湯の役割の根本は変わっていないように思います。昔のように、近所のおじちゃんが子ども達の面倒を見たり、時には叱ったりする近い関係性は時代の変化と共に減ってきたと思いますが、特定の常連さんがいて、喋ったことはないし、どんな仕事をしているかは知らないけれど顔馴染み、といった関係、その地域におけるゆるい繋がりのコミュニティは今でも存在しています。
そうした繋がりは、街角の飲み屋など人が集まる場所では自然に生まれていくものですが、そのなかでも銭湯という場は、老若男女幅広い人びとがゆるやかに繋がれる場としていまでも機能していると感じます。
ゆるやかに繋がるコミュニティにも帰属意識は生まれていきますよね。そのコミュニティとしての役割を銭湯が担うか否かは、経営にも影響してきそうだと感じました。ビジネス視点を持つことが銭湯存続の糸口だと思うのですが、人付き合いはトラブルの基と考える人も多い時代で、その良いバランスを計るのは難しいように感じます。
コミュニティという観点をもちながら運営するかどうかは経営側のスタンス次第でもあります。例えばうちのお店でも、ご高齢で1人暮らしをしている常連さんの認知症が進んでいることに気づいた際、ご家族や地域の福祉サポートへ伝えるといったこともよくあります。そうした地域の繋がりの中で、セーフティーネットとしての機能は今でも残っていますし、一定社会に求められていることでもあると思っています。
ただ、昔のようにお店を開いていれば毎日人が集まり、自然とそれがコミュニティとして機能していた時代とは状況が異なります。それこそコスパを考えてしまえば、入浴料をもらいお風呂場を提供するだけの方が楽ですからね。人情がなければそうした運営は難しいのが実情でもあります。
「人情がなければコミュニティの視点をもった銭湯の運営は難しい」という状況の中で、湊さんがそうした姿勢を持ち続けられている理由はなぜでしょうか?
結局のところ、銭湯の一番の魅力はそこにあるからです。経営者としてお金の面を考えなければならないことももちろんあります。それに昔のように地域の人びとが密に繋がり合う関係性も時代と共に少なくなってきている。それでも、常連さんたちがつくる、「なんとなくこの時間にいったらこのおじちゃんがいる」といった無意識のコミュニティや地域のゆるやかな一体感はやはり銭湯ならではの価値と言えます。
僕はそうしたものを壊したくないですし、それが銭湯の良さだと感じているので今の活動ができているんだと思います。
若者が憧れる職業に押し上げたい
銭湯は今後、日本人にとって必要なものとして残り続けるのでしょうか?
これだけ銭湯が減っていく状況下でも日本人にとって「お風呂」自体の価値は普遍的に残り続けていると思っています。私たちが運営する「梅湯」の事例を見てみると、当初は1日70人程度だったお客さんが平均で300人程、多い日では10倍の700人程が来てくれる状態になりました。それも、大きな改装工事やリニューアルはほとんどせず施設自体ははそのままなんです。つまり、銭湯に行きたいというニーズは変わらず存在し続けているという実感があります。
湊さんが運営する梅湯のように再建を果たす銭湯が増えていくために、最も重要なポイントはどこにあるのでしょうか?
人生を全ベットできる人がいるかどうかだと思っています。大きな改装工事をせずとも人を呼び込むためにできることはたくさんあるんです。それができていないというだけ。ただそれができない理由もよくわかっています。
何十年と銭湯を運営している高齢のオーナーにいまから「あーしろこーしろ」というのは難しいですし、儲からないかもしれない、10年後には無くなってしまうかもしれない衰退産業に人生をかけて挑戦したいと思える若者は少ない。だからこそ僕らは、そうした現状を変えるためにも銭湯を儲かる商売にして若者が憧れる職業に押し上げていきたいと思っています。
もし今後銭湯で働きたいと思った人は、どうすればいいのでしょうか?家族経営が多い中でなかなか働くこと自体も難しそうなイメージがあります。もしアドバイスがあればぜひお聞きしたいです。
経営者次第ではありますが、雇用することに前向きな銭湯もあるので、まずは「働きたい」と伝えることだと思います。ゆとなみ社も募集告知などはしていませんが、本気でやる気のある方であればぜひ連絡をお待ちしてます。
最後に読者に向けて伝えたいことがあればお願いします。
ぜひ近所の銭湯に足を運んでみてほしいな思います。銭湯に限らず、昔ながらのローカルのお店というのは僕らの社会からなくなりつつあります。いま残っている銭湯もこれからの10年でなくなってしまうかもしれない。
本当に最後の期間になるかもしれません。ぜひいまあるうちに足を運んで、昔から残り続けてきたものの匂いや体験を感じてほしいと思います。
銭湯文化の存続に、正面から挑み続ける湊さん。その言葉の節々からは、綺麗事だけではどうにもならない厳しい現実と、消滅しつつある尊い文化があることを再認識させられた。
「なんだか懐かしくなるあの香り」「風呂上りの牛乳」「大きな木製の靴箱のカギ」。いま当たり前にあるそんな体験も、いつか過去の話になってしまうかもしれない。いままだ銭湯が当たり前にあるうちに、疲れが溜まった仕事帰りやリラックスしたい休みの日、特になんでもない日でも、ぜひ銭湯へ足を運んでみてはどうだろうか。意外と近くに日常に温もりをくれる、通い詰めてしまうような銭湯と出会うかもしれない。
取材・執筆:おかけいじゅん
編集:おのれい